X3.5_TB1
朝、居室の天井に組み込まれた照明がゆっくりと明るさを増す。窓はあるが外の景色は見えず、常時映し出されるのは擬似的な青空と雲の映像だ。
マナは目を覚ますと、まず壁面端末に手を伸ばし、酸素濃度と温湿度を確認する。施設生活が長くなると、無意識に環境数値を確かめる癖がつくらしい。
──食堂までの廊下は、足音がやや響く。壁は淡いクリーム色だが、時折組み込まれた防護シャッターの分厚い継ぎ目が「ここが収容施設だ」という事実を思い出させる。
「おはよ、マナ」
先に着いていたレイナが声をかける。制服の袖口はきっちり整えられ、胸ポケットには薄型の端末が差し込まれている。
「おはよう……今日のパン、まだ残ってる?」
「残ってるよ。昨日のあなたの好物、バター多めのやつ」
マナの表情が少し和らぐ。彼女は温かいものより、焼きたてのパンに塗られたバターの溶け具合を好む。ときどき、厨房担当に頼んで“バターが滴り落ちる直前”の状態で出してもらっている。
食堂には他の収容少女たちもいた。外見は普通の少女たちだが、誰もが何らかの異常特性を持っており、その雰囲気は日常とは微妙にずれている。
テーブルの隅で、目を閉じたままトーストを食べているのは篠原コユキ。眠たげな彼女は、食事中でも微動だにしない。
別の席では、長髪を三つ編みにした少女が、スープに浮かぶ具材を指先でつつくたび、短時間だけ温度が上がる──どうやら体温が異常に高いらしい。
「……やっぱり、朝からこういう光景って普通じゃないよね」マナが低く呟く。
「普通って、あなたにとってはもうだいぶ前に終わったものでしょ?」レイナが淡々と返す。
朝食後は、それぞれのスケジュールに従って行動する。
レイナは訓練棟での機材調整、マナは観察棟での定期検査だ。施設内の移動は職員が同伴し、ドアの先ごとに認証が必要になる。
検査室のガラス越しに、医療スタッフが「昨夜は異常夢は見なかったか」と尋ねる。マナは「……覚えてない」と答えるが、実際は少しだけ覚えていた。湿った森の奥から何かが覗いていた映像──しかし、それを口にすれば追加検査になる。
昼前、レイナが訓練棟から戻る途中でマナと遭遇した。
「検査、また長引いた?」
「うん。心拍のログが少し上がってたらしい」
「……ストレスじゃなくて?」
「たぶん、夢のせい」
二人の声は自然と小さくなる。廊下には監視カメラが等間隔に設置され、視線の届かない角度はほぼない。
昼食後は、図書室での自由時間。
図書室といっても一般的な学校のものとは違い、半分は資料保管庫のような雰囲気だ。壁面の一角は耐火ガラス越しに封じられた“閲覧制限本”が並び、許可証がなければ触れることすらできない。
マナは読書よりも、窓際(外景はやはり映像)で紅茶を飲みながらぼんやりするのを好む。
一方のレイナは、専門書をめくりながら時折ペンで書き込みをする。彼女の趣味は、古い戦術マニュアルや収容事例を読み解くこと──“趣味”と呼ぶには少し物騒だが。
「そんな難しい本、楽しいの?」マナが問いかける。
「あなたの動きを守るための手札を増やしてるの」
「……そういう言い方されると、何も言えなくなるな」
「じゃあ黙って、紅茶でも飲んでて」
午後になると、施設全体が少し静まる。これは「異常活動が起きやすい時間帯」とされる正午前後を避け、全棟で軽い休息モードに入るためだ。
廊下を歩くと、照明がやや暗めに落とされ、空調音だけが響く。普段から人の声が少ないこの施設だが、この時間帯は特に“現実が遠くなる”感覚が強い。
夕刻、再び訓練と簡易任務のシミュレーションが行われる。
レイナは精密動作の確認、マナは制御下での異常感知能力のテストだ。訓練室は白い防護パネルで覆われ、万が一の事故に備えて天井から鎮静ガスのノズルが覗いている。
シミュレーション終了後、互いに視線を交わし──言葉はなくても「今日も無事終わった」という空気が伝わる。
夜、居室に戻る前に二人は再び食堂で顔を合わせた。
「明日もまた、同じ日が来るかな」マナがぽつりと言う。
「来るように、私たちが動くんでしょ」レイナが返す。
その言葉に、マナは小さく笑って席を立った。
外の景色は見えない。
だが、ここでの一日は、静かで、どこか緊張を孕んだまま終わっていく。




