万引きした水の重さ
ピピピピピ・・・ガチャッ。
朝、起床時間を知らせる目覚まし時計を止めたのは、ある男子生徒。
この男子生徒、名前を川村裕也という。
裕也の家は両親が共働きで、裕也が朝起きる頃には、両親は既に出かけている。
テーブルにはいつも朝食と昼食のための金がおいてあるのが普通だった。
「あー眠い。今日も学校に行くか。」
裕也は金を財布に入れ、学校へ行く支度をして出かけていった。
このような事情だから、裕也は朝、学校へ行く前に、
朝食を用意しなければならない。
昼は学校の売店があるが、朝は学校の売店はまだ開いていないからだ。
だから今日もどこかのコンビニエンスストアで、パンと水を買うつもり。
いや、正確に言うと、そうではない。
この裕也という男子生徒は、実は今までに一度も朝食を買ったことがない。
では朝食を抜いているのかといえば、それも違う。朝食はしっかり摂っている。
何が違うのかと言うとズバリ、
裕也は朝食を用意するのに金を出したことがなかった。
朝のコンビニエンスストアや商店は、
同じく朝食などを買い求める人達で混雑している。
その混乱を利用して、万引きを繰り返していた。
「あんな長いレジ待ち列、いちいち待ってられるかっての。
すぐに会計させない店が悪いんだ。」
というのは、裕也本人の弁。
しかしなんてことはない、朝食を万引きをして金を浮かせて、
小遣いの足しにしているだけの話。
そうして今日もまた、裕也は、
スーツ姿のサラリーマンや学生服の学生でごった返す商店で、
朝食のためのパンと水を万引きするのだった。
万引きを続けていても、裕也はそれを咎められたことはなかった。
本人の才能か、それとも何かの都合か、誰にも捕まったことがない。
悪さは一度覚えると自分から止めるのは非常に難しい。
裕也は朝食を万引きする生活を続けていた。
そんなある日のこと。
いつものように朝食を万引きして道を歩いていると、
突然、目の前に立ち塞がるようにワンボックスカーが止まった。
中からは覆面をして顔を隠した男達が何人も出てきた。
「なっ、なんだ!?お前たちは・・・」
裕也の後頭部に強い衝撃が走る。
男の一人が鈍器で裕也の頭を殴ったからだ。
気を失った裕也はワンボックスカーの中に引きずり込まれていく。
その一部始終を見ている人はどこにもいなかった。
そうして裕也を乗せたワンボックスカーは、走り去っていった。
頭がズキズキと痛む。目の前が無から暗闇に変わる。
ハッと裕也は目を覚ました。
後頭部を手で触ると、派手なタンコブができていたが、
今のところ、出血や命に関わることはなさそうだ。
膝に手をついて立ち上がる。
辺りを見渡すと、古いレンガ造りの壁が周囲を囲っていた。
広さは狭くも広くもない、身動きは十分にできる広さ。
何のためなのか、目の前には冷蔵庫と冷凍庫。
中を調べると、パンや水などがたくさん入っていた。
「ここはどこだ?出口は?」
裕也は疑問を口にした。
すると、はるか頭上から声が聞こえてきた。
頭上には日光が降り注ぐ穴があった。
「ようこそ、川村裕也君、だよね?」
「我々は君に用があって、ここまで来てもらった。
少々手荒なやり方になったのは、容赦して欲しい。」
すると裕也は怒鳴った。
「あれが少々だって?
頭を殴られて、下手したら死んでいたぞ!
もし俺に何かあったら、どうしてくれてたんだ!」
しかし頭上の声は動じない。それどころか、軽く鼻で笑っていた。
「その時は目的達成ということで済んでいただろうね。」
「目的達成?」
「そう。我々の目的は、君を殺す、あるいは君の家族を殺すこと。」
「なんだって!?お前達は何者だ!?
どうして俺にそんなひどいことをするんだ。」
「ひどいこと・・・だと?」
頭上からの声が怒りに震えていた。
「我々は、商店を営む者だ。
コンビニエンスストアや、雑貨屋などね。
そう言われて、裕也君は何か心当たりはないかね?」
裕也が僅かに動揺をみせた。
「こ、心当たり?さあ・・・?」
「では、我々が言ってやろう。
裕也君。君はいつも我々の店で万引きをしていたね?」
「証拠ならいくらでもある。目撃証言、映像、動画、などだね。」
「だったらそれを持って警察にでも行ってみれば良い。
俺は未成年だ。万引きくらいで、将来ある若者が、
今後に影響するような大きな罰を受けるなんてことはないさ。」
「ああ、それは十分にわかっている。
この国では、未成年は特権階級、貴族に等しい。
裕也君、君が毎日万引きしていた物は、そんなに高価な物ではない。
しかし、毎日小石を投げつけ続ければ、相手の怒りは計り知れなくなる。」
「知るかよ、そんなこと。」
「まあそう言わずに、話は最後まで聞くものだ。
今、裕也君がいるのは、ある場所にある枯井戸の底だ。
周辺は滅多に人が通るところではないし、携帯電話も通じない。
中から上に上がる方法は無い。」
「お、俺をここで飢え死にさせようってのか?」
「そうなるかどうかは、君次第だ。
これから裕也君には、我々が出す問題を解いていってもらいたい。
見事、その問題をすべて解くことができたら、
君をここから出してあげよう。」
「・・・もしも、俺がゲームを無視したら?」
反抗的な裕也の言葉に上からの声は不敵に笑った。
「ははは、我々の言うことには従った方が良いぞ。
君には妹さんがいるそうだね。
とても可愛がっているって評判だ。
妹さんは夕方頃に帰宅する。
裕也君がゲームを無視すれば、
その一人っきりの妹さんに危害が及ぶことになる。」
「くそっ!妹の早紀は人質ってことか!
早紀になにかしたら、お前達はただじゃおかないぞ!」
「ははははは・・・!」
裕也のはるか頭上からは、覆面の男達の笑い声がこだましていた。
裕也は今、枯井戸の底に閉じ込められている。
これから出される問題を解けなければ、妹の身が危ない。
仕方なく、裕也は従うことにした。
改めて状況を確認する。
ここは枯井戸の底。周囲は苔むして薄暗い。
目の前には冷蔵庫と冷凍庫が置かれている。
中を開けると、冷蔵庫にはパンと水のペットボトルが、
冷凍庫には凍った水のペットボトルと、いくつかの製氷皿があった。
「さて、問題をはじめようか。」
頭上からの声に、裕也は冷凍庫の扉を閉じた。
「第一問。この瓶の中にあるピンポン玉を、瓶を割らず傾けず取り出せ。」
ドサッと頭上から包みが落ちてきた。
スチロールなどに包まれた包みを開けると、中には、瓶が一つ入っていた。
瓶の大きさは数Lの水が入るくらいだろうか。
底にはピンポン玉が入っている。
「この瓶からピンポン玉を取り出せばいいんだな?」
「ああ、そうだ。ただし、瓶は割ったり傾けたりしてはならない。
まっすぐに置いておくこと。」
裕也は改めて瓶を見た。
瓶は長細く、手を突っ込んでも底までは届かない。
周囲を見渡すが、道具になりそうな物は何も無い。
「うーん。手ではどうにもならないな。冷蔵庫になにかあるか?」
冷蔵庫の扉を開けてみる。
するとそこには、2Lなどの水のペットボトルが何本も入っていた。
裕也の頭がピーンとひらめいた。
「そうだ!水だ!」
裕也は瓶を冷蔵庫の上に置き、ペットボトルの水を瓶の中に注ぎ始めた。
すると底のピンポン玉は水で浮いてきて、
やがて手が届く位置まで上がってきた。
裕也は水浸しのピンポン玉を掴んで言う。
「やった!瓶を傾けずにピンポン玉を取ったぞ!」
すると頭上から声がした。
「見事、正解だ。裕也君、中々やるじゃないか。
ところで裕也君、冷蔵庫と冷凍庫の中身に見覚えはないかね?」
「見覚え?ただのパンや水じゃないか。」
「それは、君が今までに我々の店から万引きしたパンや水と同じものだ。
もちろん、我々が把握してる分量だけ、だがね。」
「なにが言いたいんだ?」
「裕也君が盗んだものは、こんなにも有用なものだということだ。」
パンや水はもちろん食料だ。
しかしそれだけではない。他にも使い方はあり得る。
それを裕也は、何も考えずに私利私欲のためだけに盗んだのだ。
裕也の心がチクリと痛んだ。
万引きをして得た金を何に使ったか覚えていない。
有用な使い方はどちらか、裕也にも明らかだった。
少しだけ反省する裕也に、頭上から声がした。
「では、次の問題だ。」
頭上から何かが落ちてきた。
拾うとそれは、大きなプラスチックの容器だった。
形は正立方体、透明なプラスチックのこれと言って特徴のない容器。
そして頭上からの声は言う。
「それは5Lの水が入る容器だ。
それを使って、2.5Lの水を正確に計れ。」
なんだか数学のような問題に、裕也は首を傾げた。
またしても水の問題だ。
自分が盗んだ水を使って、問題を解くことになるだろう。
裕也は冷蔵庫の扉を開けた。
中には水の入ったペットボトルがいくつもあるが、
どれも2Lなど偶数入りばかりで奇数のものはなかった。
つまりそのままでは2.5Lなどという半端な水は計れない。
「容器の真ん中まで水を入れたら、2.5Lになるんじゃないのか?」
「そんな不正確なやり方では駄目だ。
完全に正確でなくても良いが、目分量ではだめだ。」
頭上からの声に、裕也は頭を掻いた。
5Lの容器で目分量で無く正確に2.5Lを計るにはどうすればいいだろう。
考えて考えて、容器を転がして気がついた。
「そうだ!この5Lの容器は正立方体だから、
斜めにすれば半分の容量が計れるはずだ!」
裕也は正立方体の容器を傾けて冷蔵庫と冷凍庫の間に置き、
そこに水を流し込んだ。
水は斜めに溜まっていき、あふれる寸前の所で水を止めた。
すると正立方体の容器には、ピッタリ半分の2.5Lの水が得られた。
頭上から声がする。
「よし、合格!2.5Lの水を計ったと認める。」
「ふぅ・・。なんとかやったな。」
「裕也君、その水も君が盗んだものだ。
僅かな水でも毎日溜めれば、それだけの量になるのだ。
そして君がおろそかにしている学校の勉強。
それすらも、時には君の命を救うことがあるのだよ。」
「ああ、わかってるよ。さっさと次の問題を出せよ。」
お説教に裕也は苛立ったように応えた。
次に頭上から降ってきたのは、物入れの箱だった。
シンプルな装飾の木箱で、鍵穴が空いていて今は蓋が開かない。
「次の問題。その箱を壊すこと無く開けてみせろ。」
「へいへい、次は箱開けね・・・。」
言われるまでもなく、裕也はもう箱を調べ始めていた。
箱は古いオルゴールのような箱で、木製。
壊したり力付くで開けられなくもなさそうだが、
それは、いの一番に禁じられてしまった。
では鍵を見つけるしか無いだろう。
裕也は枯井戸の底を探してみた。
しかし鍵になりそうなものはない。
とすれば、やはり冷蔵庫と冷凍庫だ。
裕也は冷蔵庫の中を開けてみた。
水は今回、役に立たないだろう。ではパンは?
パンを潰して鍵の形にするには無理があるだろう。
裕也は次に冷凍庫を開けてみた。
いくつかある製氷皿をみてみると、都合よく鍵の形をした製氷皿を見つけた。
「なるほど、氷の鍵ってわけか。
でもこれを素手で持ったら、すぐに溶けちまうな。
・・・そうだ。食パンで挟んで持ってみよう。」
裕也は手の温もりで氷の鍵が溶けないように、
食パンをスポンジのように掴んで氷の鍵を取り出した。
なんとか氷の溶け方は穏やかになったようだ。
そして箱の鍵穴に氷の鍵を入れると、ガチャッと箱が開いた。
箱の中には、お菓子が入っていた。
裕也が顔をしかめて言う。
「この菓子もまさか・・・」
「そう、君が今までに万引きしたものだ。
君には駄菓子でも、人によっては宝物にもなりうる。
覚えておきたまえ。」
「チッ。」
裕也は悪態をついた。
問題はまだ終わらないようだ。
頭上からまた何かが落ちてきた。
「次の問題だ。」
頭上から落ちてきたのは、小銭がいくつかと、
それに見かけだけはそっくりなおもちゃのコインだった。
「次の問題。そのコインの大きさがお金と違うことを証明しろ。」
「贋金の鑑定だって?・・・あっ。」
そういえば裕也は、ゲームセンターなどで使われるコインを、
小銭に見せかけて商店で使ったことがあったのだった。
これが意外にも、老婆などにはバレないものだった。
「どうやらこの問題は、それへの当てつけ・・・」
「と、いうことだ。さあ、贋金の証明をしてみせろ。」
これには裕也には覚えがあった。
「これはこないだ学校で先生から聞いたばかりだから、すぐに分かるぞ。」
裕也は2つの4Lの水の入ったペットボトルを用意して、
それぞれに硬貨とコインを入れてみた。
するとあふれ出る水の量に明らかな違いがあった。
「ほら!見てみろ!あふれた水の量の違いが、体積の違いをあらわしてる。
アルキメデスの原理って、こないだ学校でやったんだよな。」
すると頭上の声は微笑んだ。
「ほほう、学校の授業をちゃんと聞いていたとは関心関心。
君が普段粗末にしている学校の勉強も、
状況次第ではまたもや命を救ってくれるというわけだ。」
「おい、俺の学校でのことは、万引きとは無関係だろう。」
「なに、大人からのアドバイスだよ。」
まだ問題は終わらない。
「では次の問題だ。」
頭上の声とともに降ってきたのは、縄でぐるぐる巻きに縛られた箱だった。
箱は小箱と言えるほどの小さな物。鍵穴は空いていない。
その箱を、細い縄がぐるぐる巻きにしてある。
そうして鍵をかけずに開けられなくしてある箱だった。
「その箱を、箱を破壊せずに開けてみろ。」
裕也も慣れたもので、指示されるまでもなく、もう調べ始めている。
縄はワイヤーではないが丈夫で、噛みついたくらいでは切れそうもない。
何か刃物が必要だろう。箱は同じく木の箱だ。
こういうときの頼みは何か、裕也にはもうわかっている。
裕也は冷蔵庫を開けてみた。
中の水やパンは縄を取るのに役に立たないが、
パンは氷を持つのには役に立つだろう。
次に冷凍庫の扉を開けてみる。
製氷皿をいくつか調べると、ナイフのような形の製氷皿がいくつか見つかった。
「よし!これで縄を切れば・・・取れた!」
見事、氷のナイフを使って、縄を切ることができた。
箱を開けると、中にはライターオイルが入っていた。
裕也は言われる前に声を上げた。
「これも俺が万引きした物だって言うんだろ?
わかってるよ。
あの時は、先輩に命令されてしかたなかったんだ。」
「万引きの良し悪しに理由は関係ない。」
頭上の声は氷のように冷たかった。
頭上からぽたりと何かが垂れてきた。
最初、裕也はその紐が問題の一部だとは気が付かなかった。
頭上から声が聞こえる。
「裕也君。これが最後の問題だ。
その紐は導火線になっている。その導火線に火を点けろ。」
「導火線?導火線って、爆弾に火を点けるものだよな?
何の爆弾なんだ?」
すると頭上の声は楽しそうに言った。
「それは、君の家に仕掛けた爆弾の起爆装置だ。
それに火を付けられたら、そこから出してやろう。」
すると裕也は吠えるように怒った。
「俺の家を爆破だって!?
今頃の時間は、早紀も家に帰って来てる頃だ。
早紀に危険が及ぶようなことは、絶対にやらない!」
「どうしてもか?」
「どうしてもだ。」
「君の命が危ないとしても?」
「当たり前だ。妹の早紀は、俺の命より大事な存在だ。」
裕也は頑として譲らなかった。
妹の早紀は裕也にとって目に入れても痛くない存在。
自分の命を天秤にかけられても、決して譲れない。
裕也は断固として従わなかった。
すると頭上の声は、仕方がないといった様子で言った。
「では、死ぬまでその枯井戸の底にいるが良い。」
それから、頭上の光は夕焼けになり、頭上の声は聞こえなくなった。
あれから何日が経っただろう。
一日?二日?一週間?
裕也は未だ枯井戸の底にいた。
最終問題、自分の家を爆破する導火線に火を点けろ。
そんなことをすれば、家族、特に妹の早紀に危害が及ぶかもしれない。
それを拒否して、裕也は枯井戸の底に籠もっていた。
助けは来ない。自力で脱出することもできない。
だがしばらく生きていくことには問題がなかった。
なぜなら、冷蔵庫と冷凍庫には水とパンがたくさんあるから。
自分が今までに万引きした食べ物と飲み物は、
これだけ長く飢えをしのげるほどの量だったのだ。
そう思っていた。
しかし、実際試してみると、
人間が一日を健康に過ごすために必要な食べ物と水の量は、
意外と少なくないものだった。
毎日目に見えてパンと水が減っていく。
今では身体の衰えを確実に感じる程に衰弱していた。
このままここで死ぬのか?
いっそ氷のナイフを使って楽になろうか、
そんなことを考えたのも一度や二度ではなかった。
でも、その前に、試してみたいことを思いついた。
裕也の無断外泊など日常茶飯事で、両親は気にもしていないはずだ。
しかし妹の早紀は心配してくれていることだろう。
その早紀が留守の時なら、家を爆破しても良いのではないか?
裕也はそう考えたのだった。
早紀が確実に家にいないのは、学校に行っている間。まさに今の時間だ。
ここから脱出さえすれば、どうにでもなる。
裕也は枯井戸から脱出するため、最後の問題に挑むことにした。
「えーっと、最後の問題は、あの導火線に火を点けろ、だったな。」
導火線を確認してみる。
外は濃い色の紙状で、中に火薬らしき粉末が入っている。
これに火を点けるにはどうしたらいいだろう。
裕也はタバコを吸わないので、ライターは持ち歩いてはいない。
火の気と言えば、箱に入っていたライターオイルくらいだ。
頼みの綱の冷蔵庫と冷凍庫を見てみる。
冷蔵庫の中はもうパンがいくつかと、数本の水のペットボトルだけ。
冷凍庫の中には、ただの氷といくらかの製氷皿が入っていた。
試しに水の入ったペットボトルを取り出してみる。
水の入ったペットボトルは重く、頭上の穴からの日光を浴びて輝いている。
「そういえば、聞いたことがある。
水を入れたペットボトルって、レンズの代わりになるって。
よし、やってみよう。」
裕也は導火線にペットボトルのレンズで日光を当ててみた。
日光はレンズによって集められて、細い一点の光になった。
だがそれだけでは中々火が点かない。
「もう少しなのに・・・あっ、あれがあった!」
裕也は箱からライターオイルを取り出し、導火線にかけた。
そして再びペットボトルのレンズで導火線に日光を集中させる。
まだか・・・まだか・・・。
火が点くのをジリジリと待つ。
するとやがて、薄い煙が上がり始め、ライターオイルに淡い火が灯った。
「やった!この火を導火線に・・・!」
ライターオイルの火を導火線に燃え移していく。
チリチリと火薬が弾ける火花を飛ばしながら、火が導火線を伝っていった。
それからしばらく、裕也は祈っていた。
「どうか、家に早紀がいませんように・・・!」
裕也の懸命の祈りは、予期しない形で報われた。
突然、頭上で大きな爆発音がした。
おそらく、今火を点けた導火線による爆発だろう。
ここは家のすぐ近くだったのか?
すると爆発によって枯井戸の壁がガラガラと崩れ出した。
それは折り重なって積み上がっていく。
「やった!これを登れば枯井戸から出られる!」
それどころではない。
崩れてくる石壁の上に乗らなければ、下敷きになってしまう。
四つん這いになって懸命に枯井戸の上を目指す。
あと少し・・・!あと少し・・・!
「早紀!無事か!?」
枯井戸を登りきった先は、裕也の家ではなかった。
ここはどこだろう。
今までに来たことがない廃屋の庭のようだった。
「早紀は!?早紀ー!」
家を目指して、裕也はでたらめに走り始めた。
だから裕也は忘れてしまっていた。
自分をこんな目に遭わせた覆面男達の行方を。
でも今はあの男達のことなどどうでもいい。
大事なのは妹の早紀の安否だ。
廃屋は家からそう遠くない場所にあった。
見知った道に出るのに多くの時間はかからず、
ようやく家が見えてきた。
でもおかしい。
「何も・・・ない?」
確かに、家に設置された爆弾の導火線に火を点けたはずなのに。
しかし今見ると、家は何とも無かった。
騙された。あの導火線は、枯井戸の爆弾だけのものだったのだ。
がっくりと膝をつく裕也の背中に声がかけられる。
「お兄ちゃん!?今までどこに行ってたの!」
振り返るまでもない。
妹の早紀の無事を確認して、裕也は早紀を抱きしめて涙を流していた。
あれから、裕也の日常は無事に帰ってきた。
もっと言えば、裕也がいないのに気がついていたのは、
妹の早紀や学校の先生や友達くらいのものだった。
その中でも本気で心配してくれていたのは、妹の早紀だけ。
日常は帰ってきたのではなく、最初から失われてもいなかった。
覆面の男達がどこの誰だったのかはわからない。
しかし、裕也はそれを調べようとは思わない。
覆面の男達は、商店の人達だと言っていた。
だから調べようと思えば調べられるだろう。
れっきとした犯罪行為も含まれる。
警察に通報すれば、あの男達は逮捕されることだろう。
しかし裕也はこう思う。
これらは元はと言えば、自分がしていた万引きが原因のこと。
これからはお互いに悪さを止め、日常に戻るのならそれでいいのではないか。
今の裕也はそう思っていた。
少なくとも、妹の早紀が無事ならばそれでいい。
そして裕也は今日も学校に通う。
近所のコンビニエンスストアのレジの列に並ぶ。
「次のお客様、お待たせしました。」
「はい、このパンと水をください。」
会計を終わらせて受け取ったパンと水。
これで終わり。もう終わったこと。
頭ではわかっている。わかってはいるのだが。
裕也は、買ったばかりのパンと水を見て、
自分は本当にちゃんと金を払っただろうかと、
ほんの僅かな恐怖感を感じていた。
終わり。
店屋には頭の痛い万引きの常習犯が復讐される話でした。
犯人から謎解きを強要されるミステリー要素も入れました。
最後に裕也は家族に危害が及ばない形で脱出することができました。
もしも裕也が、最終問題で躊躇なく導火線に火を点けた場合、
裕也はどうなっていたのでしょうか?
その場合は、枯井戸に埋められる、という結末にするつもりでした。
この物語には他にも違う結末を考えてあって、
中には裕也が氷のナイフで自ら決着をつける結末もありました。
どちらも穏便な結末ではありません。くわばらくわばら。
お読み頂きありがとうございました。