1 蓮花と旅人
「あんたたち旅の人? この先の森に行くのはやめた方がいいよ」
家の前を、馬に乗った男たち数名が通り過ぎようとしていた。
庭先で薬草を煎じていた蓮花は、手をとめて立ち上がる。
呼び止める蓮花の声に、男たちは馬をとめた。
軽装を装ってはいるが、がっちりした体格からして武人であろう。
町を見回る警備の役人よりも、はるかに強そうだ。
着ている衣の生地もしっかりしているから、きっと、それなりの身分の人たちだと思われる。それに、田舎っぽさがない。おそらく、都からやって来た者か。
身分ある者がなぜ、こんな辺鄙な山奥にやって来たのか知らないが、この先に続く森はとにかくヤバいのだ。
森を抜けた先には町があり、その町を抜けたその向こうに景安の都がある。
しかし、彼らが向かう森は通称?虚ろの森?と呼ばれ、魑魅魍魎といったたぐいのモノが現れるため、地元の者でも好き好んで入っていこうとはしない森だ。それも、間もなく日が暮れようとしている夜の森に。
やむなく通る時は、明るい時間に、みな、拝みながら通り抜けていく。
人が踏み込むのをためらう魔の森だが、実は食材が豊富なのだ。
春はたけのこ、夏は果物。秋は木の実やきのこ、冬はユリ根にハマダイコンといった食料がたくさんで、さらに貴重な薬草も生えているから、蓮花自身、それこそ拝みながら森の中をうろついている。
「ああ、知っている。この森が悪霊が巣くう?虚ろの森?だからだろう?」
先頭にいる、たぶん一番偉いと思われる男が答えた。
武人と聞くと怖そうと思ってしまうが、男の声は意外にも若く、甘さを含む優しい響きであった。
「へえ、そのことは知っているんだ。でも違うよ」
「違う?」
「今夜は荒れそうだから」
蓮花の言葉に、男たちはゆるりと空を見上げた。
目の覚めるような真っ青な空には雲一つなく、風も穏やかで、雨が降る気配など微塵も感じられない。
「おいおいお嬢さん、雨が降るっていうのかい? 嘘を言ってはいけないよ」
先頭の男以外、みな馬鹿にしたように笑い声をあげた。
「は? 雨が降るなんて誰が言った?」
蓮花の言葉に、男たちは顔を見合わせた。
「将軍、こんな小娘など相手にせず、行きま……」
将軍と呼ばれた男は片手をあげ、従者の言葉を遮ると、何を思ったのか馬からおりた。
見上げるほど背の高い男だ。
衣服の上からでも分かるくらい逞しい身体つき。肩幅も広く、がっちりとしている。なのに、顔立ちは思わず息を飲んでしまいそうなくらい整った男前の色男。女たちからたいそうモテるであろう。
男は蓮花が煎じている、薬草の入った土鍋に視線を落とす。
「茶か?」
茶だったら一杯飲ませろと言いたいのか。
残念なことに、これは茶ではない。
「葉は葉でも、びわの葉よ」
蓮花が答えると同時に、家の奥から苦しそうに咳き込む女の声が聞こえた。
煎じたびわの葉は、咳を鎮め喉の炎症を抑える効果がある。さらに、煎じた葉を温灸として胸や背中に貼り、患部を温めるのもよい。
「母親か? つらそうだな。ところで、森に入ってはいけない理由はなぜだ?」
「五日前、賊が現れたの。この森を通り抜けようとした何人かの旅人が、運が悪いことにその賊に出くわし、襲われた」
なるほど、と男はうなずく。
「それは気の毒だ。だが、そういうことならば、問題ない」
蓮花は男の腰にさげられた剣に視線を走らせる。
「でしょうね。あなたみたいな立派な武人さんなら賊なんて問題じゃないでしょう」
むしろ、賊たちの方が返り討ちにあう。
「だけど、襲うのは賊じゃない」
「ほう?」
「殺された旅人たちの無念が悪霊となり人を襲うの。今夜は満月。殺された人たちの魂がいつも以上に荒ぶる日」
それが今夜は荒れる、と言った意味であった。
「さすがの武人さんも、亡霊相手ではどうすることもできないでしょう?」
「亡霊だと?」
「そう、亡霊」
実体のない霊を相手に剣を振り回しても無駄なこと。
「将軍、参りましょう」
従者の一人が哀れむ目で蓮花を見下ろし、将軍の耳元でこそっと言う。
蓮花のことを、頭のおかしい気の毒な娘だと思っているのだろう。
さらに、従者は言う。
「そもそも、たかが十五、六の小娘に薬草の知識があるとは思えません。その土鍋だって、本当に薬草を煎じているのか怪しいものです。もしや毒」
おい、あんた全部聞こえてるから。
だが、この程度のことでいちいち腹を立てても仕方がない。
こんなことを言われるのはしょっちゅうだ。
他人にどう思われようとかまわない。自分の話を信じるも信じないも勝手だ。とはいえ、知らない振りはできないから、一応声をかけ忠告はした。
「亡者たちに取り憑かれて殺されたくなければ、森には行かず、遠回りをしてでも別の道を使って景安の都に行くことをおすすめするけどね」
「ほう? 僕たちが景安に行くと知ったような口振りだね」
「あんたバカ?」
「おい小娘! 将軍に向かってバカとはなんだ。その口の利き方は!」
従者が剣に手をかけようとするが、将軍はよい、と手をあげ宥める。
納得のいかない従者は、鼻息を荒くしている。
「あんたたちみたいな立派な身なりをした武人が向かう先といえば、森を突っ切った先にある景安の都しかあり得ないでしょう」
「な、なぜ、俺たちが武人だと分かった!」
自分で、先頭にいた男のことを将軍って呼んでいたたじゃん。
こいつ、正真正銘のバカだ、と蓮花はふっと鼻で嗤う。
「それとも秘湯を探しているとか? 望むなら情緒あふれる絶景の露天風呂がある場所を教えてあげるよ。切り傷、高血圧予防、整腸、胃酸過多、通風によく効く温泉をね」
蓮花は男たちの顔をひとりひとり確かめるように見ながら言う。
態度の悪い蓮花に気を悪くしたふうも見せず、将軍はそれもよいな、と言う。
「切り傷はともかく、それ以外の症状は独特だな」
「そうでもないけど」
「ふむ。まあ、ゆっくりしていきたいところだが、温泉は次の機会に教えてもらおう。それと、忠告はありがたいが、我々は急いで町に向かいたい」
「つまり、あたしの言うことに聞く耳は持たないってことね。ま、いいけど。でも、ちゃんと忠告はしたから。たとえ死んでもあたしを恨んで化けて出てこないでね。あ、これ」
蓮花は袂に手を入れ、小袋を取り出すと、男に向かって投げた。受け取ったそれに男は視線を落とす。
手のひらに収まるほどの着袋であった。
男はしばしそれを見つめ、蓮花を見る。
「縫い目が雑で粗い」
「え! そこ?」
気になるのはそこなの?
「それに、ごみがついている」
「ごみじゃなくて刺繍! 梅の花びらの刺繍だから!」
「これが刺繍……」
将軍の手元を覗き込んだ従者たちも、蓮花お手製の小袋を見ていっせいに吹き出した。
「ぶはは! これはひどい」
「俺の八歳の娘だって、こんな雑な刺繍はしないぞ」
蓮花は眉根を寄せ、男たちを睨みつけた。
「針仕事は苦手なの。中身は薄荷と艾」
「虫除けか」
「それとお守り。あんたを守ってくれるはず。別に持っていても邪魔にはならないでしょ」
「将軍、そんな怪しい物など受け取らないほうがよろしいかと」
「いや、ありがたくいただこう」
男はにこりと笑い、小袋を懐におさめた。
その笑みをどうとらえたらいいか分からないが、とりあえず受け取ってくれたからよしとしよう。
もし、彼らに何かがあったとしても、引き止められなかった自分に罪悪感を抱くことはなくなる。
男は従者たちに目配せをする。
心得たとばかりに一人の従者が蓮花の手に銀子を手渡した。
「少ないが、虫除けの礼だ」
手のひらの銀子を見て蓮花はごくりと唾を飲み込んだ。これで少ないというなら、うちの稼ぎはスズメの涙以下だ。
再び、家の奥から母が苦しそうに咳き込む声が聞こえてきた。
この数週間、ずっと咳がおさまらないため、母の身体も衰弱している。
この銀子があれば、滋養のある山参を買い、母の気血を補える。
栄養のつくものだって食べさせてあげられる。それから綿の入った温かい布団と新しい衣も。
蓮花は銀子を握りしめた。
遠慮することはない。
この銀子に見合うものを男に渡した。
男がお守りを手放さない限り守られるはず。だから、ありがたくちょうだいしよう。
「名前を聞いてもいいか? 俺は一颯だ」
「蓮花」
「では蓮花、母君を大切にするがよい」
「言われなくても。これだけは覚えておいて。生きている者の方が断然強いということを」
「分かった。覚えておこう。ああそうだ。一つ聞きたいことがある。人を探しているのだが、笙鈴という名の女を知らないか? 白蓮の町にいるらしいと噂で聞いたのだが、それらしき女を見つけられなかった」
「さあ」
「そうか」
はなから蓮花から尋ね人の行方を聞き出せるとは期待していなかったらしく、それ以上のことはあれこれ聞いてはこなかった。
蓮花は男たちが森の方へと入って行くのを、姿が見えなくなるまで見送った。
「何事もおこらなければいいけれど。あ、いけない! あたしも町に行かないと」
枇杷の葉を煎じた薬湯を母の元へ持って行く。
咳き込みながら布団で寝ていた母が半身を起こした。
「咳、苦しそうだけれど大丈夫? ほら、枇杷の葉を煎じた薬湯。熱いから気をつけて」
蓮花は薬湯を匙ですくい、ふうと息を吹く。冷ました薬湯を母の口に流し込んだ。
「あたしはこれから白蓮の町に行ってくる。いつものように夕方には戻るから。何か食べたいものある? ついでに買ってくるよ」
さっきの将軍さまとやらから、たくさん銀子を貰ったし。
蓮花から腕を受け取った母は首を横に振り、心配そうに見つめ返してきた。
「蓮花、最近銀子を多く手にして帰って来るようだけれど、無理をしていない?」
町に出かける娘が、予想以上の稼ぎで帰ってくることを心配しているのだ。
「心配しないで。母さんの刺繍が最近高値で売れるの。ここのところ、体調が悪くてあまり刺繍できてないでしょう? それもあってみんなが高くてもいいからって買いたがるんだ。母さんの刺繍、人気なんだから」
「蓮花」
と呼ばれ、母の手に腕を掴まれる。
「何度も言うけれど、おまえの能力を他の誰かに知られてはだめよ。こんな力、ない方が幸せなのだから」
「分かってるって」
「それから、誰かに聞かれても私の名前を決して口にしてはだめ。約束して」
「もちろんだって、安心して」
そのことについては、何度か理由を尋ねたが、母は答えてはくれなかった。
何か事情があるのだろう。
いつしか、蓮花も口にすることはしなくなった。いずれ時がくれば、話してくれるだろうと思ったから。
「蓮花、苦労ばかりかけてごめんね」
「なに言ってんの。じゃあ、行ってくるよ。父さんは薬草畑にいるから、何かあったら父さんを呼んで」
軒先に置いてある背負い籠を背に、蓮花は家を出た。