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無冠の皇帝  作者: 有喜多亜里
【03】マクスウェルの悪魔たち(下)
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21 悪魔が相談していました(後)

 モルトヴァンだけでなく、エリゴールも瞠目してパラディンを見ていた。

 パラディンだけが、悪びれたふうもなく笑いつづけている。


「ムルムス中佐とまともに話をしたのは、実は昨日が初めてだったが、私には自殺どころか、他人を自殺に追いこんででも自分は生きようとするタイプに思えた。自分にはまったく非はないと、そればかりを主張していたしね。そんな彼がわざわざ戦闘中の()()の中で自殺するとしたら、あの()()に乗っている間に自殺したくなるようなことが起こったとしか考えられない。しかし、ザボエス中佐は特に何もなかったと言っている。まあ、ムルムス中佐の自宅を調べれば、もしかしたら遺書か遺書めいたものが見つかるかもしれないけど、それ以上に見つけなくてもいいものを見つけてしまいそうで怖いよね」

「では、自殺ではなく他殺だったとしたら、大佐殿は誰が何のためにどんな方法で殺したとお考えですか?」


 あっけにとられて何も言えずにいたモルトヴァンに対し、エリゴールは淡々とパラディンに訊ねた。

 パラディンは意表を突かれたような顔をしたが――まさかエリゴールが自分からこんなことを口にするとは思わなかったのだろう――口角を上げてにやりと笑った。


「〝誰が何のために〟かはわからないことにさせてもらうけど、〝どんな方法で〟なら答えられるかな。ただし、確証はないよ」

「かまいません。それで」

「たぶんだけど、犯人にはムルムス中佐を()()()殺すつもりはなかったんだ」


 右肘を肘掛けに載せたパラディンは、エリゴールを眺めながらにやにやした。話の内容からして不謹慎きわまりない態度だが、それをたしなめる気はモルトヴァンにはなく、エリゴールにもなさそうだ。ただ黙ってパラディンの話に耳を傾ける。


「ムルムス中佐は医務室に行かず、行っても紙コップに水を入れて飲んだりしなければ、()()()死なずに済んだはずだよ」


 モルトヴァンには〝今回は〟のほうが気になったのだが、エリゴールが拾ったのは別の箇所だった。


「紙コップ?」

「〝エスケープ〟はムルムス中佐が水を飲む前にすでに入れられていたんだよ。紙コップの中に」


 再び、モルトヴァンとエリゴールは目を剥いた。それを満足そうに眺めてから、パラディンは言葉を継ぐ。


「あれは無色透明で揮発性が高い。うまい具合に注いで乾かしたら、一見何の異常もないように見えるだろう。それがホルダーのいちばん下にセットされていれば、普通はそれを使って水を飲む。さらに都合のいいことに、あれは揮発しても毒性は薄まらないし、水にもよく溶ける。コップに水はまったく残っていなかったから、きっとムルムス中佐は一気に飲み干してしまったんだろうね。よほど喉が渇いていたのかな。一口でやめておけば、もしかしたら命は助かったかもしれないが、脳に障害が残ってしまった可能性も高い。たぶん、それも犯人には織りこみ済みだったんだろう。ムルムス中佐は犯人の思惑どおり……いや、もしかしたら思惑以上に踊ってくれたわけだ」

「しかし、もし仮にそうだとしたら、その紙コップに入れた〝エスケープ〟はどこから入手したんですか? 自分の分を使ったら、所持検査ですぐにバレてしまいますよ?」


 間髪を入れずエリゴールが問う。モルトヴァンはまだパラディンの説明を反芻している途中だった。悔しいが、やはり〝メモ用紙〟の自分とは違う。さすが〝古文書〟――いや、人工知能つきタブレットか? なお、〝機械帝国〟と呼ばれる「帝国」でも、そこまで高機能なタブレットは製造されていない。


「ああ、それか。ムルムス中佐はちゃんと二本持っていたけど、普段は一本、中には無携行の隊員も実は珍しくないだろう? 付け替えるのが面倒だからって」


 パラディンはにやっと笑って、自分の襟元を右の人差指でつついた。


「たとえば、そんな隊員が()()ごと戦死して、その遺品を仲間内で処分することになったとする。そのとき、残されたアンプルを誰かがこっそりくすねてしまっても、上にはまったく追及されない。規定どおり二本携帯していたなら、遺品の中にアンプルがあるはずがないからね。……これが私が思いつける、いちばん安全な他人のアンプルの入手方法かな」

「……アンプルの不携帯、よくご存じですね」

「以前、暇つぶしに何回か抜き打ち検査をしたことがあるんだ。いやあ、初回の隊員たちのあわてっぷり、とっても愉快だったよ。幸い、紛失した隊員はいなかったけどね。最後にしたときには、全員二本携帯していたな。残念なことに」

「本当に、見かけによらずいい性格をしてらっしゃいますね」

「それはお互い様だろう。この艦隊での戦死者は、ほぼ百パーセント、君も所属していた〝砲撃隊〟の隊員だよ。エリゴール中佐」


 エリゴールは暗緑色の目を眇めてパラディンを見すえた。


「まさか、ザボエスを疑ってらっしゃるんですか?」

「だから、君に相談しようとしたんじゃないか。他殺がいいか、自殺がいいか」


 悪いのは〝除隊カード〟を切ってここから出ていこうとしたおまえだと言わんばかりに、パラディンはエリゴールを睨み返す。


「ついでに言うなら、ムルムス中佐のあの白手袋も彼の所持品ではないね。ムルムス中佐のアンプルを引き抜いて、いかにもそれを使って自殺したように見せかけた〝誰か〟が、彼が死んでからはめさせた。この〝誰か〟は慎重すぎるほど慎重だね。わざわざ手袋なんてはめさせなくても、空にしたアンプルをムルムス中佐に握らせて指紋をつければよかったのに、たぶん、不自然に付着させてしまうことのほうを恐れた。結果的に、順番はちぐはぐになってしまったが、指紋の問題に比べたらささいなことだ。そして、その〝誰か〟の使った手袋も含めて、あらゆる証拠品はもうとっくの昔に処分されてしまっているだろう。今回は監視カメラも最初から作動させていなかったそうだしね。医務室だけでなく他の部屋のも」


 一方、ようやく理解が追いついたモルトヴァンは、寝不足でただでさえ悪かった顔色をよりいっそう悪くさせていた。


(ザボエス中佐が、ムルムス中佐を殺した……?)


 実際に動いたのはザボエスの部下だろうが、指示したのは間違いなくザボエスだろう。


(よりにもよって、どうしてあの班長が……)


 これがザボエスではなく、今ここにいるエリゴールだったなら、申し訳ないが納得はできるのだ。

 彼はムルムスが〝危険人物〟だということを知っていた。例の〝気がかり〟も、パラディンが言ったとおり、ムルムスのことだったのではないかとモルトヴァンも思う。

 では、エリゴールがザボエスに事情を話して手を下させたのか。

 これもまた考えにくい。うまく自殺に見せかけはしたが、もしかしたら他殺とばれてしまう可能性もあるのに――おまけに〝エスケープ〟を使っているから問答無用で死刑――そんな危険を冒してまで、ザボエスがムルムスを殺そうとするだろうか。

 それとも、ザボエスにはエリゴールに逆らえない弱みでもあるのか。あの人外一歩手前の班長にそんなものがあるとはとても思えないが。

 いずれにせよ、ザボエスがムルムスを殺した。正確には、死ぬ確率の高い状況へと追いこんだ。ザボエスの勧めに従ってムルムスが医務室に行かなければ――さらに、そこであの紙コップを使って水を飲まなければ、少なくとも今回は死なずに済んだ。

 だが、今はザボエスよりも、他殺がいいか自殺がいいかとエリゴールに迫っているパラディンのほうが恐ろしいかもしれない。

 彼は他殺だとわかっていながら、エリゴールが自殺がいいと一言言えば、そのまま自殺で処理するつもりでいる。

 パラディンにとっても、自殺のほうが面倒が少ない――他殺では、それを立証する過程において、アンプルの不携帯や不法取得の問題にも触れなくてはならなくなる――ということもあるが、それよりも何よりも、エリゴールの〝除隊カード〟に対抗する切り札として、この一件を利用しようとしているのだ。

 自分もムルムスに好感は持っていなかったが、それでもこの扱いはあんまりだ。モルトヴァンはパラディンに非難の目を向けたが、自分よりもそうして当然のエリゴールは、静謐な表情でパラディンを見つめていた。


「もう、ここには永遠に戻られることはないと思いますので……」


 その表情と同じ声音で、何の脈絡もないことを話しはじめる。

 モルトヴァンだけでなく、パラディンも怪訝な顔をしたが、核心部分に至ったときには、沈痛なそれに変わっていた。


「わかった。ムルムス中佐は自殺の疑いが濃厚。ひとまず、総司令部にはそのように報告しておくよ。自宅待機はもう一日延長して、朝一で十二班にムルムス中佐の自宅を調べてもらおうか。もしかしたら、遺書が残されているかもしれない。わずかな間だったが、彼は十二班に属していたんだからね。同じ班の人間がするのが妥当だろう」


 モルトヴァンは脊髄反射のようにパラディンを見た。エリゴールも信じられないような顔をしてパラディンを凝視している。

 パラディンは何も言わず、ただ口の両端を吊り上げた。

 ということは、やはりそういうことなのだ。――総司令部の調査が入る前に、十二班にとって都合の悪いものを隠滅させる。


「……いいんですか?」


 エリゴールは呆れたように嘆息した。きっと、これほどパラディンが〝いい性格〟だったとは思っていなかったのだろう。モルトヴァンもパラディンがここまでするとは思わなかった。下手を打てば、もう〝栄転〟では済まなくなる。


「いいも悪いも、客観的に見たら、ムルムス中佐は自殺したとしか考えられないじゃないか。おそらく、総司令部はそのまま自殺で処理する。私は管理責任を問われるだろうが、ごく軽い処分で済むはずだ。問答無用であれほど大量の元マクスウェル大佐隊員を押しつけておいて、なぜ自殺者を出したと私を責められるほど殿下も厚顔無恥ではなかろう」

「た、大佐!」


 モルトヴァンはうろたえたが、パラディンは白々しく小首をかしげた。


「うん? 何かまずいことを言ったかな? 殿下はそんな方ではないだろうと否定したのに」

「ほんとにもう、〝いい性格〟!」

「大佐殿にはご迷惑ばかりおかけして申し訳ありません。元マクスウェル大佐隊の一員として謝罪いたします」


 これまでの強気な態度が嘘のように、エリゴールは神妙に頭を下げる。しかし、その後続いた言葉を聞いて、パラディンの顔は一瞬にして凍りついた。


「大佐殿にご迷惑をかける人間は一人でも減ったほうがよろしいでしょう。お約束どおり、自分は来週中に退役願を提出いたします」

「そんな約束、私はしていないよ!」


 パラディンは悲鳴のような声を上げたが、もちろんエリゴールがそれくらいのことで動じるはずもない。確実に演技だろう真剣な眼差しをパラディンに向ける。


「〝戦闘終了までは退役は保留〟なら、戦闘終了後はいつ退役願を提出してもかまわないということになるのでは?」

「そ、それはそうだけど!」

「とにかく、結論は出されたようなので、自分はこれで失礼させていただきます」


 ソファから立ち上がったエリゴールは、パラディンに一礼してから自動ドアの前まで歩いていった。が、そこでいったん足を止め、ソファセットのほうに向き直る。


「退役願はこちらに提出させていただこうと考えておりますが、もしその前に自分を呼び出されることがあれば、必ず持参してまいります」


 最後にエリゴールは別人のように晴れやかに笑って敬礼すると、くるりと踵を返して自動ドアを開け、パラディンの許可なく退室してしまった。これにはさすがのパラディンも呆然としていたが、はっと我に返ってローテーブルの上に突っ伏した。


「あの笑顔をどうしてここに座っているときに見せてくれない……!」

「え? そっち? そっちに行ってしまうんですか?」

「いいものは、やはり至近距離からじっくりと眺め回したいじゃないか……」

「たぶんですけど、エリゴール中佐があんなに嬉しそうに笑ったのは、やっと大佐から離れられたからだと思います」

「加速度的につれなくなってきているな……でも、それもいい! 呼び出しかけたら退役願持ってくるぞと脅しかけてくるところもたまらなくいい!」

「大佐も加速度的にでれてきていますね。それも危険な方向に」

「まあ、エリゴール中佐が退役願を持ってきても受理するつもりはまったくないが、日にちを指定しないで〝来週中〟と言ったということは、彼の〝気がかり〟はムルムス中佐のこと以外にもまだあって、しかもそれは〝来週中〟には解消するということだ」


 パラディンは顔を上げると、長めの前髪を掻き上げながらにたりと笑った。


「来週中……何かありましたか?」

「我々には特にないが、エリゴール中佐には何かが起こる予定があるんだろう。来週中には必ず起こるが、それがいつかは特定できない何かが」

「まさか、また誰か……」

「いや。エリゴール中佐は十二班長のような手段はとらない。それはさっきの彼の話でわかっただろう。〝人切り〟と卑下していたが、彼がいなかったら、マクスウェル大佐隊はとっくの昔に瓦解していた。もっとも、かえってそのほうがよかったのかもしれないがね」


 パラディンの顔にも自嘲めいたものが浮かぶ。薄々知っていながら、何の手立ても打ってやらなかった。モルトヴァンは仕方のないことだと思っているのだが――決定的証拠を押さえなければ〝大佐〟を告発することなどできない――それを口に出すのは(はばか)れて、ただ黙ってうつむいた。


「殿下がここの司令官になってからは、〝やる気のない奴はとっとと出ていけ〟でずいぶん退役しやすくはなったが、マクスウェル大佐隊以外でも、他に行き場所がなくてここに来た人間は少なくない。さらに、古参の〝大佐〟の隊に属している者ほど、退役も転属すらも言い出しにくいだろう。せめて、彼らはどうにかしてやりたいが……マクスウェル大佐のようなことはしていなそうだから、余計に厄介だな」


 モルトヴァンはパラディンに目を向けた。彼の笑みは自嘲から嘲笑に種類を変えている。名前は出していなくても、その〝古参〟が誰を指しているかは言うまでもなかった。


「大佐……()()()何かされるんですか?」

「いや。今は元マクスウェル大佐隊員たちの保護に徹するよ。そのためにも、絶対エリゴール中佐を退役させるわけにはいかないんだ」

「え? やっぱりエリゴール中佐に丸投げ?」

「適材適所だよ。実際問題、エリゴール中佐を間に介したら、ちゃんと十班の代わりに出撃できたじゃないか」

「そういえば……面談以降、出撃前には十一班長にも十二班長にも直接会いませんでしたね……」

「直接会う必要がなかったから会わなかっただけだ。エリゴール中佐とは用がなくても会いたいけどね」

「そんな真顔で」

「とりあえず、モルトヴァン。コーヒーを淹れてくれないか。エリゴール中佐が頑なに断るから、飲みたくても飲めなかったよ」


 執務机の椅子から今いるソファに移動するだけで精一杯だったモルトヴァンにとって、エリゴールのその固辞は大変ありがたかったのだが、その理由は遠慮からでも何でもなく、単にここに長居したくなかっただけのような気がする。今も正直、ここから動きたくないが、あのときよりは多少体力も回復してきた。


「はいはい。濃いめのほうがいいですか?」

「普通でいいよ。もともと好きじゃないから、それで眠気覚ましには事足りる」

「それより、仮眠をとられたほうがいいのでは?」

「いま眠ったら夜まで寝てしまいそうだ。ムルムス中佐の件だけは、迅速かつ慎重に処理しないと。私の責任問題だけでは済まされなくなる」


 我知らず、モルトヴァンの口元がゆるむ。〝いい性格〟な上官だが、やるときはやるのだ。ただし、必ず自分を道連れにするが。


「そうですね。では、淹れてきます」


 モルトヴァンは心の中で掛け声をかけてソファから立ち上がると、パラディンの分は言われたとおり普通に、自分の分は少々濃いめに淹れた。パラディンがいつ睡魔に襲われても、自分だけは起きていられるように。

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