第66話
封印セル0216――再収容から三時間後。
現場は依然として封鎖されたままだった。
緊急冷却ユニットが唸りを上げ、空気は凍えるほど冷たい。
床には崩れた封印陣の残骸が散らばり、淡い青光を帯びて脈打っている。
調査班の主任が報告端末を片手に、無機質な声で告げた。
「再収容は安定。だが、封印波に未知の干渉痕がある」
「干渉?」
マナが眉をひそめる。
主任は頷き、モニターを操作した。
波形グラフの一部が赤く反転し、中央に識別コードが浮かび上がる。
――《Access ID:Reina-03》。
マナは一瞬言葉を失った。
「……これ、レイナの?」
レイナは隣で無言のままモニターを見つめていた。
主任は冷淡な口調で続ける。
「封印層のアクセスは許可制だ。研究員コードが自動で記録される。
だが、このアクセスは認証サーバを経由していない。……直結信号だ」
「つまり、レイナが……?」
マナの声が揺れる。
主任は淡々と頷いた。
「意図的かどうかは分からない。ただ、通常の端末からは発信できない形式だ」
重い沈黙。
レイナはその間、ずっと俯いたままだった。
冷気の中、白い息だけが小さく揺れる。
そこに、軽やかな足音が響いた。
白衣の裾を翻しながら、ひとりの人物が現れる。
長い青灰色の髪を無造作に束ね、片手には分厚いデータパッド。
――アオイ博士だった。
「ふむ、面白い波形ね」
軽い調子の声。だがその眼差しは鋭い。
主任たちが一斉に敬礼する中、アオイは封印ポッドの前まで歩み寄った。
「博士、封印干渉の形跡が――」
主任が説明しかけるが、アオイは手を上げて制した。
「見れば分かる。波の“揺らぎ”が典型的だわ。これは……“継承体”の反応ね」
マナが顔を上げる。
「継承体?」
「ええ。アレーティア系列で使われていた、意識転写型の試験体構造。
理論上は、特定の個体が“アクセスキー”を兼ねるように設計されていたの」
アオイの視線が、レイナへと向く。
レイナはその視線を受け止めたまま、微かに口を開いた。
「……博士。私は封印層への直接アクセスを行っていません」
「ええ、そうでしょうね。でも、問題は“あなたの意思”じゃないの」
アオイの声は、どこか愉快そうだった。
「この信号は、あなたの神経層を経由して発生している。つまり――“あなたの中の誰か”が応答したのよ」
マナが息を呑む。
「ちょっと待って、それって……」
「封印体と同質の波動が、レイナの神経パターンに重なっているということ。
継承体の残留意識、もしくは……アレーティアの“再帰コード”が発動した」
室内が静まり返る。
冷却装置の低い唸りだけが響いた。
マナはレイナを見つめるが、彼女は何も言わなかった。
ただ、目の奥に硬い光を宿している。
アオイは満足げに頷き、データパッドを閉じた。
「封印核は安定している。問題は“原因”をどう扱うかね」
主任が問う。
「博士、レイナ研究員を隔離すべきでしょうか?」
「まだ早いわ。彼女が鍵を握っているのは確か。でも、それを切り離したら封印波そのものが不安定化する」
マナが声を荒げる。
「つまり、レイナを――このまま使うってこと!?」
「言葉が悪いわね。“維持する”のよ」
アオイは穏やかに微笑んだ。
「レイナ、あなた自身の状態を監視して。次に干渉が起きたら、記録を全部私に送って」
「……了解しました」
レイナの声は静かだった。
だがその瞳の奥では、昨夜の“図書館”が再び光を放っていた。
――PROJECT ALETHEIA。
――継承体。
――最終変数:マナ。
アオイが部屋を出ていく。
残された空気は重く、冷たかった。
マナは口を開きかけ、しかし何も言えずに閉じた。
レイナはただ、封印ポッドの前で立ち尽くしていた。
その掌の中で、銀色の鍵が静かに熱を帯びていく。
封印の波形と同調するかのように、規則的に脈を打ちながら――
***
深夜。
研究棟の照明はすでに落とされ、機器のランプだけが淡く脈打っている。
静寂の底で、低く唸るような音が響いた。
――封印波の異常。
マナは反射的に端末を掴んだ。
モニターの片隅に、封印層0216の波形がわずかに乱れている。
だが、センサーはすぐに沈黙した。
「……揺らぎ?」
寝巻きのまま、マナは椅子を蹴るように立ち上がった。
封印層の波動が再び鼓膜を震わせる。
今度は明確に、遠くの空間が共鳴しているのが分かる。
――レイナの部屋の方向。
胸騒ぎがした。
マナは廊下へ飛び出す。
足音が金属床に響く。
夜間照明が自動で点滅し、細い光の筋が暗い通路を照らした。
「レイナ――!」
走り抜けた先の研究用セルEブロック。
自動扉が開いた瞬間、光が爆ぜた。
部屋の中は、ほとんど現実ではなかった。
重力が歪み、床が波のように揺れている。
レイナは机の前に座り、瞳を閉じたまま、静かに浮かんでいた。
「レイナ!」
マナは駆け寄り、揺れる空気をかき分けた。
彼女の周囲を走る青い紋が、まるで電子回路のように空間に広がっている。
「……音が、聞こえるの」
掠れた声が漏れた。
「わたしを呼ぶ声。
ガラスの割れる音、白い部屋。……わたし、造られてる」
マナは息を呑む。
彼女の神経が“未来”の情報を拾っている。
時間の境界を越えたデータの逆流――それは、かつてアオイが警告していた現象だ。
レイナの瞳が開く。
その奥には、青白い光の塔が映っていた。
数えきれない培養槽。
機械の腕が動き、冷たい声が空間を満たす。
《製造番号R‐01。人格シーケンス安定。記憶転送準備開始》
《アレーティア・フレームを接続》
――アレーティア。
マナの脳裏に稲妻のような衝撃が走る。
それは、未来の研究群が追っていた禁忌の構造式。
人の意識を複製し、理想的な精神進化を再構築する――“未来の神造技術”。
「違う……見ちゃだめ、レイナ!」
マナは手を伸ばし、彼女の肩を掴んだ。
しかし触れた瞬間、視界が反転した。
床も天井もなく、ただ白い光と声だけが存在している。
――そこに、レイナ“自身”が眠っている。
無数のケーブルに繋がれ、名を与えられる前の存在として。
レイナは震えた。
「これが……わたしの、始まり」
マナは首を振る。
「違う。今の“レイナ”はここにいる。あたしの隣にいる」
光の中、レイナの表情が揺れた。
だがその瞬間、床下から爆ぜるような衝撃音が轟いた。
研究棟の奥で、封印層が崩れる音。
警報が鳴り響く。
《警告:封印波逆流。共鳴源――R‐01ユニット》
天井の警告灯が赤く染まり、機器が一斉に停止した。
マナはレイナを抱き寄せるようにして床に伏せた。
「大丈夫、レイナ。落ち着いて。聞こえる?」
レイナの声が震える。
「マナ……わたし、造られたんだね」
「それがどうした。造られようが、生まれようが、あんたは――レイナだよ」
その言葉に、レイナの瞳がわずかに揺れる。
光が収束し、音が静まる。
だが封印波はまだ止まらない。
赤い線が床面を走り、次々と異常信号を吐き出している。
マナは通信機を引き寄せた。
「こちらマナ、R‐01が共鳴を起こしてる!第零層封印、再構築を急いで!」
ノイズの向こうからアオイの声。
『マナ、今すぐ距離を取れ――封印層が自動切断に入る!』
その瞬間、足元が白光に飲まれた。
時間が歪み、空間が弾ける。
マナは反射的にレイナを抱き寄せた。
「離れないで、レイナ!」
「……マナ……」
世界が崩れ、光が全てを呑み込んだ。
ふたりの姿は研究棟の闇から消え、残されたのは焼け付くような青い残光だけだった。
封印室の扉が、音を立てて軋んだ。
空気が震え、金属が軋みを上げる。
レイナが制御盤に手を走らせた瞬間、警報が鳴り響いた。
──赤色警告。封印層崩壊、臨界反応。
モニターのグラフが跳ね上がる。
次の瞬間、床の下から衝撃波が突き上げ、計器が一斉に吹き飛んだ。
光が、封印装置の中心から迸る。
「レイナ、下がって!」
マナが叫び、腕を掴もうとした。
だが、吹き出す風圧が二人を分断した。
光は、風ではない。
熱でもなく、ただ純粋な“力”だった。
視界が白く塗り潰され、空間の境界が消える。
装置の奥から、低い共鳴音が響いた。
封印されていたはずの何かが、目を覚ましている。
黒い粒子が空気中に舞い上がり、重力を無視して渦を巻く。
レイナは片膝をつき、制御パネルを操作しようとする。
しかし、手元の端末は焼き切れ、液晶が黒く染まった。
マナが身を翻し、緊急封鎖レバーに手を伸ばす。
──間に合わない。
収容層の隔壁が軋み、金属が悲鳴を上げた。
耳を裂くようなノイズが響く。
それは機械の音ではなく、“何かの声”だった。
「レイナッ!」
「……マナ、離れて──!」
マナが駆け寄ろうとした瞬間、床面が爆ぜた。
黒い光の奔流が走り、空間全体を飲み込む。
視界の中で、レイナの姿が一瞬だけ揺らめく。
「離れないで、レイナ!」
手を伸ばす。指先が光に触れた。
「……マナ……」
その言葉を最後に、音が消えた。
世界が弾け、焼け付くような閃光が全てを覆う。
爆発音が、遅れて響いた。
制御区画の照明が一斉に落ち、警報が断続的に鳴り響く。
数分後。
収容処理班が到着した時、封印室はほとんど原形を留めていなかった。
床面には焼け焦げた痕が広がり、中央には半壊した収容ポッドが残されていた。
光の余韻だけが、まだそこに漂っていた。
青く、静かに。
――第零研究機構封印区画。
発生事案コード《Λ-17》。
原因不明。被害者:未確認。




