ep.1 標榜「自然回帰」のさきで①
毎日16時30分投稿
ろくに車も来ない狭い道路、視野いっぱいに広がる広大な田園、虫の声だけが淋しく響く夏、牢獄のように住人を囲む深い森――まさかこの私がそのような、いわゆる、ドが付く田舎に住むことになるとは、想像だにしなかった。
私、東堂沙羅は、東京生まれ東京育ち、都内の私立高校に通うごく普通の女子高校生だった。つい昨日までは。
「やっぱり波が違うわね、ここは。有害な電磁波もケムトレイルも無い……魂が浄化される。生き物が本来住まうべき命の源泉だわ」
なぜ私が「つい昨日までは」などと言ったのか――その理由は、ひとえに、いまハイエースの後席に座って窓の外に広がる一面の緑を眺めている、この母親にある。
「でも……電子レンジも冷蔵庫も棄てちゃって、不便だなあ……」
と、車を運転してる父さんがぼやいて言う。
「不便? なにを言ってるの。あんなもの、毒製造機よ。特に電子レンジ! あれはマイクロ波で食べ物の分子構造を破壊しているって、前にも言ったでしょ!? あれで温めた食べ物なんて、福島のベクレた野菜と一緒だわ!」
私の母は、いわゆる自然派ママというやつだ。医薬品やワクチン、添加物や農薬を否定し、電化製品を拒み、有機野菜だとか自然療法だとかに食らいつく――正直言って、馬鹿だと私は思う。だが、いくらそれを本人に伝えたところで、彼女は考えを改めるどころか、よりこじらせていった。
半年ほど前、母は突如として田舎に引っ越そうと言い出した。移住先も既にネットで見つけていた。そこは蛇守村という一面を森に囲まれた集落で、外界との交流はほとんど無いそうだ。村で食物を育てて村で消費する、完全な自給自足生活を送っているところだ。絶海の孤島ならぬ絶森の孤島とでも言うべきだろう。
私は東京でのなに不自由ない暮らしが好きだったし、友達とかもたくさんいるから、猛反対した。駅に行けば数分おきに電車が到着し、どこへでも行ける。放課後に友達と街に繰り出し、スタバでカフェラテを飲んでゲーセンで遊ぶ生活を手放すなんて、考えられない。父さんも仕事や人付き合いがあるので否定的だった。が、母を曲げるのにそれらは力不足だった。
そもそも、父さんが母に甘すぎるのだ。母がなにかワガママを言うと、困り顔で「ええ……、でもなあ……」などと言いつつも、結局それを許し、かなえてしまう。普段からそんなだったから、陸の孤島への引っ越しなどという暴挙を防げなかったのだ。
「会ったときはこんなじゃなかったのにな……。『ベクレた』だなんて」
と、父さんが母には聞こえない声でぼそっと呟く。
「沙羅からもなにか言ってやってよ。お父さんったら、ちっとも学ぼうとしないんだから。無知は罪よ」
「うん、そうだね……」
私は引っ越しが決まったときから、母の思想を改めようとすることを諦めた。
長い山道を抜け、窓の景色は、圧迫する木々の洞窟から開けた田園風景に変わった。稲が青々と生え揃い、かやぶき屋根の民家が点々としている。
「着いたー! やっぱりこっちは空気が美味しいわあ……」
新居に到着し、母が一番に車を降りて田舎の空気を肺一杯に吸い込む。確かに、空気は美味しいと私も思う。だが、所詮はそれだけだ。
新居は、古民家を改装した平屋で、障子張り。水道は無く井戸水や雨水タンクで水を得る(最初にこれを聞いたときは、衝撃の余り意識が飛びそうになった)。敷地は竹垣で囲まれ、裏に畑や水車、鶏舎などがある。
私と父さんも車を降り、東京から持ってきた荷物を車から降ろして新居に運び込む。電化製品はほとんど無く、布団やテーブル、私の勉強道具などの他は全て母の私物だ。水晶玉やコンブチャ、ホメオパシーのレメディ、「新・日本列島から日本人が出ていく日」、「松果体活性化で五次元へ」などというタイトルの書籍、エトセトラ、エトセトラ。
「あーあ、とうとう来ちゃった。ねえ、なんであんなのと別れないの」
私は荷物を運びながら、母が近くにいないことを確認してから父さんに愚痴る。
「だってなあ……自分じゃ家事、ろくにできないし。――昔はああじゃなかったんだ。沙羅だって、覚えてるだろ? このクソ田舎に嫌気がさして、正気に戻ってくれるといいんだけど……」
「駄目親父……。治るわけないでしょ。あの歳で戻ってこれるのは、ほんの一握りだけだよ」
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