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インスロンの宮殿

作者: 沼野中

インスロンという場所には宮殿があった。

埃にまみれ瓦礫の散らばる宮殿の壁にはこう書かれている。

『無知な者は己を知れ

知る者は全てを知るな

全てを知る者は 』


(わたくし)はこれまでの人生で夢らしい夢を見たことがないと断言できましょう。

私の見る夢は常日頃から全て現実味を帯び、また陳腐で出来事の単純な繰り返しというようなもので一度見たつまらない映画を見続けているようでした。

しかし私は一九八二年年の十一月七日の夜のことを生涯決して忘れるようなことは無いとあなた達に宣言でき得ます。

忘れたくてもそれは忘れることが不可能であると思います。

それは平生の私の夢とは大層かけ離れ、なんとも恐ろしく冒涜的で怪奇小説のような夢でありました。

どうか、この老い先短い私の虚実のような話を聞き届け、覚えていてください。


私は十一月七日のあの夜はマンチェスターへ遠出をしてクレイグとバーで酒を飲み彼の家へ向かいました。

その頃の私はまだ二十五か六の頃で世間は失業やら何やらで大いに錯乱しておりましたがそんなことを気にもとめず私は親の遺産を食い潰し、遊んでばかりいました。

なにしろその頃はいつもより寒く、酒を飲み火照った体でも身震いが酒の高揚感を覚まさせるかのように訪れたのを覚えています。

彼の家へ着いた頃には辺りはしんと静まり返っており、切り離された空間のようだと感じました。

彼は家に入るやいなや私にこう尋ねました。

『インスロンという場所を知っているか』

彼は歴史学者になったような顔で私に尋ね、私が酔って使い物にならない頭の歯車を回している内にこう続けました。

『そこには金銀財宝が眠っていて誰でもそれを手に入れる事が出来る

しかし誰もそこに辿り着くことが出来ない』

私は歯車を回し終え呂律が回らない口を開いてこう言いました。

『何故そんなことを知ってるんだい

また新しい本の設定でも考えたのか』

少しの沈黙の後彼は私の回答に呆れたのか何も答えず私を馬鹿にするように鼻を鳴らしました。

それから彼と与太話を続けているうちに彼はいつの間にか机に伏していました。

私たちが家に来てから三時間程経っていたものですから、彼も酒が回っていていたのでしょう。

私もそれが伝染したように眠気が回り始め、眠ってしまいました。

あぁ、これが間違いだったんです、彼がこんなことを言ったために…。


気が付くと私は見知らぬ場所に横たわっていました。

そこはレンガ程の大きさの黄土色の石で構成された空間で寂しさを感じさせるような場所でした。

その事を認識してしまった私は一気に酔いが覚めて同時に恐ろしく思いました。

どうしてこのような場所にいるのか、いつここに来たのか皆目見当がつかなかったからです。

そこで私は愚かにもその場所を抜け出して空間を調べていったのです。

混乱していたのでしょう、今になるととても愚かで馬鹿な選択をしました。

抜け出した先には長い長い通路が繋がっていました。

五十ヤードもありそうなとても長い黄土色の石で構成されている通路でした。

天井も壁も床も全て長方形に象られた石でできていました。

私はその光景に呆気にとられていると何かの足音が聞こえました。

それは私から遠くなることも近づくことも無くずっとどこかで鳴っていました。

実の所私はあの足音を聞いていると気が狂いそうでした。

私があの空間にいたのは小一時間程度でしょうが、あのコツコツという音はずっと同じ間隔で鳴り続け休まるところがなかったからです。

考えてもみてください、あの街をせしめんとする居丈高な男たちの革靴の音が耳元で常に鳴っている状況を。


私があの忌まわしい空間を探索していると一つの扉のような物に出くわしました。

それは黄土色に染められた絵に水を垂らしたように特異でした。

赤い塗料で上塗りされているらしいその扉は十フィート程の大きさでまるで私を招いているかのように少しの隙間が開いていました。

私はそこへ迷いなく入ってしまいました。

そこは今までとは打って変わって広大かつ陰気臭く埃が立ち込めていました。

他の部屋のようなものは人が居たような様子を醸し出していましたがこの空間は閑散としていて瓦礫が乱雑にどこにでも積まれ今にも崩れそうな印象でした。

そこを歩いていると最奥の壁に何かが書かれているのを見出しました。

積もった砂や塵を払い除けるとたしかこう書かれていました。

『無知な者は己を知れ

知る者は全てを知るな

全てを知る者は』

最後の文末は壁が崩れて判読が不可能でした。

その文字は扉と同じ赤いペンキで書かれて所々朽ちて薄くなっておりました。

私がその文を音読しようとした時に誰かが近づいているのに気がつきました。

その正体はクレイグ、彼でした。

彼は私がここにいることに驚いているのか、平生は半分しか開いていない目を見開かせていました。

私は過去に彼に何を言ったのかよく覚えていませんが、彼が私に何を言ったのかは覚えております。

彼は私にこのようなことを言っていました。

『どうして君がここにいるんだ』

それと彼はこうも言っていました。

『しまった、あれのせいか』

私はその当時彼も私のように何かに巻き込まれているのかと解釈していましたが、今では彼の所業に巻き込まれたのだと理解しています。

彼は一通り何かを言った後、何かに焦ったような様子で私にこう言いました。

『ここにもうじきあいつが来る、君は元いた場所に戻ってくれ』

私には何が何だか分かりませんでした。

あなた達も私からこのような話を聞かされて置き去りにされている感覚でしょう。

ここからです。

彼はいきなり私にこう叫びました。

『なんてこった!もうじき"あいつ"が来る!

さっさと逃げろ!』

平生は語調を荒げない彼でしたから、その当時の私は大いに驚き、彼の様子から並々ならぬ事態だと、そう理解しました。

すると彼はいきなり私を突き飛ばしました。

私は丁度彼を見上げる様な体勢で背中から倒れました。

彼に文句の一つでも言ってやろうかと口を開こうとすると、"それ"は現れました。

"それ"はあの文言が書かれている壁から現れ、彼の後ろに立っていました。

"それ"は七フィートもある体にアルビノのような肌で顔は良く見えませんでしたが丸々と肥った醜い男でした。

"それ"はクレイグの首を赤い血管の走る腕で鷲掴みにし、彼を軽々と持ち上げてしまっていました。

えぇ、分かっています、もちろん彼は抵抗をしました。

しかし、あの大男はそれを気にしない様な素振りでそのまま彼を掴んだまま壁の中に入り込んでしまいました。

砂岩の様な石で出来た壁を簡単に通り抜ける様子を私はただ見上げることだけしか出来ませんでした。

咄嗟に自分を取り戻した私は半ば狂乱の状態で部屋を抜け出ました。

幸いなことにあの男は私に興味が無いらしく、そのまま最初の部屋へ戻ることが出来ました。

そこから私が何をしたのか覚えていませんが、ふと気づくとあの耳元で鳴っていた革靴の音が肉を潰すような不快な音に変わっていました。

今考えてみるとあの場所が彼がクレイグが言っていたインスロンという場所だったのでしょう。

そうと考えないと考えが帰結しないのです。


それから私はようやく現で目覚めました。

どうやら椅子から落ちていたようで私は木張りの床に倒れていました。

起き上がると妙に嫌な寒さがしました。

机を見ると酒瓶と少し琥珀色の液体が残ったグラスの前に突っ伏している彼がいました。

私はあの事を思い出し彼を揺さぶりました。

しかし彼は泥酔して寝ているかのように全く反応はありませんでした。

そこで私は彼の顔を横から覗き込みました。

彼の顔はまるで死人のように青白くなっていました。

いや、あの時には既に死んでいたのでしょう。

彼の顔に眼球の膨らみはなく、ぽっかりと穴が瞼に塞がれていました。

私はそれを見て遂に自分を見失いました。

次に目を覚ました時には警察に囲まれていました。

それから私は彼らに本当のことを告げましたが彼らは非情にも常識的でした、私の言葉を信じることも無く私の事を精神疾患者などとして病院に送りつけました。


結局彼の死因は不明のままです。

どうせ医者などに言っても戯言と切り捨てられるでしょうし、私は言うつもりもありません。

私はあの場所がインスロンだと思っています。

そしてあの男はあの宮殿の主で訪れる者をピューマのように待っているのだと思います。

もしあなた達がこのような夢を見たのなら決してあの部屋に行かないでください。

私はこのことを死ぬまで忘れるつもりはありません。

この嘘のような体験は決して忘れる事ができませんから。」

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