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第8話

暗がりに浮かぶ、かすれた看板──《生体・機械融合機構 第三整備ブロック》。

人工光がひとつ、またひとつと点滅を繰り返す中、三人と一体はその奥へと足を踏み入れた。


扉が音もなくスライドし、現れたのは――無造作に積まれた端末群と、異様に静まり返った広い実験室。

天井からは太く湾曲した配線が垂れ下がり、床には用途不明のモジュールがいくつも転がっている。


中央、円形のワークステーションには、脚を組んで回転椅子に座る一人の女性。

白髪混じりの乱れた髪に、濃いグレーのオーバーコート。

だがその目はぎらつくような知性を秘め、手元で光るホロスクリーンを指先でいじり続けている。


その人物こそが、I博士――アオイだった。


レンがやや咳払いしつつ口を開いた。


「I博士。お客さんだ」


アオイはホロ画面から顔を上げ、まばたきひとつしてから、ゆっくりと首をかしげた。


「おや、君は……誰だっけ」


「レンですよ博士。ボディのメンテナンスとかで定期的に会ってるじゃないですか。何度会ったら覚えてくれるんですか」


アオイは口の端をわずかに上げた。


「そうかい。君の後ろに居る二人は?」


彼女の視線が、レンの背後にいるマナとレイナへと移動する。


マナが少し眉を上げ、肩をすくめるように応じた。


「私達のことも忘れたってわけ?」


「マナ、流石にそっちは無理もない……?今、何年?」


レンが口を挟む。


「そうだな。オタクらがいた時代からは、だいたい……ざっと百五十年後ってところじゃないか」


「なるほど」


アオイは特に驚いた様子もなく、コーヒーカップのようなものを手元に呼び出して口をつけた。


「それで何の用だい?」


「流石I博士。自由すぎるわ」


マナが苦笑しながら呟く。レイナは博士をじっと見つめていた。


レンは肩をすくめて答える。


「用がないなら帰ってくれないかい。これから“エコースフィア”の実験に移る予定なんだ」


「そいつぁ失礼した。じゃ、手短に。この嬢ちゃんが話があるってさ」


レンが一歩進み、レイナを軽く押し出すように促す。


アオイは、そこでようやく本気の視線を向けた。

その目が細まり、何かを思い出すように唸る。


「あれ?“プロジェクト・アレーティア”の試作機じゃないか。なんで起動してるんだい?」


その言葉に、マナは目を見開いた。


「“アレーティア”……?何のこと?」


マナは隣のレイナを見るが、レイナは困惑したように首をかしげるばかりだった。

彼女自身も、自分にその名称が適用された記憶は持っていない。


「……この猫耳、見覚えがないな」


アオイは、レイナの頭部を覗き込みながら小さく唸った。

白衣の袖口から伸びた指が、耳の根元をそっと撫でるように撫で、音もなく軽く叩く。

その金属質な響きに、博士の目が細められる。


「金属繊維に自己修復機能……それに、このパターン、うちの設計じゃない。どこから拾った?」


「……気が付いたら、ついてた」


レイナが答えると、アオイは興味深そうに視線を動かした。


「ふぅん……じゃあ、こいつは“おまけ”か、それとも“贈り物”か。いずれにしても……調べる価値はある」


「博士……どうする気?」

マナの眉がひそめられる。心配の色が隠せない。


「大丈夫。何も壊しやしないさ。ただ少し、診せてもらうだけだよ」


そう言うと、アオイは奥の診断室に向かって軽く合図した。


「こっちで少しメンテナンスする。精密機器だからね、静かな環境でやりたい。

君はそこで待っててくれないかい。時間はかからないよ」


マナはしばらくレイナと顔を見合わせてから、しぶしぶ頷いた。


「……わかった。ちゃんと、返してね」


「もちろん。責任持ってね」


レイナが一度だけ振り返り、微笑んで手を振る。そのまま、診断室の扉の向こうへと消えていった。

扉が閉まり、静寂が落ちる。


マナはしばらくその扉を見つめ続けていた。

どこか落ち着かない胸の鼓動が、耳の奥で高鳴っていた。



***



診断室の扉が密閉されると同時に、静寂が支配した。


中は白と金属の無機質な世界。

空気はひんやりと澄み、微細な除電ミストが視界に霧のように漂っている。

壁際に並ぶ大型機器からは、低く一定の電子音――生体情報の監視を示すパルス音――が鳴っていた。


診断台の中心には、外見的に全く同一のレイナのボディが横たえられている。

だがそれは、未起動状態で冷却保存されていた代替ボディ。

内部構造はあくまで同一でも、いくつかの“特別な拡張”が加えられていた。


アオイは静かに装着作業を進めながら、補助アームを操作し、現ボディの中枢から“中身”を取り出す。


それは肉体でも機械でもない――人格データのコアユニット。

レイナの記憶、感情、思考の大半が格納された多層構造の意識ユニットで、精密な量子転送で別ボディへと移される。


交換はわずか数分で終了した。外観の変化は一切ない。


アオイは診断台の横に座り、静かに端末を起動する。

次に開いたのは、制限付きアクセス領域――機体の中枢情報を制御する、通称「ブラックボックス」。


ブラックボックスとは、本来アクセス不能な階層で構成された情報封鎖領域だ。

生体ユニットや軍用AIなどの暴走や逆解析を防ぐため、メーカーすら中身を改変できないよう設計されている。


だがアオイは正しく、「設計者」のひとりだった。


「――さて、君に伝えるのは早すぎるかもしれないけれど」


アオイはブラックボックスの保護層をゆっくりと解除していく。

五重構造の暗号化階層をバイパスし、最下層に現れた書き込み領域へアクセスする。


端末の画面に、仄かに青白い光が走る。

数秒の沈黙ののち、暗号化されたシェルが開かれ、ブラックボックス内部の隠しセクションが解凍される。


画面に表示されたのは、わずか数行のコードだった。


アオイは、文字を確かめるように目を通し、微かに口角を上げた。


「君はまだ知らない。でも、必ずここに辿り着く。……夢の中ででもね」


そして、静かに書き込みを完了させる。


それは未来から送られた、小さな指示書だった。

危機に陥ったとき、レイナの意識が一定条件に達したとき――この記録が自己展開し、行動を導く。


それは言葉ではない、意識への“余韻”として作用する予言。

知ることなく、しかし確かに選ばせる導線。


その端末を閉じると、アオイは再びレイナの正面へと戻り、小さく話しかけた。


「君が選ぶその先に、“彼女”がいるように仕組んだつもりさ。……あとは、君次第」


レイナの瞳がゆっくりと光を帯び、視界を取り戻す。

立ち上がった彼女の足取りは軽やかで、どこにも違和感の影はない。


アオイは静かにため息をついた。


「さぁ、起きたまえ」


起き上がったレイナは、見た目も挙動も元のまま。本人にすら“入れ替えられた”という感覚はないようだった。


だが、それが“本体”であると信じる誰もが知らない――

この新しいボディの中には、もうひとつの「鍵」が仕込まれていた。


「さて、あの娘がうるさくなる前に返してやろうかね……」


そして、レイナとともに診断室の扉が再び開かれる。


そこに待つマナは、何も知らず、ただ安堵の表情でレイナを出迎えた。


「終わったよ」


中から現れたのは、何事もなかったかのような表情のレイナ。

髪の先に微かに光を帯びているようにも見えるが、それが何かを変えた証なのか、マナには判断できなかった。


「……レイナ?本当に、大丈夫?」


「うん。大丈夫。なんだか……すっきりした気がする」


マナは胸を撫でおろし、そっとレイナの手を握った。


「よかった……ほんと、よかった」


「博士、ありがとう。……変なこと、してないよね?」


「いやいや、普通の診断と調整だけさ。ちょっとした修復はしたけどね。耳のことも気になるが、それはまたの機会に」


アオイは、コンソールに背を向けながら軽く手を振る。


だがマナは、その背中にどこか引っかかる違和感を感じていた。


(……何か、隠してる?)


レイナの手を握ったまま、マナは静かに問いかけた。


「ねえ、レイナ……さっきのこと、覚えてる?」


「うん……少し、夢みたいな感覚だったかな」


「夢……?」


「わからない。けど問題はない」


「まぁレイナがいいならいいわ」


「用事も済んだことだし帰るか。と言っても帰り道を使うには大将の許可が要るが」


一行は再びクラリスの居る部屋へと戻る。



クラリスの指示でマナたちは、施設最深部のドーム状の空間へと案内された。

そこには無数の球状ホログラムが浮かび、未来と過去を“観測”しているようだった。


中央には異質な構造物――まるで“逆さの塔”のように宙に浮かぶリングがあり、下には剥き出しのスリープポッド。

塔の内部には、複数の時系列データが立体層として重なり合い、仄かに震えている。


「これが、帰還装置……?」


「そう。《リンク・ゼロ》。元は観測装置だったけど、特殊な干渉波を使えば“時系列跳躍”にも応用できる」


クラリスが淡々と語る。


「ただし、正確には“帰る”んじゃない。“非常に近い時空座標へ滑り込む”のよ」


「どういうこと……?」


「元の時代とほぼ一致するけれど、完全に同じではない時間座標。並列収束点……というべきかしら。

細部の差異――例えば、街角の自販機の色、誰かの記憶、歴史の些細な枝――そういう“ずれ”がある」


「……それ、戻った後で元の世界って確信できるの?」


「それを決めるのは、あなた自身よ」


マナは言葉を失い、目を伏せた。

そのとき――


警報が鳴り響いた。


ホール中央に浮かぶリング状の帰還装置リンク・ゼロが、淡く明滅を繰り返す。


「収容オブジェクト No.137-B、“ヴィルト・フラクチャ”に異常反応!」


オペレータの声が響いた。


「なに……?収容層の外殻は多層で封じてたはずじゃ――」


「確認不能。オブジェクトが自発的に位相空間から逸脱、観測ホール内部に――」


バシュッという空間圧の崩壊音。

空中が“捻じれる”ように割れ、その隙間から現れたのは――


無数の三角錐の集合体だった。

金属のようでいて質感が曖昧。光を反射せず、影も持たない。

それは自律的に空中を滑り、まるで誰かを探すかのように旋回を始めた。


「また出やがったか……!」


レンが舌打ちし、義手の出力を上げる。


「なにあれ……生き物?」


「いいや、“情報塊”に近い。接触した人間の記憶を“書き換える”タイプの実体情報災害だ。

一度触れれば、自分が誰だったかすらわからなくなる。そもそも思い出せなくなるんだ」


クラリスの声が鋭く響く。


「マナ、レイナ、目を合わせないで!視認でも感染する可能性がある!」


レイナがマナの手を引き、ホールの壁際へ身を隠す。

異常な“切断”の余波が空間に滲み出していた。空気が波打ち、重力がわずかに歪んでいる。


斬撃により“ヴィルト・フラクチャ”の主核は分断されたはずだが、その断片はなおも空中で蠢いていた。

まるで再構築を試みているかのように。


「クラリス!」

レンの呼びかけに、クラリスがすでに端末へと走っていた。


「わかってる。仮収容プロトコル、起動――!」

その手が躊躇なく緊急操作パネルを叩く。


ホール天井のスリットが開き、四機の収容用ドローンが射出された。

薄く光を帯びたフレームが、ひとりでに円を描くように浮かび上がり、残存粒子群の周囲に展開されていく。


「対象構成不定。収束率33%。……ノイズが多すぎる!」


クラリスの声に緊張が走る。


「場を安定させるわ。観測ホール全体にニュートラルフィールドを流す」


レンが頷き、壁面に駆け寄って補助パネルを操作した。

低い音と共に床面から複数のアンカーがせり出し、空間を制御するフィールドが広がる。


断片は逃げ場を失ったかのように一瞬、蠢きを止めた。


「今よ――拘束フィールド、重畳!」


ドローンたちが同時にコアユニットを射出。

重力波のような圧が空間を押し込み、粒子群をひとまとめに凝縮していく。

不定形の“裂け目”が、幾何学的な箱型に押し込まれていく様は、まるで“情報”そのものを物理で押さえつけているようだった。


「対象、仮収容完了……」

クラリスが安堵の息を吐いた。


だが、それと同時に表示パネルに異常警告が走る。


「……再構築の兆候。完全収容が不安定。再生サイクルが残っているのね」


「どうする」


「コアごと、情報圧縮フィールドに閉じ込めるしかないわ。記憶因子そのものを“静止”させる」


クラリスは小さく頷くと、ホール中央へと足を踏み出し、ドローンの収容カプセルのそばに端末を置いた。

その中に、新しい命令列を入力していく。


やがて、そのコアには純白の封印プレートが挿入され、赤いラインが一本、静かに灯った。


「……よし。これで“ヴィルト・フラクチャ”は一時的に静止状態。次元干渉の波も収まるはずよ」


「……終わったの?」


「ええ。今のところはね」


クラリスが答える。


「でも、もうここは危ない。転送準備を急ぐわ」


スリープカプセルに乗り込むマナとレイナ。

光が満ち、浮遊する無数の「断片的な記憶のような映像」が空間を覆う。

誰かの笑顔。静かな海辺。知らない誰かの死――。


「ねえ、レイナ。もし、戻った先が微妙に違ってても……私達は私達、だよね」


「もちろん。私は、マナと出会ったことを記録してる。それがあれば大丈夫」


クラリスが最終コードを入力する。


光が収束する。

全てが静かに、断ち切られた。



***



マナは静かに目を開ける。


「……戻ってきた?」


レイナが隣でゆっくりと起き上がる。


「夢、だった……のかな……」


だが、すぐに違和感が押し寄せる。


「ねぇ、マナ……この部屋、少し……違わない?」


照明の跡。壁の傷跡。

ほんの少し――微妙な“ズレ”を感じる。


「ホント、散々な一日だったわ」

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