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打率十割の高校球児

作者: 松本すけ

 鶴岡(つるがおか)学院高等学校は、神奈川県の名門私立である。高校野球の強豪校として知られており、伝統ある硬式野球部は甲子園の常連だ。

 その部員数は百人を超え、部員はそれぞれ一軍から三軍に組分けられている。ベンチ入り候補の二十人が一軍で、それを残りの二軍と三軍の部員が追いかける形だ。部員は監督とコーチの判断で組分けられる。頻繁に入れ替わりが行われるため、日々部員同士の熾烈なレギュラー争いが繰り広げられている。


 岩永(いわなが)浩二(こうじ)は、監督室から腕を組んで練習風景を眺めていた。鶴岡学院の監督を務めて三十年以上、過去八回の甲子園出場に導いた名将である。教え子からプロ野球選手も多数輩出している。

 部員数が百人を超える大所帯を、すべて監督一人で見ているわけではない。一軍を主に監督が、二軍、三軍には、それぞれコーチが付いて指導を行っている。

 岩永は基本的に一軍の部員を指導している。気が向いたら二軍の練習や試合を見て、いい選手がいれば一軍と二軍を入れ替える。三軍は眼中にない。


   *


 三年生が引退し、チームが新体制となって間もない頃、監督室にいた岩永の元へ二軍コーチの若林(わかばやし)と三軍コーチの佐藤(さとう)が訪ねてきた。二軍コーチを務める若林は鶴岡学院野球部の責任教師であり、部長として練習試合の調整などの総務を担っている。三軍コーチの佐藤は鶴岡学院野球部の元OBで、部員から慕われているが指導歴はまだ浅い。

 監督とコーチは密に連携を取り合っており、ほぼ毎日、情報共有のために顔を合わせている。

 三軍コーチの佐藤が相談を持ちかけてきた。


「一人、一年生に気になる選手がいまして……」

「三軍にか?」

「はい。練習試合で何度か打席に立たせているんですが、すべての打席で出塁していて、打率(だりつ)十割(じゅうわり)なんです」

「たまたまだろ」


 岩永は佐藤の相談を一蹴した。三軍に有望な選手がいるはずがないからだ。

 入部時に組分けテストが行われ、何軍に配属されるかが決められるのだが、このとき将来性がないと判断された選手が三軍に配属される。

 レギュラーはもちろん、ベンチ入りするような選手のほとんどが中学時代に活躍していてスカウトで入部しており、そのほとんどが一軍、もしくは二軍に配属される。有望な選手が三軍に組分けされることはない。

 押し黙ってしまった佐藤に代わり、二軍コーチの若林が口を開いた。


「ひとまず二軍で様子を見ます」

「好きにしろ。それより今週の試合だが……」


 岩永は興味無さそうに話を変えた。

 高校野球の日々は忙しい。休みはほとんどなく、毎日ひたすら練習の繰り返しである。平日は朝練と放課後の練習、土日は練習試合をしたり、遠征に行ったりする。そんな忙しい日々の中で、三軍に気を配っている暇はない。

 監督は野球の育成ゲームをプレイしているようなものだ。お気に入りの強い選手を育てて、試合で活躍できるように強化する。そのため部員全員を平等に指導することはなく、有望な選手にだけ目をかける。その指導方針でこれまで数々の功績を残してきた。

 二軍と三軍の入れ替えはコーチの二人に任せていたため、このときもいつものように二人に任せた。

 このとき、佐藤の話に耳を傾けなかったことを、岩永は後になって深く後悔することになるのであった——。


   *


 高校野球は春季、夏季、秋季で主に三つの大会があるが、本番は夏季の全国高校野球選手権大会である。この夏大(なつたい)の地方予選で優勝すれば全国大会の甲子園に出場することができ、負ければ三年生は引退となる。

 鶴岡学院の目標は、甲子園優勝である。これまで何度も甲子園に出場しているが、優勝したことは一度もない。日本一の監督になることが、岩永の野望だった。

 

 春を迎え、オフシーズンが終わると同時に多くの練習試合を組んだ。試合を通して実践的に選手を強化していく。すべては鶴岡学院が甲子園で優勝するために……。

 練習試合の頻度は一軍が最も多く、三軍が最も少ない。練習試合においても、岩永は一軍で監督を務め、二軍と三軍の試合はコーチの二人に任せていた。


   *


 春大(はるたい)の地区予選を間近に控えた頃、若林が妙なことを言い出した。


「以前、佐藤コーチから相談を受けて二軍に引き上げた選手が、未だに打率十割なんです」

「どれくらい打席に立たせた?」

「三軍から合わせて二十回以上になります」

「二十回以上だと!」


 岩永は若林の言葉を疑った。

 二十回以上打席に立ち、打率十割など聞いたことがない。たまたまにもほどがある。


「そいつは誰だ?」

「二年生の松田(まつだ)拓也(たくや)です」


 岩永はすぐに自分のノートパソコンを開き、選手名簿管理システムにアクセスした。

 鶴岡学院の部員は百人以上いるため、選手のデータはすべて選手名簿管理システムによって管理している。このシステムには選手一人ひとりの情報が記録されており、身長や体重などの身体的な情報から、過去に出場した試合の成績まで、選手のありとあらゆる情報が確認できる。

 岩永はノートパソコンをかじりつくように操作していた。選手名簿の一覧画面から条件を「二年生」に絞り込んで表示し、氏名に「松田拓也」と書かれているデータを開いた。

 松田拓也は、中学時代は地元の軟式野球部に所属していたようだが、特に活躍していた記録はない。そのため鶴岡学院へはスカウトではなく、自主的に入部している。身長は百六十九センチ、体重は六十二キロという男子高校生の標準的な体型だが、高校球児としては小柄である。

 そして過去の試合の成績が記載されている部分には、打席数が二十二に対して、安打が十六、四球(しきゅう)が六で、打率は若林の言う通り十割だった。打率は安打を打数で割って求められるが、四球は打数に含まれないため、十六打数十六安打で打率は十割となる。


「このデータ、本当に合っているのか?」

「はい。間違いありません」


 選手名簿管理システムの記録を見ても、打率十割という事実が信じられなかった。打率三割で一流のバッターと言われている中で、十六打数十六安打で打率十割という成績は、データの間違いを疑わざるを得ないほどの好成績だ。

 こんな好成績を残せる実力のある選手が、二軍や三軍でくすぶっているはずがない。

 この松田の成績は実力ではなく、単なる偶然の重なりだ。打率十割なんてたまたまだ。今まで二軍や三軍にいて、これまで岩永の目に止まっていなかったことが何よりもの証拠だった。


「わしは絶対に認めん!」


 もしこれがたまたまではなく実力だったとしたら、岩永がそれを見過ごしていたということになる。これまで数多くの優秀な選手を育てあげてきた名将の岩永が、そんな見過ごしをするはずがない。


「次の二軍の試合はいつだ?」

「今週の日曜日です」

「わしも行く」


 今まで対戦した相手のピッチャーが、ストライクゾーンど真ん中に打ちごろのスローボールばかりを投げていただけかもしれないし、相手の内野手が打球をエラーにならないように後ろにそらしてヒットにさせていただけかもしれない——。

 真実を自分の目で確かめてやろうと、岩永は次の二軍の試合で監督を務めることにした。


   *


 翌日、岩永はベンチから腕を組んで二軍の練習を見ていた。もちろん松田を偵察するためだ。練習用ユニフォームには背中に大きな文字で名前が書かれているので、誰が誰だか分かりやすくて助かる。

 松田の体格は高校球児としては小柄であり、パワーは無さそうだ。バッティング練習を見ても、ホームラン級の長打を打つことはなく、他の二軍の選手と比べても大差はないように思えた。はっきり言って、普通だった。

 こんな普通の選手が、打率十割の実力を持っているはずがない。運が良かっただけだ。

 松田の練習姿を見て、岩永は自分の目は衰えていなかったと胸を撫で下ろした。


   *


 日曜日の朝、岩永はベンチでミーティングを開き、この日行われる二軍の練習試合のスターティングメンバーを発表した。その中に松田の名前はなかった。

 まぐれが続いているだけの選手をスタメンに起用することは、岩永のプライドが許さなかった。代打(だいだ)で起用し、打てなければ即座に交代させるつもりだ。松田の打率十割がたまたまだということを証明してやる。


 鶴岡学院の先攻で試合が始まり、岩永は代打を出すタイミングを見計らっていた。イニングが七回表を迎えた時、ついにそのタイミングは訪れた。鶴岡学院のリリーフピッチャーが不調で次の回に交代することになったのだが、九番バッターのピッチャーの打席が回ってきたのだ。

 ここで岩永が動いた。タイムを取り、審判に選手交代を告げた。


「代打、松田」


 ベンチにいた松田は「はい!」と高校球児らしく大きな声で返事をし、駆け足でバッターボックスへと向かった。

 バットを持った松田は、審判に軽く会釈をしてバッターボックスの右打席に立った。

 対戦相手は県外から遠征で神奈川を訪れている強豪校の二軍であり、ピッチャーは六回まで一失点と好調である。

 代打でヒットを打つのは簡単なことではない。誰かの代わりに自分が打つというプレッシャーが肩にのしかかり、力が入っていつものスイングができなくなってしまうものだ。

 打てるもんなら打ってみろ。岩永は余裕な態度で腕を組み、ベンチにふんぞり返って松田の打席を見ていた。

 ノーアウトランナーなし、ピッチャーが振りかぶって初球を投げた。

 松田は初球から迷うことなくバットを振り、打球はレフト線へと転がっていった。サードとショートの間をキレイに通り抜け、レフト前ヒットとなった。


「馬鹿な!」


 岩永は思わず立ち上がって声を出した。さっきまでの余裕な態度から一転して、驚きと怒りが入り混じった絶妙な表情で悔しがった。


「くそっ!」


 見事に初球打ちがレフト前へのシングルヒットとなり、これで松田は十七打数十七安打で、打率十割は継続した。

 このままでは終われない。幸いなことに、打席はもう一周回ってくるため、松田をライトの守備に就かせてそのまま使い続けることにした。

 岩永は自分の出した代打によって、目の前で松田の打率十割が継続されたことがどうしても許せなかった。どんな形でもいい。とにかくこの打率十割という成績を崩したい。今までは全部まぐれだったと証明したい。


 試合は九回表まで進み、九番バッターの松田の打席が巡ってきた。またしてもノーアウトランナーなし、相手は抑えのピッチャーをマウンドに送ってきた。体格の大きなピッチャーで球速はかなり速かった。

 松田はバッターボックスに立った。ピッチャーが振りかぶって第一球目を投げ、審判が「ストライク!」と判定した。先ほどの打席では甘く入ったストレートを初球打ちした松田だったが、今回の初球は際どいギリギリのコースに投げ込まれたようで、バットを振らずに見逃した。

 その後、ボール、ボール、ストライク、ボールと続き、あっという間にバットを一度も振ることなくツースリーのフルカウントとなった。


「次だ」


 岩永が血走った目で見つめる中、ピッチャーが第六球目を投げた。その球はそのままキャッチャーミットに吸い込まれていき、松田は最後までバットを振らなかった。


「ははは! 手も足も出なかったか」


 高笑いする岩永に、若林が小さな声で言った。


「監督、フォアボールです」

「なに!」


 審判はストライクとは言わなかった。判定はボールとなり、四球で松田は一塁へ出塁した。ベンチから見ると、高さはストライクのようにも見えたが、コースがギリギリ外れていたようだ。四球は打数にカウントされないため、松田の打率十割はそのまま継続となった。

 この試合で松田は二回打席に立ち、二回とも出塁したのだった。


「次の試合はいつだ!」

「もう春大まではありません」


 今日が春大までの最後の練習試合だった。


「たしか春大のメンバー登録は今日までだったな」

「はい。ベンチ入りメンバーはもう決まっていますが……」

「松田をベンチに入れる」

「本当ですか?」

「背番号二十番と入れ替えろ」


 岩永は松田を春大の地区予選のベンチ入りメンバーに加えた。

 鶴岡学院の目標は甲子園で優勝すること。そのために春大はメンバー調整の場として使わせてもらう。あくまでも本番は夏大である。

 まだ目の前でヒットと四球で出塁されただけで、それを松田の実力としては認められなかった。

 ——このまま終わってたまるか。この春大で絶対に打率十割を崩してやる。


   *


 まだ寒さの残る中、春大の地区予選が開催された。鶴岡学院は毎年準決勝以上には駒を進めており、ベンチ入りメンバーはほぼ夏大でもベンチに入る一軍のメンバーで構成されているため、春大の一回戦や二回戦はどうってことなかった。

 一回戦、中堅の県立高校と対戦した。背番号二十番で急遽ベンチ入りとなった松田は、当然レギュラーではなかったが、八回裏、鶴岡学院の攻撃で代打として起用された。

 ノーアウトランナー一塁、岩永は送りバントのサインを出した。


「お前はここで死ね」


 社会人であればパワハラで訴えられそうな発言だが、ここで言う死ねという言葉は、そのままの意味ではなく、野球における犠牲打(ぎせいだ)を意味していた。自分が死んで犠牲となり、一塁ランナーを二塁に進めろという意味だ。

 松田はサイン通り、送りバントの構えをした。そして初球をサード前に転がし、一塁ランナーは二塁へ進塁したが、松田は一塁でアウトになった。


「おりゃあ、アウトだ!」


 喜ぶ岩永の意図を察していた若林は、声を抑えて遠慮がちに言った。


「監督、……送りバントは打数にカウントされません」

「なんだと!」


 犠牲バントや犠牲フライなどの犠牲打は、打数に含まれない。

 岩永は松田を出塁させないことに夢中になっていて、肝心なことを忘れていた。四球や死球は打数にカウントされないが出塁はする。だから出塁をさせなければ、松田をアウトにしてしまえばそれでいいと思い込んでしまっていた。

 ——こんな基本的なことも忘れてしまっていたとは……。


「ちっくしょう!」


 岩永は怒りのあまり、被っていた帽子を地面に叩きつけた。

 そして当たり前のように初球でバントを決めた松田に対して無性に腹が立った。


   *


 二回戦は、パラパラと雨が降る中で行われた。

 ——祝福の雨だ。今日こそお前の化けの皮を剥いでやる。


 雨が降り続くまま試合は中盤を迎え、六回裏、代打で松田を起用した。今までは天候に恵まれていて、運良く出塁できていただけかもしれない。

 ツーアウトランナーなし、ピッチャーが投げた初球、松田はバットを振った。ボールはバットの下側に当たって地面に転がり、ボテボテのサードゴロになった。


「打ち損じたぞ!」


 初めて見る松田の凡打(ぼんだ)に、ヒット性のない当たりに岩永は目を輝かせて興奮した。

 しかし、ボテボテのサードゴロは思ったよりも転がらず、打球はサードに届くまでに失速していた。ゴロを捕球したサードはボールをうまく握れず、ファーストに投げた時にはすでにバッターランナーの松田は一塁ベースに到着していた。つまり、ボテボテのサードゴロは内野安打となった。


「なぜ、そうなるんだ……」


 この日、雨でグラウンドの土はぐちゃぐちゃになっていた。そこにボテボテのゴロが転がると、まるで上手に決まったセフティーバントのように打球が死に、捕球までの時間が遅くなってしまう。またボールが土で汚れて握りにくくなっており、それが内野安打へと繋がった。

 これこそ運が良かっただけだ。今日が雨じゃなかったらただのサードゴロだったぞと思ったが、ふと嫌な予感が頭をよぎった。

 もしもこの内野安打が計算されたものだったとしたら。雨でぐちゃぐちゃのグラウンドを見越して、わざとボテボテのサードゴロを打ったとしたら。そんなことができるバットコントロールを持っていたとしたら、それはもはや野球の天才である。いや、そんな天才が最初から三軍に配属されることはないし、そんなセンスがあるならとっくにレギュラーになっていただろう。

 とにかくこのサードゴロがヒット性の当たりじゃなかったことに変わりはない。次こそは松田が凡打に倒れる姿をこの目で見届けてやる——。


   *


 三回戦は、ワンアウトランナー二・三塁というチャンスの場面で、松田を代打で起用した。

 今まではランナーが少ない、つまりストレスの少ない場面での代打だったので、ランナーが得点圏にいるチャンスの場面で打席に立たせるという作戦だ。

 実は松田はストレスに弱くてランナーが三塁にいると打てないという可能性もある。もしそうなら使い物にならない。


 ワンストライクツーボールで迎えた四球目、松田がバットを振ると「カキン!」と高い金属音が響き渡り、打球は高く舞い上がって右中間(うちゅうかん)へ飛んでいった。


「打ち上げたな」


 松田にしては珍しくフライを打ち上げた。飛距離から見るに、それはホームランになりそうにはなく、ライトがギリギリ追いついて取れそうな外野フライだった。

 ライトが落下点にたどり着き、松田の打った打球を捕球した。


「アウトだ!」


 松田はライトフライを打ち、ライトがキャッチしたので間違いなくアウトだ。

 ついに松田の打率十割を崩壊させることができたと勝利を確信した瞬間、目の前で走り出す二塁ランナーと三塁ランナーの姿を見て戦慄した。


 ——タッチアップだ。


 野手がフライを捕球した後にランナーは次の塁に進むことができる。

 ライトはバックホームで本塁に送球したが、三塁ランナーはセーフとなってタッチアップは成功した。

 そして松田の記録は犠牲フライとなり、犠牲バントと同様、打数にはカウントされないため、またしても打率十割は継続した。

 もしあのフライでランナーがタッチアップをしていなければ、もしくはタッチアップで失敗していれば、松田の記録は外野フライとなり打率十割を崩せていた。

 岩永はタッチアップして帰ってきた三塁ランナーに、理不尽な怒りをぶつけた。


   *


 その後の試合でも代打で起用された松田は、準々決勝でライト前ヒット、準決勝で四球と、どちらの打席も出塁した。そして松田の打率十割が継続されたまま、鶴岡学院は春大の決勝戦まで上り詰めた。

 岩永は最後まで松田をレギュラーとしてスタメンで出すことはしなかった。すべて代打による単発での起用だった。打率十割が実力だと認められない限り、レギュラーにはしない。

 しかし、岩永の心は大きく揺れ動いていた。松田の打率十割という成績はたまたまではなく実力で、本当は野球の天才なのかもしれないと……。


   *


 決勝戦の対戦相手は、同じく強豪校の横浜西高校だ。神奈川ではこの横浜西と鶴岡学院が二強として知られている。地方予選では何度も対戦しており、よく決勝戦で当たることから神奈川では「伝統の一戦」と呼ばれている。

 そんな決勝戦を迎える中で、岩永は松田を陥れることしか頭になかった。


「最初の二球を空振りしろ。ボールでもバットを振れ」


 岩永は松田に交代させるバッターに意味深な指示を出した。

 そのバッターは不満げにも二球空振りし、カウントがツーストライクノーボールになったタイミングで岩永がタイムを取り、松田を代打に起用した。

 ツーストライクで代打ということは、あとワンストライク入れば三振になるということである。


「追い込んでやったぞ」


 あからさまにも、松田にわざとピンチを作って差し出した。


「もしここで打てば、二十打数二十安打ですね」


 若林の言葉に、松田の成績が物凄い領域に達していることを改めて思い知らされた。

 もはや松田の実力は認めざるを得なかった。だが、どうしても松田の打率十割という成績が崩れるところを見たいという気持ちが、まだわずかに残っていたのだ。

 これが岩永の最後の悪あがきだった。

 バッターボックスに立つ松田は、妙に落ち着いていて、表情が暗く、覇気がないように見えた。さすがに決勝戦の代打、しかも追い込まれた状況に緊張して萎縮してしまったのだろう——。

 そんな岩永の考えをもろともせず、松田は初球を打った。カウントとしてはツーストライクノーボールで第三球目だが、松田にとっては初球だった。

 打球はセンター返しでピッチャーの足元を抜けていき、見事にセンター前ヒットとなった。


「こいつは、神童だ……」


 岩永は確信した。松田は高校野球界の神童だと。二十年に一人の逸材と言っても過言ではない。

 これで松田の成績は、三十打席に対して、安打が二十、四球が八、犠打が二となった。若林の言う通り二十打数二十安打となり、もちろん打率は十割のままだ。


 松田はバッティングでヒットが打てるだけでなく、選球眼(せんきゅうがん)が良いため、四球による出塁も多い。また、犠打も正確で上手い。

 今になって思えば、二回戦で雨の中ボテボテのサードゴロを打って内野安打になったのも、三回戦で右中間に犠牲フライを打ったのも、すべて狙って打ったのだろう。それができるバットコントロールは天才的な技術だと言える。

 岩永は認めざるを得なかった。松田は間違いなく実力で打率十割を継続していた。犠牲フライなどの運の要素もあるが、それは野球の神様に愛されている証拠だ。

 ホームランや長打を打つような派手さはないが、出塁する能力にかけては岩永がこれまで見てきた選手の中でも断トツである。

 松田を一番バッターに起用することで、毎試合ノーアウトランナー一塁でチャンスメイクでき、試合を有利に運ぶことができる。

 松田が夏大で一番バッターを務めれば、甲子園出場はもちろんのこと、岩永の野望である甲子園優勝が成し遂げられるかもしれない……。


   *


 春大の決勝戦は鶴岡学院が勝って優勝したが、岩永の胸は別の理由で高鳴っていた。

 試合後、松田を監督室に呼び出し、夏大でレギュラーとして一番バッターに起用することを伝えた。


「松田、夏はスタメンから一番で使う。そのつもりで準備しておけ」

「お断りします」


 松田は即答で断った。


「……なんだと」


 元気よく返事が返ってくると思い込んでいた岩永は、予想外の返答に頭が真っ白になって言葉に詰まった。

 かろうじて断られたということを認識し、理由を問うた。


「なぜだ!」


 松田からは、至極真っ当な答えが返ってきた。


「ツーストライクから代打で出したり、部員の失敗を願うような怒ってばかりの監督の下で野球したくありません。……この野球部を辞めます」

「辞めるだと? 甲子園に行きたくないのか!」

「甲子園には行きますよ。……県内の高校に転校します」


 転校という言葉に、岩永は敏感に反応した。


「一年間試合に出られないんだぞ」


 高校野球連盟の規定で、転校後一年間は公式戦に出場できない決まりになっている。


「今なら転校しても三年の夏には間に合います」


 たしかに春大が終わった直後の今なら、二年生の松田が今から転校しても来年の夏大には出場できる。

 松田が県内の高校へ転校すれば、それは鶴岡学院にとって大きな脅威となる。


「待て、考え直してくれ。……わしが間違っていた!」

「——お世話になりました」


 引き止めも虚しく、松田は挨拶をして監督室を出て行った。


「……なぜだ!」


 ——なぜこうなってしまったんだ。もっと早く松田のことを目にかけてやっていれば、こんなことにはならなかったのではないか。

 今になって思えば、最初に相談を持ちかけてきた佐藤の話をしっかり聞いておけばよかったと、岩永は過去の過ちを深く後悔した。


   *


 一年三ヶ月後。神奈川の夏大の決勝戦は、昨年の春大と同じく横浜西と鶴岡学院の伝統の一戦だった。

 先攻は横浜西。ウグイス嬢のアナウンスが球場に響き渡り、岩永は絶望した。


「一番、ライト、松田くん」


 松田は笑顔でバッターボックスに立った。

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