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無冠の皇帝  作者: 有喜多亜里
【03】マクスウェルの悪魔たち(下)
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17 あの人も悪魔でした

 その通信士は、まず艦長席のパラディンを振り返り、口を開きかけた。が、そこでためらうと、今度は副長席にいる副長に目線を向けた。

 その一連の動きには既視感があった。モルトヴァンは副官席で彼の次の言動を待つ。


「副長。……あの、ザボエス班……いえ、十二班長から、大佐あてに映像通信が入っているんですが……」

「十二班長? あの班長ならつないでもかまわないと思うが……用件は何だ?」


 通信士の態度から、副長もただごとではないと感じとったらしい。自ら彼のそばに行き、声を潜めて訊ねた。


「はい……実は……」


 通信士がそう言いかけたときだった。


「何だい? 脱出ポッドでも回収した?」


 通信士と副長はびくっと肩を震わせると、おそるおそるパラディンに顔を巡らせた。

 パラディンはにやにやしながら右手で頬杖をついている。無論、モルトヴァンも驚いたが、その理由はおそらく先の二人とは違っていた。

 ――大佐、エリゴール中佐以外の人間も視界に入れていたのか。


「脱出ポッド?」


 そのエリゴールはパラディンの左隣で不審そうに眉をひそめている。モルトヴァンはあわてたが――あれはこの隊的に最重要機密――そこはパラディン、悠然と一言で片づけた。


「いや、ただのジョーク。で、十二班長の用件は? 基地に戻るまで待てないほど緊急の用件なんだろう?」

「は……はい……内容が内容ですので、艦長席だけで交信できるようにしてもよろしいでしょうか?」


 若干青ざめている通信士を見て、さすがにパラディンも笑うのをやめた。


「脱出ポッドどころの話ではなさそうだな。かまわん、つないでくれ……と、その前にモルトヴァン。こちらに来てくれ」

「え? 私ですか?」


 ここで自分が呼ばれるとは思わなかった。モルトヴァンが動揺して再確認すると、パラディンはわざとらしいまでに真剣にうなずいてみせた。


「ああ。おまえは私のメモ用紙だからな。通信記録は残るが、おまえの頭の中にも残しておいたほうが、あとで何かと便利だろう」

「メモ用紙……」


 それならすでに隣に自分よりよほど高品質なのがいるだろうとモルトヴァンは言いたくなったが、おまえと一緒にするなと怒られるのは目に見えている。パラディン的にはあちらは博物館の奥深くに秘蔵されている古文書くらい価値があるのに違いない。モルトヴァンは軽く嘆息してから慇懃に答えた。


「了解いたしました」


 * * *


 元マクスウェル大佐隊十班長にして現パラディン大佐隊十二班長ザボエスは、その髪色といい巨体といい、小さな子供が見たら確実に泣き出しそうなほど迫力があるが――モルトヴァンも街中で見かけたら迂回する――顔だけしか見えないモニタごしでもまだあった。

 だが、粗暴そうな外見を裏切るように、彼の口調は柔らかで(体格の関係上、声は超低音だが)、簡潔にして丁寧な言葉選びをする。元マクスウェル大佐隊五班長アンドラスとは実に対照的だ。あの男は一見優男だが、黙っていても知性と品性のなさがにじみ出ていた。エリゴールがアンドラスは班長に戻すなと言ったのも素直にうなずける。

 しかし、ザボエスが冷静に話したその内容は、モルトヴァンにはとても彼のようには受け止められない種類のものだった。


 ――元マクスウェル大佐隊九班長ムルムスが、医務室内で死亡していた。


 ザボエスによると、戦闘が始まって間もなく、ムルムスが体調不良を訴えたので、医務室で休めと勧めたのだという。人員不足のため、医務室は無人だった。戦闘終了後、部下にムルムスの様子を見に行かせると、彼はベッドの上ですでに息絶えていた。

 外から見たかぎりでは、傷らしきものは見当たらなかった。そのかわり、ムルムスの近くには、皇帝軍や宇宙軍に属している者なら必ず所持しているアンプルが、開封された状態で転がっていたという。


 ――自決用の毒薬。俗称〝エスケープ〟。


 無色透明。無味無臭。小指の先ほどの大きさのアンプルに封入されたその液体は、ほんの数滴でも口にすれば〝安らかに〟即死できるという猛毒である。

 かつて「連合」に植民地として支配された過去を持つ「帝国」では、敵に捕らわれる前に自死することが軍関係者のとるべき唯一の選択とされていた。必要なときすぐに服用できるよう、通常〝エスケープ〟のアンプルは軍服の左右の襟裏に一本ずつ仕込まれているが、その目的のために〝エスケープ〟が使用されることはまずない。軍関係者の大半にとっては、年に一度、所持の確認と交換がなされる〝物騒なお守り〟であり、軍を離れるときには必ず返却することになっている。なお、紛失した場合は厳罰、譲渡や売買、他者を殺害するのに用いた場合にはいかなる事情があっても死刑となる。

 だが、数の増減はあれ、〝エスケープ〟は毎年必ず使用されている。敵からではなくこの世から逃れるために。

 積極的に公表されてはいないが、軍内部での自殺者の多くは、自分の〝エスケープ〟を飲んで命を絶っているのだ。

 ほとんど苦しむことなく、すみやかにあの世へと〝逃走(エスケープ)〟できるこの毒薬は、自殺志願者にとってはまさに理想的な毒薬だろう。軍上層部はそのことを憂慮しつつも、〝エスケープ〟の回収も支給停止も行ってはいない。


 ――この世で生きるのがつらければ死ねばよい。生きられるものだけが生きればよい。


 植民地時代に主流となったその死生観は、独立後も廃れることなく生きつづけている。

 しかし、まだその〝エスケープ〟がムルムスの死因だとは断定できない。現場の保全を優先して今はそのままの状態にしてあると言ったザボエスに、パラディンは基地に戻るまでそれを続けるよう指示し、ひとまず通信を切った。

 多少表情は険しくなっているが、取り乱してはいない。性格はともかく、こういうところはさすがに〝大佐〟である。逆に言うと、だから性格があれでも〝大佐〟でいられているのだろう。


「やはり、自殺……でしょうか?」


 おそるおそるモルトヴァンが訊ねると、パラディンはかすかに口元をゆるめた。


「現段階では何とも言えないな。基地に戻ってから検死させてみないと。とりあえず、〈フラガラック〉には〝エスケープ〟で自殺したようだと報告はしておこう。〝戦死〟ではないことだけは確かだ」


 いずれにせよ、面倒なことになった。モルトヴァンは一人顔を曇らせる。本当に自殺だったとしたら、今度はなぜそれを予見できなかったのかと、パラディンの管理責任問題に波及してしまうかもしれない。


(今回の件といい、例の偽転属願の件といい、本当に厄介な元班長……)


 そこまで考えかけて、モルトヴァンは古文書――いや、エリゴールの顔を盗み見た。

 パラディンを間に挟んだ反対側に立っているエリゴールは、今は無表情に戻っているが、ムルムスが死んだと知らされたときには、モルトヴァンたちと同様、驚いた表情を浮かべていた。演技……ではないと思う。それならザボエスから通信が入っていると聞いたとき、もっと過敏に反応していたのではないだろうか。あのときのエリゴールは本気で何の用件なのかと訝っていたようだった。少なくとも、彼はこの件には関与していないように思える。


「まあ、死亡原因はともかく、今はムルムス中佐の死を悼もうじゃないか。これでもう彼は誰とも話すことができなくなった」


 モルトヴァンはぎょっとしてパラディンを見た。エリゴールも目を見張って彼を見下ろしている。

 両脇から突き刺さるような視線を浴びせられても、パラディンはまったく意に介したふうもなく穏やかに笑っていた。


 * * *


 戦闘終了後、パラディン大佐隊十一班長ロノウェは困惑したように副長席でぼやいた。


「結局、俺らは今日、何のために出撃させられたんだ?」


 ――まったくです、ロノウェ班長。

 操縦席にいるゲアプは頭の中だけで同意する。だが、副長レラージュの返事は違った。


「それなら昨日、元四班長が言ってたでしょう。元四班長が俺たちが出撃してるところを見たかったからですよ」


 〝元四班長〟とは、元マクスウェル大佐隊四班長エリゴールのことだろう。今日は確かパラディンの軍艦〈オートクレール〉に乗艦しているはずだ。ゲアプたちはまだ会ったことがないが、噂によると、元マクスウェル大佐隊六班長セイルと張るくらいの男前らしい。マクスウェル大佐隊では顔で班長を決めていたのかと思わず勘繰りたくなるが、それならこのロノウェとザボエスは何なのかということになる。

 もっとも、パラディン大佐隊内での一番人気はザボエスでセイルではなかった(セイルは二番)。この隊ではワイルド(でも話してみると意外と紳士)系が好まれるらしい。可愛い系の代表とも言えるヴァラクは少数派だった。ちなみに、ゲアプは今でも王道はヴァラクだと信じている。


「ゲッ! あれマジだったのかよ!」


 実は三番人気だったロノウェ(意外なことに、断トツの最下位は九班長ムルムスだった)が大げさに叫ぶ。が、無論レラージュが動じることはない。


「そうですよ。で、何で見たかったかと言えば、俺たちが護衛として護衛艦を動かせるかどうか確認したかったからです。そんなようなこと、ポロッと言ってました」

「ああ? そんなん言ってたかあ? でも、それなら別に次でもよかっただろ? 何でいきなり昨日の今日なんだよ?」

「……今回しか見られないと思ったからでは?」

「何で?」

「班長。たまには自分の脳みそ使いましょう」

「使えねえ脳みそ、どう使うんだよ?」

「何のためらいもなくそう切り返せるのが、さすが班長ですね」

「あー……まさかあいつ、また転属狙ってんのか?」

「いえ、それはないと思います。『ここがもう最後だ』って言ってました」

「今さらながら、おまえの記憶力、超こええ……」

「班長が覚えられないから、代わりに覚えてるだけですよ。あと、元四班長が言ったんじゃなかったら、俺でも聞き流してます」

「あいつだけ特別扱いかよ?」

「班長がこの隊で逆らえないの、パラディン大佐と元四班長くらいじゃないですか」

「いや……おまえにいちばん逆らえねえ……」

「何か言いましたか? よく聞こえませんでしたけど」

「……まさか、次の出撃前に退役するつもりでいるのか?」

「さっき言ってたのと全然違いますね」

「ほんとは聞こえてたんじゃねえかよ!」

「でも、いま班長が言ったとおりだと思います。もしかしたら、もうパラディン大佐に退役願を提出してるかもしれません」

「何でまた……ああ、それはわかった。そりゃあ辞めたくもなるわなあ。あっちにいるとき出さなかったのは、あいつの最後の意地だな」

「班長の脳みそはそういうのだけはわかるんですよね。職業選択間違えましたね」

「うるせえよ。……退役かあ。仕切られんのは確かに腹立つが、俺らは楽っちゃ楽なんだよな。あいつが予約入れた店にハズレはなかった」

「それ、仕事とまったく関係ありませんから」

「関係なくはねえよ。あれでヴァラクの機嫌とってたんだよ。ついでに言うと、あいつもあの飲み会んときはいつも機嫌がよかった」

「今となっては、いろんな意味で泣ける話ですね」

「でも、あいつが辞めたいってんなら、しょうがねえよな。……何だ、そんな理由があったんなら、俺らにはっきりそう言やあいいのになあ。俺はてっきり嫌がらせだとばかり思ってたぜ」

「元四班長の性格的にそんなことは言えないでしょうし、嫌がらせだとしたら大がかりすぎます。パラディン大佐にも迷惑をかけることになるんですよ?」

「そらまそうだ。でも、退役する前にアンドラスだけは切ってってくんねえかなあ。あいつの面ァ見てるだけで殴りたくなるんだ」

「今までよく我慢してましたね」

「殴ったら負けだってエリゴールが言ってた」

「そのとおりですけど、本当にどこまでも元四班長の言いなりですね」

「あいつとおまえの言うこときいてりゃ、ハズレはねえからな」


 それまでほとんど間をおかずに返答していたレラージュが、そのとき初めて沈黙した。

 いったいどうしたのだろうとゲアプが肩ごしに振り返ると、彼は相変わらず副長席の左隣に立っていたが、顔はロノウェから派手にそむけていた。


「これまではともかく、これからハズすかもしれませんよ?」


 ぼそぼそとレラージュが言う。しかし、ロノウェは頭の後ろで手を組んだ格好のまま、げらげらと笑い飛ばした。


「そんときゃそんときだ。おまえらの言うこときこうって決めたのは俺なんだから、もしハズしてもおまえらを責めたりはしねえよ。それが〝人まかせの礼儀〟ってもんだろ?」

「……班長、馬鹿ですけど、馬鹿じゃないですよね」

「あんだよ、そりゃあ?」

「そこは馬鹿です」


 ゲアプは前に向き直ると、今まで漠然と考えていたことをついに決意した。次もこの軍艦に乗れるかどうかはわからないが、その確率ははるかに高くなる。操縦士の自分なら、きっと受け入れてもらえるはずだ。


 ――基地に戻ったら、この班への異動願を出そう。


 真の異動希望理由は〝十一班内部(正確には十一班長とその副長)の観察がしたいから〟だが、まさかそんなことは絶対に書けない。いったいどんな理由にすれば認められるだろうかと悩むゲアプの心だけはもうすっかり十一班の一員だった。


 * * *


「意外でしたね」


 プルソンがそう声をかけると、パラディンとの通信を終えて艦長席へと戻ってきたザボエスはにやりとした。


「意外って、何が?」

「パラディン大佐がです。もっと驚かれるか、突っこんだことを訊かれるかと思っていましたが」

「ああ、それはたぶん、死んだのがムルムスだからだな」


 艦長席の前部に腰を預け、ザボエスは大木の根のような両腕を組んだ。


「正直、大佐もめんどくせえのが転属されてきたって思ってたんじゃねえのか? 俺ら五班まとめて世話になってたときとは〝別人〟になっちまってたしな。あんな口軽、危なすぎて使えねえし、退役もさせられねえ。きっとうちで飼い殺すつもりだったんだろ。アンドラスと一緒に」

「それは……きついですね」

「ああ。でも、今日からかなり楽になる。ムルムスに比べりゃ、アンドラスのほうがまだ飼いやすい。知らねえことは話せねえからな」


 まったく悪びれた様子もなく、大きな犬歯を見せて笑う。

 時として、ザボエスの〝良識〟は一般人のそれとは食い違う。彼にはエリゴールの〝人切り〟よりも、ムルムスの〝口軽〟のほうが許せなかったのだ。ムルムスはザボエスを味方につけようとして、かえって敵に回してしまったのである。


 ――利口なようで馬鹿な班長だったんだな。


 プルソンがムルムスに対して抱いた感情はそれだけだ。おそらく、今このブリッジにいる乗組員全員がそう思っていることだろう。ムルムスは排除されるべくして排除された。パラディン大佐隊の足を引っ張る馬鹿はいらない。

 ヴァラクとは違う種類のカリスマ性を持つ班長。その班長に狂信者のように従う班員たち。元マクスウェル大佐隊十班――現パラディン大佐隊十二班とは、そういう班だった。

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