X06_DM 第13話
――薄暗い天井。機械音。無機質な白の壁。
「……ここは?」
かすれた声が虚空に漏れた。身体が重く、まぶたの裏に鈍い光が滲む。
「“研究所”さ」
柔らかな男の声が返ってくる。表情は見えないが、その声音には不思議な安堵感があった。
「あなたはだれ?」
「私はアサギ。君たちの保護者のようなものだ」
「わたしは?」
「君はレイナだよ。事故で記憶を失ってしまったんだね」
病室らしき場所に設えられたベッドの上、彼女は寝返りもうてず、ただその声に耳を傾けていた。
「……目覚めなくてもおかしくない重体だったんだよ。君が目を開けてくれて、本当に良かった」
言葉はあたたかくも、何かを隠している気配がした。
コユキは、部屋の隅に気配を感じた。
そこには、一人の少女がいた。年頃は自分と同じくらいだろうか。
黒髪の少女――マナは、鋭い視線でこちらを睨んでいた。
「あそこでずっとにらんでいる女の子は?」
「ああ、彼女はマナだね。辛い境遇から荒んでしまった可哀そうな子だ。仲良くしてあげてね」
「……なかよく?わからない」
「これからゆっくり覚えていけばいい。二人はペアなんだから」
ペア――。
その言葉が、頭のどこかにひっかかった。
***
日差しの落ちた執務室。机の上に無造作に並べられた数枚の写真。
白黒のようで、実は微妙に色味のある写真の中央に写るのは――
一匹の小さなネズミ。だがその瞳だけは、人間のように澄んでいた。
「館長。これは……ネズミ、ですか?」
リンと呼ばれた少女は訝しげに眉をひそめた。
黒装束に身を包んだその姿は忍者そのもの。常人離れした静けさを纏っている。
「ああ、可愛いだろ?」
「自分には分からない世界ですね」
写真に視線を落としつつ、リンは困惑を隠さなかった。
そのネズミから、ただならぬ違和感が滲んでいた。
「で、これがどうしたんですか?ペットですか?」
「是非ともペットにしたいところではあるが違う」
「……おっと、急に離席したくなってきた」
「腹痛かい?無論無理にとは言わないが――」
「はいはい、今度はそいつが逃げ出したんでしょ」
あきれたようにリンが言う。館長は肩をすくめて笑った。
「察しが良くて助かるよ。この間アレに言った手前、また脱走となると面倒でね」
「……流石に首輪くらいはつけてるんでしょうね?この街だけで何匹居ると思ってんすか」
「もちろん、発信機は付けているさ。問題は――なぜ脱走できたか、だが」
「また紛失……って、今度も脱走者の仕業ですか?」
「流石に違う。詳しく語ると面倒なので端的に言うとだな。これの異常性に曝露した間抜けが“眠った”せいで逃げられた」
「またか……。まあ、ただのネズミな訳ないですよね。で、異常性は?」
「危険を察知すると、周囲の有機体を昏睡させる。直接的なガスではない。感覚、空気圧、音、視線――何らかの複合要因だろうな」
「スカンクみたいなもんすか」
「そう例えると風情がないが、まあ、似たようなものだ」
リンは写真を睨みながら、深いため息を吐いた。
「そんな問答無用で眠らせてくるようなネズミをどう捕まえろと?」
「こういう時の契約……と言いたいところだが、今回はもう一人つけよう」
「……誰と」
扉の向こうから、ゆっくりと足音が近づいてきた。
「眠い……」
「あんた、開口一番がそれかよ。……こんなのとペアを組めと?」
「彼女以外に、あのオブジェクトを捕獲できる人材はいない。そもそも、ここに持ってきたのも彼女だ」
「で、私はお守りってことですね、そうですか」
館長は満足そうに笑った。
「そろそろ出立してもらおうか。あまり会話に費やしている時間もないのでね」
「了解……」
「眠い……」
「……気楽そうで羨ましい限りっス」
リンは小さく肩をすくめ、部屋を後にした。
***
街灯の少ない裏通りは、夜の帳に包まれていた。
外気は湿気を帯び、夏の終わりを告げる虫の声だけが響く。
リンはスマホサイズの小型端末を睨んでいた。地図上に点滅する発信信号は、徐々に住宅地の奥――廃倉庫のあたりに向かって移動している。
「こりゃあ、思ったより速いな。……やっぱ走ってんのかあいつ」
横では、のんびりと歩く少女があくびを噛み殺していた。
「ねぇ、そろそろ休憩……」
「バカ言え。今止まったら“今夜は眠れません”の本当の意味を味わうことになるぞ。いいか?」
「むー……」
少女は頬を膨らませた。
ここにきてようやく、リンは改めて隣を歩く少女を観察する余裕ができた。
「そういや、名前も聞いてなかったな。私はリン。ここの……まあ、雑用忍者」
「忍者?」
「気にするな。で、あんたは?」
「コユキ。“研究所”から逃げてきた。眠い」
「要約力あるな……」
ため息をつくリンだったが、スマホのアラートが不意に鳴った。
「……止まった?」
発信機の点が、唐突にピタリと動きを止めている。
「場所は?」
「倉庫裏。……けど、気配が消えてる」
二人は、倉庫脇のフェンスを越え、草の生い茂る路地へ踏み込んだ。空気はさらに湿っぽく、土の匂いが濃い。
コユキが足元をじっと見つめ、ぽつりと呟く。
「……しっぽが揺れてる」
「どこだ?」
「そこ」
コユキが指差す先――ゴミ置き場の裏に、僅かに蠢く白い影。
その瞬間、空気が一変した。
まるで、肺の中に眠気そのものが流し込まれるような感覚。
「っ……来たか!」
リンはとっさに鼻と口を覆い、肩越しにコユキをかばうように前に出る。
「ただのネズミのくせに……見てきた瞬間に眠気を撃ち込んでくるって、どういう生態だ……!」
視界がぐらつき、足元がふらついた。
「……寝ちゃダメ、だよ」
コユキが、どこか夢心地の声で呟いた。その目だけは鋭く、ネズミを睨んでいた。
ネズミはじっとコユキを見返していた。
次の瞬間――
「避けて!」
リンが叫ぶと同時に、ネズミが超常的な加速で跳ね上がった。
(速っ――!)
まるで残像が走ったかのような移動速度。
だがリンは、胸元の袖口から小さな光玉を投げ放つ。
「閃光!」
眩い光が辺りを白く染めた。ネズミの動きが一瞬鈍る。
「今だ!」
リンは素早く地面を蹴る。忍者の名を冠するだけあって、その動きは重力を無視するかのようだった。
だが、ネズミの異常性はそれだけではなかった。
突如、地面から蒸気のような薄いガスが立ち上り、リンの動きを阻む。
足元のコンクリートが、無音で軋みを上げながら変形していく。
(こいつ……周囲の“環境”まで変えてきてやがる!?)
リンの視界が揺れ、足がもつれる。
「やばっ――!」
バランスを崩したその瞬間、背後からコユキの声が飛んだ。
「しゅー……」
コユキが両手を前に出し、不可思議な“祈るような”ポーズを取る。
「ねずみさん、ねんねのじかん……ましゅまろあげるから、おやすみなさい……」
不意に、ネズミの動きが止まった。
まるでその声に催眠されたかのように、ぼてん、とその場に倒れこむ。
リンは地面に転がりながら、急いで網状の装置を展開。
金属の輪がネズミを囲い、即座に拘束フィールドが作動する。
「――捕獲、完了。……っぶねぇ」
コユキが、眠そうな顔のまま近寄ってきた。
「ねずみ、おとなしくなった?」
「なったよ。あんたの“なぞの寝かしつけ術”のおかげでな」
「ましゅまろ、食べる?」
「いらないよ……!」
少しだけ笑ったリンは、捕獲したネズミに視線を落とす。
(……こいつ、本当にネズミか?)
その体表には、人間のような指の痕跡、そして見えないはずの“まぶた”がうっすらとある。
(おぞましいほど異質な生物……これがオブジェクトか)
コユキがぽつりと言う。
「……これ、私が持ってきたんだって」
「は?」
「忘れちゃったけど、私が捕まえて、ここに来たんだって」
「なんでまたそんなもん持って……いや、いい」
リンは懐から通信端末を取り出し、“雇用主”に連絡を取った。
「対象確保。隠蔽・回収班、急行して。……あと、ましゅまろ持ってきてやって。褒美らしい」
「やった!」
コユキが嬉しそうに手を叩いた。
「……やっぱり私、あのマナって子と組む方が楽だったかも」
小さく呟くリンの声は、夜の路地に静かに溶けていった。




