X11_RK 第24話
地下二十七階、隔離区画。
壁一面が鈍い銀色の金属で覆われ、四方から低い機械音が響いている。監視カメラは赤い点滅を繰り返し、天井には規則正しく配置された送気口から消毒臭を帯びた空気が吐き出されていた。
透明な収容セルの中で、マナツは膝を抱えて座っていた。
その姿はマナと瓜二つ──だが、瞳の奥の光は違う。冷え切った水面のように揺らがず、ただ外界を観察する光がそこにあった。
「……お前、わたしをどうするつもり?」
声は静かだったが、その響きには異界のざわめきが混ざる。セルの表面に触れた瞬間、微細な光のひびが走り、警告音が短く鳴った。
外側では、白衣を着た研究員が端末越しにデータを記録していた。
「心拍、体温、異界層同期率……いずれも安定。ただし──」
彼は小声で付け加える。
「安定しているのは、こちらが観測している範囲内だけだ」
マナツはゆっくりと顔を上げ、天井の監視カメラをまっすぐに見つめた。
その瞬間、映像が一瞬だけノイズに塗り潰され、制御室のモニターに異界の層が重なった映像が映り込む。
白い大地、黒い塔、そして空を覆う無数の目──。
警備員が慌てて非常遮断システムを作動させる。
「……大丈夫です」研究員が制止した。「彼女はまだ試しているだけだ」
マナツは薄く笑った。
「ここに閉じ込めても無駄だよ。わたしは……もう一人の巫女なんだから」
その言葉に、制御室の空気が冷えた。
マナツは再び膝を抱え、壁にもたれかかる。
だがその耳元では、誰にも聞こえない声が囁いていた。
──目覚めの時は近い、と。
***
夜の公園は、異様なほど静かだった。
並木道の外灯の光がまばらに落ちる中、巡回中の警備員がひとり、ベンチに腰を下ろしていた。
「……眠……い……」
彼は強烈な眠気に抗えず、あくびを繰り返す。
不意に、落ち葉の積もる足元で何かが光った。
小さな、赤い羽毛を編み込んだ王冠。
見慣れないはずなのに、妙に「ここにあるべきもの」のような安心感があった。
――触れた瞬間、視界がぐにゃりと歪む。
街灯が消えたわけでもないのに、世界が薄暗く沈んでいく。
遠くで、誰かが笑っている。赤い玉座に座る王様。
だが次の瞬間には、警備員の身体はベンチに沈み込み、完全に動かなくなった。
二日後、現場に入ったマナとレイナは、防護服を着た収容課の職員と共に公園を封鎖していた。
***
「これが件の《赤眠冠》?」
マナは腕を組み、ベンチの足元に転がる小さな王冠を見下ろした。
触れていないのに、まぶたが重くなるような感覚がする。
「はい。回収班の報告では、近づいただけで全員が眠気を訴えました。
曝露時間が長いほど“夢の中の住人”になってしまうようで……」
「つまり、この王冠に“夢に引きずり込む異常性”があるってことね」
レイナは慎重に王冠を長いマニピュレーターで掴み、鉛製の収容ケースに入れた。
「さて……持ち帰って解析か。夢に閉じ込めるタイプは厄介ね」
公園の外れに残された警備員は、まだ眠ったままだった。
呼吸は安定しているが、瞼の裏で視線が泳ぎ、微かに笑みを浮かべている。
「……夢の中で、何を見てるんだろうね」
マナは小さく呟き、赤い王冠を見据えた。
「心拍は安定しているが、意識は戻らない」
レイナは淡々とタブレットを操作して報告した。
視線の先には、封鎖用の鉛ケースに収められた小さな王冠――赤眠冠。
マナは王冠を一目見て、わずかに肩を震わせた。
それはただの金属の装飾品のはずなのに、彼女の奥底の何かがぞわりと動く。
(……懐かしい)
初めて見るはずなのに、心臓が深く沈んでいくような感覚。
それは、かつて異界の神に触れた時と同じ――
眠りの奥で呼びかけられる、遠い声の記憶。
「……マナ、危ない」
レイナの声が、遠ざかる。
次の瞬間、視界が闇に落ち、足元がふわりと浮いた。
***
世界が、裏返る。
静寂。
足元には、赤い砂のようなものが敷き詰められている。
空には月も星もなく、代わりに“目”だけが浮かんでいた。無数の目が、眠るマナを覗いている。
「……ここ……知ってる……」
マナは小さく呟いた。
懐かしい、あたたかい、けれど底知れない恐怖を孕んだ気配。
赤い王冠を戴く影が、ゆらりと現れる。
その輪郭は曖昧で、王とも神ともつかない。
声は直接、頭の奥に流れ込んできた。
『また……来たね、巫女の子よ……
眠りは門、夢は海……
我らは深きところにあり……その記憶は、汝の血に宿る……』
マナは無意識に膝を折った。
心臓が甘く痺れる。
異界の神――かつて彼女が儀式で目にしたものの、形も名も掴めなかった存在。
あれが、呼んでいる。
「……私を……思い出して……」
囁きが耳を撫でた瞬間、
影の奥から、無数の手がのび、彼女を夢の底に引きずり込もうとした――。
現実に戻ると、マナは冷たい舗道に倒れ込んでいた。
呼吸が荒く、額には汗がにじんでいる。
レイナが心配そうに覗き込み、声をかけた。
「……マナ、今のは?」
「……懐かしい声がした……あれは……」
マナは言葉を濁す。
説明したところで、理解されるとは思えなかった。
だが彼女にはわかっていた。
この**眠りのオブジェクトは、異界の神と夢で繋がるための“門”**であることを――。
封鎖用の鉛ケースは、夜の公園の中央に置かれていた。
その周囲には、仮設のライトとポータブルセンサーが設置され、白い光が芝生を斑に照らしている。
風が通り抜けるたび、遊具の鎖がきい、と鳴った。
「対象、視認。……しかし、まだ安定していないわね」
レイナがセンサーを確認する。
赤眠冠は、まるで眠る者の呼吸に合わせるかのように、微かに脈動していた。
「近づくだけで……また、呼ばれそう」
マナが額に手を当てる。
さっき夢に引きずり込まれた余韻が、まだ抜けきっていなかった。
奥底で、あの甘美で危うい囁きが、微かに残響している。
来たれ……眠りを越えよ……巫女よ……
「マナ、集中して。今回は回収が最優先よ」
レイナの声に、マナは深呼吸をひとつ置き、足を進める。
封鎖ケースに赤眠冠を収めようと、マナが手を伸ばした瞬間――
視界が、ふっと暗転した。
世界がまた、裏返る。
赤い砂の地面、空一面の無数の“目”。
さっきよりも、近い。濃い。
足元からずるりと黒い影が伸び、足首を掴んでくる。
「……っ、また……!」
今度は、明確な敵意を感じた。
影の中から這い出したのは、歪んだ赤い王冠を戴く“もの”――
人とも獣ともつかない形で、無数の指のようなものを蠢かせながら迫ってくる。
『私を……思い出せ……
眠りに落ちよ……永遠に、深く……』
低く響く声に、マナの心臓がずきりと跳ねる。
本能が「ここにいてはいけない」と叫ぶ。
「……私は……帰るっ!」
マナはポケットからB-タブレットを取り出し、ためらいなく嚥下した。
血が熱に変わり、紅い眼が夢の中でも輝く。
視界が開け、影の指を裂くように一閃――
夢の砂がざあっと吹き飛ぶ。
「――マナ! 戻ってきて!」
現実の声が耳に届く。
目を開けると、レイナの顔が目の前にあった。
その手には赤眠冠が収まり、すでに封鎖ケースに収められている。
「……はぁ、はぁ……回収は……?」
「完了。ギリギリだったわね。あと数秒で完全に沈んでた」
マナは荒い息を整えながら、鉛ケースを見た。
中の赤眠冠は、もう静かに沈黙している。
だが、心の奥で、あの声の残響だけは消えていなかった。
また会おう……巫女よ……
次は、夢の底で……
「……懐かしいけど、やっぱり、怖いわね……」
マナは小さく呟き、夜風に吹かれて目を閉じた。




