表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
66/82

第62話

目を開けると、そこは白い天井の下だった。

無数の警告ランプが明滅し、医療区画の空調音が響く。


「……帰って、これたの?」レイナが呟く。

マナはベッドから身体を起こし、隣に転がる封印ポッドを見た。

ひびの入った外殻の奥で、黒い物質は完全に沈黙している。


「帰還確認。転送誤差、0.02秒」

無機質なアナウンスがスピーカーから流れる。

彼女たちは確かに帰ってきた——第零研究機構エイドロンへ。


廊下の向こうで、白衣の職員たちが走り回っている。

マナは深く息を吸い、レイナの肩を軽く叩いた。

「やれやれ……異界なんて、もう二度とごめんね」

「同感。でも——」レイナは小さく笑う。「あなたがいなきゃ、戻れなかった」


マナはその言葉に何も返さず、視線をポッドへ向けた。

ひとつの封印は守られた。だが、その影が完全に沈黙したわけではない。

装置の奥底で、微かに鼓動のような振動が続いているのを、マナは確かに感じていた。



***



封印ポッドは、処理室の中央に静かに鎮座していた。

鋼鉄の床に固定された台座には、何重もの拘束フィールドが展開され、白い霧のような冷却蒸気が薄く漂っている。

壁面のモニターには無数の波形が走り、その一部が時折ノイズ混じりに乱れた。


マナは防護ガラス越しに、その様子を無言で見つめていた。

傍らでは、レイナが報告端末を操作している。彼女の指先の動きが、いつになく慎重だった。


「封印ポッド、安定化率は……七十六パーセント。残留波形がまだ消えない」

「七十六、ね」マナが小さく呟いた。「異界から持ち帰ったにしては上出来かもしれないけど」


「でも、本来なら九十以上出てないとおかしい。何か、混じってる」

レイナの声に、制御室の空気が一瞬張り詰めた。

背後のドアが開き、白衣を着た職員たちが数名、記録端末を携えて入ってくる。


「帰還報告を受けて分析班が動いてる。すぐに——」

彼の言葉が終わるより早く、モニターの一つが赤く点滅した。

《封印領域に干渉波を検知》

警告音が鳴り響き、制御室全体が淡い橙色の照明に染まる。


「なに——?」レイナが振り向く。

封印ポッドの表面が、わずかに震えていた。

金属の外殻が内側から押されるように歪み、黒い液状の影がじわりと滲み出していく。

「嘘……封印は確かに完了したはず……!」


マナはすぐに前へ出た。

防護ガラスの前に立ち、腰のホルスターから封印ナイフを抜く。

「後退して、レイナ。暴れる気配がある」


「待って、隔離バリアを——」

レイナが指示を出すより早く、ポッド内部から低いうなり声が響いた。

それは音というよりも、空気の振動。言葉を持たない何かの意志。


「——わたしを、だれが」


聞き間違いではなかった。

制御室の全員が息を呑む。

マナの瞳が鋭く細まった。

「喋った……?いや、まさか」


黒い液体が、ポッドのひびからゆっくりと浮かび上がる。

それは煙のようでいて、しかし確かに“形”を求めていた。

指のような影、腕のような影——けれど完成しきらない。


「再収容プロトコル起動!冷却層を再構築しろ!」

職員たちが慌ただしく動き出す。

冷却蒸気が一気に噴出し、封印室が白い霧に包まれた。


マナはその中でじっと動きを見ていた。

黒い影は、まるで彼女を探すように揺らめいている。

霧の向こうで、レイナの声がする。

「——干渉波、消失!再安定化、完了!」


警告灯がゆっくりと消えた。

封印ポッドは再び静寂を取り戻し、黒い液体は中へ吸い込まれるように消えていった。


静まり返った室内で、マナは刃を収め、レイナの方を向く。

「……今の、聞こえた?」

「うん。間違いなく、言葉だった」レイナは震える声で答えた。「“わたしを、だれが”って……」


「封印されていた“それ”が、自我を持っていたということ?」

「あり得ない。あれはただの欠片、のはず……」


二人の間に、沈黙が落ちた。

その沈黙を破ったのは、背後のモニターから流れた別の警告音だった。


《新たな異常反応を検知。セクターB-09、冷却廊下》


職員たちが一斉に顔を上げる。

マナとレイナも同時に振り返った。

マナの表情がすっと引き締まる。

「……まさか、封印の残響が外まで伝った?」


レイナは端末を操作し、監視映像を呼び出した。

モニターに映し出されたのは、誰もいない冷却廊下の映像。

だが次の瞬間、カメラのノイズの中から黒い影が這い出してきた。


影は床を滑るように移動し、やがてカメラの正面で止まる。

レンズ越しに、まるでこちらを見つめているかのようだった。


「マナ……これ、まだ終わってない」

「ええ。封印が“生きてる”なら、私たちが片をつけるしかない」


マナは振り返り、ゆっくりと封印ナイフの柄に手をかけた。

霧の残る封印室に、緊張が再び満ちていく。


異界は終わっていなかった。

その“影”は、現実の中にも確かに根を下ろし始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ