第70話
異常体の残滓が宙を漂う中、アサギは義体腕を振るい、二人の光の結界を切り裂く。
「まだ足りない……管理下に置くには、この程度では」
その声には冷徹さの奥に、わずかな迷いが潜んでいた。
マナは端末から光の障壁を再展開する。
レイナは静かに分析し、異常体の動きとアサギの攻撃パターンを読み解く。
「……アサギ、昔とは全然違う」
レイナの胸に幼い日の記憶が蘇る。
紅茶を手渡す温もりの手と、今目の前に立つ戦闘者の義体の手。
同じ存在のはずなのに、彼女はまるで別人のように見えた。
アサギは躊躇なく、義体の精密な動きで二人を挟み込む。
だが、マナとレイナの呼吸は完全に同期していた。
「ここで止める、逃げない!」
二人の決意が結界に力を与え、光が渦を巻く。
義体の腕が光線を跳ね返そうとするも、結界の圧力に抗えず、衝撃で床にひびが走る。
アサギの表情が、一瞬、かすかに歪んだ。
「……あなたたち、本当に……」
その声の中に、幼い頃の温もりと冷徹さの混じった揺らぎが滲む。
影の残滓が再び伸び、三者の間で渦巻く。
マナは冷静に端末を操作し、光の流れで影を制御する。
レイナは反射的に異常体の軌道を予測し、光の矢を放った。
それはまるで、長年の信頼関係を戦術として表現するかのように、正確に影を貫いた。
アサギは義体の力で攻撃を躱しながらも、微かに後退する。
「……管理者として、あなたたちは……まだ早すぎる」
その言葉に、かつての世話役としての優しさが混ざる。
冷徹な命令と、人としての感情――二つの意識が、彼女の中で戦っていた。
崩れかけた壁の隙間から青白い光が漏れ、三者を包む。
異常体の残滓は徐々に消え、戦闘の焦点は三人の心理戦と技術戦に絞られる。
マナとレイナは、義体の力に頼るアサギを、精神と連携で封じようと試みる。
「……もう逃げない。私たちのやり方で」
マナの低い声に呼応して、レイナも静かに頷く。
二人の意思が結界に注ぎ込まれ、光が増幅する。
アサギは一瞬ためらう。
戦闘者としての義体は冷徹に制御されているが、人としての感情がそれを揺るがせる。
「……ならば、私も全力で、貴女たちを“管理”する」
言葉に残る微かな迷いが、戦闘の緊張を一層高めた。
光と影、信頼と裏切り――
崩れかけた研究棟の奥で、戦闘は静かに、しかし確実に激化していく。
光の渦が通路を満たし、異常体の残滓を巻き上げる。
マナとレイナは互いの呼吸を確かめ合いながら、攻撃のタイミングを計る。
アサギは義体の腕を振るい、精密な動きで光の結界を切り裂くが、その目の奥に、微かな迷いの色が浮かぶ。
「……どうして、貴女たちは……」
アサギの声は冷たく、しかし震えたかすかな音を含んでいた。
「昔の私なら、もっと簡単に制御できたはず……なのに」
レイナが光の矢を放つ。義体の腕で跳ね返すアサギ。
その隙間を縫うようにマナが端末を操作し、光の網を再展開する。
「管理者として、私の任務は――あなたたちを抑えること……でも……」
アサギの内面で、かつて紅茶を淹れ、ふたりを守っていた“世話役としての自分”が、義体の冷徹な指令と衝突する。
その間に、光の渦が義体の動作を制約し、微かな隙を生む。
レイナはその隙間を見逃さず、冷静に計算して光の矢を連続で放つ。
アサギの義体は回避するが、動作の余裕は徐々に削られていく。
「……まだ早すぎる。貴女たちに……私の管理権限を渡すわけには――」
マナが端末を操作し、光の結界を義体に絡める。
「管理って、誰のための管理なの?あなたが昔守ってくれた私たちのためじゃないの?」
その問いに、アサギの瞳が一瞬揺れる。
過去の温もりと現在の命令、冷徹な義体と人としての感情――
戦闘の隙間にそのすべてが浮かび上がり、三者の間の緊張が一層増す。
義体の力で光を押し返すアサギ。だが、心理の揺れは止められない。
「……私が命令通り動く理由は……守るため、でも……貴女たちを制御するためでも……ある」
光と影が交錯し、通路の壁に青白い光が反射する。
マナとレイナはその隙間を狙い、次の攻撃のタイミングを慎重に探る。
――ここで、アサギの“迷い”が戦局に影響する。
彼女の義体が本能的に攻撃を躱すが、微かに防御を甘くする瞬間が訪れる。
そのわずかな隙に、レイナは光の矢を集中させ、アサギの動きを一時的に封じた。
「……今だ、マナ!」
二人の声が同時に響く。光の結界が義体を包み込み、通路は一瞬、静寂に沈む。
アサギは義体の力で微かに耐える。
だが、その目の奥には――過去の温もり、今の指令、そしてふたりへの想い――
三つの感情が交錯していた。
光の残滓が通路の壁に反射し、青白い光が不規則に揺れる。
アサギは義体の補助動作で体勢を立て直すと、静かに語りかけるように言った。
「……貴女たちは、あの頃のまま……変わらない……」
レイナは息を整えながら、軽く眉をひそめる。
「昔のことは関係ない。今、目の前にいるのは――」
言いかけて、ふとマナの方を見た。マナもまた、戦闘の疲労を隠しながら光の結界を操作している。
アサギは義体の動作を最小限にして一歩下がる。
その動きは戦術的なものではなく、心理的な間合いを計るものだった。
「私は……命令に従い、貴女たちを制御する任務を与えられている。
だが……守ることも、私の意志だ」
レイナは短く息をつく。
「制御……守る……そのどちらが本当?」
問いかける言葉には冷たさはなく、ただ真実を求める静かな強さがあった。
アサギは微かに肩をすくめる。義体の肩関節が僅かに光を反射する。
「答えは……両方、でしょうね。
過去の私は、あなたたちを守るために動き、
今の私は、命令の下で動く……でも、その命令もまた、貴女たちの未来に関わるものであるなら……」
マナは端末の手を止め、一瞬アサギの目を見る。
「……私たちの未来って、どういうこと?」
その問いに、アサギの表情が一瞬だけ曇る。
「……私の任務は、時に残酷です。
でも、誰よりも貴女たちを知っている――だからこそ、選択を間違えられない」
その言葉と同時に、再び通路の奥から金属音が響く。異常体の影が再び迫る。
マナとレイナは自然に戦闘体勢に戻る。
アサギも義体の構造を最大限に使い、光の結界に入り込む影を精密に制御する。
戦闘の最中、アサギの冷静な動きはまるでふたりを「試している」ようにも見える。
その背後に、黒幕としての策略が潜んでいることを、レイナはまだ感じ取れない。
「……やっぱり、ただの世話係じゃない……」
レイナの心の奥で、幼い日の記憶と今の戦闘が交錯する。
アサギの“微笑み”の裏に潜む計算――それは、ふたりにとって危険で、そして不可避のものだった。
光と影が交錯し、通路に緊張の静寂が広がる。
三者の心理と技量がせめぎ合い、次の瞬間――再び動きが加速する予感が、通路に張り付いた。
異常体の影が壁を這うように迫る中、アサギは静かに腕を上げた。
義体の指先が光を反射し、微細な動きで結界の流れを操る。
「――今度は、私が導きます」
その声には柔らかさの裏に、冷徹な計算が潜んでいた。
影は光に触れると瞬間的に形を崩し、宙に散った破片のように消滅する。
しかし、消えたのは表層だけで、奥深くに潜む存在はまだ動き続けていた。
レイナとマナは互いに目を合わせ、無言で次の行動を決める。
「……あの影、完全には消せない」
マナが端末の波形を確認しながらつぶやく。
「わかってる……でも、ここで退くわけにはいかない」
レイナの瞳に光が宿る。彼女の体勢は影に対して正面を向いている。
アサギは微かに微笑み、ふたりの間に身を置くように移動する。
その姿勢は保護者のようでありながら、どこか威圧的だった。
「――あなたたち、幼い頃の私を覚えていますか?」
言葉の響きに、わずかな懐古と皮肉が混じる。
「……覚えてる」
レイナが短く答える。声には動揺はないが、心の片隅に幼い日の影がちらついた。
「ふふ……その記憶を使わせてもらいます」
アサギの瞳が光る。義体と肉体が一体化した精密な動きで、影の流れを誘導する。
影はアサギの指示に従うように形を変え、まるで意志を持つかのように動き始めた。
「……え?」
マナが目を見開く。
「彼女、影を操って……」
「……操る?!」
レイナの言葉が続く。影は完全にアサギの制御下に入り、二人の進行を助ける形で流れていく。
しかし、アサギの動作には冷たい計算が隠されていた。
彼女の指先が操作する影の軌道は、ただ敵を排除するだけでなく、ふたりを特定の位置へ誘導している。
その先に何が待つか――まだ誰も知らない。
「……何を企んでいるの?」
レイナが低く問いかける。
「企み……そうですね。命令と意志の交差点に立つ者として、
あなたたちを――試しているのかもしれません」
その瞬間、通路の奥で金属音が加速する。
影が再び迫る予感に、三者の呼吸が重なった。
アサギの微笑みは揺らがない。
幼少期に仕えていた“メイド”の面影は、その冷徹な策士の顔の奥で微かに光るだけだった。




