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それは始まりでしかない  作者: 川輝
6/6

そして始まる

「さ、入って」

「お、お邪魔します」


 俺はゆっくりと玄関に足を踏み入れた。


 家の中は結構バリアフリー構造になっており、廊下も広くて車椅子でも楽々通れそうだった。

 きっとこれは由美さんの父親がしてくれたことなのだろうな。


 さて、俺が案内されたのは俺の家のリビングとそうあまり大差ない広さのリビングだった。


「早速私晩御飯作るね」

「あ、俺も手伝うよ」

「ありがと」


 台所に2人並んでご飯を作った。

 晩御飯といっても夜遅いのでそれほどがっつりしたものではなく、ちょっとした炒め物である。

 それを食べ終えると、すでに沸かしておいたお風呂に由美さんが先に入った。

 その間、俺はなんともいえない張り詰めた空気の中でじっと正座していた。


「落ち着け。由美さんがただ風呂に入っているだけだ。緊張することないだろ……」


 そう自分に言い聞かせて落ち着かせようとするものの、全く落ち着く気配はなかった。


 しばらくして俺に尿意が到来したのでそのままトイレに行き、用を済ませて出てきた。

 さて、手を洗わなければならないが……洗面所があるのは脱衣所の隣だ。

 だがそこと繋がっているのは風呂場……。くっ。あの扉一枚隔てた先の脱衣所ならまだ大丈夫じゃないか? 何故ならあそこはただの洗面所であり脱衣所でもある。風呂場ではない。


「そうだ。手は普段から清潔でなければならない。そのはずだ」


 そう自分の考えた理論を唱えながら扉に手をかける。

 普通に台所で洗えばいいなどと言う考えなど思いつきもせずに、洗面所への扉をゆっくりと開けた。


 落ち着け。俺は決して変態ではない。手を洗うだけだ。そうだ。

 そう言い聞かせながらゆっくりと歩みを進め、洗面所の前につくと、手を洗った。


「よ、よし。あとはそのまま戻るだけだ」


 そう呟いたその時、ガチャ! と、風呂場の扉が開く音が部屋に響いた。

 その音を聞いた瞬間、俺は慌ててこの危険すぎる部屋をバレる前に1秒でも早く脱出しようとして勢いよう走り出した。

 そんな時に不幸は起きた。

 ガン! と再び大きな音が部屋に響く。その刹那、俺の右の小指にありえない痛みが襲いかかってきた。

 おそらく人生で経験した中で、五本の指に入るくらいの痛みだ。


「ぐぉぁぁぁぁっっ!! いっって!!」


 叫びながら右足の指を押さえて痛みに堪える。


「だ、どうしたの? 大丈夫?」


 流石に由美さんも落ち着いて見ていられるはずがなく、自分のことなどお構いなしに床を水で濡らしながら車椅子で近づいてきた。


「あ、ああ。大丈──夫ではない! 痛みもそうだけど由美さん格好!」

「へ? はっ!」


 俺に言われた瞬間に自分の今の格好を見てハッとしていた。

 今の由美さんの格好は、健全な高校男児には刺激が強すぎる格好だった。

 まあ簡単に言って仕舞えば普通にバスタオル姿なのだが、童貞の俺には……刺激が強いぜ!


 痛みと欲に耐えながらなんとか中腰で部屋を脱出。そのままリビングで痛みと戦った。

 由美さんは肌のケアだけして出てくると、俺はすぐに頭を下げた。


「さっきはごめん」

「ううん。私がいきなり出てきちゃったから慌てちゃったんだよね。私こそごめん」


 いや、逆にゆっくり出てくるってなんだ?

 そんな事を考えながら風呂に入り、出てくると時刻はもう12時を回ろうとしていた。


「もうこんな時間になっちゃったね」

「流石に寝ようか」

「うん。でも、悠君どこで寝るつもり?」


 あ、そうだ。寝る場所を決めていなかった。

 辺りをキョロキョロと見渡すが、手頃な寝袋など落ちているはずがなくがっくしする。


「言っておくけどうちにはハンモックも寝袋も来客用のお布団も無いよ?」


 その言葉が俺に追い打ちをかけるように心に刺さった。

 お、俺は一体今日どこで寝ればいいんだ!? さ、最終手段としてはリビングの床だが……。


「やっぱりリビングだよな……」

「そんなところで寝たら風邪ひいちゃうよっ」

「じゃあどこで寝るのさ」

「………し、仕方ないなぁ」


 そう恥ずかしそうに声を出すと、そのまま後ろを向いてスーッと車椅子を走らせてしまった。

 俺は着いていけばいいのだろうか。

 とりあえず何も言われていないが、そのまま後に続くと、廊下の端で止まった。そこにはドアが一つ。

 そのまま由美さんは何も言わずにその部屋に入り、ベッドの横で止まった。


 俺も「お邪魔します」と呟きながら入ると、さっきまでとは明らかに違ういい匂いがした。それに部屋には学生が使うような女性物の制服や学校で使うような鞄、それに勉強机やクローゼットまである──ってここはもしかして!


「な、なあ由美さん。ここって……由美さんの部屋?」

「そう」


 それだけをこちらを向かずに短く言うと、慣れた手つきで腕だけの力で車椅子からベッドに移った。

 そして何故か結構奥の方にいった。


 流石にここまでくればなんとなく察しはつくさ。けどよ……。いや、寝れるのか?

 申し訳ないがリビングの床の方がぐっすりと寝れそうではあった。けれど由美さんがここまで覚悟を決めてやってくれたのに、いいですよそんな──など到底言えるはずがなく、俺はゆっくりとベッドに近づいて行った。


 うるさい心臓の音を無視しながらベッドの中にお邪魔させてもらった。

 ぐっ。ゆ、由美さんの匂いが──って、落ち着け俺。息を荒げるな。キモイぞ。


「じゃ、電気消すね」

「ああ」


 リモコンで部屋の電気は消された。

 真っ暗な空間。けれど近くで人の温もりを確かに感じることができる。これほどまでに幸せなことなど今まであっただろうか。

 不意に横を見ると、由美さんの頭が見えた。

 俺と由美さんは同じ方向を見ていることになる。

 普段車椅子を押している時に見ている頭が、今はすぐ目の前にあった。

 しばらく無言で見ていると、不意に由美さんが声を出した。


「ねえ、手………出さないの?」

「ゆ、由美さん……?」


 どうやら俺は試されているらしい。こ、これはかなりまずい……。心臓がはち切れんばかりに鼓動を打ってやがる!

 もしかして……ずっと待っていたのだろうか? いやまさか。だってこの俺だぞ? ありえないだろ。

 頭の中では全会一致でありえないという意見が可決されるものの、正直、俺の耳が聞き間違えるはずがなかった。


「………本当に………いいのか?」


 迷いに迷った挙句、そう問いかけた。

 それからほんの少しの間を開けて、


「……意地悪っ」


 と返ってきた。

 もう、これは誤解のしようがなかった。

 緊張の汗で濡れた手を服で拭い、ゆっくりと震わせながら背中から手を回そうとしたところで──。

 プルルルルルル。

 俺のスマホの電話が鳴った。

 突然鳴った後にびっくりして俺は手を引っ込めてしまった。

 心なしか由美さんの身体もビクッと震えてきた気がする。っと、そんなことはいいとして早く出なければ。

 今も鳴り響くスマホを耳に当てた。


「はいもしもし?」

『あんた今何時だと思ってるのよ! メールも返ってこないし心配したんだからねー?』

「あっ!」


 やっべ! 帰るの遅くなるとは連絡したけど、帰らないって連絡するのは忘れてた! そりゃお母さん心配するはずだ。

 しかもメール確認するの完全に忘れてたし。言い返す言葉がないぜ。


「ごめん。今日帰らないわ」

『……あ、あんたまだ高校生なのよ? 責任取れるの?』

「なんの話だよ……」


 今その責任問題になりかけてたんだよ。止めてかれてありがとうと言っておこう。まあ本心としてはちくしょう! と思っているかもしれないけどな。


『そう。じゃあ明日朝帰ってきなさいよ?』

「分かってるよ。じゃあ明日」


 ようやく電話が終わり、一息ついて由美さんの方を向くと、何故か由美さんは頭がまで布団をかぶっていた。

 耳をすませば「〜〜〜〜〜」と声にならない音が聞こえてくる。

 悠は知る由もないが、由美は今布団の中で顔を真っ赤にしながらさっきまで自分がしようとしていた事を思い返して悶えていた。


 流石に親に『責任』などと言う言葉を出されて手を出せるはずがなく、手を出したいのを必死に我慢しながら妄想でやり過ごした。

 そんなこんなで時間は過ぎてゆき、何時間か経過した後、スマホで時間を確認すると既に6時になっていた。


 正直に言おう。一睡もできなかった。というかできるわけがなかった。

 これならリビングでテレビを見て過ごした方が精神的な疲れが取れた気がする。

 それは由美も同じで、一睡もできていなかった。


「ん……もう6時なんだ」


 そう言いながらゆっくりと手だけで匍匐(ほふく)しながら車椅子にゆっくりと座った。

 由美さんは夜中に寝られなかった影響で目を半開きにしている。少し眠そうだ。

 由美さんの寝顔が見られなかったのは痛いところだが、代わりに由美さんのはだけた姿が見られたのでこれで満足しよう。

 まあ昨日バスタオル一枚の由美さんを見たのが脳裏に染み付いているので、それと比べると刺激は少ない方だが……これが良いのだ。


 そんな事を考えながらじーっと由美さんを見ていると、流石に俺の視線に気付いたのか、ふと自分の服を見下ろすと、やっと自分のあられもない姿に気づいたらしく、口をハッと開けて紅潮させていた。


「ち、ちょっと。じっと見過ぎっ」


 そう言ってパッと服を元に戻した。

 それから一息つくと、由美さんは再び時計に目を落としていた。


「さ、そろそろ着替えるから。悠君も今日は学校行くんでしょ? なら早く帰った方がいいんじゃない?」

「あ……そうか。それもそうだな」


 そういえば今日は平日だったな。昨日サボったから曜日感覚がおかしくなっていた。

 カーテンを開け、一度大きく伸びをする。


「それじゃ、また。昨日は泊めてくれてありがとな」

「うん。それじゃあね」


 それだけ言った後に、そのまま由美さんの部屋を出ようとしたところで「あ、そうだ」と声が聞こえてきたので足を止めて振り返った。


「旅行に行く約束、ちゃんと守ってよ?」

「分かってるよ。冬休みね」

「それならよし。今日、学校終わったらどこに行くか一緒に考えようね」

「え──」


 その言葉を聞いた瞬間、俺は少しだけ嬉しくなった。もしかしたら俺は心のどこかでまた由美さんに会う口実を探していたのかもしれない。

 無意識のうちにまた会いたいなと思っていたのかもしれない。

 返事がないのを不安に思った由美さんが「ん? どうしたの?」と話しかけてきたので、すぐに返事をした。


「うん。帰ったらすぐね」

「分かった。場所はここでいいかな」

「ああ」


 また由美さんに会える。そう思うだけで俺は今日一日を楽しく過ごせる気がする。

 それから俺は高田家を後にした。



***

 


 それから数日後、俺たちはまた待ち合わせをしていた。

 待ち合わせ場所はいつもの由美さんの家ではなく、近くの駅前だ。

 今はもう冬休みに入り、周りに制服姿の人はいなく、私服姿の若者がたくさんいた。

 そんな中、俺は一人の女の子を待っていた。

 本当は由美さんの家で落ち合うつもりだったのだが、由美さんがそれを却下した。

 どうやらそれは、『デートらしくない』らしく、いやだと言う。

 そこまで言われて仕舞えば俺も反論する気にもなれず、というか(はな)から反論する気などなかったのでそのまま了承したわけだ。


「それにしても……緊張していたとは言え待ち合わせ時間の20分も前に来たのは馬鹿だったな……」


 雪など一年を通して全く降らない地域といえど、真冬にもなればそれなりに寒い。そんななかでずっと待つと言うのはなかなかの苦行だった。


「とはいえ近くに温まる場所なんてないしな……」


 駅前でも田舎は田舎だ。駅ビルなど存在しない。

 早く由美さんに会いたいな……と考えていると、遠くの方からとてもよく見慣れた女の子が車椅子に乗ってやって来た。

 その女の子は俺の姿を見つけると、俺の近くに寄ってきた。


「あれ? 待ち合わせ時間8時じゃなかったっけ?」

「合ってるよ。俺が早く来すぎただけだ」

「ふーん。そんなに早く私に会いたかったの?」


 腕を組み、ニヤつきながらお姉さんキャラのような声で俺に問いかけてきた。


「ああ。そうだよ」

「え? そ、そっか」


 ここまでストレートに言われれば流石の由美さんも照れてしまうようだ。よく覚えておこう。


「さて、こうしてずっと話をしていてもいいけど、今日は遠くに行くんだから話は移動しながらにしよう」

「ああ、そうだな」


 そう。今日は1週間ほど由美さんの家で計画した旅行当日だった。

 病院で勢いで言ってしまったことを本当に実行することになるとは思わなかったけど、今にして思えば逆に良かったな。あの時言ってて。


「さ、行くか」

「うん」


 俺は由美さんの車椅子の後ろにつき、ゆっくりと押し始めた。

 さあ、旅行の始まりだ。

結構あっさり終わりましたね。

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