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X08_TW 第16話

エイドロン第七翼・特別隔離区画。

無機質な壁と隔音された空間の中に、わずかに柔らかな空気があったのは、この部屋にだけだった。


――そこは、マナとレイナの“生活観察室”。

冷却ユニットのわずかな駆動音の中、カーテンすらない窓から人工灯が差し込んでいた。


そんな部屋に、異質な存在がひとり。


銀糸のような髪を揺らし、漆黒のメイド服に身を包んだ女性が、ティーセットを静かに並べていた。

白磁のカップに、薄紅の紅茶が注がれる。所作に無駄はなく、儀礼的でさえある完璧さだった。


「レイナ様、マナ様。お茶のご用意ができました。……とはいえ、また手つかずでしたら、今度こそ叱られてしまいます」


彼女の名はアサギ。エイドロン所属、戦闘任務にも対応する特務メイド職員。

表向きはふたりのお世話係。だが、その任務の本質は――監視、制御、そして必要とあらば排除。


マナはベッドの端に座ったまま、ちらと目線だけを向けた。

レイナは床に胡座をかいて解体された銃器の部品を弄っている。


「……メイドって、いつも紅茶出すの?」

レイナの声には皮肉が混じっていた。


「はい。貴女たちがどのような存在であろうと、私の任務は変わりません」


アサギは微笑みながら、ナイフのように冷たい声色で答える。


「敵対存在であっても?」


「はい。たとえこの手で貴女を葬る日が来たとしても、最後の一杯までは淹れて差し上げます」


部屋の空気が、一瞬張り詰めた。

レイナがマナに目をやる。

マナは何も言わず、カップを手に取って紅茶をひとくち含んだ。


「……おいしい」


その言葉に、アサギのまぶたがわずかに揺れた。


「光栄です」


それから、ぽつりとマナが言った。


「あなた、本当に殺すの?私たちのこと」


その問いに、アサギは一拍置いてから応じる。


「命令があれば。ですが――それはあなた方が希望する限りでは起きません」


「希望、なんて……」

マナの声はわずかに掠れた。

何度も繰り返し、失われてきたもの。その先でようやく得た、“居場所”のような部屋。


「殺したいほど危険でも、あなたたちが人である限り、私は人として仕えます。それが、メイドであるということです」


言い切ったアサギの横顔は、儚げでいて、どこか決意に満ちていた。

レイナが鼻で笑った。


「メイドの定義、重たすぎない?あんたたち、戦闘用義体とか入ってるでしょ。どうせ」


「私の左脚と右腕は義体ですが、紅茶を淹れるこの手は、本物です」


「へぇ……意外とこだわるのね」


「当然です。メイドとは、細部の象徴ですから」


そう言ってカップの取っ手を整えるアサギの手は、確かに、細く白く、そして人の温もりを宿していた。


その夜――


マナとレイナはそれぞれのベッドに横たわりながら、同時に言った。


「……変な人だよね」

「……変な人ね」


それは、彼女たちがこの施設で初めて「誰かと関係を築いた」瞬間だったのかもしれない。




***




研究所内、無機質な廊下を低く響く電子音が満たす。


『ナギサ:大変マズイ事態になった。直ぐに来て欲しい』


レイナは、手元の端末に映し出されたそのメッセージをしばらく見つめてから、ため息をついた。


「……またこれ?いつぞやと同じ匂いがするわね」


その場にいたマナが顔をしかめる。光の届かない影の中で、彼女の目だけが淡く光っていた。


「厄介事?でも今回はナギサから?」


照明の青白い光が天井に反射し、無機質な廊下が静けさに満ちている。


二人がナギサの元に着いたのは、ほぼ同時だった。


「で、今度はどんな厄介事ですか?」


レイナが壁にもたれかかりながら問いかける。


ナギサは正面のモニターに視線を移し、数秒沈黙してから静かに言った。


「以前、君達が収容した――卵から生まれた少女、イチカがいただろ?」


「彼女に何か?」


ナギサはキーボードに指を走らせる。モニターの映像が切り替わると、そこに現れたのは――


明らかに「二人」いるイチカだった。


「……分裂、ですか?」


「状況としてはそれが最も妥当な仮説だ。監視ログには故障と記録されていたが、映像が完全に途切れていた。

前後には異常なし。ただ、気づいたときには……この状態だった」


モニターの前に沈黙が落ちる。冷房の機械音が、やけに耳に残る。


「……状況は理解しました。でも、私たちにどうしろと?」


「職員の一人が終了処分を試みた。その結果、ナユタが――その職員を殺しかけた」


「……はあ?」


レイナは深くため息をつく。


「要するに、ナユタがブチ切れて、イチカが二人に増えて、今その対処を私たちに丸投げするわけね?」


「……無茶振りも大概にして。ナユタを怒らせた上に、イチカが分裂して、私たちに何ができるっていうの」


「それでも、だ。君たちなら、どうにかなるかもしれない」


「知らない仲でもないし、行くこと自体は吝かじゃないけど……条件を一つ」


「何かね?」


「当該職員の、厳格な処分」


「無論、その職員は処罰する」


「……レイナがやるなら、私も行く」



***



隔離セル前のエアロックが開くと、そこには異様な光景が広がっていた。


モニター越しとは異なり、現実に立ち会うとその異常性は際立つ。


イチカが二人――いや、“二体”のイチカが並んで座っている。片方は左を向き、もう片方は右を向く。

だが、タイミングは完全に一致していた。瞬き、口の動き、脚を組み直すしぐさまで同じ。


その異様な光景の前で、ナユタが一人、立ち尽くしていた。


黒髪に映える純白の制服。手には、禍々しい鎌《カレドニアの断片》が握られている。

その刃は鈍く蒼く光り、空間に“切断されてはならない何か”を揺らがせていた。


「久しぶりね」


レイナが声をかける。


ナユタは振り返らず、ただ淡く言った。


「今度はお前たちか。上に命じられて、イチカを処分しに来たのか?」


ナユタの目は鋭く、だがどこか揺らいでいた。


「そんなわけがない。信じてもらえるとは思っていないけど、この状況が良くないことくらいは、理解してるでしょう」


「……そうだよ、ナユタちゃん。落ち着こう。ね?」


左側のイチカが柔らかく微笑む。


「優しいナユタちゃんのほうが、私は好きだな」


右側のイチカが、まったく同じ表情で続けた。


「ツッコミたくなかったけど、あなた……分裂して何とも思わないの?」


「「別に?」」


二人同時に首をかしげて答える。


「マナ、貴女の目なら何かわかるかもしれない。私にはまったく同じに見えるけれど」


「はいはい」


マナは黒い錠剤――B-タブレットを口に含み、紅く染まる瞳で二人をじっと見つめた。


「……無理。どっちも全く同じ。何の違和感もない。

ナユタ、あんたはこの状況……どう思ってるの?」


「別に?」


「似た者同士?」


「……そんな言葉で片づけていいのかしら、これ」


研究棟の会議室はひどく静かだった。密閉された空間に鳴るのは空調の微かな唸りだけ。

四角いテーブルを囲んで座る彼女たちは、それぞれの視線を伏せるようにしながら、互いの言葉を探っていた。


「現状二人に分裂しただけで終わっているけれど更に増え続けた場合深刻な事態になる。

その前に収拾しないとあなた達にとって不幸な事態を招くことは理解して欲しい。」


「……漫画から考察した奴ね。読んだことある」


「つまり何が言いたい!」


「要するに、原因究明が必要。さもなくば、取り返しのつかない事態になる」


どこかのSF漫画のようなシチュエーションだが、今は笑えなかった。

テーブルの端に置かれたモニターには、分裂した二人のイチカが、同じ表情、同じ仕草で並んで映っている。明らかに異常だった。


「あれは食物だったから宇宙船で宇宙に飛ばしてたけどこっちはそうはいかないものね」


マナが頬杖をつきながら呟く。


「けど、何が原因? どう見ても、どちらも本物にしか見えない」


視線が向けられたイチカは、窓際で立ち尽くしていた。陽が射すガラス越しに、彼女の髪が白く透けていた。


「イチカさん、何か覚えてない? そうなる前のこと」


問いかけに、イチカは首を傾げて、少し困ったように笑った。


「起きたら、二人になってた」


「「ねー」」


もう一人のイチカが隣で全く同じ口調で返す。場に微妙な沈黙が走った。


「……これ、事情聴取しても無駄じゃない?」


マナがうんざりした声で言った。


「カメラが意図的に当該時刻のみ記録されていないことも気にはなる」


「どのみちこれだけの情報じや原因の特定は難しそうね」


「入眠と覚醒がトリガーなら、1日私達が直接監視するという手もある」


「再現性の確認……一番堅実かしら。最も、更に増えた場合いよいよ原因を探さないとマズイ訳だけど」


「私はともかくマナが増えた場合深刻な事態だけれど」


「殺しても死なないものね」


マナが淡々と答えると、レイナがわずかに目を細める。


「監視は私が行う。最悪増えても潰せるほうが良い。」


「あなたも大概ね……。私は嫌よレイナを殺すなんて」


殺意を含まぬ口調に、逆に背筋が冷える。


「イチカを殺さないなら私は構わない」


どこか噛み合わない彼女たちの会話に、わずかに焦燥が滲んでいた。

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