8 新たな地位
永明宮に戻った蓮花は、疲れた顔で皇后の部屋に挨拶に伺った。
朝までぶっ通しで浄霊、除霊の作業を行っていたため、本当にくたくたであった。今すぐ寝台に飛び込みたかったが、そうはいかない。
初めて陛下からお声がかかった妃嬪は、翌朝皇后に挨拶をするのが後宮でのしきたりらしい。
事情を知らない者は蓮花のことが気になってしかたがなかったであろう。みな、何か聞きたげな顔で蓮花に注目した。
「戻ってきたのね。青ざめた顔をして大丈夫?」
「大丈夫です。あの皇后さま、あたしと陛下は本当に何もないですから。だから……」
口を開きかけた蓮花を、皇后は手で制した。
側に来てと手招きをされ、蓮花は皇后の近くに寄った。
「こんなことをさせて、申し訳ないと思っているわ。私のために、ありがとう蓮花」
皇后の手が伸び、蓮花の頬をそっと包み込んだ。優しくて温かい手だと思った。思わず蓮花は、皇后の手に自分の手を重ねた。
「皇后さまはご自分のことだけを考え、丈夫で元気な子を産んでください」
「ええ、蓮花がこんなにも手をつくしてくれたのだから、産まれてくるこの子はきっと蓮花のように真っ直で素直な子に育つわね」
「うーん、あたしに似るのはどうかな」
そこへ、赦鶯陛下付きの太監がやって来た。
「天命に従い詔を言い渡す」
太監の言葉に、皇后を始め、侍女たちがいっせいにひざまずく。蓮花も慌ててみなの真似をして頭を下げた。
「皇后の侍女、蓮花を答応とする。封号は芙」
太監の言葉に周りがざわついた。
一方、蓮花はまだ自分の身に何が起きているのか理解できていない。
「答応? なにそれ?」
間抜けな声をあげる蓮花に、黙って! と明玉が人差し指を唇にあてる。
後で知ったことだが、妃には位があり、皇后、皇貴妃、貴妃、妃、賓、貴人、常在、答応という順番になっている。
「冊封の儀式はおって連絡するとのこと。おめでとうございます芙答応さま」
わけも分からずぽかんとしている蓮花の脇腹を、明玉が激しく肘で小突いてきた。
「か、感謝いたします?」
語尾が疑問形だ。
よく分からないが、何か役職を与えられたのは間違いなさそうなので、一応、礼を言っておく。
御前付きの太監が去ると、皇后は複雑な顔をしていた。
「で、答応ってなんですか?」
皇后は緩やかに首を振った。すると、他の侍女がいっせいに蓮花に向かって膝をつく。
「おめでとうございます。芙答応さま」
「おめでとう? 何が? 全然、おめでたさの意味が分かんないんだけど」
「まさか、陛下があなたに位を与えるなんて」
「位って、新しい仕事でしょうか。あたしは何をすれば?」
余計なことを。
ただでさえ、陛下の居室の除霊作業で忙しいというのに、これにさらに仕事量が増えたら正直いってキツいかも。
素っ頓狂な蓮花の発言に、皇后は困ったように首を振る。
「答応。つまり、陛下の妃となったのよ」
「妃? それは非情に困ります」
即答だった。暁蕾が慌てて蓮花の口を手で押さえる。
「滅多なことを言ってはいけません! 蓮花。いえ、芙答応さま」
「芙ってなに?」
「芙は蓮のことでございますよ。美しい人とか可愛らしい、という、意味……で」
「本気であたしのこと美しいとか可愛いと思ってる?」
「……もちろんでございます。陛下が与えてくださった封号なのですから」
目が泳いでるじゃない!
先ほどまで、こちらが侍女頭に頭を下げていたのに、太監のあの一言で、いきなり立場が逆転した。
それも後宮の恐ろしいところ。
「だって、妃になった覚えはないです。あたし、陛下に文句を言ってきます!」
怒り肩で部屋を出て行こうとする蓮花の腕を、明玉はむずりとつかんで引き戻す。
「ちょ、ちょっと、ちょっと待って! あんたやっぱりバカなの! そんなことをして困るのは誰なのか考えなさい。皇后さまよ!」
ああ……と、明玉は嘆きの声をあげ、ひたいを手で押さえながら天を仰ぐ。
だが、果たしてそうであろうか。
たとえ夜伽はしなくても、陛下に仕えると決心した時点で、こうなることはどこか予想はしていなかったか。
「明玉、西の離れを整えて蓮花をそこに」
「かしこまりました」
明玉を始め、侍女たちが部屋の掃除のために去って行く。
掃除くらい自分でできると言いたかったが、そんなことを言う雰囲気でもなかった。
皇后は蓮花に向き直った。
「あなたとしては不本意かもしれないけれど、こう考えてみたらどうかしら。陛下の妃となれば、これまでのような理不尽なことで周りから苦しめられることはなくなる。それに、私に子が無事生まれたら、あなたのことはちゃんと陛下に伝えるわ。約束する」
皇后は蓮花の手をとり優しくなでた。
「私のためにしてくれたことなのに、あなたには迷惑をかけてしまったわ」
皇后は声を落とし、心底申し訳なさそうに言う。
そんなふうに言われたら、これ以上文句は言えない。
蓮花はいったん怒りを収めることにした。
「それと、あなたに侍女が必要となるわ。誰か気に入った子がいれば、その子をつけてあげるけれど」
「いえ、特に」
いきなり侍女をつけると言われても困ったものだ。
自分のことは、自分でできるのだから必要ない。
しかし、蓮花はふと思い出したように言う。
「それでございましたら一人、考えている者がいます」
◇・◇・◇・◇
それからというもの、蓮花は夜ごと陛下の居室を訪れ除霊、浄霊の作業を続けた。
この間に蓮花の待遇は大きく変わった。
自分でも驚いている。
宮廷という華やかな場所とは縁のないはずの田舎娘が、名家である凌家の、皇后の義妹となり、宮廷にあがって宮女として働くことになった。
これだけでも信じられないことなのに、今は陛下の妃として位を与えられた。
妃の位の中でも下っ端ではあるが、陛下の妻であることに変わりない。しかし、そのことでおもしろくないと思っている者も当然いる。
「あんな田舎娘、今までと毛色が違うから陛下も珍しがっているだけ。いずれ飽きられるには決まっているわ」
と、蓮花に嫉妬を抱く妃たちは、そんな陰口を口にした。
だが、半月経っても自分たちが夜伽に呼ばれず、陛下の寵愛が途切れない蓮花のことを次第に恐れるようになった。
寵妃となった蓮花の生活は大きく変わった。
これまで蓮花をバカにしていた者たちが、ご機嫌をとってくるようになったのだ。
もちろんその反対もあり、あからさまな嫉妬で嫌がらせをする者もいる。
何度か何者かの企みで毒を盛られそうになったこともあったが、蓮花の能力でそれを見破り回避をできた。
能力を抜きにしても、幼い頃から薬草に携わってきた蓮花だ。
毒物の有無を見破るのは容易なことである。
「なんなの! あの動物並みの勘」
毒の臭いを嗅ぎ分けてしまう蓮花を、まるで獣のようだと恐れた。
そんな事件もあったりしたが、いよいよ皇后の出産も間近に迫り、赦鶯陛下の宮殿の霊たちもあらかた片付き、蓮花の仕事もそろそろ終わりが見えてくるようになった。
最近では陛下もぐっすりと眠れるようになり、寝起きも絶好調。
肌つやもよく、生気に満ちあふれている。
これなら滞りなく、政務に励める。
後は、皇后が無事に子を産めば安泰。
皇子だとあらかじめ分かっているから間違いなく皇后の座も不動のものとなる。
後は一颯が両親を殺した賊を見つけてくれれば、何もかもすべて終わり。
ようやく宮廷から解放される日がくる。
だが、いまだに一颯から、賊を見つけたという報告がないことに、いい加減蓮花も痺れをきらし始めていた。
あいつ、本当に探しているのだろうかと、疑いたくなる。