X01_HD 第1話
『ストレンジオブジェクト』──それがいつから存在し、何のために存在しているのかは、今もなお謎のままだ。
だが、現代科学では到底説明がつかない。そんなものが、まるで人知を超えて存在している。
それは神話の中で語られ、実在するのか夢の中のものなのかさえも分からない。
一般人は知る術も無い事だが、私は、私たちはそれが存在していることを知っている。
文字通りの”身をもって”。
無論、怪談、噂話、怪奇創作。全てが実在するわけではないだろうけど、
それでも実在すると公になるわけにはいかない代物。
そういった虚構を収集し、収容し、管理する。
この物語はそんな組織のお話。
もっとも、私は”管理”される側の人間だけど。
***
「暑い、怠い、しんどい。灰になる・・・」
むせかえるような夏の空気の中、黒髪ショートの少女・黒羽マナがぐったりと肩を落とし、ぬかるむ獣道を足取り重く歩いていた。
葉擦れの音と、耳元をかすめる虫の羽音が、彼女の不快指数を確実に上げていく。
「42回目。目標地点まで後322.4メートル。もうじき着くのだから我慢して」
隣を歩くチャコールグレーでミディアムヘアの少女──空科レイナは、まるで気温の影響など受けていないかのように、
整然とした足取りを保っている。首元の通信端末を見やりながら、淡々と告げた。
見渡す限りの緑に覆われた森の中、二人の少女の対照的な姿がそこにあった。
「上ももうちょっと近くに降ろしてくれたら良かったのに」
「その点には同意するが、対象が知覚できないとも限らない。ある程度距離をとるのは仕方ない」
「貴女はいいわよね、疲れ知らずで」
「それは偏見、私だって疲れる。ただ、口に出さないだけ」
レイナは感情を感じさせない声で返しつつも、ほんのわずかに口角を上げた。それを見たマナは軽く息を吐く。
「はいはい悪かったわよ。で、着いたらどうするんだっけ」
「ブリーフィング中寝てたの?私たちの任務は調査。
大きさが大きさだから”中身”がどうなっているのやら。
場合によっては破壊し始末は別チームに任せることになっている」
「破壊、ねぇ。中からモンスターとかエイリアンが出てきたらどうするのよ」
「その時は精一杯足掻いて生き残るしかない」
二人の会話を遮るように、遠くで鳥の羽ばたく音がする。
森は徐々に開けていき、木漏れ日がまばらに地面を照らし始める。
「鉱山のカナリアは辛いわ……」
「大丈夫。私たちが鳴けば5分で機動部隊が来るから」
「良かないわよ。エイリアン相手に5分もつわけないじゃない」
「相手がエイリアンとは限らないけどね」
「あー、帰りたくなってきたわ」
「私たちに帰る場所なんてない。ほらもうじき目標が見える」
茂みを抜けた先、視界が一気に開ける。丘の上に姿を現したのは、比較的綺麗な白い外壁と蔓草に覆われた廃病院。
無言のままそこに佇むその建物は、時の流れすら拒むかのようだった。
だがその上──空を切り裂くように、**異物**が浮かんでいた。
白く、不自然に巨大な物体。周囲の風景に溶け込むことなく、ただそこに“在る”。
それは──**卵**だった。
***
──話は8時間ほど前に遡る。
第零研究機構
近代以降、記録外の災害や人智を超えた事件が急増したことを受けて、国家間の密約により「第零番目の機関」として設立された。
そのエイドロンの地下にある作戦室。
無機質な白光灯が机の上を照らし、空気は静まり返っていた。
壁には配線が剥き出しの古いモニターと、使い古された資料棚が並んでいる。
部屋には黒羽マナと空科レイナ。そして、彼女たちの上司である城戸ナギサがいた。
会議卓に置かれた一枚の写真。
そこには、廃病院と思しき建物──そして、その屋上から天を突き破るようにそびえる、
異様なほど巨大な**白い卵**が写っていた。
「今回の任務はこの物体の調査だ」
「雑コラか何かですかこれは」
写真を手に取ったマナが、眉をひそめながら呟いた。
卵の異様さに、冗談にもなっていない軽口が自然と出る。
「写真には加工した痕跡はなかった。実際にこの大きさだと思われる」
ナギサは静かに返すが、その声には確信と同時に不確定な違和感も滲んでいた。
「思われる?誰が撮ったんですかこの写真」
レイナが身を乗り出し、視線を写真と端末の間に往復させる。
「撮影したのは我々ではない。とある廃墟マニアがSNSにアップロードしたものだ」
「うわぁ。やっぱコラ画像じゃないの?」
「衛星写真でも確認がとれた。この卵は実在する」
モニターの一つに衛星画像が切り替わる。木々に覆われた山中、白く輝く卵がはっきりと写っていた。
「衛星で確認できた物体を《プロメテウス》が捕捉できなかったと?」
「《プロメテウス》も完璧ではない。それにアレが完璧になったとき、管理されるのは人類の方だ。
……《プロメテウス》の話はいい。君たちが行うのは調査及び脅威度の測定だ」
「またカナリアのお仕事なのね」
マナは唇を尖らせたまま、机に肘をついて小さくため息をつく。
”先遣隊”。最前線で危険に触れ、反応を見る──そう、まるで鉱山のカナリアのように。
「君達ほどの適任はいない。幸いにも発見者が一人の内に対処できる事案だ。直ぐにでも向かってほしい」
「そんな辺鄙な場所なんですか?」
「地図によると昔は街があったようだが、今は廃墟となっているはずの場所だ」
ナギサが指し示した地図のマーカーは、深い森林地帯の中にぽつんと存在していた。
「廃墟……?その割には建物がきれいに見えますが」
「現在 《プロメテウス》が確認中だが、かなり前に建てられていることを確認している。
誰も来ないような場所に作られた施設だ」
「“ネクサス・オルド”のポイ捨て案件ってこと?」
“ネクサス・オルド”は異常存在を兵器・制御資源・超人兵士化のために利用・改造・実験する機関だ。
第零研究機構とは敵対的立場にあり、技術・オブジェクト・実験体の奪取を度々試みる程の間柄である。
「それも含めての調査だ。短くて済まないが早速行動してくれると助かる。行ってくれるね」
ナギサが立ち上がり、二人をまっすぐに見た。
「装備の支給は?」
「”typeB”まで許可する」
「貧弱ね。大丈夫なの?」
「当然だろ。そこいらに死体を作られても困る。」
ナギサが皮肉めいた笑みを浮かべる。
「まぁ君の危惧も尤もだ。装備に加えて”B-タブレット”の携行も許可する。有事の際は事足ると思うがね」
「マナ、ゴネても仕方がない。レイナ、任務了解致しました」
椅子からすっと立ち上がるレイナ。敬礼にも似た所作で礼を取る。
「はいはい、任務了解しました」
マナも渋々腰を上げ、レイナの後に続く。
そして二人は、静かに部屋を後にした。
冷たい蛍光灯の光が、閉まりかけたドアの隙間から彼女たちの背を照らしていた。