X23_NE 第77話
封印核が沈黙し、空気がゆっくりと落ち着いていく。
光が引き、霧が消え、崩れかけた研究棟の内部に再び冷たい現実の音が戻った。
――警報。
――足音。
――命令の声。
「収容部隊、到達しました!対象区域、視覚確認!」
鋼鉄の扉が破られ、黒い戦闘服の隊員たちが一斉に突入する。
マナがとっさにレイナの前へ立ちふさがった。
彼らの胸章には、見慣れた紋章――第零研究機構本部直属の印。
「……遅いよ、ほんと」
マナの呟きに、レイナが小さく笑う。
しかし、その笑みはすぐに消えた。
部隊の中心には、見覚えのある人物がいた。
無機質な表情の男――上層部の監査官。
彼はわずかに眉を動かし、冷たい声で命じた。
「対象C、対象S、拘束。」
「……なんですって?」
マナの声が鋭く跳ねる。
だが、すでに黒服たちはマナツの腕を掴み、拘束具を装着していた。
「お姉さま!」
「離せッ!この子は――!」
だが誰も応じない。
マナツの瞳が一瞬、何かを言いかけたように揺れたが、
そのまま微笑んで、静かに言った。
「……大丈夫ですわ、お姉さま。
こういう時、冷静なのがあなたの良いところですもの」
その声音が、逆に痛かった。
マナは拳を握りしめるしかなかった。
セリーヌもまた、拘束こそされていないが、
周囲の部隊に囲まれ、監視ドローンが彼女の周囲を巡回していた。
イリュリアが冷淡に言い放つ。
「あなたは“夜の継承者”として暫定的に観察下に置く。
自己制御が確認されるまで、外部行動を禁ずる」
セリーヌは微笑んだ。
それはどこか、受け入れるようで、そして静かに抗うようでもあった。
「……ええ。けれど、“夜”はもう誰のものでもないわ」
その言葉に、イリュリアの表情がわずかに揺れた。
だが何も言わず、指を鳴らし、部隊に撤収を命じる。
――そして、アサギ。
彼女はすでに戦闘の傷で動けなかった。
修復不能と判断された義体の破片が散らばり、
その瞳だけが、静かにマナを追っていた。
「……また、守れなかったわね」
マナが近づき、膝をつく。
アサギはかすかに笑った。
「あなたが……無事なら……それで……」
光が彼女の瞳からゆっくりと抜けていく。
マナは無言でその手を握った。
レイナが背後で目を伏せる。
「……彼女は、最後まで“メイド”だったんだね」
「うん。最期まで、私たちの家族だった」
静寂が訪れる。
その中、ひとりの影が近づいた。
――エリシア。
彼女の輪郭が揺らいでいた。
すでに異界の縁が再び開き、彼女を呼び戻していた。
「もう、行くの?」とマナが問う。
エリシアは頷き、穏やかな笑みを浮かべた。
「私の役目は終わりました。
封印は解かれ、夜は継承されました。
これから先は――あなたたちの世界の選択です」
レイナが一歩近づき、タブレットを下ろす。
「また、会える?」
「きっと。異界とこちらが再び交わる時が来れば……」
エリシアの指先が、マナの頬に触れる。
「あなたの中にも、“夜”の記憶が少しだけ残っています。
それは恐れるものではなく――道標です」
その言葉とともに、彼女の身体が光に溶けていく。
残ったのは淡い蒼光の残滓と、微かな風の音だけ。
「……行っちゃったね」
レイナの声に、マナは黙って頷いた。
そして、空を見上げた。
そこにはまだ、夜が残っていた。
けれど、その夜はもう――恐怖ではなく、
“祈り”として、静かに息づいていた。
マナの瞳がゆっくりと閉じられる。
「……行こう。ここからが、本当の始まりだ」
レイナが微笑む。
「うん、“夜の継承者”の時代が始まる」
かすかな風が吹き抜け、
沈黙した研究棟の奥で、ノクティリアの欠片が一度だけ輝いた。
それは――終わりではなく、
新しい夜の幕開けを告げる光だった。




