ep. 7 壮麗なる虚飾大社②
銃撃戦の喧騒がすぐ外で響いているというのに、部屋のど真ん中には巨大な土鍋――ちゃんこ鍋が置かれていた。そして、山のような肉体を持つ力士が、あぐらをかいて無心に鍋をかきこんでいる。
――なんだ、こいつ?
一瞬思考が停止しそうになったが、私はすぐに目を凝らした。
奴の腰に巻かれた綱――それが、蠢く太い生きた蛇で編み込まれていることに気づいたからだ。即座に脳がアラートを鳴らす。こいつも、敵だ。
蛇綱力士は私の存在を認めると、ゆっくりと立ち上がり、地鳴りのような四股を踏んで戦闘態勢に入った、次の瞬間、その巨体からは想像もつかないような超スピードのタックルが、私を襲った。
「――ッ!?」
回避など不可能だった。ダンプカーに撥ねられたような衝撃が全身を貫き、私の体は文字通り宙を舞った。障子を突き破り、一気に外の廊下まで吹き飛ばされ、手すりの役割を果たす木の柵に背中から激突してようやく止まる。柵の下は、漆黒の池だ。落ちれば水没する。
肺から空気が抜け、視界がぐらりと揺れる。だが、休む暇はない。廊下の奥から蛇守兵たちが現れ、私に向けて発砲してきた。
私は這うようにして身を低くし、再び部屋の中へと飛び込む。銃撃は躱したが、正面からはあの力士が堂々と歩み寄ってくる。
私はスカートからヌンチャクを抜き、両手で構えた。が、力士の腰から綱の蛇が瞬時に伸びてきて、ヌンチャクの棍にガッチリと噛みついた。
「しまっ――」
強烈な力で引き剥がされ、私の手から武器が奪われる。蛇はそのままヌンチャクをバキバキと噛み砕き、吐き捨てた。そして今度は、その巨大な牙を私に向けて伸ばしてくる。私は咄嗟に両手で蛇の頭をキャッチし、顎をこじ開けるようにしてガードした。だが、両手が塞がってしまった。
その隙を、力士が見逃すはずがなかった。
巨漢がぬっと接近し、丸太のような腕で私の顔面を鷲掴みにした。足が宙に浮く。そのまま持ち上げられ、部屋の壁に力任せに押し付けられた。顔面を固定されたまま、力士の空いた手による、片手とは思えないほどの高速連続張り手が私の腹や胸に叩き込まれる。内臓が破裂しそうな衝撃。背中の壁がメリメリと音を立ててヒビ割れていく。
そして最後の一撃。壁が完全に崩壊し、私は瓦礫とともに隣の部屋へと転がり落ちた。
全身の骨が軋む。息ができない。だが、倒れ込んだ私の視界の端に、先ほど落としたのか、一丁の拳銃が転がっているのが見えた。
這いつくばって右手を伸ばす。指先が冷たい鉄に触れる――。
その瞬間、足首に鋭い痛みが走った。力士の蛇が伸びてきて私の足に噛みつき、ズルズルと力士の足元へ引き摺り戻したのだ。せっかくあと少しで届きそうだった銃が遠ざかっていく。
見上げると、力士が岩のような拳を天高く振りかぶっていた。
私は本能的に身を捻って横に転がる。拳が床板を粉砕した。私はその反動を利用して起き上がり、巨体の背後を取ってよじ登った。
ドスを振りかぶり、力士の後頭部や顔の横を滅茶苦茶に刺突する。だが、力士は鬱陶しそうに後ろへ手を伸ばすと、私の襟首を無造作に掴んで引き剥がし、そのまま床へ思い切り叩きつけた。
「カハッ――」
背中を強打し、痙攣したように体が跳ねる。そこへ、力士の巨大な足が私の下腹部を容赦なく踏みつけた。
「ア……ァアアッ……!!」
階段で受けたダメージがまだ残る急所に、巨漢の全体重が乗る。骨盤がミシミシと悲鳴を上げ、内臓が物理的にすり潰されるような、発狂しそうなほどの激痛が脳を貫いた。もがこうにも、上から押し潰す圧力がどんどん強まり、ピクリとも動けない。
――このままじゃ、内臓が破裂する……!
私は薄れゆく意識の中で、すぐ横に転がっていた砕けた壁の破片、太い木組みの先端を掴み取り、力士の足の甲めがけてありったけの力で突き刺した。
ゴォオオッ、と、力士がくぐもった叫び声を上げて足を退ける。その一瞬の隙に脱出し、痛みを堪えて立ち上がった。
力士はよろけているが、奴の腰の蛇はまだ無傷だ。立ち上がったばかりの私の胴体に、太い蛇体が鞭のように巻き付き、両腕ごと強烈に締め上げてくる。
「うぅッ……!」
肋骨がミシリと鳴る。腕が固定され、さっきのように武器を刺すこともできない。蛇が大きく首を振りかぶり、私を宙へ放り投げた。
床を二回、三回と無様にバウンドして転がる。起き上がろうと床に手をつくが、酸欠と全身のダメージで、どうしても身体に力が入らない。
倒伏する私の視界に、軍靴が映った。蛇守兵だ。奴は無機質な動作で拳銃を抜き、無抵抗な私の腹部に向けて引き金を引いた。
ズドン、という轟音。
「――ッ!!」
熱い。焼けた鉄の棒を腹の奥深くにねじ込まれたような、生々しい熱さ。撃たれた瞬間はただ熱いだけだったが、数秒遅れて、鉛玉が肉を裂き内臓を破壊したという絶望的な激痛が、波紋のように全身へ広がっていった。
傷口からドクドクと血が溢れ出し、尋常ではない量の冷や汗が全身から噴き出す。
私は咄嗟に近くの瓦礫を兵に投げつけ、血の跡を引き摺りながら、這いつくばってその場から逃れようとした。
――痛い。息ができない。
近くの柱にしがみつき、気力だけでどうにか立ち上がった。が、それはただの的になっただけだった。
追いすがる兵たちが放った銃弾が、私の太ももを、そして左肩を次々と撃ち抜いた。
「あっ……あぁ……」
もう、踏みとどまる限界を超えていた。私は廊下にばたりと倒れ込んだ。
視界が赤と黒に点滅している。それでも、死にたくない、まだ終われないという本能だけで、すぐ横の柵に血塗れの右手をかけ、体を引き起こそうとした。その背後に、巨大な影が迫っていたのを知ったときには、すでに手遅れだった。
迫る地鳴り。振り返る暇もなかった。
蛇綱力士の全体重を乗せたタックルが、私の背中に直撃した。
柵が木端微塵に砕け散る。私の身体は夜の虚空へと放り出され、そのまま真っ逆さまに漆黒の池へと落下した。
冷たい水が、熱を持った傷口を無慈悲に冷やしていく。あちこちを撃たれ、破壊された身体は、もはや水を掻く力すら残っていなかった。重い鎖に引かれるように、私は暗い水底へと沈んでいく。
肺に水が入り込み、息が詰まる。だが、それすらもどこか他人事のように、遠くの出来事に感じられた。
激痛も、苦しさも、先ほどまであった熱烈な怒りさえ、徐々に薄れていく。
最後に見たのは、ゆらゆらと遠ざかる水面で揺れる、血のように赤い月の光だった。
――これが人生……か。
そして、私の意識は完全にブラックアウトした。
冷たい。
せせらぎの音が聞こえる。
ゆっくりと目を開けると、ぼんやりとした視界に、岩肌と透明な清流のほとりが映った。あの池は、地下の水脈か川に繋がっていたのだろうか。
――ここは、冥途か……?
そう思ったが、すぐに考えを改めた。全身を支配する、発狂しそうなほどの激痛。腹や肩の銃創がズキズキと脈打ち、熱を持っている。死んでいない。皮肉なことに、この痛みが私がまだ生きている証拠だった。
体を起こそうと脳から命令を送るが、指一本、ピクリとも動かない。完全にバッテリーが切れたスクラップだ。
ザクッ、ザクッ、と砂利を踏む足音が近づいてきた。私の顔の横に、二つの足が止まる。視線をだけを動かして見上げると、そこには、真っ白な小袖に緋袴という、巫女装束に身を包んだ少女が立っていた。透き通るような肌と、冷ややかな瞳。彼女は感情の読めない顔で私を見下ろすと、手に持っていた木杖で私の肩口をツンツンと小突いた。
「気分はどう、東堂沙羅?」
少女の澄んだ声が響く。
私は何か言い返してやろうと口を動かしたが、掠れた空気の音が漏れるだけで、まともな声にならなかった。
それでも。
私は奥歯を強く噛み締め、残された最後の気力を右腕に集めた。泥にまみれた右手が震えながら持ち上がり、少女の顔に向けて、ただ一つ――中指を突き立てた。
それを見た少女は、ふっ、と声に出して笑い、にやりと口角を上げた。
「いい反応ね。そうこなくては」
そう言うや否や、少女は私の襟首を掴み、小柄な体格からは想像もつかない力で軽々と担ぎ上げた。そのまま、彼女は私をどこかへと持ち去っていった。
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