3 絶対にやってはいけないこと
蓮花はにやりと笑う。
「証拠? 証拠はあるのよ凜妃さま。あの時、あたしが投げつけたのはクサノオウという黄色い花をつける植物なの」
恵医師は薬箱を開け、一本の植物をそこから取りだした。
「これがクサノオウでございます」
「その草がどうしたというの?」
「恵医師、説明して」
「はい。古くから薬草として用いられてきたクサノオウは乾燥させると鎮痛、消炎作用がある反面、全草に毒を持ち、触れるとかぶれるのです。もし、誤って口にすると最悪死に至ることも。特に、ちぎった箇所から漏れる液体は毒性が強く」
恵医師は手にしたクサノオウの茎をぱきりと二つに折る。
「見ての通り、茎を手折ると黄色い樹液が滲み出て、それが皮膚に触れたらただれます」
「だからそれがなんなの!」
凜妃の声に苛立ちがにじむ。
蓮花は説明を続ける。
「陛下が倒れたと聞いて駆けつけた時、凜妃さまの太監の顔、肌荒れがひどいようだったけど大丈夫? もし、クサノオウが口に入っていたら大変。あ、解毒剤は恵医師が持っているから言って」
凜妃は眉根を寄せた。
「それから、太監の所作って独特よね。いつも前屈みで、小股でちょこちょこ忙しなく歩く感じ。去勢したことで尿意の調整がうまく効かないからとか? あの時、陛下を暗殺しようとした刺客の動きが、まさに太監そのものだった」
蓮花はそうでしょう? というように肩をすくめる。
「そして、陛下暗殺の罪を景貴妃の兄になすりつけた。景貴妃は称号を奪われ夏延宮で禁足の身となり、あなたは侍女を使い景貴妃のお茶に毒を仕込んだ」
「あんな毒婦死んで当然でしょう」
凜妃の口から毒婦という言葉が飛び出し、蓮花は呆れてあんぐりと口を開けた。
あんたも相当な毒婦でしょ!
「凜妃さまは皇太后さまをも排除しようと思った。皇太后があたしの顔を見て驚いたことを覚えてる? 翆蘭の侍女、笙鈴の面影にあたしを重ねた。そのことで当時のことを思い出し、事件のことを蒸し返すのではないかと恐れた。ならば、この機会に消してしまおう。そもそも、皇太后さまは昔、氷妃と寵愛を競っていた敵。そして、あなたは絶対にやってはいけないことをやった」
「やってはいけないこと。それは、何かしら?」
「ところで凜妃さま、身体の具合はもうよくなった? 体調が悪いと言って養生していたわよね。どんな薬を飲んでも効き目がないでしょう? そりゃそうよ。凜妃さまの身体の不調は、跳ね返った呪詛によるものだから。だから、医師に診てもらい薬を処方してもらってもどうにもならない。むしろみてもらうなら呪術に精通した者ね」
無言の凜妃に、蓮花は厳しい目を向けた。
「皇太后さまに呪術をかけたわね。どうして分かったのって? あたしは霊能者。そういうのは一番の得意分野だから。あなたから呪術のにおいがぷんぷん漂ってくるの。魚が腐ったような腐臭。あたしは皇太后さまにかけられた呪詛を跳ね返した。跳ね返した呪詛はどうなると思う?」
凜妃のひたいに、じっとりと汗が滲んでいるのが分かった。
「呪った者に何倍にもなって返るの。人を呪わばって、言うでしょ? 案の定、翌日からあなたは体調を崩して寝込んだ。人を呪ったらその呪いは自分にも跳ね返る。今ならはっきりと視えるわ。あなたの身体にまとわりつく黒い邪念が!」
「黒い邪念ですって? そんなもの誰にも視えないじゃない」
「そうね。それは霊能者であるあたしにしか視えないもの。だけど、一つ言っておくわ。跳ね返った呪詛はやがてあなたの身体と精神を蝕む!」
蓮花はぴしりと凜妃に向かって指を突きつけた。
「今さらそんなことを言っても、もう遅いわ! さあ一颯、そのこざかしい小娘を殺して! ああ、こんなことだったら、その小娘を真っ先に殺すべきだった!」
凜妃の命令に一颯は剣を抜く。
冷えた眼差しに射貫かれ、蓮花は身を震わせた。
「凜妃さまは優しい方だと思っていました。悲しいです」
「私を菩薩かなにかと思った? 残念ね!」
やりきれないような感情が胸に湧きあがった。
蓮花は手にしていた牡丹をあしらった紅玉の簪に視線を落とす。
真実はなんて残酷なのだろう。
「そうだった。この簪、お返ししますね。本当は言うべきかどうか迷ったんですけど」
「今度はなに?」
「お子ができないと凜妃さま、嘆いていましたよね。それもそのはずなんです」
蓮花は手にしていた簪を、思いっきり地面に叩きつけた。
驚いた凜妃は、側にいた一颯の腕にしがみつく。
紅玉が割れ、そこから赤い粉と小さな花びらのようなものが地面に散らばった。
「この紅玉には紅花の粉が仕込まれていたから。言ったでしょう、紅花を使ったものは装飾品もだめだって。陽の光にかざした時に気づいてしまったの。つまり、凜妃さまに子ができないよう細工されていた」
「だって、これは陛下から下賜されたもの。陛下がわざわざ希少な石を取り寄せて……」
ようやく、凜妃は陛下の意図に気づき、目を見開いた。
「陛下は私に子ができないように……」
初めて知った真実に、凜妃は愕然とする。
赦鶯陛下は最初から凜妃を敬遠していた。
氷妃の姪である凜妃に子ができないよう細工していた。つまり、舒一族の勢力を大きくさせないよう、あらかじめ手を打っていたのだ。
「さあ、もう言い逃れはできないわよ。墨も化粧品も何もかも、すべて恵医師に調べてもらっている。それらが凜妃さまから贈られたものだってこともみなが知っている」
諦めたように凜妃は肩をすくめた。
「ええそうよ。何もかも私がやった。私は一族のためにも皇后にならなければいけなかった。没落した一族を再び繁栄に導くために。一族の命運がこの肩にかかっているのよ。なのに私は何も果たせていない。せっかく陛下の妃となっても、寵愛すらしてもらえない。おまえのような貧民に、私の苦しみなど分からないでしょうね。さあ一颯、この娘を殺して! そして、皇帝の座を奪い返すの!」
「そういうことだったか、凜妃」
凜妃の金切り声と重なるように、岩陰から赦鶯陛下が姿を現した。
背後に数十名の兵士を従えて。
凜妃を除く者全員が陛下の前に膝をつく。
「ごくろうだったな、一颯」
「どういうこと、一颯! 裏切るの!」
赦鶯の言葉に凜妃はきつく眉根を寄せ、仲間だと思っていた一颯に説明を求める。
「裏切るもなにも、僕はおまえと氷妃の悪事を暴くため、おまえの奸計に従う振りをしていた。赦鶯陛下の命令によって。今すぐ凜妃付きの太監を捕らえ、詳しい話を聞き出せ」
凜妃の太監を捕らえようと、兵士がいっせいに詰め寄る。
「一颯! あなたは氷妃さまの実の息子。なのになぜ氷妃さまを裏切るような真似を!」
一颯はふっと笑った。
「たとえ、氷妃が生母であっても、凌家に預けられた時から僕は凌家の人間で、僕の母はただ一人。僕を実の子のように慈しみ育ててくれた香麗さま」
「なにを言っているの一颯。本来ならあなたが皇位につく筈だったかもしれないのよ。惜しくはないの、皇帝という地位が!」
「今言ったはずだ。僕は凌家の人間で、赦鶯陛下の忠実な臣下だと」
赦鶯は感情のない眼差しで凜妃を見下ろした。
「凜妃を捕らえ慎刑司へと送れ。この件に関するすべてのことを吐かせろ!」
陛下の容赦ない言葉に、凜妃は青ざめながら後退する。
「待って! 私は叔母の氷妃さまに命じられただけなの。すべて叔母が仕組んだこと。本当よ。氷妃さまに会わせて! 捕らえるなら叔母も一緒よ!」
泣き叫ぶ凜妃の言葉を遮るようにその声が届いた。
「何を騒いでいるの。花を愛でに来たのだけれど、場が悪かったかしら」
蝋梅の木の陰から、一人の女が現れた。
風が吹けば倒れてしまうのではと思われる華奢な身体にしなやかな仕草。今にも消え入りそうなか細い声。まるで菩薩のような微笑みを浮かべる美しい女性であった。




