4 襲われた蓮花
父が育てる薬草畑の中で、蓮花は膝を抱えるようにして身体を丸め、息を殺し身をひそめていた。
身体が震えた。
恐ろしさに歯ががたがたと鳴る。
その音すら漏らさないようにと、膝の上に顎を乗せきつく奥歯を噛みしめる。
戸口の前に父と母がうつ伏せで倒れていた。
地面がしっとりとどす黒く濡れているのは両親の身体から流れる血か。
二人とも動かない。たぶん、もう死んでいる。
懐のあたりに手をあてる。そこには母から譲り受けた数珠を忍ばせていた。
たすけて。
声にならない声で助けを求めるが、誰も自分を救ってくれるものはいない。
これは夢。あたしは悪い夢を見ているだけ。
抱えた膝に爪を食い込ませ、何度夢から覚めようとしても、状況は変わらない。
夫人と別れた後、仕事を切り上げ家路を急いだ。
嫌な予感に心臓の鼓動が激しくなる。
早く家に戻りたい。
いや、戻ってはだめだ。町に引き返せ。
心の中でもう一人の自分が警告の声を発するのを無視し、蓮花は足早に家に向かう。
やがて板塀に囲まれた我が家の屋根が見えてきた。
蓮花は駆け足で家に向かい門をくぐる。
「ただい……」
咄嗟に、蓮花はすぐ側の薬草畑に身を隠した。
なぜなら、家の戸口に黒い装束をまとった男たちが数名、立っていたからだ。
男たちが家の中に入る。直後、父と母の悲鳴が聞こえ戸口から転がり出てきた。
父さん! 母さん!
両親の元に駆けつけようとしたが、足が動かなかった。
父と母の身を案じて叫んだが、声にはならない。
逃げようとする母を、黒ずくめの男たちが追い、剣を振り下ろす。
母を庇おうとした父が背中を斬られた。
別の男が母の正面に回り、斜めに剣を振り下ろす。
父と母はその場に倒れた。父の手がかすかに動く。
まだ生きている。
今なら手当をすれば助かる。
助けにいかなければ。
なのに、足が動かない。
倒れている母に手を伸ばした父であったが、やがてその手が力を失い地面に落ちた。
蓮花は生い茂る薬草の中で、父と母が息絶えていくのを見ているだけであった。
黒ずくめの男の一人が父の脇腹を足で蹴る。
確実に死んだか確かめているのだ。
「娘はどこだ」
「近くにいるはずだ。全員殺せとの命令。必ず見つけ出して殺せ」
男たちの非情な言葉に蓮花は為す術もなく、薬草畑の中でうずくまる。
どうしよう。
今ここを飛び出し走って逃げても、捕まって殺されてしまう。
逃げることは不可能。
そもそも、腰が抜けて立ち上がることもできない。
うずくまる蓮花の鼻先に、青紫色をした花穂がかすかに触れた。
父さん――。
父から教わった薬草の知識が、脳裏を過ぎる。
『蓮花、これは甘草といって、根を掘り出し乾燥させて煎じて飲むのだよ。鎮咳、去痰、鎮痛の効果がある』
『へえ、じゃあこの橙色のお花は? これもお薬になるの?』
『これは紅花。花を乾燥させ、煎じてお茶として飲む。産前産後、月経不順、更年期障害など婦人病に使われるが、いいかい蓮花、一つだけ覚えておきなさい。紅花は妊婦には決して使用してはいけない』
『どうして?』
蓮花は首を傾げて父に問う。
『妊婦に使うと、子宮が収縮して赤ちゃんが流れやすくなる。気をつけなさい』
蓮花はふうん、と頷いた。
よく意味が分からないが、とにかくお腹に赤ちゃんがいる人には絶対に使ってはいけないということだけは覚えた。
『それから、この青紫色の花がついているのは附子だ。強心作用や鎮痛効果としてよく処方する生薬だけれど、扱いにはじゅうぶん注意しなければいけないよ』
男の一人がこちらを指差しているのが薬草の隙間から見えた。
その男が無言で、くいっとあごで仲間に合図を送る。
見つかった!
足音を忍ばせ、男たちがこちらへと近寄ってくる。
「父さんから教わったこと、ちゃんと覚えているよ。附子は根、葉、茎の順に毒性が強く、花や蜜、種、花粉と全草に猛毒を持っている。誤って口にすれば数十分後に毒の効果が現れ、最悪、心臓麻痺で数時間後には死に至る。葉っぱ一枚でも致死量となる」
父から教わった薬草の知識を口の中で繰り返し、蓮花は震える手でトリカブトの葉をちぎり、手の中ですり潰す。
大丈夫。落ち着け。
あんな奴らに殺されるもんか。
懐から小刀を抜き、蓮花はゆっくりと立ち上がる。
雲一つない空に浮かぶ満月の光が、蓮花と、辺り一面穂になって咲く、青紫色の附子の花を明るく照らした。
さっと吹く風に、花がゆらゆらと揺れた。
蓮花の手には小刀が握られている。
剣を手に男たちがじりじりと無言で距離をつめてくる。
目の前に迫る男が剣を振り上げた。にっと口角をつり上げ嗤う。
そんな刀でどうやって抵抗するつもりだ、という嗤いだ。
男が剣を振り下ろすと同時に、蓮花は袂で口元を覆い、勢いよく小刀を振り回した。
薙いだ附子の花が舞い、花粉が辺りに飛ぶ。
男は一瞬だが虚を突かれた。
その隙を狙い、蓮花は男の懐に飛び込み、手ですり潰した附子の葉を相手の顔になすりつけた。
憤怒の形相で男は蓮花の頬を力一杯張る。
蓮花の身体が横に吹き飛んだ。
地面に倒れた蓮花めがけて男は剣を振り下ろす。
死を覚悟した。が、斬られたのは自分ではなく目の前の男だった。
男が悲鳴をあげた。
ざっ、と顔に生暖かいものがかかる。
血だ。
自分を殺そうとした男が、どっとこちらに向かって倒れ込んできた。
「ひっ!」
蓮花は引きつった声をもらす。
倒れ込んだ男の背後に別の男が剣を手に立っていた。
その男の顔を見て蓮花は目を見開く。
先程の武人、一颯であった。
庭先で黒装束の賊と、一颯の従者が戦っている。
「一颯将軍、気をつけてください。ここに咲いている花は附子です。触れないように!」
なんで、ここに?
蓮花ははっとなり、這いつくばるように、倒れている父と母の元に駆け寄る。
「父さん、母さん!」
叫びながら、父と母の身体を揺すった。
蓮花の声に両親が答えることはない。それでも、蓮花は何度も目を覚ましてと呼びかける。
「残念だがもう」
肩に一颯の手が置かれた。しかし、蓮花は否と首を振る。
「信じない。こんなこと信じない!」
その時、がさっと草の葉が揺れる音がした。
視線をやると、附子が咲く薬草畑から、黒ずくめの男が立ち上がった。
蓮花の反撃にあった男であった。
男は咳き込みながら口の中に入った附子の葉を吐き出している。
男はさっと身をひるがえし、逃げ出した。
「殺さずに捕らえろ!」
一颯の命令に従者が走り出し、後を追う。
目の前の光景がぐるぐると回った。
めまいがする。吐き気も。
「大丈夫か! しっかりしろ。おい! 蓮花!」
腕を取られ身体を起こされた。
何度も大丈夫かと叫ぶ一颯の声が聞こえた。
その声も徐々に遠のいていき、そのまま蓮花は意識を手放した。