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第17話

翌朝。観察対象とされた二人のイチカは、結局変化なく一夜を明かした。


「倍々に増えるという最悪の事態ではないことは確認されたわね」


同じく収容セルにて、マナが息をつく。


「観測がトリガーになっているのだとしたら……なんかそんな思考実験あったわね」


「あれは量子の波と粒の性質が重なり合う状況を作り出した思考実験。有名だと思うけど。

状況が全然違うし喩としては下の下」


レイナが言い捨てる。マナは苦笑した。


「辛辣ね」


「どうやって増えたかを探るよりは何故増えたのかを探った方が良いと思う」


「それ昨日の時点で言うべきセリフじゃない?」


「昨日の確認は事の緊迫さを図るのに必要なプロセスだった」


「さいですか。」


マナがわざとらしく肩をすくめる。


「卵化の影響なのかもしれないし、別の外的要因があるのかもしれない。問題は一過性かどうか、ということ」


「例の猫耳事件の時みたく地下の教授に頼った方が早いんじゃない?」


「思い出したくなかったけど、確かに……」


と口にすると、以前の様に唐突に端末から音声が響いた。


『あの時も言ったはずですが、当研究室からオブジェクトの汚染が発生したという事態は、貴方たちの考えている以上に深刻な事態です』


教授――クラリスの声は通信越しでも変わらず淡々としていた。


『その上で私に頼る意味を理解しているかしら』


「早急に対処する必要があるという点においては、ご理解いただきたい」


『私は青い猫型ロボットでもなければ超人でもないのだけれど。現状、貴女たち以上に真贋を見定める術は無いわ。貴女たちが“同一”と判断するなら、それは“瓜二つ”ということ』


「この問題に対しての着地点は、どうするつもり?」とレイナ。


『私を頼られても困るわ。ちなみに、貴女たちは非難していたけれど、私個人の考えは処罰された職員の考えと同じよ』


「じゃあ教授もイチカを終了処分するために動くの?」


『レイナも言っていたけれど、倍々に増えた場合、真面目に世界が滅びます。どちらを選択するべきかは言うまでもないでしょう』


『ただ、現状そうなっていない以上、貴女たちにまで反目されるデメリットの方が大きい。それが私の結論です』


『問題はイチカ個人のみなのか、さらに曝露者が増えるのか、卵化が原因なのか。考察すべき点が多すぎるため、この程度の結論しか出せないとも言えます』


『そもそもイチカの処分で異常現象が無くなるのか、別人に感染るのか。後者の場合、悲惨なことになることも考慮していなかった。……当該職員の行動は浅慮だったのは間違いありませんが』


通信が途切れたあとも、部屋に沈黙が残った。


「何が言いたいのかさっぱりわからん」とマナが頭をかかえる。


「巣を潰さずに外の害虫を駆除しようとしても意味が無いということ」とレイナ。


「分かりやすいけど、喩が相変わらず酷いわ」


「加えて言うなら、対策なしに巣を潰して拡散したら、対処できなくなるかもしれないということ」


「ねえ、なんで酷い喩に更に酷さを加えるの?」


「分かりやすさ重視?」


「……やっぱりあなた、もう少し機微を学んだ方がいいと思うの」


「?やっぱり?」


「あ、いやなんでもないわ。……で、どうする?」


ふたたび会議室に沈黙が戻る。


「正直、手詰まり」


レイナが机に手をついて立ち上がる。


「遠心分離機で分裂した二人を同じく分離機で一つにする映画なかったっけ?」


「現実逃避?」


「いやあ、ヒントにならないかなあって」


「分裂したプロセスがそうならまだ考えてもいいけど、前提が違うのに結果が同じになるとは思えない」


部屋の外からガラス越しに見るイチカたちは、奇妙なほど静かだった。ふたつに分かれたはずの存在は、互いの存在を不思議ともせず、時折小さな声で話し合いながら、お揃いの白いカップに紅茶を注ぎ合っている。


レイナは手にしたファイルを閉じ、立ち上がった。視線の先には、少女たちを包むような薄いガラスの反射。

まるでそのガラスが、この現実の歪みを封じ込める境界線のように思えた。


「彼女たちは……何かを隠してるようには見えない」


呟くように言うと、後ろで椅子に腰かけていたマナが足を組み替えた。


「隠すほどの自覚もない、って感じね。どちらも“自分が本物”だと、自然に信じてる」


「困るのはそこなのよ。どちらも自分がイチカで、何もおかしくないって思ってる。

矛盾も葛藤もない。まるで、最初から“二人でひとり”だったみたいに」


言いながら、レイナは指先でテーブルの端をなぞった。薄く積もった埃に、昨日までこの部屋が使われていなかったことが窺える。


「イチカの卵化の記録をもう一度確認しましょう。孵化後の隔離期間、その後の行動……何か見落としてるかもしれない」


「あと、精神記録も。同期時の夢内容に異常はなかった?たとえば――“鏡”とか」


マナの声に、レイナは小さく頷いた。


「確かに、何かを“写した”結果だとしたら。無意識下で見た光景が、形になった可能性もある」


「けど、誰が写したの?本人?他者?それとも……」


ふと、部屋の端に置かれた植物が揺れた。空調の音もない部屋で、風のないはずの室内。わずかに葉の表面が震え、微細な波紋が水面のように広がった。


レイナはその異変に目を細めたが、すぐに目を逸らした。


「まるで空間そのものが“揺れて”るみたいね。観測の歪み……」


「観測じゃなく、記録されなかった事象が“再現”されてるんじゃない?意図的な空白が、なにかを生み出したとしたら」


レイナは小さく息を吐いた。


「わたし達にできるのは、あくまで観察と記録。手を出すべきじゃない。今はまだ」


「ええ、同感」


二人の視線が、再びガラスの向こうへ向いた。


お揃いの白いカップ。向かい合って微笑むイチカたち。まるで“同じ者”がふたつの姿をしてそこにいるような光景に、どこか不穏な安定感があった。


この光景が、どこかの均衡の上にあるのだと、どちらも言葉にせずに理解していた。


その異変に気づいたのは、レイナが備品棚の整理をしていたときだった。


ガラスケースの中、誰の記録にも残っていなかったはずの――一枚の古びた鏡。

枠は煤けた銀で縁取られ、中央には髪の長い少女が刻まれた装飾が施されていた。よく見れば、表面は鏡というより、鈍く曇った金属のように見える。


「……こんなもの、前からあった?」


レイナは棚の前にしゃがみ込み、慎重にその鏡を取り出す。

金属音のような乾いた響きが、室内にわずかに反響した。


「いや……。ここは封鎖された医療観察室だったはず。持ち込みは制限されてる」


マナも気配を感じて近づいてくる。二人は無言で鏡を見つめた。

その表面は、不気味なほどに自分たちの姿を正確に映し出している。

いや、正確すぎる。光の角度も、まばたきのタイミングも、まるでこちらの動きを予測して“映している”ような違和感があった。


「……イチカの部屋と繋がってる監視ログ、こっちに巻き戻して」


マナがコンソールに指を走らせ、昨日の映像を確認する。

再生速度を落としながら、映像を細かくフレーム単位で確認していくと――


「あった……!深夜、誰もいない時間帯。イチカが寝返りを打った直後、この鏡……いや、“何か”が一瞬だけフレームに写り込んでる」


画面には、鏡台のような何かの反射が、わずかにフレームの端に揺れている様子が映っていた。

それはまるで、誰かが“それ”をそっと置き、また持ち去ったようにも見える。


「観測機器に反応しない。記録の痕跡も希薄。けれど、“現象”だけは残されている……オブジェクト特有の兆候ね」


レイナは手にした鏡を静かに台に置いた。その瞬間――


鏡面が、ふ、と一瞬、わずかに揺らいだ。水面のように。

そしてそこに、まったく同じ姿のレイナが“もうひとり”、こちらを見返していた。


「……!」


しかし、次の瞬間には元の反射に戻っていた。マナも黙って、それを見ていた。


「鏡じゃない。これは、“写す”ことで実体を模倣するタイプのオブジェクトかもしれない。観察者の記憶に依存して、像を形成する」


「だとすれば――イチカの“分裂”も、この鏡が引き金だった可能性が高い」


「だとしても、なぜ二人だけ?もっと他にも映っているはずの職員や監視員は?」


「……イチカが“見た”とき、最も自分を強く意識していた……あるいは、“見られていた”瞬間に発動したんじゃないかしら」


そのとき、通信パネルが小さく点滅する。

医療観察室のモニターに、並んで座るイチカと“もうひとりのイチカ”が、こちらを見ている映像が表示されていた。


どちらも笑っていた。まるで“自分たちが選ばれた”ことを知っているかのように。

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