第56話
焦げた鉄とオゾンの匂いが、収容区画の空気に重く滲んでいた。
床には裂け目が走り、かつて封印陣があった部分は黒く焦げている。
けれど、中心の“核”――黒い球体だけは、未だかすかに光を脈打っていた。
「……制御波、完全に消えてる」
レイナが端末のスクリーンを覗き込みながら呟く。
データ列は乱れ、通常の数値ではなく奇妙な記号の羅列に置き換わっていた。
「これ、コードじゃない……“文字”だ」
マナが眉を寄せる。
「読めるの?」
レイナは首を横に振る。
「少なくとも、私たちの体系じゃない。誰かが内部構造を書き換えた形跡がある」
その会話の傍らで、エリシアは静かに床に膝をついていた。
封印の残滓に指を滑らせ、微かな光をすくうように手を上げる。
「……まだ、生きている」
彼女の声は、どこか祈りにも似ていた。
「封印というより、“生体”に近い構造。あなたたちの技術と、こちら側の理が混ざっている」
マナが短く息を吐く。
「つまり、誰かが手を加えた……?」
エリシアは無言で頷く。
彼女の瞳の奥で、淡い光が揺れた。
「この封印は、私の世界にも似た構文を持っている。
けれど、それがここにある理由は──本来、あり得ない」
レイナが振り向く。
「じゃあ、誰がこんな干渉を?」
沈黙。
わずかな間を置いて、エリシアは言葉を選ぶように口を開いた。
「……“向こう側”の誰かが、干渉したのかもしれない」
「向こう側、って……異界のこと?」
マナの声に、エリシアは目を伏せる。
「正確には、“あなたたちの世界と私たちの間”にある層。
観測されない、けれど確かに存在する空隙。
そこに潜んでいる意志が、この封印に――“指”を伸ばした」
「意志?」
マナの背筋を、冷たいものが這い上がる。
エリシアは床に残った焦げ跡をなぞり、そのまま立ち上がった。
「封印は“彼ら”の侵入を拒むために作られた。
けれど今は、内側から喰われつつある」
レイナの表情が固まる。
「……じゃあ、この崩壊は偶然じゃない」
「ええ。封印そのものが“狙われている”」
静寂が落ちる。
機械の警告音だけが、遠くでかすかに鳴り続けていた。
マナが拳を握りしめる。
「どうすれば止められる?」
エリシアはゆっくりとマナを見つめ、静かに答えた。
「この世界に散らばる“封印核”を探して。
それらがひとつに共鳴すれば、完全な崩壊が起こる。
けれど、同時に――閉じるための道も現れる」
「つまり、時間との勝負ってことね」
マナが苦笑混じりに言う。
レイナは腕を組み、視線を封印ポッドへ戻した。
「封印核の位置を特定する。……けど、情報が足りない」
エリシアが静かに歩み寄り、彼女の端末に触れる。
指先から微かな光が流れ込み、乱れていたデータが整列していく。
「あなたたちの技術と、私の理を重ねれば、見えるはず。
“裂け目”は、すでにいくつか開いている」
スクリーンに、赤い点が浮かぶ。
そのひとつは、都市の地下。
もうひとつは、遠く離れた海上の孤島。
そして最後の一点は――エイドロン本部の直下だった。
「……なに、これ」
レイナの声が震える。
エリシアは目を閉じた。
「世界の裏側が、あなたたちを見ている」
空気が止まり、蛍光灯が明滅する。
光が一瞬落ち、暗闇の中で誰かの声が響いた。
――『還セ、封印ヲ』
耳鳴りのような低い囁き。
マナが反射的に銃を構える。
「今の、聞こえた……?」
レイナが頷く。
だが、エリシアだけは静かに瞳を閉じ、微かに呟いた。
「……また、呼んでるのね」




