9 落ちぶれた妃
さらに事態は大きく急変していった。
後宮はいつになく緊張した雰囲気に満ちていた。
陛下が暗殺されそうになったあの狩りの日、倒れた陛下の側に落ちていた玉佩は景貴妃の兄のものと判明し、彼は皇帝暗殺で捕らえられ投獄された。
当然のごとく、景貴妃も陛下の命令によって夏延宮で軟禁されていた。
景貴妃に従い媚びを売っていた妃を始め、宮女や太監、侍衛、大臣そのすべてがまるで手のひらを返したように彼女から離れて行った。
今では夏延空はまるで冷宮のように、寂れて寂しい場所となった。
それが宮廷というものだ。
景貴妃と関わることで、自分も事件に巻き込まれることを恐れたのだ。
「景貴妃さま、お食事を持ってまいりました。召し上がってください」
侍女の美月は食事の皿を卓の上に置いた。
いつもなら卓いっぱいに料理の皿が並べられたが、今は皿の数は二種類のみ。
残った野菜くずの炒め物と、饅頭だけであった。
景貴妃は出された料理を見て、ため息をつく。
「野菜ばかりだわ。お肉はないの? こんなものばかりでは、気が滅入るでしょう」
「申し訳ございません。御膳房より届けられた食事はこれだけで……」
「下げなさい」
「少しでもお口にしないとお身体を壊してしまいます」
侍女に窘められ、景貴妃はふくれっ面で食事に手をつけた。
少量の野菜をとり口に運ぶ。しかし、一口食べて景貴妃は箸を置いた。
「もう少しだけでも召し上がって……」
「下げなさいと言っているの! こんな家畜の餌のような食事を貴妃である私に食べさせるなんて、無礼にも程がある!」
景貴妃は声を荒らげ、卓の上の皿を払い落とした。
派手な音をたてて食器が割れる。
卓の上に肘をつき、景貴妃は頭を抱えた。
「あの……景貴妃さま、凜妃さまがお見舞いにといらっしゃいましたが……」
「凜妃がどうして? 会いたくないわ。追い返して」
「そんな風に邪魔になさらないでください、景貴妃さま」
「なんの用?」
「景貴妃さまがどうなさっているのか気になったので、お見舞いにきました」
「皇后の犬であるおまえが、どうして私のことを気にかける?」
「私たちは同じ陛下に仕える妃、景貴妃さまと私は姉妹のようなもの。心配をするのは当たり前ですわ」
景貴妃はふん、と鼻で笑った。
「誰にでもいい顔をする嫌な女。媚びを売ってくる者たちの方がよっぽどいい」
景貴妃の嫌味にも気を悪くした素振りを見せず、凜妃はにこりと笑い手にしていた提盒から、料理を取りだし景貴妃の前に並べていった。
さくらんぼと豚肉を煮込んだ桜桃肉、蒸したアヒル、豚足の煮こごり肉皮凍。肉を好む景貴妃の好物であった。さらに、トウモロコシの蒸しパン、揚げ餅など。
「あまりまともな食事を口にされていないと聞き、作ってきたの。召し上がってください」
「なんのつもり?」
「もしかして毒が入っているとお疑いに? いいでしょう」
凜妃は自ら箸をとり、食事を口に入れていく。
「この通り、毒なんて入っていませんわ。それに、私が景貴妃さまを害して得することなんて何もないもの。さあ、どうぞ」
皇后の次にこの後宮で幅を利かせ贅沢を続けていた景貴妃にとって、ここしばらくの質素すぎる食事は辟易としていた。
景貴妃は震える手で箸をとり、出された食事に手をつけていく。
最初は恐る恐る。そして、毒がないと分かると、食事をとる手がじょじょに早まり料理を口にしていった。
貴妃らしからぬ所作であったが、それほど質素な食事に満たされていなかったのだろう。
あまりにも急いで食べたせいで、景貴妃は喉をつまらせた。
むせる景貴妃の前に慌てて美月が茶を差し出すと、景貴妃は一気に飲む。
「大丈夫ですか? 景貴妃さま。これから毎日私がお食事をお届けに参りますね。景貴妃さま、安心なさってください。きっと兄上の皇帝暗殺疑惑もすぐに晴れるはず。皇后さまも、景貴妃さまの謹慎を解くよう、陛下にかけあっているわ」
「なるほど。おまえは皇后のために、こうして私に恩を売っているのね。つまり、皇后に従うなら、私を軟禁状態から解放するといういう条件で」
それ以上余計なことは口にせず、凜妃はただ、口元に微笑みを浮かべただけであった。