第30話
忍者少女が狼少女にささやく。
「……あれ、殺せると思うか?」
狼少女は片眉を上げ、牙を舐める。
「試す前に、まず生き延びる算段だろ」
そして――天井を割るように異界の波が落ちてきた。
マナの覚醒は、戦場をただの戦闘区域から、異界そのものへと変えていく。
――赤色灯の点滅が、異界の海と現実の廊下を交互に浮かび上がらせる。
その境界線はもう曖昧で、足元の金属板すら水面のように歪んで見えた。
狼少女が低く唸り、足裏で床を蹴った。
瞬間、灰色の影が獣のような軌跡を描き、マナの懐へと滑り込む。
忍者少女は逆方向から壁を蹴り、背後へと回り込む。
二人の息は、まるで長年の戦友のようにぴたりと合っていた。
「いける――ッ」
狼少女の爪がマナの頸動脈を狙う。
同時に、忍者少女の短刀が背中の急所へ走る。
しかし。
「――遅い」
その声が誰のものだったか判別する前に、二人の視界が反転した。
マナは一切動いたように見えなかった。
だが次の瞬間、狼少女の腕は捻じ曲げられ、忍者少女の短刀は刃先から半分消えていた。
消えた金属はどこにも落ちず、空気に溶けるように消滅していく。
「……ッ、腕が……重い……!」
狼少女の腕に黒い紋が浮かび、血管の中を異界の液体が逆流するかのように蠢く。
忍者少女は刃を手放し、即座に後方へ跳躍したが、その足首に冷たい水の感触がまとわりついた。
視線を落とすと、廊下の床が波打ち、黒い水面が膝まで迫っている。
「やべえ……これ、空間が……!」
狼少女の声が途切れる。
レイナが必死に叫ぶ。
「マナ、戻って!それ以上は――!」
だがマナは振り向かない。
瞳の奥にはレイナの姿など映っていない。
見えているのは、もっと深い場所――海底の、光なき神殿。
その中でうごめく影が、マナの口角をわずかに吊り上げさせた。
モニター越しのアリスが、小さく呟く。
「……この程度じゃ、まだ足りないわね」
異界の波が一気に膨張し、廊下全体が水没するように暗転した。
次に光が戻った時、狼少女と忍者少女は壁際へ吹き飛ばされ、息を荒げながらも必死に立ち上がろうとしていた。
その中央に、マナが静かに立つ。
背後には、目を閉じた巨大な影――この施設に存在しないはずの“何か”が、ゆらゆらと揺れていた。
警報音が鋭く鳴り響くエイドロンの地下収容区画。その狭い空間に、水のように揺らめく異界の波動が充満していた。マナの背後で異様な影がうごめき、まるで異界そのものが彼女の中で形をとっているかのようだった。
狼少女が苦しげに息を荒げ、爪をぎりぎりと床に叩きつける。「くそ……この感覚、やめてくれ!」
忍者少女も短刀を握り締めながら、「異界の裂け目が拡大している…このままじゃ逃げ場がない!」
だが、マナの瞳は異界の層を透かして見通し、敵の動きを二重に捉えていた。彼女の視界は通常の世界と異界が重なり、狼少女の動きの物理軌跡と異界軌跡が交錯している。マナは冷静に計算し、次の瞬間、空間を裂くように指先を動かす。
「行くわよ!」
裂け目から手招きする異界の力が現れ、狼少女の足元の床がわずかに裂けた。狼少女は焦って跳び上がるが、裂け目の向こうから伸びた異界の触手が足を絡め取る。
「なにこれ……!?」狼少女が驚愕の声を上げた瞬間、マナは呪文のように囁く。
「巫女の命令――従え」
周囲の異常存在たちが一瞬凍り付き、マナの意思に引き寄せられるように動きを止めた。
忍者少女は息を整え、壁を蹴って背後から飛びかかる。だが、マナはすばやく異界の裂け目を閉じ、忍者少女の突進を寸前で遮断した。
「無駄よ、今のあなたたちは私の敵にすらなれない」
レイナは遠くからその様子を見つめ、焦りを押し殺して叫んだ。
「マナ、やめて! 戦い方を間違ってる!」
マナは振り返ることなく答えた。
「私には、これが必要なの。あなたにはわからない」
モニタールームのアリスが薄く微笑んだ。
「歯車は着実に回り始めた。過去も未来も、いまや私の掌の中に――世界の境界線は消え去るだろう」
地下収容区画の金属製の壁が、異界のエネルギーに共鳴して微かに震え、非常灯の赤い光が不規則に点滅している。警報音が耳を刺す中、マナは異界の視界で敵の動きを読み切ろうと集中していた。
忍者少女が「影の刃」を振るいながら、薄い異界の裂け目からすっと飛び出す。刃はまるで空気を切り裂くかのように、素早くレイナの肩を狙った。
だがレイナは咄嗟に体をひねり、鋭い蹴りを忍者の胸に叩き込む。衝撃で忍者は壁に弾き飛ばされるも、すぐさま壁を蹴って跳躍し、異界の裂け目へと消えた。
「厄介な奴だ……また来るぞ!」レイナが叫ぶ。
その隙をついて、狼少女は壁を蹴り天井へと飛び上がり、異界的な四肢の動きで天井を駆け回りながら、爪を振り下ろす。爪は金属製の床を激しく引っ掻き、火花が散った。
マナはB-タブレットの効果を感じながら、両手を空に掲げる。異界の層が重なる視界で、敵の動きが通常軌跡と異界軌跡の二重に見える。
「空間裂く!」マナが叫び、掌から裂け目が広がり、狼少女の爪が振り下ろされる瞬間、その攻撃を別の空間へ逸らした。
狼少女は混乱するが、すぐに追撃を試みる。
その時、マナは声を張り上げる。
「異界の声よ、我に従え!」周囲の異常存在が一瞬ざわめき、狼少女の動きを一時的に鈍らせた。
レイナは息を切らしながらも、折れた鉄パイプを手に取り、忍者が裂け目から再び姿を現した瞬間を狙う。
「来るな!」レイナが鉄パイプを振るい、忍者の肩に直撃。忍者は呻き声を上げるも、薄い裂け目を駆けてまた消えた。
「まだだ……終わらせない!」マナが走り出し、B-タブレットの効力が切れる寸前で、体中に異界の力が炸裂。視界はさらに深く二重化し、異界と現実の境界が薄れる。
狼少女が激しく吠え、壁を叩いて反撃を仕掛けるが、マナは新たに裂け目を生み出し攻撃を逸らしつつ、レイナのもとへと向かった。
「このままじゃ……持たない!」
「もう少し、あと少しだけ耐えて」
だが、戦いはまだ終わらない。アリスの冷ややかな笑みが、モニタールームの闇の中で静かに輝いていた。
異界の力が暴走し、マナの体からは淡い緑色の光が漏れ出す。彼女の視界は完全に二重化し、現実世界の金属質な冷たさと異界の深淵が交錯した。
レイナは息を切らしながら、倒れ込んだパイプを握り直す。だが、その表情は焦りと覚悟に満ちていた。
「マナ!まだ保ってる? B-タブレットの効果は?」
「……あと数秒。切れたら、私、制御できなくなるかも」
突然、忍者少女が異界の裂け目から鮮やかに姿を現す。彼女の瞳は鋭く、刃物のように冷たい。
「お前らの抵抗もここまでか……」忍者少女が冷笑し、素早く襲いかかる。
レイナはとっさに体をかわしつつ、近くの照明パネルを蹴り飛ばし、強烈な閃光で忍者少女の視界を一瞬奪った。
その隙にマナは意識を集中し、裂けた空間を引き裂く術式を放つ。
「裂けよ……!」
空間が割れ、忍者少女は突如現れた異界の裂け目に呑み込まれそうになるが、寸前で手を伸ばし、異界と現実の境界にしがみつく。
「まだ終わらん!」
一方、狼少女は異界の軌跡を生かし、天井から猛烈な勢いで降下してきた。爪が冷たい金属の壁を掻き裂き、火花を散らす。
マナは裂け目の端から足を踏み出し、異界の力を帯びた掌で狼少女の胸元を打ち据えた。
「感じろ、私の力を!」
攻撃は狼少女の異界的な防御膜を一瞬で破り、彼女を壁へと叩きつける。
狼少女は呻きながらも、再び四肢を伸ばして壁を蹴り、宙を舞いながら冷酷な笑みを浮かべた。
「まだまだだよ、異界の力だけじゃ、私たちは倒せない」
レイナは苦しげに立ち上がり、倒れたパイプを再び手に取る。
「マナ……私が背中を預けるから、あんたはその力を信じて!」
マナは力強く頷き、二人は背中合わせで戦い続ける。エイドロンの冷たい地下収容区画に、絶望と希望が交錯する激闘の火花が散っていた。
冷たい金属の壁に響く重低音の衝撃波。マナは異界の視界が二重に重なる中、敵の動きを鋭く見極めながら、全力で戦い続けていた。狼少女の爪が空を切り、忍者少女の身体が異界の裂け目から滑り出る。激しい攻防の中、彼女たちの息遣いが、わずかな隙間を生む。
「今だ!」レイナが叫び、耐えきれずに片手でパイプを振り上げる。マナは異界の力を掌に集め、空間を裂く。裂け目が瞬間的に広がり、狼少女の動きが鈍る。その隙にレイナの一撃が狼少女の肩を打ち砕き、彼女は苦痛の呻きを上げて倒れ込んだ。
忍者少女は鋭い目で二人を睨み、裂け目の端から異界の刃を飛ばす。だがマナはその攻撃を空間操作で逸らし、異界の命令を発動。周囲の異常存在が一瞬だけその動きを止め、忍者少女の動きを封じ込めた。
「終わりよ!」マナの声に呼応するように、空間の裂け目が忍者少女を飲み込み、彼女は悲鳴を上げて消えていく。
激闘の果てに、二人は倒れ込む。レイナはマナを支えながら静かに言った。
「これで……一段落だな。」
マナは疲れ切った笑みを浮かべ、「でも、これが終わりじゃない」と呟いた。
暗いモニタールームで、アリスは冷たい微笑みを浮かべながらスクリーンを見つめていた。
「全ては計画通り。さあ、次の手を打つ時が来たわ……」




