表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
82/82

第78話

数日後。

封印核の崩壊した研究棟は、すでに鉄の柩のように封鎖されていた。

立ち入り禁止のホログラフが虚空に浮かび、監視ドローンがその周囲を旋回する。

エイドロン本部は、この事件を「実験暴走による施設損壊」として処理した。

だが、誰も真実を語らない。


――夜は、まだ終わっていなかった。


マナは拘束されたマナツの収容区画を見下ろしていた。

透明の強化ガラス越しに、マナツが膝を抱えて座っている。

白い照明が、彼女の頬を淡く照らす。


「……本当に、ここに閉じ込めておくの?」

背後から、レイナの声がした。

マナは静かに答える。


「命令だよ。上層部が“再現性の危険性”を懸念してる」

「再現性……つまり、マナツがまた“夜”を呼ぶかもしれないって?」

「――そう」


短い沈黙。

マナは手袋越しにガラスを触れる。

マナツが顔を上げ、微笑んだ。

その表情は、どこか幼い。だが瞳の奥には確かに“マナ”と同じ光があった。


「お姉さま。わたくし、もう泣きませんわ。

きっと、あの夜のことも……意味があったのだと思うの」


「……意味なんて、あっちゃいけなかった」

マナはつぶやく。だが、マナツはゆっくり首を横に振った。


「違います。あの封印が解けたから、エリシアさまが来られた。

そして“夜”は、誰かの支配じゃなくなったのです。

それは、きっと……最初の自由です」


その言葉に、マナは何も言えなかった。

レイナがそっと隣に立ち、低く呟く。

「彼女は、あんたよりずっと達観してるね」


マナは苦笑して、肩をすくめた。

だがその目は、痛いほどに優しかった。



***



その頃、セリーヌはエイドロン第七観測区画――通称「白室」にいた。

何もない白い部屋。

壁には無数のセンサーと光学線が走り、彼女の脳波や心拍が監視されている。


「……監視されている気分はどうだ?」

聞き覚えのある声。

扉の向こうに現れたのはナユタだった。

白衣ではなく、戦術服姿。現場復帰しているようだった。


セリーヌは視線を上げ、穏やかに微笑んだ。

「あなたが来るとは思わなかった」

「上層部に頼まれた。“観察官”としてな」

「つまり、見張り」

「……そういうことだ」


彼の声音には迷いがあった。

セリーヌは椅子に座り直し、言葉を選ぶように問う。


「ねえ、ナユタ。

“夜”って、怖いものだと思う?」


ナユタは少し黙ってから答えた。

「怖い。でも、同時に綺麗だとも思う。

人が知らないものには、いつだって二面がある」


「――そう。

だから、あたしはそれを拒まない。

“夜”が人を選ぶなら、選ばれた人間として抗ってみせる」


その目には確かな光が宿っていた。

ナユタはその視線に、しばらく何も言えなかった。



***



夜。

エイドロンの屋上。

風に揺れる研究所の照明を見下ろしながら、レイナが端末を開く。


「……解析結果、出たよ。封印の残滓データ」

「で?」

レイナが画面を拡大した。そこには奇妙な符号列が並んでいた。


「このパターン、アレーティア計画のコード体系に近い。

“未来の演算式”って呼ばれてたやつ」

「……アレーティア。

あのプロジェクト、まだ動いてるってこと?」

「もしくは、封印が“あれ”の技術をベースに作られてた。

つまり――“夜のかけら”は、未来由来の演算体だったかもしれない」


マナが目を細める。

「未来から来たプログラムが、異界の封印に混ざってた……?」

「うん。

たぶん、アレーティアの誰かが干渉した。

“夜”の中に、別の意志を埋め込むために」


風が吹く。

雲の切れ間に、夜の星が覗く。


「なあ、レイナ」

「なに?」

「エリシアが言ってた、“道標”って……」

マナが胸に手を当てる。

「――私たち自身、なのかもしれないな」


レイナは静かに頷いた。

「夜はもう、誰のものでもない。

でも、誰かがその行方を見届ける必要がある」

「……あたしたちが、ね」


ふたりの視線の先で、夜風が静かに研究棟を包み込む。

その下では、封印の残滓――ノクティリアの欠片が淡く光っていた。

それはまるで、消えたエリシアの残響のように脈動していた。




朝が来た。

冷たい光が、曇りガラス越しに研究区画を染めていく。

夜の喧騒が去った後のエイドロンは、まるで廃墟のように静かだった。


マナツは拘束搬送され、特別管理区画に収容された。

セリーヌは依然として監視下に置かれ、白い部屋の中で定期的な尋問を受けている。


そして――アサギ。

彼女は処分を免れたものの、上層部の判断により「管理部門への降格」となった。

戦闘要員としての資格を剥奪され、現在は本部補佐として行動制限を受けている。


「……やれやれ。久しぶりに“お茶汲み係”に戻るとはね」

アサギは苦笑しながらも、マナとレイナに頭を下げた。

その動作には、かつての毅然とした調律がまだ残っている。


「あなたが居なければ、もっと被害は出てた。責任を感じる必要はない」

レイナがそう言うと、アサギは首を横に振った。


「いえ、私は――守り切れなかった。

セリーヌ様も、ノクティリアも。

あの時、私がもう一歩踏み出せていれば」


「踏み出したさ。

あんたがやったのは、命令じゃなくて“選択”だった」

マナが言うと、アサギは一瞬だけ目を見開いた。

そして、穏やかに微笑む。


「……お優しいですね、お嬢さま」

「やめろ。その呼び方、くすぐったい」

マナが小さく笑うと、レイナも肩をすくめた。


それはほんの一瞬の、確かな安息だった。




やがて、研究所の外。

封印核の残滓を封じた広場に、淡い風が吹き抜ける。

その中心に、光の裂け目がひとつだけ残っていた。


――そこに、エリシアが立っていた。


白い衣の裾が風に揺れる。

彼女の背後には、再び閉じかけている異界の亀裂が淡く輝いていた。


「あなたたちの“夜”は、ここで一区切り。

けれど、世界はまだ続くわ」


マナは歩み寄り、少しだけ眉をひそめた。

「……帰るのか」

「ええ。縁が閉じる前に。

それに、私がここにいれば“夜”が安定しない。あなたたちの世界は、脆いもの」


エリシアは微笑み、レイナに視線を移す。

「未来の演算――アレーティアの残響が、また動き始める。

次はあなたたちの手で、それを止めなさい」


「……任せて」

レイナの声は静かだったが、確かな決意があった。


エリシアはゆっくりとマナの方を向く。

「あなたの選んだ“血”は、まだ終わっていない。

でも、迷わないで。あなたが“夜”の一部であるように、“夜”もあなたを見ている」


その言葉に、マナは小さく息を呑んだ。

ほんの一瞬、胸の奥に灯がともるような感覚があった。


光が収束する。

エリシアは微笑んだまま、ゆっくりと異界の裂け目へと歩み入った。

まるで、波に溶ける月光のように――彼女の姿は消えた。



残された風景の中で、マナとレイナは立ち尽くしていた。

静かに、朝日が差し込む。

金属とガラスの光の街が、新しい一日を迎えようとしている。


レイナが呟く。

「ねえ、マナ。

夜って、結局……何だったんだろうね」

マナは目を細め、空を見上げる。


「答えを出すのは、まだ早いよ。

でも――あたしたちの戦いは、終わってない」


風が吹いた。

研究棟の陰で、光の粒がわずかに舞う。

それは、ノクティリアの残した“夜の欠片”のようにも見えた。


その光を見上げながら、マナは小さく笑った。

「行こう。

また夜が来る前に、全部確かめに行こう」


レイナが頷く。

「うん。――行こう、マナ」


そして、二人はゆっくりと歩き出した。

静かに、夜の終わりと朝の境界を越えて。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ