第52話
セリーヌの姿が光の中で薄れていく、その直前。
彼女はふと動きを止め、懐から例の古びた鍵を取り出した。
「……レイナ」
名を呼ばれたレイナが警戒を解かぬまま、わずかに眉を動かす。
セリーヌは鍵を見つめ、静かに息を吐いた。
「これは星の図書館を開くための唯一の鍵」
「……どういう意味」
マナが問いかける。
「あなたに貸したげる。……きっとあなたなら」
セリーヌは視線をレイナに据える。
「感情に流されず、見極められる」
レイナの銀の瞳がわずかに揺れる。
「わたしに……これを?」
「冷たいほどに理を選ぶ、その眼。マナを守りながらも、真実を斬る覚悟を持つ者」
セリーヌの声は確信に満ちていた。
「だから、この鍵はあなたに」
そう言って、セリーヌは星の鍵をレイナの掌へと押し込んだ。金属の冷たさが、まるで運命そのもののようにずしりと重く響く。
「……」
レイナは言葉を失い、ただ黙って鍵を握りしめた。
セリーヌは微笑を浮かべ、最後に囁く。
「選びなさい。真実を開くか、封じたままにするかを」
そして光に包まれ、その姿は完全に消えた。
残されたのはマナとレイナ、そして手の中の冷たい鍵。
マナは苦々しく舌打ちを漏らす。
「余計なもんを押し付けてくれる……」
レイナは鍵を見つめたまま、短く答える。
「……受け取った。なら、守る」
その直後だった。
耳の奥をつんざくようなアラームが鳴り響く。
二人の携帯端末に、緊急任務の指令が走った。
《エイドロン・第零研究機構》
――収容封印区画に異常発生。対象は危険度レベル5。即時対処を要請。
マナの瞳が見開かれる。
5――それは最高危険度。通常のオブジェクトではありえない。
レイナが視線を上げる。
「場所、収容棟地下……第七隔離室」
マナの心臓が跳ねる。
あそこには――。
「……右腕が」
言葉にした瞬間、背筋に氷の刃を突き立てられたような寒気が走った。
ノクティリアの封印の断片。それが、いま暴れ出している。
レイナは迷わず歩き出した。
「行く。マナ」
マナも後を追い、拳を強く握る。
「……逃げられないよね」
夜の路地を駆け抜け、二人はエイドロン本部へと走った。
その胸には、恐怖と、避けようのない因果が重くのしかかっていた。
***
第七隔離区画に到着したのも束の間――
轟音。
厚い防壁が内側から弾け飛び、熱風が吹き抜けた。
白い煙と粉塵の中から――黒いフードの影がゆっくりと歩み出てくる。
「誰……?」
声が震えた。
その存在は、ただ“人”というよりも、空気そのものを歪ませている。
冷たい、けれどどこか懐かしい感覚。
レイナが短く指示を飛ばす。
「マナ、下がって」
「だ、だいじょ……」
言いかけたその瞬間、影が手をかざした。
封印ポッドの表面に、走る光のひび。
レイナの目が見開かれる。
「封印が――解除されていく!?」
マナは思わず前へ出た。
「なにしてんのよ、それ触っちゃ――!」
警告音が連続して鳴り、封印の魔方陣が崩壊する。
そして、ガラスの中に眠っていた“右腕”が宙に浮き上がった。
まるで、呼ばれるように――影の手の中へと吸い込まれていく。
「だ、駄目っ!」
マナは走り出した。
光の破片を踏み越え、伸ばした手は――空を掴む。
その時、影が低く囁いた。
「……ノクティリアは、ここにはいない」
耳に刺さるような声。
聞き覚えがある。
マナの胸がぎゅっと締め付けられた。
「……その声……」
黒いフードがわずかに動いた。
覗いた瞳は、血のように紅い。
「マナ。あなたが“生きてる”のは――この右腕のおかげだよ」
マナの唇が震えた。
「……っ、あなた……!?」
レイナの端末が光を放つ。
「教授、捕縛フィールド展開!」
しかし黒フードはふっと微笑んだ。
「まだ早い。――“彼女”が戻るまでは」
その声が消えると同時に、床下が光った。
魔法陣。
封印陣を逆流させるようにして、空間が揺らぐ。
「警告――第六隔離区画、オブジェクト封印解除!」
レイナの顔色が変わる。
「まずい……あそこには“虚喰いの球体”が……!」
黒い闇が、封印槽の中から滲み出した。
空気が一瞬で凍りつく。
光が吸い込まれていく。
壁が、床が、音もなく“食われて”いった。
マナは立ち尽くした。
「なに、これ……!」
虚喰いの球体が浮かび上がり、空間を歪める。
その中心に、マナツが立っていた。
髪とフードが風に舞い、紅い瞳がこちらを見据える。
「ごきげんよう、お姉さま」
「待って、マナツ!」
マナの叫びは届かない。
黒い裂け目が開き、マナツの姿を呑み込んでいく。
レイナが障壁を張り、マナを庇う。
轟音。
白い閃光とともに、虚喰いの球体が爆ぜた。
区画の半分が崩壊し、重い沈黙が残る。
マナは膝をつき、震える声で呟いた。
「……右腕、奪われた……」
レイナが短く頷く。
「マナツはノクティリアの復活を狙ってる。
“欠片”を、全部集めるつもり」
赤い警報灯がゆっくりと回転し、二人の影を照らす。
マナは唇を噛み、顔を上げた。
その瞳に、涙とも怒りともつかぬ光が宿る。
「……だったら、止める。
あたしが――“あの子”を」




