10 侍女を迎える
今宵も、赦鶯陛下の宮殿へ向かう準備を、蓮花は侍女に手伝ってもらいながら整えていた。
浄霊はすでに終わったため、残るは陛下にまとわりつく霊たちを取り除く作業だけ。
「ねえ華雪、昔、笙鈴っていう名の宮女がこの後宮にいたか知ってる?」
蓮花の髪を梳いていた華雪は、さあ、と首を傾げる。
「笙鈴ですか? 存じ上げませんが」
「だよね」
いったいこの後宮でどれだけの宮女が働いているのか。いちいち名前など覚えているわけがない。
ちなみに蓮花が選んだ侍女は、元景貴妃の侍女、華雪であった。
香り袋事件の後、華雪は丈刑の罰を受け、死罪になるところであったが、身重の皇后の侍女を死罪にするのは縁起が悪いと訴えたため、洗濯をする部署である浣衣局へと飛ばされたのだ。
運良く命を繋いだものの、そこでの華雪の扱いはひどいものであった。
「これもあんたがやるんだよ」
洗濯をする華雪のたらいに大量の洗濯物が投げ込まれた。
朝から晩まで、ただひたすら洗い物の作業が続いた。
景貴妃の侍女として働いていたときは手指の手入れもきれいにしていたのに、今では荒れてあかぎれが目立つ。
まともに食事を摂ることもできず、たとえ、ありつけたとしても粗末な食事に今にも倒れそうだった。
だが、倒れればお払い箱となり、もっと辛い部署へ飛ばされる。
これが、後宮で落ちぶれた者の末路だ。
命が助かっただけでもよしとするべきだが、これではいずれ倒れてしまう。
結局、死がほんの少し伸びただけだ。
「なんだよ、その目は!」
同じ部署で働く下女が華雪の胸ぐらを掴む。
「景貴妃の侍女だったからって、あたしたちを見下してんのかよ!」
「生意気な女だ!」
下女たちが、華雪を取り囲み、寄ってたかって殴る蹴るの暴行を繰り返した。
「やめ、やめて……」
どんなに泣き叫んでも、助けてくれる者などいない。
「あんたたち、何やってんの」
その声に、みなが振り返った。
「芙答応さま!」
いっせいに、洗濯係の下女たちが蓮花の前にひざまずく。蓮花は複雑な顔をした。
いまだにこういう態度をされるのは慣れない。というか、やめて欲しい。だが、下の者が上の者に礼をつくすのは宮中の決まりだ。
「あんたたちは行きなさい」
なんのお咎めもないと分かると、下女たちは逃げるように走り去って行った。
残されたのは腕に怪我を負った華雪だけであった。
「立って。大丈夫? ひどい怪我。手当をしてあげる」
ひたいを地面につけるようにひれ伏す華雪の手をとり立たせる。華雪は怯えるように蓮花をちらりと見た。
「私のような者に関わってはいけません、芙答応さま」
「なんで?」
「なんでって……」
蓮花は肩をすくめた。
「今日はお願いがあってここに来たの。あたしの侍女をやってくれるかな。嫌なら無理強いはしないけど」
最初、何を言われたのか分からないというように、華雪はえ? と聞き返す。
「皇后さまが、侍女をつけなさいっていうから、華雪さんに頼みたいと思って」
「私が何をしたのかご存知でしょう? 芙答応さまの頬を叩きました。無礼をはたらいたのですよ」
「春雪さんのことは残念だと思う」
「いいえ……」
と、華雪は声にならない声で言う。
「あんたも景貴妃に都合よく使われただけでしょう? 華雪は何も知らなかった。ずっと、気になっていたの。あたしの侍女になってといっても、あたしは近いうちに後宮を出るから短い期間だけど。でも、あたしがいなくなった後は皇后さまに相談してあんたの身の置き場を考えてもらうから。
だから、それまであたしを手伝ってくれないかな」
「でも……」
「あたし、妃にされてしまってどうしたらいいか正直分からないの。宮中のしきたりもよく分からない。世渡りも下手。あんた宮中は長いんでしょ? だからあたしのこと助けて欲しいの」
華雪は再び蓮花の前にひざまずいた。
「こんな私でよろしければ」
「じゃあ、決まりってことでいいのね。よろしく」
華雪の前に蓮花は手を差し出した。その手をとる代わりに華雪は涙をこぼし地面にひたいをつけた。
「このご恩、一生忘れません。この先たとえ何があろうとも、芙答応さまに忠誠を誓います。絶対に裏切りません!」
というわけで、華雪に侍女になってもらったのだ。
さすがは景貴妃の所でみっちりしつけられ、鍛えられた侍女だけあって、何も分からない蓮花の手足になって助けとなり、ありがたいと思った。それに、顔も広かった。
「笙鈴さんですね。知り合いの宮女たちにそれとなく聞いてみます」
「うん、本当は直接皇太后さまに聞いた方が手っ取り早いと思うんだけど、あたしみたいな下っ端なんてそうそう会ってくれないだろうし。ね、どうしたら会ってくれると思う?」
「蓮花さまが陛下の子を身ごもれば、会いに来てくださると思いますよ」
「やめてよ! それ、洒落になんないから」
顔をしかめる蓮花に、華雪は結った髪に、衣装に似合う簪を選んで挿した。鏡を覗き込んだ蓮花はおお、と感嘆の声をもらす。馬子にも衣装とはよく言うが、まさに今の自分のことではないか。
「蓮花さま、動かないで」
最後に顔にお粉をはたかれ、薄く唇に紅を塗られた。
「まるで別人。華雪ってお化粧も上手なんだね」
「そりゃ、毎日のように景貴妃さまのお化粧を担当したもの」
「これほどの化粧の腕があるなら、年季が明けたらこういう商売をやってみたら」
「世の中そんなに甘くはないわよ」
「そうかな」
「ふふ、本当に蓮花さまは変わってるのね」
華雪は仕上げに蓮の花の簪を挿し、こそっと耳元で言う。
「皇太后さまって、とても色白できれいな肌をしていると思わない?」
確かに年齢を感じさせない、つやつやと血色のいい肌をしていた。
「美容にとても関心があるのですって」
華雪を見上げ、蓮花はそれ! というようにパチンと指を鳴らした。
「ありがとう華雪!」
「いいえ、お役にたてたのなら幸いです」




