第58話
……潮の音。
風の匂い。
気づけば、マナは砂の上に横たわっていた。
夜の海。崩れた塔の残骸が遠くに突き出ている。
レイナが隣で息を荒げながら、装置の残片を調整していた。
「生きてる……?」
マナの声に、レイナは頷く。
「……封印、確定した。エリシアが自分ごと、核を閉じ込めたの」
マナは立ち上がり、崩れた塔を見つめた。
白い霧が、そこからゆっくりと立ち上っている。
まるで誰かの“呼吸”のように。
「……最後まで、やる奴ね」
マナが苦笑する。
レイナは静かに目を閉じた。
「彼女がいなければ、封印は保たなかった。
でも――これは一時的な安定にすぎない」
「どういうこと?」
「エリシアは、封印の“核”と同調した。
つまり、彼女が消滅した瞬間に、封印も一緒に消える」
海風が吹き抜けた。
塔の残骸の中心――そこに、黒く光る結晶が埋まっている。
まるで鼓動するように、かすかな光を放っていた。
マナが呟く。
「……あれが、彼女の“印”か」
レイナは一歩踏み出し、結晶の表面に触れた。
冷たい。けれど、わずかに脈を感じる。
「彼女はまだ、“封印の中”にいる。
でも、長くはもたない……時間を稼いでいるだけ」
「じゃあ――どうすれば助けられるの?」
レイナは視線を落とした。
「……“同じ構造の封印”を見つけるしかない。
それを繋げば、彼女の存在を他の核へ移せる」
マナは空を見上げる。
星々が、まるで遠くで誰かが泣いているように、震えていた。
「封印って、誰かが犠牲になる仕組みなの?」
「……昔から、そうだった」
レイナの声が風に溶ける。
「けど、私はもう――誰も“鍵”にはしたくない」
その言葉が、静かな波音に消えていった。
夜が明けかけていた。
塔の残骸の中、黒い結晶がかすかに光り、
その表面に――エリシアの笑顔が、一瞬だけ浮かんだ。
***
朝の光は、鈍く曇っていた。
崩壊した封印塔の残骸の向こうで、灰色の海が波を打っている。
金属片とガラスの破片が砂に散り、潮の匂いが満ちていた。
マナは破片を払いながら立ち上がり、風に髪を揺らした。
夜の戦いの痕跡は、まるで幻だったかのように静かだ。
レイナは手元の端末を起動し、通信を試みる。
「――こちら観測班、コード:エイドロン零二。
収容完了……生存者二名、救援要請」
ノイズが短く走った後、男の声が返る。
『こちら本部。回収チームを送る。……よく生きていたな、二人とも』
マナが苦笑した。
「まあ、あんたの冷凍倉庫みたいなポッドのおかげね」
『冗談を言えるなら十分だ。そっちは安定してるか?』
レイナが短く答える。
「封印構造は仮固定。中枢核に意識体の残留反応あり」
『……了解。後続班に解析を回す。帰還後、詳細を報告してくれ』
通信が途切れる。
マナは深く息を吐いた。
海風が冷たく頬を撫で、遠くの水平線の向こうに、黒い転送ゲートが開くのが見えた。
「……帰るか」
マナが歩き出す。
足元の砂に、黒い結晶が埋もれていた。
拾い上げると、光を吸い込むように沈黙している。
彼女はそれを見つめ、ポケットにしまった。
「持っていくの?」
レイナが問う。
マナは小さく頷いた。
「“彼女”の欠片でしょ。放っておけない」
レイナは一瞬、目を伏せた。
風が彼女の銀髪を揺らし、微かな寂寥が滲んだ。
「……分かった。解析は私がやる」
二人は行きと同じく海上輸送機に乗り帰路に就く。
崩れた塔と海は遠ざかっていった。
***
――第零研究機構・地下収容区画。
無機質な照明が、白い壁を淡く照らしている。
封印ポッドが中央に鎮座し、その内部で黒い結晶がゆっくりと脈動していた。
幾つもの管とコードが繋がれ、観測データがリアルタイムで流れていく。
マナとレイナはガラス越しにそれを見つめていた。
管の向こうで、研究主任の男が淡々と報告を続ける。
「封印構造は安定。しかし、波長が変化している。
まるで“外部と同期”しているように見える」
マナの眉が動く。
「……外部?」
主任が表示パネルを指した。
そこには、世界地図の上に複数の光点が浮かんでいる。
「同じ形式の封印反応が、他の地点でも観測された」
レイナが画面を凝視する。
「これは……エリシアの封印と同構造の信号」
「偶然とは思えないわね」
マナが低く呟く。
主任は小さく頷いた。
「次の任務が決まった。君たちは現地へ向かう」
「現地?」
「――旧市街地下層。廃棄された都市インフラの奥だ」
マナは苦い笑みを浮かべた。
「また地下。ロクな思い出がないわ」
レイナは真剣な表情でモニタに目を戻す。
波形の一つが、不規則に点滅していた。
まるで、誰かがこちらを呼んでいるように。
「……“彼女”が導いているのかもしれない」
マナはその言葉に目を細めた。
黒い結晶の中――一瞬だけ、淡い光が灯った気がした。
まるで、誰かの“心臓”が再び脈打ったかのように。




