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5 雪蓮花のお酒と着飾った蓮花

 恵医師の処方した薬で、いくぶん落ち着きを取り戻した皇后ではあったが、それでも油断はできない状況であった。

 最近では適度に歩き、それ以外は永明宮で産まれてくる子の産着の刺繍を縫い、静かに過ごす日が続いた。


「今日もお花の香りでいっぱいね」

 妊婦に禁忌であるお香は多いため、部屋で香を焚くのをやめ、その代わり花をいっぱいに満たした。

「陛下からもたくさんのお花が贈られてきました。明日も贈ってくださるそうですよ」

 陛下の贈り物と聞き、皇后は嬉しそうな笑みを浮かべる。


「恵医師もしばらく宮廷に滞在するので、体調が悪くなったら呼んでくださいって言ってました」

 先日の皇后が倒れた時、主立った侍医たちが駆けつけてこなかったことに陛下はたいそう怒り、侍医たちを罰し首領侍医は宮廷から追い出した。だが、彼らを引き止めた景貴妃には何のお咎めもない。

 蓮花にはそれが納得がいかなかった。

 今では恵医師が皇后を担当することになった。


「陛下のおなり」

 御前付きの太監の声に、皇后の表情がぱっと輝く。

 一方、蓮花は緊張した顔だ。

「陛下、ちょうど陛下がいらっしゃる頃だと思って、夕飯の膳を用意したところでしたの」

 無邪気に微笑む皇后に陛下は頷く。


「皇后はよく気がつく」

「陛下のことですから」

 赦鶯の手が、皇后の上気した頬に触れた。

 まるで、その手は慈しむような優しさであった。

 陛下は皇后をとても大切に思っている。

 それだけは間違いないと蓮花は思った。


 誰も二人の間に割って入ることのできない絆がある。

「だいぶ顔色がよいようだな」

「お腹の子も順調ですわ。恵医師がよくしてくれて、私も安心して彼に任せられます」

「そうか。無事に子が産まれたら恵医師には褒美をとらせよう。むろん、永明宮のみなにもだ」

 侍女や太監たちは、揃ってひざまずき、感謝の言葉を述べた。


「さあ陛下、冷めないうちに召し上がってください」

 席についた赦鶯の皿に、皇后は陛下の好物を次々と取り分ける。

「鶏の蒸し物ですわ。お好きでしょう? 菊の花の鍋もあるのよ」

「どうしたのだ? 今宵はご馳走だ」

「ふふ、陛下、お酒もどうぞ召し上がって」

「いや、今日はこのくらいにしておこう……」

 陛下の言葉はどこか歯切れが悪い。


 おそらく、食事もそこそこに、その足で景貴妃の元へ行くつもりなのだろう。けれど、嫌な顔ひとつ見せず、皇后はにこりと微笑んだ。

「陛下、実家から珍しいお酒が届いたのです。一口だけでもいかがです? 蓮花」

 皇后の合図とともに、蓮花はそっと陛下の側に寄り酒を注いだ。

 注がれた杯に満たされた薄紅色の液体に、赦鶯はほうっと声をもらす。


「美しい色をした酒だな」

雪蓮花(せつれんか)の薬草をお酒に浸したものですのよ」

 貴重な雪蓮花の花の部分を約2ヶ月間陰干しをし、乾燥させたものを酒に浸すのだ。酒に浸すことで薄紅色の液体に染まるのである。

「もう一杯いかがですか、陛下」

「おまえ、杯から酒がこぼれたでは……」


 不器用な仕草で酒をそそぐ蓮花を窘めた赦鶯は、一瞬、息を飲み眉をあげた。

 蓮花はにこりと微笑む。

 普段はいっさい化粧をしない蓮花であったが、この日は珍しく薄化粧をほどこし、唇に薄紅色の紅を引いていた。

 綺麗な衣を身にまとい、結い上げた髪には簪。

 細い首筋に後れ毛が落ち、甘い花の香りが漂う。

 蓮花から視線を外した赦鶯は、確かめるように皇后を見る。すると、皇后は静かにまぶたを落とした。


 手にした酒杯の中身を、赦鶯はこくりと飲む。

「今宵は蓮花を仕えさせましょうか? 彼女は陛下のお役に立つと思います」

「陛下、そろそろ景貴妃さまの元へ」

 お付きの太監がさりげなく陛下に忠告をする。しかし、陛下は否と首を振り蓮花に酒のおかわりを要求した。


「今宵は永明宮で酒を楽しむ。景貴妃にはもう休めと伝えろ」

「かしこまりました」

 ひとしきり酒を楽しみ、食事を楽しんだ赦鶯はおもむろに立ち上がった。

「お見送りたいします」

 皇后と蓮花は立ち去る赦鶯を見送った。

 赦鶯は付き従う太監に耳打ちをする。

 何かを命じられた太監が、皇后の前にひざまずいた。


「陛下からのお言葉です。蓮花に慈桂宮に来るようにとのことです」

「では、すぐに蓮花に支度をさせましょう」

 蓮花は手を強く握りしめた。いよいよ、陛下の寝殿に行くのだ。

 皇后は蓮花の手をとる。


「蓮花、本当にいいのね? 今ならまだ引き返せるのよ」

 いや、すでに命令は下った。行くしかないのだ。

「かまいません」

 これもすべて、優しくしてくれた皇后のため。

 いや、もとをただせば、どこの誰とも分からない卑しい身分の自分に、親切にしてくれた皇后の母である香麗夫人への恩返しだ。

 侍女たちによって美しく着飾られた蓮花を、皇后はどこか複雑な目で見つめていた。そして、これが蓮花にとっても運命の分かれ道であった。

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