X02_WR 第4話
薄曇りの午後。
書斎の窓辺には風に揺れるカーテンの影。部屋には紙の匂いと古いインクの香りが漂っていた。壁一面の本棚の中には、読みかけの書物や厚い原稿束が無造作に積まれている。
そんな静けさの中、不意に現れた少女は、まるで童話から抜け出してきたかのようだった。
青いフリルのドレスに身を包み、金色の髪をゆるやかに揺らして、彼女は紅茶の湯気のように現れる。
机に向かっていた男──通称“先生”は、万年筆を止めて眉をひそめた。
「先生。私と取引しましょ」
「断る。お前と取引するメリットがない」
「まあ、内容を聞く前からそれは酷いわ」
少女は唇を尖らせ、軽くスカートの裾を揺らす。まるで劇の幕が上がったような芝居がかった動き。
「聞くことを断る。第一、ここに来ていいなんて許可を出した覚えはない」
「先生ったら酷いわ。あんまりよ。よよよ……」
「よよよじゃない。わざとらしく気を引くな、鬱陶しい」
先生は溜め息をついて、片手で額を押さえる。少女の足元では、縞模様の猫が欠伸をしながら寝返りを打った。
「先生が話を聞いてくれないから仕方ないじゃない。こうなったら──お父様に報告するしかないわ」
「その“お父様”の許可は貰ってここに来ているんだろうな?」
「そんなものは事後承諾で充分よ」
「それで怒られるのは俺だってことを忘れてないか」
「先生は大人なんだから、へっちゃらでしょ?」
「大人の方がキツいことの方が多いんだがな。……それに、大人はガキになんて興味がないってことも忘れているようだな」
「そう言いながらも、今書いてるのは“童話”なんでしょう?」
少女はくるりと回りながら、机の上の原稿用紙をのぞき込む。そこには、歪な時計塔と、不思議な言葉で構成された物語の一節。
「さあな。……いいからその猫と一緒に帰れ」
「取引してくれるなら応じましょ」
「……あー、わかったわかった。その取引内容とやら、とっとと話せ」
少女は口元に笑みを浮かべ、青いリボンの奥から何かを取り出した。
「そうね。――――」
***
作戦室にて、いつものように無機質な白光灯が天井から降り注いでいた。
その下、ナギサはデスクに肘をつき、マナとレイナに向けて静かに言葉を紡ぐ。
「先日はご苦労様だった。やはり君たち以上の適任はいないという私の人選に誤りはなかった」
「嫌味かしらそれは。いつも面倒ばっかり押し付けて」
マナが腕を組んで不満げに口を尖らせる。だが、隣に立つレイナがすかさずたしなめた。
「マナ。口を謹んで」
「構わないよ。実際君たちに負担を強いているのは事実だ」
ナギサは苦笑しながら、それでも穏やかに返した。
「で、あの子たちどうなったの?」
「君たちの報告通りに引き離すことなく収容している。安心したまえ」
「面会は?」
「今は無理だ。イチカ、だったか。彼女の経過が安定すれば掛け合おう」
「了解しました。ところで今回呼び出された理由を聞かせてください」
レイナが一歩進み、表情を引き締めて問いかける。
ナギサは手元のコンソールに指を滑らせた。
スクリーンに映し出されたのは、昼下がりの駅前広場。人波に紛れて、ある映像が再生され始める。
街頭カメラだろうか、解像度はあまりよくはないがとある駅前の画像が表示された。
「今回は、この少女の確保だ」
映像の中、雑踏をかき分けるようにして走る三人の姿が確認できた。うち一人、少女が明らかに追われている様子だった。
「めっちゃ厄介事じゃない」
マナが呆れ気味に吐き捨てる。
「問題はここからだ」
ナギサが再生速度を落とし、映像をスローに切り替える。
追い詰められた少女が、あと一歩で捕まる──という瞬間、ふっとその姿が消えた。
「……いま、消えた?」
「その通りだ。残された二人は周囲を探しているが、見つけることはできなかった」
「オブジェクトを一般人が持っている可能性がある、ということですか?」
「現在が調査中だが、君たちには先行して回収を行ってほしい」
「無茶言わないでよ。消える人間なんてどうやって捕まえろっていうのよ?」
マナが苛立ちをあらわにするが、ナギサは冷静に応じた。
「心配はいらない。スマートフォンのGPS信号を特定済みだ。君たちの端末から追跡可能にしてある」
「……ということは、瞬間移動のように見えた現象は──?」
「空間跳躍ではなく、時間移動と判断している。ただ、どのような装置・技術によるかは不明だ」
「それでも、私たちじゃ確保は難しいと思うけど」
「レイナ。君は?」
レイナは短く息を吐き、少し考え込んだ後、静かに答えた。
「ひとつだけ、策があります」
「そうか。それなら任せよう。よろしく頼む」
***
「で、策って何よ?」
現場に到着した二人は端末のGPS信号に向かいながら走っていた。
「彼女の能力は、おそらく10秒前後の短時間の時間停止。GPS信号から見るに、停止中も位置は記録されている。
つまり、空間的には存在しているということ」
マナが腕を組む。
「だったら、止まってる間に捕まえればよくない?」
「無理。時間が止まっている間、私たちは彼女に接触できない。ただし──時間停止には限界がある」
「クールタイム?」
「そう。彼女が次に停止を使うまでの“スキ”が必ずある。そのタイミングで接触すれば確保できる可能性が高い」
「でも、どうやって?動き出した瞬間なんて、目視でわかんないわよ」
レイナは端末を操作し、GPSの移動履歴をマッピングする。
「彼女はGPSで追っている限り、止まる場所にある程度の傾向がある。おそらく安全なルートを選んでる。
次に出現する地点は、ここと推定される」
「じゃあ、そこで待ち伏せすれば?」
「単純な待ち伏せでは逃げられる。彼女は危険を察知すれば即座に再発動する」
レイナはさらにコンパクトなドローン型センサーを取り出す。
「そこでこれを使う。彼女が時間停止を解除した瞬間、微細な空間振動と体温変化が生じると思われる。
複数台でエリアを囲み、それを検出できるようにする。感知したらマナ、あなたが最速で接触して」
「突撃係はやっぱり私なのね」




