X21_SR 第67話
「離れないで、レイナ!」
「……マナ……っ!」
閃光が爆ぜた。
空気が裏返るような衝撃。白熱する封印陣が床の金属を焼き、赤く膨張した光があらゆる線をねじ曲げていく。
空間の歪みは壁を削り、機材を吸い込むように崩していった。まるで世界の根が剥き出しにされるような、脈動の音。
マナは咄嗟にレイナの腕を掴んだ。
だが、手のひらに伝わる感触が、異様に冷たい。
まるで、彼女の体温そのものが消えていくようだった。
「駄目だ、ここから出る!」
マナは強引に引き寄せようとする。しかし、封印陣の中心──暴走した光核が、まるで意思を持つかのように二人を拒む。
そこから漏れ出す光の糸がレイナの脚を絡め取り、床に縫い付けた。
「レイナ!」
「……動けない、マナ。これは、あの“封印”の……」
レイナの声は震えていた。
だが恐怖ではない。どこか、理解しているような響きがあった。彼女の瞳が、一瞬だけ光核の中心を見つめた。
――これは、知っている。
彼女の中に刻まれた「記録」。かつて、未来の研究区画で起きた事故の映像。暴走したオブジェクトの封印を抑えるために、自らを犠牲にした技師の姿。
同じ構造だ。ここでも、誰かが暴走を止めなければ施設ごと吹き飛ぶ。
「マナ、下がって」
「何言ってんの、今行ったら――」
「私なら、抑えられる」
光に縫い止められた脚を引きずりながら、レイナは中央へと足を踏み出す。
光核の表面には、無数の文字列が走っていた。見たこともないアルゴリズム。だが、どこか“懐かしい”――自分の造られた世界の言語だと、彼女には直感できた。
マナは歯を食いしばる。
レイナが踏み出すたびに光が脈動し、周囲の機材が破裂音を上げて吹き飛んだ。
それでも、彼女は止まらなかった。
「やめて、レイナ!そんなの、誰も助からない!」
「――マナは、生きて」
その声に、マナの心臓が強く跳ねた。
次の瞬間、レイナの身体を包む光が赤から青へと変わり、暴走する封印陣と干渉を始めた。
彼女の指先が宙に描くのは、封印の再構築式――誰にも知られていない、未来由来の“制御コード”。
光の流れがひとつ、またひとつと収束していく。
「――止まれ、お願い……!」
レイナの叫びと同時に、封印陣が弾けた。
風が逆流し、光が収束する。
崩壊しかけた実験棟が、ゆっくりと静寂を取り戻していった。
マナが駆け寄る。
レイナは膝をついていたが、まだ意識はある。
頬を撫でる風が、焦げた匂いを運んでくる。赤く焼け焦げた床、ひび割れた封印陣の中心で、彼女は微かに笑った。
「ほらね、離れなかった……でしょ?」
マナは言葉を失った。
ただ、レイナの肩を抱きしめた。
もう二度と、彼女を見失いたくなかった。
遠くで、警報がまだ鳴り続けている。
封印は止まった。だが、研究所のシステムが完全に安定したわけではない。
赤いランプの下、マナは立ち上がり、通信端末を掴む。
「――こちら第零分室、封印区画に異常発生。制御は……レイナが抑えた。救助班を、至急!」
通信がノイズ混じりに返る。
だが、その中に確かに聞こえた。「了解、すぐ向かう」という応答。
マナはもう一度、レイナの手を強く握った。
彼女の目はまだ閉じているが、穏やかな呼吸が確かにあった。
――離れない。
今度こそ、どんな光にも呑まれさせない。
焦げた匂いが、まだ空気の底に残っていた。
照明は半分が落ち、非常灯の赤だけが薄闇を照らしている。崩れた壁の向こうから、金属が軋む音と、足音が近づいてくる。
「――マナ、無事?!」
通信で応答していた救助班のリーダーが、防護服のバイザーを上げた。背後には機材を抱えた職員たちが続く。
マナは小さく頷き、膝をついたままのレイナの肩を支えた。
「封印は止まった。でも、まだ不安定。中枢の反応が……変なんだ」
救助班のひとりが携帯端末を接続し、封印陣の残骸をスキャンする。
ディスプレイに映し出された数値が、ありえないパターンで振動していた。
「……波形が二重構造になってます。誰かが、上書きしてる……?」
「上書き?」
マナの声が低くなる。
職員が恐る恐る頷いた。
「この封印陣、最近書き換えられてます。制御コードが本来の研究所仕様じゃない。外部の文字列が……混ざってる」
沈黙が落ちた。
焦げた床を照らすライトが、封印陣の痕跡を浮かび上がらせる。
その線のいくつかが、明らかに異質なパターンで上書きされていた。
流麗な曲線、幾何学的な符号――まるで、誰かが意図的に“別の封印”を重ねたような。
「こんな構文、うちのデータベースには存在しないな……」
「じゃあ、誰が?」
マナはレイナの顔を見下ろした。
まだ意識は戻らないが、彼女の額には微かな青い光が残っている。
それは、先ほど彼女が再構築した封印式の余波――本来なら完全に消えているはずのものだった。
「……封印の一部が、彼女に反応してる」
「どういう意味です?」
「わからない。けど――この式は、レイナが知ってるものじゃない。彼女が抑えたのは、もっと古い“封印構造”だった」
言葉にして、マナは背筋に冷たいものが走るのを感じた。
――誰かが、封印そのものを“呼び水”に使った。
この暴走は事故じゃない。何かが意図的に仕掛けられていた。
「記録班、被害記録のバックアップを。ここ、立入制限にする。……外に漏らすな」
リーダーの指示が飛ぶ中、マナは立ち上がった。
床に散った破片の中、微かに光る破損データチップが目に入る。
拾い上げて指で拭うと、“第零研究機構”の識別刻印が見えた。
それは確かに内部のもので――しかし、登録番号の一部が削られている。
「……誰かが、消してる」
マナの声は、誰に向けたものでもなかった。
自分の胸の奥で、じくじくとした疑念が膨らむ。
救助班が担架を用意し、レイナを運び出していく。
マナはその背中を見送りながら、ひとつだけ強く握った拳を開いた。
手のひらには、さきほど拾ったチップが乗っている。
そこには、かすかに焼け残った文字があった。
――“EIDR-α/Protocol Re:birth”。
エイドロンの内部コード。
しかも、“Re:birth(再誕)”――そんなプロジェクトは聞いたことがない。
マナは小さく息を吸い、視線を封印陣の跡へ戻した。
赤く焦げたその円は、今もわずかに熱を帯び、かすかに脈動している。
まるで何かが、まだその奥に“生きている”ように。
「……これで終わりじゃない、ってことね」
低く呟いた声が、金属の残響に溶けた。
研究棟の奥、まだ煙の立ちこめる闇の中で、電子機器のランプがひとつだけ瞬いた。
――警戒ラインの外側で、誰かが残された端末にリモートアクセスしている。
マナはその光を見逃さなかった。
静かに息を止め、赤いランプの海を見つめた。
次に動くべき相手は、“ここ”にいる。




