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午前十時。
第零研究機構の居住区、B棟の一室。
戦闘任務から数日が経ち、二人には珍しく、何の呼び出しもない穏やかな朝が訪れていた。
カーテン越しの光が、薄く灰色の室内を照らす。
レイナはソファで丸くなり、まだ半分眠っている。
机の上には昨夜の作戦報告書のファイルが広げっぱなし。
ページの端には、マナの書いたメモが走り書きされている。
キッチンから、控えめな湯の音。
マナがポットに湯を注ぎ、ティーバッグをくぐらせていた。
その動きは戦闘時の鋭さとは違い、落ち着いて静かだ。
「……起きてるの?」
マナの声に、レイナはまぶたを半分だけ開ける。
「んー……起きたくはない」
「じゃあ寝れば?」
「そうしたいけど、あなたが紅茶の匂いで私を起こした」
マナは小さく笑い、マグカップを差し出す。
「ほら、砂糖は入れてない」
「優しいのか、ただの手抜きか……」
「後者」
二人はローテーブルを挟んで向かい合い、黙って紅茶をすする。
窓の外では、どこかの庭木を剪定する音が遠くで響く。
そんな、戦場とは無縁の静けさ。
やがて、レイナが報告書を指でつつく。
「これ、ナギサに出す前に手直し必要」
「そう?」
「“やや危険な状況”って書いてあるけど、実際は瀕死一歩手前だったでしょ」
「……そこは脚色しないと怒られる」
「どっちが?」
「ナギサが」
レイナはため息をつきながらも、ペンを取り修正し始める。
マナはその横顔を見ながら、ふと思いついたように言った。
「今日、任務ないよね」
「うん」
「じゃあ外、行く?」
「珍しい。あなたから出かけようなんて」
「たまには普通の人間の真似してみようと思って」
「あなた、人間やめてるけど」
「そこはスルーしなさい」
「問題は許可が下りるか、だけど――」
昼下がり――
二人は商店街を歩いていた。
マナは黒いキャップを深くかぶり、レイナはフードを軽く上げて日差しを避ける。
露店の焼き菓子の匂いが漂い、足を止めると、レイナが試食をひょいと摘まんだ。
「これ、おいしい」
「買う?」
「あなたが払うなら」
「……」
紙袋を片手にベンチへ移動し、焼き菓子を分け合う。
通りを行く人々の視線は、二人に特別な意味を持たない――
少なくとも、この瞬間だけは。
「ねえ、こういうの、ずっと続けられたらいいね」
ふと漏らしたレイナの声に、マナは少し目を伏せた。
「続けられるよ」
「本気で言ってる?」
「……本気で言ったら、フラグになるからやめとく」
「そういうメタ発言やめなさい」
二人の笑い声が、夏の午後の雑踏に溶けていった。
夜――
寮に戻った二人は、またいつもの部屋に。
机の上には買ってきた焼き菓子の残り、そして修正版の報告書。
マナはソファに座りながら紅茶を淹れ、レイナは端末でニュースを見ている。
そのとき、端末が短く震えた。
「……任務?」とマナ。
レイナは画面を一瞥し、わざとらしくため息をついた。
「うん。非日常が呼んでる」
「せっかくの休日だったのに」
「だから、余計に惜しい」
二人は黙って視線を交わす。
次の瞬間、紅茶の香りも焼き菓子の甘さも――
すべてが、戦場に行く前のわずかな“緩衝地帯”として刻まれていった。




