1 黒幕の正体
「話というのはなにかしら?」
相手に背を向け、花園の池の縁に立っていた蓮花は、ゆっくりと振り返った。
「わざわざご足労いただき、ありがとうございます、凜妃さま」
いつもとは違う、どこか距離を感じさせる蓮花の態度に、凜妃は戸惑いを見せる。
凜妃の目が、結い上げた蓮花の髪に向けられた。
「初めてね。私があげた紅玉の簪をつけてくれたのは。似合うわよ。可愛らしいわ」
蓮花はちらりと凜妃の側に控える侍女に視線を走らせる。
蓮花の意図に気づいた凜妃は侍女に下がってと命じた。そして、この場にいるのは、蓮花と凜妃だけとなる。
「凜妃さまは優しくて慎ましく、慈悲深い方だと思っていました」
思いやりがあって、優しい凜妃のことが好きだった。
凜妃はふふ、と笑う。
「どうしたの蓮花?」
「まさか、この一連の事件の黒幕が凜妃さまだったとは、今でも信じられない気持ちです。いいえ、嘘であって欲しい、何かの間違いだと今も願っています」
「本当に今日の蓮花はおかしいわ」
「あたしの両親を配下の者に命じて殺害したのも、皇后の子を害そうとしたのも、皇太后に呪術をかけ呪い殺そうとしたのも、陛下の暗殺も、景貴妃を毒殺しようとしたのも、そして、あたしを殺そうとしたのも。なにもかも全部、凜妃さまの仕業だった」
犯人扱いされても凜妃は、不愉快な感情ひとつ見せることなく、ましてや動揺することもなく、いつもの穏やかな笑みを口元にたたえていた。
蓮花の背に寒いものが走った。
凜妃の微笑みがいつ崩れるのか。
彼女の知られざる悪の本性がいつさらけ出されるのか。
豹変するその瞬間を、見るのが恐ろしいと思った。
「その昔、皇弟をそそのかして皇帝暗殺をけしかけた氷妃は、凜妃さまの叔母ですよね」
「ええ、そうよ。氷妃、今は氷太妃ね。彼女が私の叔母だということは、宮中の誰もが知っている。でも、皇帝暗殺に叔母は関わっていない。滅多なことを言ってはだめよ、蓮花。命にかかわるわ。気をつけて」
蓮花のことを殺そうとしておきながら、その口で命にかかわるから気をつけてと、殺そうとした相手を気遣う、凜妃のねじ曲がった根性に怒りがふつふつと込み上げる。
「表向き氷妃は皇帝暗殺とは無関係ということになっている。なぜなら、真実を聞きたくても氷妃は気が触れてしまい自分の宮に閉じこもったまま、誰とも会おうとしない。だけど、氷妃は気なんか触れていない。振りをしているだけ。そうして、自分の手は汚さず、姪である凜妃さまに命じ、一連の事件を企てた。再び一族に栄華を取り戻すために。そのためには、まず凜妃さまに後宮の主である皇后になってもらわなければならない」
「誰からそんなことを聞いたの? 氷妃のことは宮中では禁句なの。何度も言うけれど気をつけて。その名を口にするだけで罰せられるわ」
「そうですね。この後宮では氷妃と翆蘭の名を口にするのは禁忌となっている。それは過去の事件を蒸し返されると困る者がいるから」
凜妃は周りに人がいないか気を配り、困ったように息をつく。
「私とあなたは姉妹同然だと思っているのよ。なのになぜそんなことを言うの?」
蓮花はへえ、と口元を歪めた。
「妹だと思っているあたしを、凜妃さまは毒殺しようとしたのですか?」
「毒殺? あなたを殺そうとするわけがないでしょう」
「じゃあ、これは何?」
凜妃にもよく見えるようにと、蓮花は身体をずらし、池の水面を指差した。
そこに浮かぶものを見つけ、凜妃は目を見開く。
「まあ、なんてことかしら。池の鯉が死んでいるなんて」
水面には無数の死んだ鯉が浮かんでいた。
凜妃は口元に手をあて眉根を寄せる。
「あたしがこの鯉たちを殺したようなものです」
「蓮花が? まさか」
「以前、あたしが池の中に菓子を落としたせいで」
「その菓子に毒が仕込まれていたということ? そういえば、一颯将軍によくお菓子を貰っていたわね。彼があなたに毒を盛った?」
いいえ、と蓮花は首を振り、挑むような目で真っ向から凜妃を見る。
「凜妃さまからいただいた菓子ですよ」
凜妃から貰った、白い雪の玉のような菓子、艾窩窩をここで食べようとして翆蘭の生霊に驚かされ、びっくりして池の中に落とした。
菓子の中には毒が混入していて、そのせいで池の鯉たちは死滅した。
「凜妃さまはあたしを殺そうとした。あたしが生きていると邪魔だと思ったから」
「どうして私が蓮花を殺さなければいけないの。殺す理由がないわ」
「それがあるのよ。なぜなら、あたしが笙鈴の娘だから」
「翆蘭の侍女の娘? 蓮花が? そうなの?」
どこまで白々しい態度をとるのだろう。
まるで今初めてそのことを知ったという凜妃の態度に、蓮花は呆れるばかりだと緩く首を振る。
「何から話せばいいのかしら。たくさんありすぎて頭の整理が追いつかないわね。そう、まずは、そもそもの発端である氷妃のことから話すべきかしら」
蓮花はいったん息をつき、頭の中を整理するように目を閉じた。そして、語り始める。
「先帝の皇后の座を狙っていた氷妃は、自分が皇后に選ばれないと知り、先帝の弟、つまり皇弟に近づき親密な仲となった。氷妃は皇弟に陛下暗殺をそそのかし、この国のあらたな皇帝になれとすすめた。皇弟が帝位についたあかつきには、自分を皇后にたてるという約束で。しかし、暗殺は失敗、皇弟は謀反の罪で処刑。そして、皇弟の正妃であった翆蘭とその子も処刑されるところを先帝に救われた。翆蘭を気に入った皇帝は彼女を妃として迎えた。結局、氷妃の企みによって翆蘭は冷宮に送られ、翆蘭の子は宮廷を追われ、臣下の養子として育てられることになった。皇弟をそそのかした氷妃は、自分がこの計画の首謀者であることがばれないよう、この件に関わった皇弟や翆蘭の侍女、従者、太監すべての者をみな殺しにした。だけど、一人だけ翆蘭の侍女を逃がしてしまった。以来、氷妃はその侍女の行方を追い、殺すよう姪の凜妃に命じた。そうよね? 叔母の奸計が明るみになれば、氷妃はもちろん、凜妃さまや舒一族が危うくなるから」
ふふ、と凜妃はねっとりとした笑いをもらす。
「そこで氷妃は行方をくらました侍女の笙鈴を探し、笙鈴の家族もろとも始末するよう命じた。そして、笙鈴の行方を掴んだあなたは、従兄弟を白蓮の町に差し向け、あたしたちを殺害しようとした。もちろん、証拠はあるわよ。実は恵医師に頼んだことがあって。恵医師来てくれる」
蓮花の合図と同時に、岩陰から恵医師が現れた。
「以前、従兄弟が亡くなったと言っていたわよね。突然心臓麻痺で亡くなったと。でも後になって思い当たることがあって恵医師に、凜妃さまの実家の墓を掘り返してもらったの。死者を冒涜するようで、本当は気が引けたけど、でも、そんな気持ちはすぐに消えた」
蓮花は凜妃に鋭い視線を投げる。
「掘り返した死体を調べさせてもらったわ。死因は附子の毒によるもの。血液から附子の毒が検出された。村で刺客に襲われた時、畑で育てていた附子を一人の男の顔になすりつけたの。たぶん、凜妃さまの従兄弟ね。彼は誤って附子を口にした。あの時一颯将軍の従者が逃げた刺客を追ったけど、結局、逃がしてしまった。その直後に凜妃さまの従兄弟が亡くなった。もしやと思ったのよ。トリカブトを口にしてから症状が発症して死に至るまで六時間以内」
「だからといって、蓮花を襲った刺客が私の従兄弟だという証拠はなにもないわ」
「凜妃さまも仰っていましたよね。従兄弟が亡くなった日は辰月の満月の夜だと。あの夜のことは一生忘れない。そう、あたしの両親が殺されたのは、辰月の明るい満月の夜だった。ぴたりと合うでしょ?」
凜妃は黙り込む。
「だけど、あたしは運良く生き延び、ひょんなことから後宮へ入ることになった。凜妃さまも、笙鈴の娘が後宮に来たと知って驚いたでしょう。と同時に、こんな都合がいいことはない。凜妃さまは親切をよそおいあたしに近づいた。最初は、己の手を汚さず景貴妃に殺させようと計画をたてた」
「物騒なことを言わないで。それに、どうしてここで景貴妃の名前が出てくるの?」
「紅玉の簪、わざと落としましたね?」
蓮花は結い上げた髪から、凜妃から貰った簪を抜き取った。