第65話
第零研究機構の封印階層――第七層。
常時稼働する冷却管が低い唸りを上げ、壁面には霜がうっすらと張りついていた。
この階層では、異常存在の核となる構造体が収容・安定化されている。
それらは生物ではなく、概念そのものの形をした「封印の欠片」だった。
モニターの光がマナの頬を照らす。
「……また、波形が跳ねてる」
指先でグラフを拡大しながら、眉をひそめる。
黒い結晶――先日回収された未知の封印体が、ゆっくりと脈打っていた。
レイナは隣で静かに補正プログラムを走らせる。
「臨界値まではまだ余裕がある。けれど……周期が変わってる」
声に微かな緊張が混ざる。
マナは画面を見つめたまま、吐息を洩らした。
「この感じ、なんか前にも……」
――そう。あの“指輪”の時だ。
オブジェクトが臨界を超える前、空間全体が歪んだように見えた瞬間。
彼女の皮膚がざわめく。何かが、目に見えないところで繋がり始めている。
その時、警報が鳴り響いた。
金属を軋ませるようなサイレン音。
《ATTENTION:CONTAINMENT BREACH RISK/ZONE-07-A》――
赤い警告灯が回転し、薄闇の廊下を染めた。
「封印層で反応――!?どのセル?」
マナが立ち上がる。
レイナは端末に指を滑らせ、表示を切り替える。
「A区画。……封印番号0216、異常波動。封鎖まで残り四分」
「0216……あれ、マナツが狙ってた区画じゃ――」
マナの言葉を遮るように、通信端末からノイズ混じりの声が響いた。
《こちら管制。A区画の自動封鎖システムが応答しません!現場に急行を――》
「行くよ!」
マナは躊躇なく立ち上がる。
胸ポケットの中に小型通信機を押し込み、黒のコートを羽織った。
レイナも無言で後を追う。
通路の赤い照明が、ふたりの影を伸ばす。
――A区画、封印セル0216。
そこは元々、現実干渉型の封印体が収容されていた場所だ。
空間そのものを「不確定」に変える能力を持ち、特殊なポッドで中和されていた。
だが、今はそのポッドがひび割れ、冷却ガスが白く噴き出している。
「封印膜、消失……!」
レイナが端末を構えるより早く、マナは駆けだした。
中にあったはずの結晶体は消え、代わりに――空気のゆらめきが、形を持ちはじめていた。
黒く、輪郭をもたぬ“影”。
まるで闇が自らの形を探して蠢いているようだった。
「視覚反応なし、でも……居る!」
マナは反射的に身を翻す。
風が逆流し、金属製の床が波のように歪む。
「量子波の再構成体。封印が完全に解けた……!」
レイナが声を上げ、制御デバイスを展開する。
だが――間に合わなかった。
影が、咆哮した。
音ではない。空間そのものを震わせる“存在の声”。
警報灯が次々に弾け、電磁波の閃光が走る。
マナは反射的にレイナの腕を掴み、後方へ飛び退いた。
「封鎖する!バリア展開――!」
「レイナ、下がって!」
マナが床に手をついた瞬間、赤い閃光が走る。
封印セルの床面に描かれた封印陣が活性化し、白い光柱が噴き上がった。
影は一瞬だけ動きを止めるが、すぐに再構成を始めた。
「完全には抑え込めない!」
レイナの声が震える。
「そんなの、やってみなきゃ分かんないでしょ!」
マナは歯を食いしばる。
光の輪が拡散し、影の輪郭が軋む。
だが、それはむしろ怒りを増したように形を変え――触手のような黒煙を伸ばしてきた。
「っ……!」
マナの肩を掠め、壁が粉砕される。
レイナがすぐさま制御コードを叩き込む。
「封印ポッド、再起動。出力一七〇パーセント……っ」
蒼白の光が、ポッドの裂け目から噴き出した。
影の身体がその光に触れ、悲鳴のような振動を上げる。
「いまよ、マナ!」
「分かってる!」
マナは叫び、掌を前に突き出した。
ポッドの制御装置が同期し、白光が一点に集中する。
――吸い込まれるように、影が収束を始めた。
閃光。
耳を焼くような振動音。
そして――静寂。
封印室に残ったのは、ひとつの球形ポッドだけだった。
中央でかすかに光を放ち、再収容が完了したことを示している。
マナはその場に膝をついた。
額から汗が一筋、床に落ちる。
「……っはぁ……終わった?」
「ええ。ログを確認する」
レイナが端末を操作し、ポッドの出力波形を呼び出した。
画面には“安定”の文字。だが、その下に小さく表示された異常値――
《Access ID:Reina-03》。
レイナの指先が止まる。
マナはそれに気づかず、息を整えながら天井を仰ぐ。
「まったく、勘弁してほしいよね……久々の平和な朝だったのに」
レイナは静かに画面を閉じた。
その瞳には、誰にも見せない影が宿っていた。
――封印異常は、ただの偶然ではない。
銀の鍵が、まだ微かな熱を放っている。
そして、誰も気づかないまま、“何か”が再び動き出していた。




