X18.5_TB6 第59話
第零研究機構の上層部はすでに継承され、施設の大部分は地下深くへと広がっている。
天井には白熱灯の代わりに淡白なLEDが整然と並び、壁には人工の窓が埋め込まれていた。
その“窓”に映るのは、灰色の曇り空や森の景色ではなく、プログラムされた映像だ。
昼夜の変化や雨雲の流れもすべて電子信号で制御され、外界とは完全に隔絶されている。
そんな人工光の中、マナはラウンジの椅子に深く腰を下ろし、手元のカップから立ち上る湯気を眺めていた。
「……あぁ、久しぶりに落ち着けるわ」
窓に映る夕焼けをぼんやり見つめる。外の空ではなく、ただの映像だというのに、心はわずかに安らぐ。
レイナは隣のテーブルでタブレットを操作していたが、画面には戦術データや封印解析ではなく、登録していた電子書籍の小説が映っていた。
「つい、戦いのことを思い出してしまうけど……こういう時間も必要ね」
レイナは小さく笑った。マナはそれを見て苦笑する。
「……あんた、たまには肩の力抜けるんだね」
人工の窓の外では、地下施設の換気ファンが低く唸り、小型ドローンが巡回を続ける。
足元の照明は歩行に合わせて柔らかく色を変え、静かな機械音だけが響く。
戦場だった世界の喧騒は、ここではすっかり別世界のものとなっていた。
「今日は、解析とか訓練とか、何もしないの?」
マナが尋ねると、レイナはタブレットを胸に抱え、ゆっくりと首を振った。
「そうね……少しだけ、普通の時間を楽しみましょう」
二人はラウンジを出て、人工庭園へ向かった。
地下空間の一角に作られたその庭園は、人工芝と小さな水流、LEDで作られた空があるだけだが、静かに落ち着く場所だった。
マナは芝生の上に腰を下ろし、天井に広がる人工の空を仰ぐ。
「……星みたいに見えるわね」
「まだ昼前だけどね」
レイナはベンチに座り、マナの横顔を見つめる。
「戦いの後は、こういう静かな時間がありがたい」
マナは手のひらで芝生を撫で、微かに風の音のようなスピーカー音を聞きながら、ゆっくりと息を吐いた。
「ねえ、これからどうなるのかしら」
レイナは目を細め、遠くの人工の空を見つめる。
「……わからないわ。でも、こうして一息つける今の時間を大切にしましょう」
二人の間に、沈黙が静かに広がる。
施設の奥から機械音がかすかに響き、ドローンが通路を巡回し、扉が遠くで開閉する。
外界とは切り離された地下空間――だが、ここでしか得られない日常が確かに存在していた。
マナは立ち上がり、伸びをする。
「……さてと。そろそろ、日常の続きを始めるとしましょうか」
レイナも腰を上げ、タブレットを胸に抱えた。
「ええ。でも今日は、少なくとも一時間くらいは、この平穏を楽しみましょう」
人工の星空の下、二人は小さく笑い合った。
ここは戦いの後に残った、ほんのわずかな“普通の時間”。
外の世界とは隔絶されていても、彼女たちにとっては確かに、帰るべき場所だった。
人工の星空の下、二人は小さく笑い合ったまま施設内を歩き、訓練室へ向かう。
訓練室も地下にあり、窓はなく、壁に映し出される景色は深い森の映像だけだ。
空調の風が微かに肌を撫でる。
「……じゃあ、軽く体動かす?」
マナは手を広げ、深呼吸する。
「久しぶりに、戦闘モード抜きで身体を伸ばすのも悪くない」
レイナはタブレットを端に置き、軽く笑った。
「ええ、でも、私の方は戦闘訓練じゃなくて、単なるストレッチよ」
「……ストレッチって言う割には、いつも結構きついのよね」
マナが苦笑しながら手を伸ばすと、レイナは軽く肩をつかんで修正してくれた。
その後、施設内の食堂で昼食をとる。地下施設にしては珍しく、食堂の天井は高く、LEDライトが柔らかく照らす。
人工の窓には薄曇りの午後の景色が映し出され、まるで外にいるかのような錯覚を与える。
「……この人工の空、毎回思うけど、なんかちょっと騙されそうになるわね」
マナはスープをすする。
「でも、ちょっと安心するのよね。外に出なくても、日常感がある」
レイナは微笑んで頷き、窓の映像を指さした。
「この下に広がる施設の大部分は地下だけど、こうして光や風を感じられる空間を作っておくことで、心理的にも安定するらしいわ」
昼食後、二人は施設内の共用スペースで書類整理や端末チェックを行う。
マナがふとレイナを見やる。
「……ねえ、あんた、いつも真面目すぎるんじゃない?」
レイナは淡く笑い、画面を指でスワイプした。
「必要なことだから。けれど、たまにはこうして冗談も言わないとね」
二人の間に軽い沈黙が流れる。だが、それは緊張ではなく、安心の静けさだった。
地下に閉ざされた世界でも、互いの存在が支えとなる。
午後になり、施設内の図書室へ向かう。地下に設けられた図書室は静かで、人工光に照らされた書棚が延々と続く。
マナは古い戦術書を手に取り、ページをめくる。
「……あぁ、昔の任務の分析とか、こうしてゆっくり読めると、意外と面白いのね」
レイナは隣でデータ端末を操作しつつ、軽く首を傾げた。
「本当に、戦場では読み飛ばしてたのが惜しいと思う瞬間ね」
夕刻が近づく頃、人工窓の空は夕焼けに染まり、温かみのある橙色が施設内に広がる。
マナは窓際に立ち、沈みゆく“夕日”を見つめた。
「……やっぱり、この時間は贅沢だわ」
レイナはそっと背後に立ち、肩に手を置いた。
「ええ、明日もまた、平穏な一日でありますように」
二人は微かに笑い、施設内の人工的な夕暮れの中で、戦いの痕跡を忘れかける。
地下の空間は外界から隔絶されているが、ここでの“日常”が、彼女たちにとってかけがえのない時間になっていた。




