X07_MT 第14話
“研究所”――第零研究機構。
「第零研究機構」は、世界各地で発生する“異常存在”および“非現実的現象”の調査・収容・研究を目的とした超法規的組織である。
その存在は政府機関にも一部しか知られておらず、活動は徹底して秘匿されている。
近代以降、記録外の災害や人智を超えた事件が急増したことを受け、国家間の密約により「第零番目の機関」として設立された。
“ゼロ”とは、正式な行政組織の外にある「存在しない機関」を意味し、あらゆる国籍・法的制限から解放された存在として活動する。
マナとレイナが所属するのは特殊処理課。
《プロメテウス》の情報を処理する情報特異性統合課、
回収されたオブジェクトの保管・観察・研究を担う収容課、
偽装工作班、技術班……他にも多数の課が存在する。
元々収容課で育てられたマナとレイナだったが、オブジェクトに対して高い適応力と有用性を見出され、特殊処理課へと転属された。
マナには目的がある。ささやかで――けれど、困難な目的が。
***
波打ち際の砂は湿り気を含み、裸足では冷たすぎるほどだった。傾いた太陽が朱に染まる空を照らすなか、マナとレイナは流木の影に座り込んでいた。
「ねえ、レイナ」
「何?」
「私たち、なんでこんなところに居るの?」
「……マナが飛行機を墜落させたから」
「私のせいじゃないでしょ……」
口を尖らせながらも、マナは自分の行動が原因の一端であることを理解していた。
「まあ、パイロットが“ヴェール機関”のメンバーだって察知できなかった“研究所”が悪いと言えなくもないけど」
「生きてるだけマシじゃない? 」
「無人島じゃなかったら、まだその言い分も聞いてあげるけど」
「さっきから冷たくない?」
「大人しくしてればよかったのに。ハイジャックされたと知るや否や、パイロット含めて全滅させた人が何だって?」
「……それは、ごめんなさいってば」
足元には漂着した荷物の残骸が転がっていた。乾いた音を立てて砂に沈むナイフ、濡れて動作しない銃、B―タブレット。使える道具は限られていた。
「レイナ、サバイバル関係の知識って覚えてる?」
「一通りは。というか、同じカリキュラム受けたでしょ?」
「忘れたわ、全部」
「……じゃあ、聞くけど、今やるべき最優先事項は?」
「……飲み水の確保?」
「正解。次いで食料と寝床。日没までに全部揃えれば上出来よ」
海風が強まってきた。太陽が水平線に沈むまで、残された時間はわずかだった。
二人は森の中へと足を踏み入れた。
地面はまだ湿っており、靴の底に柔らかく沈むような感覚が伝わる。鳥の声は聞こえるが姿は見えず、風が葉を揺らす音が絶え間なく耳に届く。森の密度はそこまで濃くはなく、太陽の光がまだらに差し込んでいた。
「まずは水源。動物の通り道があれば、自然と水場に繋がるはず」
レイナはそう呟きながら、茂みを掻き分けつつ周囲の痕跡を探る。マナも後に続き、目を細めながら周囲を見渡す。
「この辺り……草が踏み倒されてるわ。誰か、あるいは何かが通った跡かも」
二人はその痕跡を辿って歩を進めた。
やがて、木々の間から水音が聞こえはじめる。小川だった。幅はそれほど広くないが、水は澄んでいて、底の石がくっきりと見える。
「飲める?」
「生で飲むのは避けたいけど……濾過すれば問題なさそう。何より、ここを拠点にするには悪くない場所」
木陰も多く、日中の陽射しを避けられる。大型の捕食者の痕跡も今のところは見当たらない。
「他にも何か探せるものは……」と、マナは辺りを見渡し、視線を落とした。
足元に落ちているのは大きめの実。紫がかった楕円形の果実がいくつか地面に転がっていた。マナが一つ拾い、指先で触れる。
「食べられるの?」
「レイナ、毒見よろしく」
「無茶振りが過ぎない?」
レイナは苦笑しながらも、それを慎重に観察し、自らの舌で表面の成分を確認する。
「……食用可能。糖度も高い。エネルギー源としては十分」
「じゃあ、数日間はこれで食いつなげそうね」
その後、川沿いをさらに進みながら、周囲の植物や地形を確認していく。鳥の羽音。どこか遠くで猿のような鳴き声。
小動物の気配。彼女たちの視線は常に動き、手元のB-タブレットで地形をスキャンしつつ、危険の兆候を見逃さない。
「この足跡……」
レイナが地面を指差す。四本の足で歩く中型の動物のようだが、肉球の跡が深く沈んでいる。
「捕食者。体重は50〜80キロといったところ。……イヌ科かネコ科か、どちらにしても夜は警戒した方が良さそう」
「一応、寝床には防御用の罠でも仕掛けておきましょ」
少し歩くと、倒木がいくつも重なった開けた空間に出た。日当たりが良く、地面も比較的乾燥している。
「ここ、いいかも。日没前には拠点を作らなきゃね」
「じゃあ、寝床をどうにかしようか」
マナは腕をまくり、周囲の蔓や木の枝を集め始める。レイナも黙って動き出した。
二人は枝を骨組みに、落ち葉や大きな葉を断熱材代わりにして、簡易のシェルターを組み立てていく。
途中で何度も風の向きや水の流れを確認し、匂いの痕跡が残らないよう焚き火の場所も調整した。
「これで、最低限は……ってところね」
マナが腰を下ろした頃には、夕焼けが木々の隙間から差し込んでいた。
遠くで、甲高い動物の声が響く。
二人は簡易シェルターで眠りについた。
翌日。朝の空気は冷たく、島の森はまだ眠っているようだった。吐く息は白くはないが、湿った空気が肌に張りつく。
木々の葉がわずかにこすれる音と、地面を踏みしめる足音だけが辺りに響いていた。
マナとレイナは小川沿いに拠点を離れ、東の方角へと歩を進めていた。地図などない。
頼れるのはレイナの知識と、自分たちの五感だけだった。
「島の中央、たぶん標高は四百メートルちょっと。だけど――あの角度から見るに、急勾配が続きそうね」
マナが前を見上げた。木々の間から覗く、なだらかに盛り上がった緑の塊――この島唯一の山が、雲にかかることなく頂をのぞかせていた。
その頂を目指す理由は明確だった。何がここで起きているのか――そして外部との通信を妨げる要因があるなら、最も高所で確認できる可能性が高いからだ。
「レイナ、GPSは?」
「死んでる。方角補正は可能だけど、デジタル系は通信系含め全滅状態」
「やっぱり、異常性……ね」
踏み慣らされていない獣道を進む。枯葉が足元で滑りやすく、地面は岩と根で凹凸が激しい。
時折、レイナが先行して倒木を押さえ、マナが飛び越える。次いで、マナが身を屈めて草を掻き分け、レイナの通路を作る。
「山登りって、こんなに体力使ったっけ……」
息を吐くマナに、レイナが軽く笑った。
「吸血鬼でも疲れるんだ?」
「何、皮肉?吸血鬼って言っても万能じゃないの。肺が苦しいわけじゃなくて、筋肉が痛いのよ」
やがて、森の密度が徐々に薄れ、明るさが増してくる。小さな開けた斜面――崖の手前で二人は足を止めた。
「……ここからは登攀だね」
前方の岩肌は、滑らかに見えるが手がかりはある。ロープも装備もないが、レイナは壁面を見上げ、すぐに経路を見つけたようだった。
「行ける。……ただし、滑落のリスクはある。フォロー、お願い」
「任せて」
レイナが先に身体を持ち上げる。無駄のない動きで、掌と足で確実に体重を分散しながら登っていく。
その後をマナが追う。岩肌のざらつきと湿り気が伝わる。時折、小石が滑り落ちる音が緊張を高めた。
登攀ののち、息を整えながら岩の縁に身体を引き上げると、視界が急に開けた。
「……これは」
眼下に、島の全景が広がっていた。
濃密な樹海、海岸線。陽光を反射して輝く海――そして、その海の果てに「何もない」ことを確かめて、マナは無言になる。四方すべて、遥か遠くまで見渡しても、大陸の影すら見えない。島は、完全に孤立していた。
「水平線まで見えてる。60キロ以上あるはず。……なのに、どこにも大陸の影がない」
「本当に、“どこ”に落とされたんだろうね、私たち」
レイナの声は淡々としていたが、その内側には確かな不安が含まれていた。
「となると、私の方がいいかしら」
山頂の風が、マナのネイビーブラックのショートヘアを揺らした。ごく自然に、彼女はポケットから小さなカプセルケースを取り出す。
「頼んだ」
レイナは静かに頷くと、マナの手の中にあるB-タブレット――吸血鬼の能力を一時的に増幅するための錠剤――をじっと見つめる。マナはひとつを取り出し、慣れた動作で口に含んだ。ほんの一瞬、瞳の色がわずかに深紅へと変化する。
「さてと、何が視えるかしらね」
マナは高所の空気を吸い込み、嗅覚と聴覚を研ぎ澄ませながら、周囲を見渡す。島の風景は広大で、ほとんどが濃密な森に覆われている。足元から続く斜面の向こうには、入り組んだ入り江と、白く波打つ海岸線。岩場の間に、ほとんど見えない程度の獣道らしき空白がいくつか点在していた。
「……何か見えた?」
レイナの声が背後から届く。
「うーん。目立った構造物は見えないわね。でも……風の流れが妙に渦巻いている場所がある。あの東側の尾根、樹冠の揺れ方が不自然」
マナが顎をしゃくると、レイナもそちらに目を向ける。
「地表に無いとすると、あとは地下?」
「そうね。洞窟って可能性もある。木々の根の下、風が集まってる地形……そこに空洞があるなら、探る価値はあるわ」
「他にやれることがない以上、地道に潰していくしかない」
「マッピングは任せたわ」
「了解。視覚と記憶を元に概略を描いて、進入経路を優先で割り出す。あとは地形的に水が溜まりやすい場所、岩盤の割れ目を重点的に」
マナはもう一度、島全体を見渡した。深い森の隙間に、鳥の群れが小さく飛び交っている。動物たちの動きには、わずかな異常の気配がある。静かすぎるのだ。音が、何かを避けている。
「……やっぱり、ただの島じゃないわね」
「分かってたでしょ、最初から」
二人は言葉少なに下山を始めた。岩肌に靴音を残しながら、まだ足を踏み入れていない領域を目指して。




