第29話
金属扉が重く閉じる音が、地下深くで低く響いた。
マナは片手で黒い戦闘用ジャケットのファスナーを引き上げると、壁際に立てかけられていたアサルトライフルを軽やかに拾い上げた。
レイナも無言で、背中のホルスターから独特の形状をした光学兵装を引き抜く。その銃口は細く長く、構造の一部が微かに発光している。通常の兵器ではなく、異常存在に対抗するための「専用仕様」だ。
シェルターの鉄扉が低く唸る音を立てながら開き、ひんやりとした通路の空気が押し寄せる。
空調は既に停止されているらしく、わずかに金属とオゾンの匂いが混じって鼻を突いた。非常灯だけが一定間隔で点滅し、赤い光が二人の顔を交互に照らしては闇に沈めていく。
「三個中隊って言ってたわね。」
レイナの声は低く、感情を削いだように落ち着いている。
「PMCと異常存在の混成。正面突破は得策じゃない。」
マナは肩越しに彼女を振り返ると、唇の端を吊り上げた。
「だからこそよ。正面をぶち抜けば、残りは混乱して自滅する。」
その目には、迷いも恐怖もなかった。むしろ、楽しんでいるような光が宿っていた。
二人が歩を進めると、通路奥の防爆シャッターが開き、上層へ通じる昇降リフトが現れる。
足元のグリッド床から低く唸る機械音が響き、油の匂いが漂う。
レイナが制御パネルに手をかざすと、虹色のホログラムが浮かび上がり、暗号化された起動コードが自動入力されていった。
「……ここの制御系、教授が既に外部遮断してるわね。」
「つまり、敵にはここの動きは筒抜けじゃないってこと。」
マナは短く息を吐くと、銃を構えてリフトに乗り込んだ。
リフトが静かに上昇を始めた瞬間、足元からわずかな振動が伝わってきた。
遠くで爆発音が響き、上層の壁面を走る警告灯が狂ったように点滅を始める。
天井の隙間から降り注ぐ細かな砂埃が、赤い光に照らされて舞う。
「もう始まってるみたいね。」
「遅れたら、全部灰になるわ。」
マナは静かに息を整え、手にした対物ライフルの冷たさを感じながら狙いを定めた。彼女の瞳は鋭く、吸血鬼としての感覚が全身に漲っている。心拍は冷静に抑えられているが、体内では熱く激しい闘志が燃え上がっていた。
「…来る」
壁の向こうから忍び寄る影が視界に入る。すぐに銃口が二人を狙うが、レイナは冷静そのもの。壁際の遮蔽物から瞬時に身をかわし、銃口から引き金までの動きを余すところなく読み取り回避していく。
マナは鋭い叫び声を上げ、ライフルの引き金を引いた。
「狙い撃つ」
銃弾が凍てつく空気を切り裂き、忍者少女の身をかすめる。だが忍者は軽やかに跳躍し、紙のように薄い異界の裂け目から背後へと姿を消した。
その直後、狼少女が冷たい金属の壁を駆け上がり、天井を跳躍してマナの上空から襲いかかる。鋭い爪が空気を切り裂き、弾丸のような速さで振り下ろされる。
「ぐっ!」
マナは寸前で身をひねり、爪をかすらせながらも深い傷を負う。だが、吸血鬼の驚異的な再生力と闘志でそれは些細な傷に過ぎなかった。
「まだまだ…!」
再び銃口を構え、マナはその場から跳躍。銃弾を受けるも怯まず、相手に向かって容赦なく反撃を繰り返す。撃った人間は次々と倒れていき、血と煙が立ち込める。
一方レイナは、周囲の動きを注意深く見定めながら、壁や鉄製の盾に身を隠しては対物ライフルの狙撃を回避しつつ、時折見える敵の隙を突いて冷静に一発一発撃ち込んでいく。
「…あれは…」
レイナが呟く。残る敵は二人、そのうちの一人は見覚えのある顔だった。
「忍者…リンか」
マナは眉をひそめながら、銃撃の合間に呟いた。
「久しぶり、って程でもないけど。面倒な依頼を受けちまったな」
レイナは静かに銃口を向けつつ答えた。
「私もいる。投降するなら今だ」
リンは冷たい視線を二人に向け、嘲るように笑った。
「二対二なら大丈夫だと思った?甘いわよ」
狼少女も低く唸り声をあげながら背後から忍者を庇う。
「どっちも相手にするなんて無理に決まってるじゃん。あの対物ライフル平気で撃つし、銃弾くらいじゃひるまないんだ」
マナは低く唸るように返す。
「銃弾くらい、止めてみせるわ」
リンは微笑みを浮かべ、少しだけ距離を置いて構え直す。
「投降?そんなつもりはないわ。さあ、始めましょ」
だが、次の瞬間、レイナが素早く銃弾を放つ。弾丸はリンの目前にいた死体と入れ替わるように彼女の姿をかき消した。
「ふっ…」レイナの冷たい声が響く。
続けて狼少女に向けて銃弾が発射される。
しかし、少女は腕を伸ばし、まるで盾のように銃弾をはじき返した。
「うわぁ」マナは苛立ちをにじませ、声をあげる。
「せめて電磁加速砲でも持ってくればよかった」
「それ撃たれたら私も塵になるんですけど」
「持ってくればよかった」
「レイナさん?!」
マナの言葉にレイナは微笑んで答えた。
「余裕ぶってられないけど、こうでもしないと勝てないわ」
戦場の熱気に満ちた空気が、さらに重く濃くなっていく。
レイナは瞬時に背後の気配を感じた。空気が切り裂かれるような音。
反射的に腰を落とし、右へ跳ぶ――その頭上を、漆黒の影が飛び越えた。
着地したのは、顔の半分を覆う布、闇に溶ける忍び装束の少女。
彼女の腰には短刀が二本、背には奇妙な湾刀。
目は笑っておらず、呼吸音さえ抑え込まれ、気配は次の瞬間には消えていた。
マナは背中合わせにレイナと位置を取る。
レイナは左手にB-タブレットを握り、右手には携行ブレード。
忍者少女の動きは視覚的追尾を許さない。対して狼少女は真正面からの速度と膂力で押してくる。
互いに役割を補完する、最悪の連携だ。
狼少女が低く吠え、アスファルトを蹴る。
その動きは直線ではなく、獲物を翻弄する獣特有のジグザグ。
同時に、マナの視界の端から忍者少女の影が滑り込み、死角から刃が閃く。
「レイナ!」
マナは咄嗟に吸血鬼の反射速度で刃を受け流し、肘打ちを放つ。
しかし忍者は水煙のように消え、背後に再出現していた。
その間にも狼少女の爪がレイナの胸元を狙って振り下ろされる――
金属音。
レイナはライフルを盾代わりに受け止め、衝撃で膝が沈む。
爪の先端が火花を散らし、空気が焦げる匂いが漂う。
狼少女の力は、並の防弾装備では一撃で粉砕するだろう。
「……マナ、あれは真正面じゃ削りきれない」
「わかってる。じゃあ、片方ずつ潰す」
マナは忍者の姿を視界から外さないように、じりじりと円を描く。
レイナは逆に狼少女を引きつけ、通路の奥へと誘導する。
この戦場は広すぎる――二人は無意識に、狭所に持ち込む戦術を選んでいた。
狼少女は唇を吊り上げ、牙を覗かせる。
その瞬間、忍者少女が低く囁いた。
「……首、もらう」
次の瞬間、四方八方から殺気が収束した――。
地下収容区画・非常灯の赤が明滅する
低く唸る警報音が、金属壁を震わせる。
エイドロンの地下収容区画は、ただでさえ無機質で冷え切っているのに、今は更に冷たく、息すら白く曇るほどの異常寒気が漂っていた。
天井の非常灯は赤く明滅し、その一瞬ごとの影が壁に長く引き伸ばされ、歪み、別の形へと変わっていく。
マナとレイナは、収容室前の狭い通路に立っていた。
狼の低い唸り声と、金属を爪で引っかく甲高い音が交互に響く。
次の瞬間、壁面を逆さまに駆ける影が視界を横切った。
「来る…!」
レイナが短く叫んだ刹那、鉄格子が破られ、灰色の毛並みを持つ狼少女が飛び出してくる。
四肢は常人より長く、異界的に歪んだ関節が蛇のような動きを生み、天井を駆け、壁を蹴り、通路を縦横に跳躍する。
「おいおい、走り方おかしいだろ、アンタ!」
裂け目から忍者装束の少女が、紙を裂くように空間を割って出現する。
その顔には余裕の笑み。
「速さだけじゃ勝てねぇぞ、ワン公!」
「うるさい。今度こそ、アンタの首を噛みちぎる」
狼少女は歯を剥き、返す爪が壁を切り裂いた。
二人の異常存在が、互いを牽制しつつ、同時にマナとレイナへと視線を向ける。
その緊張は、まるで檻に放たれた猛獣二匹の睨み合いに、素手で放り込まれた人間の感覚に等しかった。
アリスの干渉
その時――。
天井のスピーカーが、ノイズ混じりの甘い声を流す。
『――マナ。あなたに、贈り物を』
不意に、腰のポーチに入れていたB-タブレットの錠剤ケースが微かに震えた。
カチリ、と内部で何かが割れる乾いた音。
手に取った瞬間、それは淡く赤黒い光を放ち、形がわずかに変質していた。
アリスが「ジャバウォックの心臓」と呼んでいた禁制の異界部品――それが、錠剤を媒介に干渉している。
マナの視界が一変した。
赤い非常灯の明滅が止まり、代わりに、幾重もの異界の層が透けて見える。
壁の向こうに脈動する黒い脈管、天井を走る光の触手、足元を蠢く影の川。
狼少女の輪郭は獣と人間が同時に存在する二重像となり、忍者少女は切れ目だらけの紙人形のように見えた。
「――これが……」
マナの声は低く、別の何者かが重ねて喋っているように響いた。
戦闘の激化
狼少女が異界の壁を蹴って迫る。
忍者少女は裂け目の中へ一瞬身を消し、背後に回ろうとする。
レイナが叫ぶ。
「マナ、集中して!あれ、ただの幻覚じゃない!」
マナは異界の層を利用し、狼少女の軌道を読み、左腕で受け流す。
その瞬間、肩口に鋭い痛み――背後から忍者少女の短刀がかすめた。
「ほらほら、反応できるか?」忍者少女が挑発的に笑う。
「黙れ……!」マナが唸り、異界の波を纏った蹴りを放つ。
衝撃が通路の壁をひしゃげさせ、忍者少女は裂け目に飛び退いた。
狼少女はその隙を突いてマナに飛びかかるが、マナの瞳は異界の巫女として完全に開かれていた。
手刀が空間の裂け目を切り裂き、狼少女の右腕が揺らぎ、毛並みが一瞬だけ消える――異界的構造が削がれていく。
「クソッ……!」狼少女が唸る。
「おっと、まだ終わってないぜ」忍者少女が笑い、また紙の裂け目から飛び出す。
モニタールームのアリス
その頃、別区画の監視室。
アリスは、足を組んでモニター群を眺めていた。
瞳は冷たく、唇にはうっすらと笑みが浮かぶ。
「……ようやく駒が揃った」
その声は、異界の神の意志が混ざったかのように、低く響いた。
――金属の床に散らばったB-タブレットは、赤色灯の明滅に合わせて銀色の反射を繰り返す。
その小さな光の粒が、やがてマナの足元で黒く溶け、霧のように揺らぎ始めた。
「……ッ」
マナの呼吸は浅く、だがその瞳孔は異様なほど開いている。虹彩の色が波のように変わり、深海の闇に灯る燐光めいた光彩が瞬く。
背後で、空気が圧縮されたように沈黙が落ちる――そして次の瞬間、周囲の景色が裂けた。
視界の端から端まで、現実の壁に異界の海が重なって押し寄せてくる。
青黒い波は無音で天井へと逆流し、その中に沈む星々が脈動するたび、マナの髪が水中のように揺れた。
「はっ……こりゃあ、本物の“化け物”だな」
狼少女が牙を見せ、だが笑みの奥には明確な警戒があった。
忍者少女は一歩も動かず、手裏剣を構えたまま目だけで異界の波を追う。
「……狙うなら、今はやめておけ。あの目は、獲物を見ていない」
マナが一歩、前へ。
足が床を踏みしめるたび、鉄板が低く鳴き、ひび割れから光とも影ともつかぬ液体が滲み出す。
それはまるで、床下から異界が浸食しているようだった。
レイナがマナの腕を掴もうとした瞬間――。
彼女の腕は、掴まれるより早く霧のように消え、背後で再び形を成した。
「――!」
その速度は、狼少女の突進より速く、忍者少女の瞬間移動にも似ている。だがどちらとも違う。
まるで、現実の構造そのものを飛び越えた動きだった。
「……アリス、あんた、これを狙ってたな」
狼少女が低く唸る。
モニター越しに、アリスは微笑すら浮かべず、無感情に答えた。
「ええ。巫女は目覚めなければ意味がない」
その声が届くのと同時に、マナの口元がゆっくりと開いた。
だが声は出ない。代わりに、空間そのものが震え、壁の奥から低い唸りが響く。
――それは声ではなく、異界の神の「呼吸」だった。




