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第20話

月明かりに照らされた廃教会は、静寂の中に腐臭を孕んでいた。

マナとレイナは、崩れかけた窓から忍び込み、石畳に足を下ろす。


「……匂うわね。血と、鉄と、カビ」

マナは小さく鼻を鳴らした。紅い瞳が闇に馴染み、微かな動きすら見逃さない。


「警戒を。ドローンは使えない。……聖堂内部は完全に電波遮断されてる」

レイナは無機質な声で告げ、愛用の拳銃を構える。


その瞬間、聖堂の奥から、乾いた靴音が響いた。


「やっと来たのね……私」


月光が差し込む瓦礫の隙間に、その姿が現れた。

白い髪、紅い瞳、わずかに尖った犬歯――。

マナツ。

かつてのマナの影をそのまま引き伸ばしたような存在。


「……ほんとに、私にそっくり」

マナは歯ぎしりする。


「当たり前よ。私は、あなたから生まれたんだから」

マナツの声は甘美で、しかしその奥底に深い狂気を宿していた。


血の匂いが強くなる。

マナツの周囲に漂う暗い霧が、次の瞬間――無数の赤黒い弾丸となって弾けた。


「っ……!」

マナは壁に飛び込み、B-タブレットを嚥下する。

紅い視界、脈打つ血潮、研ぎ澄まされる感覚――吸血鬼の力が蘇る。


「レイナ、右から回り込んで!」


銃声が轟く。

マナの拳銃が赤黒い霧を裂くが、血の弾丸は壁や柱に当たり、石片を飛ばすだけ。


「ふふ……無駄よ。私の血は、私の意思に従う」

マナツは宙を舞い、天井の梁に逆さまに張り付く。

まるで蝙蝠のように、血の糸を操りながら。


次の瞬間、紅い糸が鞭のようにしなり、マナの首を狙う。


「――ッ」

だがマナは壁を蹴って跳躍、宙返りしながら二丁拳銃を乱射。

銃口の火花が暗闇に閃き、紅い糸を焼き切る。


「さすが、私。動きが完全に読めるわ」

マナツの挑発に、マナは舌打ちした。


「読めても、撃ち抜くまでやめないのよ!」


床に転がった瓦礫の影から、レイナが射線を重ねる。

無機質な正確さでマナツの位置を狙撃――銃弾が梁を砕き、マナツの身体が宙に舞う。


「甘いっ!」

マナツは自らの血を翼のように広げ、空中で体勢を立て直した。

その血翼が槍となり、レイナへ向かって射出される。


「レイナ!」

マナが叫ぶと同時に、レイナは床を滑るように回避。

槍は石畳に突き立ち、黒い煙を上げた。


マナはその隙を逃さず、梁を蹴って一気にマナツに肉薄する。

紅い瞳と紅い瞳がぶつかる。


「私の過去は、ここで終わらせる!」


吸血鬼の爪が閃く。

マナツの血鞭と爪が空中でぶつかり、聖堂の闇に火花と血の霧が散った――。


月明かりだけが差し込む崩れかけた聖堂。

血の匂いと焦げた香の残り香が入り混じる中、

マナとマナツは互いを睨み合っていた。


「やっぱり、私は綺麗ね……」

マナツは恍惚とした笑みを浮かべ、掌をひらく。

すると、床に染みた血が蠢き、刃のように尖った槍や鎖となって浮かび上がる。

それは彼女の異常性――血液制御オブジェクト《カーミラの鎖》。


「またそれ……!」

マナは舌打ちし、壁を蹴って宙へと跳んだ。


直後、血槍が床を抉り、石片が飛び散る。

マナは回避しつつ、腰のB-タブレットを嚥下する。

熱が内側から駆け上がり、紅い瞳が夜闇で光を放つ。


「……来なさい、偽物」


「偽物はどっちかしら?」

マナツは鏡の破片のようなオブジェクトを掲げた。

それは空中に浮かぶと砕け、マナツの分身をいくつも生み出す。

赤黒い血霧をまとった“鏡像の吸血鬼”たちが四方から迫った。


「くっ……!」

マナは空中で身をひねり、爪で鏡像を引き裂く。

だが一体を斬ると、血煙が炸裂して視界を奪う。


次の瞬間、背後から鎖が絡みつく――。

マナは自ら地面に転がり、直前で爪で鎖を断ち切った。

床に落ちた血がマナの体をなぞるように滑る。


「もっと……踊ろうよ、私!」

マナツはさらに両腕を広げ、祭壇上に積もった血液を全て呼び寄せる。

天井まで届く血柱が伸び、そこから無数の血の蝙蝠が生まれた。

ギィィ、と耳障りな鳴き声が教会中に響く。


「面倒な……っ!」

マナは天井近くまで跳躍し、柱を蹴って旋回。

爪を振るうたびに赤い閃光が走り、血蝙蝠を裂いていく。

それでも数は多く、空中戦は消耗戦となった。


そのとき、床の影からレイナの声。

「マナ、頭上三時方向!」


反射的に飛び退いた瞬間、血の鎖が壁を貫通し、空気を裂く。

紙一重で回避すると同時に、マナは着地と同時に突進。

吸血鬼の跳躍力でマナツに迫り、肩口に鋭い爪を突き立てる。


「――終わりよ」


「くっ……ぁ……」

血の鎖も蝙蝠も霧散し、分身は消えた。

マナツは崩れ落ち、なおも笑みを浮かべる。


「捕まえて……どうするつもり?」


「収容よ。二度と外には出さない」


レイナが待っていたかのように、**生きた鎖の収容オブジェクト《封血の蛇》**を展開。

黒い鎖が自動でマナツの手足に巻き付き、血液の異常性を完全に封じる。

マナツの瞳から狂気がわずかに消え、静かな恐怖だけが残った。


数分後、防護装備の収容班が突入し、

マナツを血液吸収型カプセルに収めると、聖堂の血痕処理を開始する。


「……やっと、終わったのね」

マナは血に濡れた爪を見下ろし、深く息を吐いた。


「でも、過去はしぶとくついてくるわね」

レイナが隣で短く頷いた。


夜風が吹き込み、崩れたステンドグラスがかすかに鳴った。

静寂だけが、戦いの終わりを告げていた。


廃聖堂に静寂が戻ったとき、空にはすでに薄雲をまとった月が浮かんでいた。

血の匂いと火薬の残り香が重く漂い、倒れた信徒たちの影は長く伸びている。


マナは深呼吸し、レイナと目を合わせる。

「……終わった、わけじゃない」

「ええ。奴らの力の源を潰さないと、また同じことが起きる」


廃聖堂の奥――割れた祭壇の裏手には、闇に続く大きな穴が口を開けていた。

先程の戦闘で生じた振動か、長年の老朽化かは分からないが、崩れた床の下から地下空間が露出している。


二人はヘッドライトの代わりに携行ライトを構え、ゆっくりと下降していく。

洞窟内は湿った土とカビの匂いが満ち、天井からは長年の滴水が滴り落ちていた。

岩肌には無数の螺旋模様が刻まれ、古代の儀式場か何かのような不気味さが漂う。


「……ここ、昔の儀式場の続き、かもしれないわね」

「ネリウスの子ら……しぶといわ」


進むほどに、赤黒く染みたような痕跡が増えていく。

それは血の跡ではなく、まるで岩自体が“何か”に侵食されたような色だった。

マナの指先に鳥肌が立つ。


やがて洞窟は広間に開け、その中心に奇妙な石柱が立っていた。

柱の上には、漆黒の小さな棺のようなオブジェクトが鎮座している。

表面は濡れたように鈍く光り、時折、内部から赤い脈動が漏れているように見えた。


「……これ、だ」

「マナツをあそこまで変えたのも、きっとこいつ」


レイナが慎重に解析装置をかざすと、波形が荒れ、警告音が鳴った。

感情干渉型オブジェクト/仮称《血眠の匣》――対象の吸血衝動と眠気を極限まで引き上げる作用を持つと判断された。


「……この匣が、信徒たちを狂わせてたのね」

「収容課を呼ぶ。慎重に運ばせるわ」


通路を引き返すと、地上ではすでに収容班がマナツを拘束用カプセルに収め終えていた。

特殊な鎖型オブジェクト《封血の蛇》が巻き付けられ、吸血能力は完全に封じられている。

眠るマナツの表情は幼く、しかし血の匂いが漂うだけで唇がわずかに動いた。


「……もっと……ほしい……」


マナはわずかに視線を伏せた。

「過去の自分を見てるみたいで、嫌になるわね」


やがて、黒いカプセルと《血眠の匣》は共に特殊車両に積み込まれ、闇夜の中を研究所――第零研究機構エイドロンへと運ばれていった。



***



夜明け前、特殊車両は静かに地下搬入口へと滑り込んだ。

厚い鋼鉄扉が閉じると同時に、外界の空気と匂いは遮断され、冷たい蛍光灯が無機質にマナたちを照らす。


「対象《D-Ω-04》、仮称マナツ。搬入完了」

無機質なアナウンスが地下に響く。


マナは搬入用通路に立ち尽くしていた。

カプセルに収められたマナツは、眠るように静かだが、唇がかすかに動く。

──もっと……血を……


思わず視線を逸らす。

まるで数年前の自分を見ているようで、胸の奥がざわめいた。


「マナ」

隣に立つレイナが静かに肩に手を置いた。

「大丈夫。彼女は、もうあなたじゃない」


「……わかってるわ。でも……放っておけないのよ」

マナは小さく息を吐く。


その奥、白衣の研究員たちが《血眠の匣》を収容カプセルへ慎重に移していた。

黒い匣は、まるで生きているかのように低く脈動し、時折表面が赤く染まる。


「解析結果が出ました」

情報特異性統合課の職員が端末を操作しながら告げる。

「このオブジェクトは、近距離の対象に“強制的な吸血衝動”と“昏睡衝動”を与える異常波を発しています。

長期曝露すると理性を失い、攻撃的になる傾向があります」


「マナツはその影響を……?」


「彼女は既に素養があった。つまり、吸血鬼因子との親和性が高かったのでしょう。

匣によって眠気と衝動が極限まで刺激され、暴走した……そう推測されます」


マナは拳を握る。

「……私も、ああなっていたかもしれないのね」


「けれど、あなたは今ここに立っている」

レイナは淡々と言い、マナの手を軽く握った。

冷たいが、確かな存在感のある手。


研究員の声が響く。

「オブジェクトはコンテインメントルームに隔離完了。

マナツの処遇は、倫理委員会および特異生物班の判断待ちです」


マナは最後にカプセルの中の少女を一瞥し、背を向けた。

「……もう、過去には戻らない。私が証明してあげる」


エイドロンの地下通路は冷たく、無機質な照明が二人の影を長く伸ばしていた。

新たな報告書が作られる頃には、また次の異常が待っているだろう。

それでも――二人は、前に進むしかなかった。

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