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6 陛下の寝室へ

 その夜、御前付きの太監の案内によって、蓮花は赦鶯の住む慈桂宮に連れて行かれた。

 太監が無言で部屋の中に入るよう促す。

 蓮花は緊張した面持ちで、陛下の居室に一歩足を踏み入れた。

 瞬間、うわっと驚きの声をあげた。


「ひどい……これは本当にひどい。ひどすぎる!」

「何がひどいのだ?」

 奥の間から現れた赦鶯陛下は、ひどいを連呼する蓮花を不快そうに見つめ眉根を寄せた。

「あーごきげん……」

 慌てて礼をする蓮花に、赦鶯は軽く手を振る。


「楽にしろ、いまさらお前に礼をされてもおかしな気分だ」

「いちおう形だけでもって思って」

 立ちあがった蓮花は肩をすくめた。

 こうやって皇帝陛下にため口をたたける妃は、おそらく蓮花くらいであろう。

 長年の友である一颯とて、陛下にこんな軽々しい口はきかない。

 もっとも、プライベートではどうだか知らないが。


 相変わらずの蓮花の物怖じしない、悪く言えばふてぶてしい態度に、赦鶯はやれやれとため息をつく。

 他の妃はみな、皇帝陛下に恐れを抱くか、気に入られ寵愛を得ようと媚びを売るかのどちらかなのに、蓮花はどちらでもない。


 今まで周りにいなかったタイプだ。だからこそ、新鮮で彼女と話をしてみたいと赦鶯は思った。

「私の寵愛を得るということがどういうことか、理解してここへ来たと思っていいのか?」

 赦鶯は蓮花に近寄った。手を伸ばし、蓮花の頬に触れようとする。しかし、蓮花は咄嗟に待ったをかけた。


「皇后さまが言ったでしょう。あたしは役に立つって」

 一瞬、赦鶯は不可解な表情をする。

「伽のために来たのではないのか?」

「伽? 勘違いしないで。そんなつもり、全然ないから」

 蓮花はにっ、と笑った。


 そう、数日前のことだ。

「皇后さま、あたし、決めました!」

 突然の蓮花の決意に、皇后はきょとんとした顔をする。

 穏やかな午後の一時、産まれてくる赤子の靴下に刺繍を縫う手をいったんとめた。

「あたし、皇后さまのお役に立ちたいです」

 何を言い出すかと思えばそんなこと? と皇后はいつもの慈悲深い笑みを浮かべた。


「今だって、蓮花には助けられてもらっているわ」

「違います。あたし、陛下の気を引いて、景貴妃の元に通わせないようにしてみます」

 皇后はやりかけの刺繍を卓に置いた。

「蓮花、言っている意味が分かる? 私はあなたにそんなことを望んでいないのよ」


 蓮花はいいえ、と首を振り、不敵な笑みを浮かべた。

「もちろん伽はしません。陛下の寵愛を得るつもりなんて全然ないです。だけど、皇后さまが無事に出産するまでの間、陛下の気を引いてみせます。あたしなりのやり方で!」

 任せて! と蓮花は自分の胸を叩いた。

 そんな会話を皇后としたのだ。


「こんなにつかれているとは思いもしなかったわ」

 蓮花の言葉に赦鶯は頷く。

「そうだな。朝から晩まで激務が続き、やらなければならないことが多すぎる。昨夜もほとんど寝ていない」

「違うわよ。憑かれてるって言ったの。本当にひどいって言ったでしょう。よくこんな最悪の環境の中で生活できるわね。信じられない!」

「最悪の環境?」

「見て、そこ」

 蓮花は部屋の寝台の脇を指差した。


「それから、あっち」

 今度は窓際に置かれた長椅子。

「あそこも、ここも。天井も!」

 そこかしこに、浮遊霊がいた。女性も男性もとにかくたくさん。

 死者に限らず、生霊もいる。


「こんな状態でよく体調を崩さないのか不思議」

 蓮花は呆れた顔で赦鶯を見る。

 だが、さすがは天子。これだけの霊に囲まれても、たいした影響も受けずに生きていられるのだから、産まれながらに強力な気をまとい、天から強い加護を受けているのだろう。

 普通の者ならとっくに体調に異常をきたしているはず。

 最悪、死んでいるかも。


 だが、いくら強い加護がついているといっても、このままではいずれ身体に悪影響を及ぼすはず。

 それこそ最悪、死だ。

 蓮花はああ、と言ってぽんと手を叩いた。

「だから、歴代の皇帝たちは早死になのか!」

 何気なく言った蓮花の言葉に、赦鶯はぴくりと眉を震わせた。

 一応、気にしてはいるらしい。


「おい、不吉なことを言うな。つくづく無礼な娘だな。今の言葉、不敬罪にあたるぞ」

 蓮花はあごをそらし、目を細めて赦鶯を見据える。

「あたしの不敬を許すか、早死にするか、どっち?」

 さあ、選んでと蓮花は赦鶯に詰め寄る。

 赦鶯は諦めたように息を吐いた。


「分かった、分かった。だが、伽をするつもりがないというなら、何しにここへ来た」

「常に寝不足を感じているでしょう。ぐっすり寝た筈なのに、朝起きてもすっきりしない。疲れがとれない感じがする」

「確かに目覚めがよくないことは毎日だ。疲れが抜けないせいだろう」

「政務中も気が散る時がある。臣下たちの言葉が耳に入らなくてどこか上の空」

「寝不足のせいだ。時々、頭がぼうっとする」

 そのせいで、何度臣下たちに注意をされたか。権威のある重臣があからさまに不機嫌になることも。


「時には、皇帝などという重責から逃れて自由になりたいと」

 赦鶯は口をつぐんだ。

 さすがにそれだけは思っていても、口にはできないという様子だ。


 蓮花はすんと鼻から息を吸う。

「安息香ね。お香を焚くことはいいことよ。気持ちを落ち着けると同時に、火や煙によってこの場を浄化する作用があるから」

「浄化?」

「ここにいる霊たちが陛下の眠りを妨げているの。そのせいで、眠っているにも関わらず身体が休まらない。いろんな霊よ。代々の皇帝に恨みを持つ者。妬みそねみ。さらに、皇帝の失脚を望む者たちの霊もいる」

「そのようなことを、たくらむ者がいるのか」

「陛下を亡き者にしようと心で思っているだけでその者の生霊が飛び、陛下に悪影響を与えている。それだけじゃない、陛下に寵愛を得たいと思う妃嬪たちの霊や念も……とにかく、ごちゃまっぜってこと」

 赦鶯は部屋を見渡した。


「あたしが言ったこと別に信じなくてもいいよ。視えない人にとっては信じがたい話だから。だけど、このままだと間違いなく身体を壊すかもね。どんなにいいお薬を飲んでも無駄。だって、薬で解決できることじゃないから」

 なるほど、と赦鶯は頷き椅子に腰かけた。


 卓の上にひじを乗せ、ひたいに手を添える。

 蓮花は懐から数珠を取り出し握った。

「あたしならここにいる霊たちをどうにかできる」

「そういえば、おまえは霊能者だったな。できるのか?」

「もちろん。ここにいる霊をきれいさっぱり祓える。でも、時間がかかるし、陛下にも手伝ってもらわないと困るかも」

「分かった。私にできることならなんでもしよう。それで、どのくらいかかるのか? 三日か? 七日?」

 蓮花はあごに手をあて、うーん、と唸る。


 ええと、皇后さまの出産まであと一ヶ月。

 その間だけ、陛下の気を景貴妃からそらせればいい。


 さらに、蓮花はざっと部屋を見渡す。


 うへー。


 逆にいえば、ざっと数えても三十体以上はいる霊を、一ヶ月で片付けなければならないということになる。それはそれで大変だ。


 あたしの身体が持つかな。


「一ヶ月くらいはかかるかな」

「その間、私も手伝えばいいのか?」

 蓮花は頷く。


「ちなみに、あたしの気が散るようなことをしたら、ここにいる霊は祓えないから、そこはよく覚えておいて」

 つまり、夜伽をする代わりに赦鶯の部屋にいる霊を片付けるのが、当面の蓮花の仕事となった。

 だが、他の妃たちは本当に蓮花が陛下の夜伽をしているのだと思っているだろう。

 とはいえ、霊を祓うと簡単に言ってはみたが、ここにいる霊の数は半端ではない。

 ひとりひとり話を聞き、望むなら上にあげていこうと思った。

 反対に、言うことをきかない者はこの部屋に近づけないよう追い出すつもりだ。


 それだけではない。

 さらに別の浮遊霊がやってくることもあるので、それらの対処もしなければならない。

「これは、長期戦になりそうね」

 だが、これで景貴妃のところに通う陛下の足止めができるだろう。

 それが蓮花の考えたことであった。


「それで、私は何をすればいい?」

「陛下はここにいる霊が成仏できるよう祈ってくれるだけでいい。それと、ゆっくり自分の身体を休めること」

「それだけでいいのか?」

「じゅうぶん」

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