15 臆測されていました
「何とか、〝栄転〟だけは回避できたか」
粒子砲も無人護衛艦群の助太刀もなく戦闘終了となった直後、〈ブリューナク〉の艦長席でダーナが発した第一声がこれだった。
どうしても〝栄転〟にはなりたくなかったのだろう。それはわかるが、その表情と声音のほうが信じがたくて、マッカラルやブリッジクルーたちは思わず彼を凝視した。
普段は表情の少ないダーナが、実に嬉しそうに笑っていたのである。彼の左横に立っていたマッカラルは、〝え、あなた誰ですか?〟とつい言いたくなった。
「え、ええ。〝栄転〟だけはないと思います」
しかし、副官としてそのような発言は許されない。マッカラルはあわてて平静を装い、根拠のない同意をした。
同じく根拠はないが、もし〝栄転〟になるとしたら、それは右翼のダーナではなく、左翼のアルスターのほうだろう。が、ダーナとは違い、アルスターには砲撃担当としての長年の実績がある。今日の拙策一回だけで〝栄転〟とはならないはずだ。
もっとも、今後もあのようなことを繰り返すなら、司令官も〝栄転〟を決断せざるを得まい。前回よりも戦闘時間が長引いてしまったのは、確実に左翼のせいである。
だが、ダーナは戦闘前も戦闘中も左翼にはいっさい触れなかった。〝先輩〟であるアルスターに配慮しているのかと思っていたが、今のこの様子を見ると、自分たちのことで頭がいっぱいで、左翼のことなど最初から眼中になかったのかもしれない。左翼にはダーナ大佐隊に砲撃の指導をしてくれた元ウェーバー大佐隊の半分(六班から十班)もいるのだが。
「〝栄転〟対象にならなければ、右翼をいじられることもないとは思うが……油断はできんな。もっと完成度を上げないと」
一転して、難しい顔になって額を右手で覆ったダーナを、マッカラルは生ぬるい目で見下ろした。
(ようするに、元マクスウェル大佐隊……いや、七班長をよそに持っていかれたくないということですね……?)
ドレイク大佐隊に転属された六班長セイルが言ったとおり、確かに七班長ヴァラクは〝頭は恐ろしく切れる男〟だった。今回の作戦も概略はヴァラクが立てたものだ。
しかし、ダーナがその男を〝よそに持っていかれたくない〟理由は、たぶんそれだけではない。
ヴァラクがコーヒーは匂いも苦手だと言った三日前、ダーナはあの執務室からコーヒーセット一式を撤去、紅茶(高級茶葉各種)を追加し、断熱コップ(M&L)、ストロー、キャップ、ガムシロップ等々を新たに持ちこんだ(のはもちろんマッカラルである)。これから基地に戻ったら、もっともらしい用件を作って執務室に呼び出すつもりだろう。そしてアイスティーを飲むヴァラクをじっくり観賞する。
(観賞するだけなら、まだ許容範囲か……)
自分のことも含めてそんなことを考えていると、ふとダーナが口を開いた。
「マッカラル。七班長に通信を……」
「いけません」
皆まで言わさず、マッカラルは声を張り上げる。
「演習のときと今とでは立場が違いすぎます。今、通信を入れたら、何を言われるかわかったものではありません」
ブリッジクルーたちは驚いていたが、ダーナは自分でもわかっていたようだ。マッカラルを叱責することなく深い溜め息をついた。
「立場か……」
「立場です。早急の用件でなければ、基地に戻ってからにしてください。ご自身のために」
「……そうだな。そのほうがいいな」
――そうわかっているなら、最初から言わないでください。
執務室の中でならともかく、このブリッジで自分の上官がまた〝馬鹿大佐〟と罵られる事態だけは何としても避けたい。〝馬鹿副官〟の意地である。
その後、ダーナは艦長席でずっと思案顔をしていたが、考えていたのは右翼の今後のことではなく、基地に戻った後、どのタイミングで何を言えばヴァラクを怒らせずに執務室に呼び出せるかだろう。そう臆測したマッカラルは、あえて話しかけずに放置しつづけることを選んだのだった。
* * *
〝見るに堪えない〟というのが、コールタンの副官クルタナの、今日の左翼に対する率直な感想だった。
左翼の護衛担当の大佐であるコールタンは、通常、自艦〈デュランダル〉の艦長席でにやにやしながら戦局を眺めている。だが、さすがに今日ばかりは険しい表情でモニタを睨みつづけていた。
「いやはや、今日は俺らも無人護衛艦と一緒に左翼にお出かけすることになるかと思ったね」
戦闘終了後、おどけたようにコールタンは言ったが、髪の赤と同じくらい鮮やかな青い瞳は少しも笑ってはいなかった。
「もっとも、その前に殿下が粒子砲使うだろうが、万が一に備えて、本気で撤退のこと考えたほうがいいな。今回、パラディンはそのつもりで〈オートクレール〉の位置を変えたのかね。次からうちもそうするか」
「撤退……ですか」
クルタナは驚いて、コールタンの左横から彼を見下ろす。
撤退。この皇帝軍護衛艦隊において、決して許されない選択だ。
「まあ、〝早めの撤収〟って言い換えてもいいけどな。粒子砲使わなくても、〈フラガラック〉が〝撤収〟しながら無人艦全艦『連合』に突っこませれば、逃げきることはできる」
確かにそうだろう。しかし、結果は同じ〝全艦殲滅〟であっても、これまでの勝利と無人艦を全艦犠牲にした上でのそれとでは、まったく意味合いが異なってくる。いくら言い換えてみたところで、それはこの艦隊にとって〝撤退〟に他ならない。
「アルスター大佐は、次もあの作戦をとられるつもりなんでしょうか?」
我知らず、クルタナの〝下手をしたら高校生〟と言われる童顔がこわばる。コールタンはダーナよりも〝砲撃〟が似合いそうな精悍な顔を歪めて笑った。
「それはアルスター大佐しだいだが、たぶん、そのつもりだと思うぜ。粒子砲なしで〝全艦殲滅〟できちまったからな。それなら、作戦修正する必要もないだろ」
「しかし、殿下はそう思われないのでは?」
「きっとな。今頃さぞかしご立腹されてると思うが、この前の二人と違って、アルスター大佐はそう簡単には切れない。まだ代わりがいないからな」
「代わり?」
「新しい〝大佐〟だ。今日のアルスター大佐見たら、増やすしかないだろ。……やっぱり、ここの〝大佐〟に二〇〇隻は無理だったのかね。ダーナも直接指揮してるのは、自分の隊の一〇〇隻だけだしな。ただ、ダーナは元マクスウェル大佐隊とちゃんと連携してた。うちも転属希望者受け入れてやったかいがあったな」
「そのうちの三分の二以上を退役に追いこんでおいてよく言いますね」
「そいつは仕方ない。〝ドレイク大佐命令〟だ。〝殿下命令〟の次に威力のある命令だぞ?」
しかつめらしくそう言うと、コールタンは腕組みをして天井を眺めた。
「ドレイク大佐は、アルスター大佐にはどんな〝命令〟出してたのかね。それとも、何の〝命令〟も出してなかったかな。唯一の年長者を敬って」
* * *
〈フラガラック〉から戦闘終了の通知が出されると、〈カラドボルグ〉のブリッジクルーたちはいっせいに安堵の溜め息を吐き出した。彼らがこれほどはっきりと感情を表に出したのは、コノートがアルスターの副官になって以来、初めてのことである。そして、これから恒例となるだろう。
アルスターはもちろん嘆息などしていなかった。艦長席で腕を組み、満足げにスクリーンを眺めている。褐色の髪をした中年男――コノートは、そんな彼の左横に立ち、いつもは無表情に近い頬のこけた顔をかすかにしかめていた。
今回の作戦内容をアルスターから知らされたとき、コノートたちはまず彼の正気を疑った。なぜ、わざわざ「連合」右翼の背後にアルスター大佐隊――アルスターは〝第一分隊〟と称しているが、彼の前以外でそう呼ぶ者は誰もいない――を回りこませなければならないのか。そこに向かうためには大きく迂回しなければならず、背面攻撃を仕掛けたところで、撃墜できる艦艇数が劇的に増えるわけでもない。これまでどおり、側面から「連合」右翼を攻撃したほうが、どう考えてみても効率的である。
しかし、アルスターはその側面攻撃を、元ウェーバー大佐隊――こちらは〝第二分隊〟ということにされているが、やはりアルスターの前以外では誰もそう呼んではいない――に担当させた。後方と側面から攻撃されれば、当然「連合」右翼は中央へと向かう。が、そもそも「連合」は最初からそこをめざしているのだ。皇帝軍護衛艦隊の旗艦にして無人艦群を遠隔操作している〈フラガラック〉のいる中央を。
〈フラガラック〉に「連合」を近づけさせないこと。有人無人を問わず、それがこの艦隊に属する軍艦の最優先事項だ。だが、アルスターが立てた作戦は、わざと中央に「連合」右翼を追いやり、肝心の殲滅は中央にいる無人砲撃艦群まかせにするという、この艦隊の〝大佐〟にあるまじきものだった。
しかし、コノートたちには〝大佐〟が立てた作戦に異議を唱える権利は与えられていなかった。上官命令は絶対。軍隊におけるこの〝常識〟を、アルスターはことさらに重んじていた。
元ウェーバー大佐隊でもそれは〝常識〟とされていたが、さすがに今回の作戦説明のときには呆然としていた。気持ちはわかる。彼らの認識では、アルスターはウェーバーより〝まともな大佐〟だっただろうから。彼らのその表情を見て、コノートは内心申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
この作戦はおかしい。だが、そのことをアルスターに指摘できる人間がアルスター大佐隊にはいない。そうしたところで、アルスターに処罰・排除されるだけだとこれまでの経験からわかってしまっている。
ならば、コノートたちに残された道はもうこれしかない。
――アルスターの〝愚策〟をあえて忠実に実行し、ウェーバーやマクスウェルのように〝栄転〟してもらう。
しかし、これは自分たちの命を危険にさらす行為でもある。先月、司令官はウェーバーの上官命令に従ったウェーバー大佐隊員たちを無人艦で守らず戦死させた。それと同じことをコノートたちもされるかもしれない。
だが、厄介者扱いされている元マクスウェル大佐隊員たちならともかく、転属も退役もままならない自分たちに、他に何ができるというのか。上官命令を逆手にとって、〝栄転〟に追いこむことくらいしかない。
「作戦どおり、うまくいきましたね」
皮肉のつもりだが、きっとアルスターには通じないだろう。また、通じられても困る。幸い、アルスターはコノートの言葉を額面どおりに受け取ったようで、彼に会心の笑みを向けた。
「そうだな。今回はうまくいった」
そこまでは想像どおりだった。しかし、そこから続いたセリフを聞いて、コノートは髪と同じ褐色の目を剥いた。
「だが、次から〝第二分隊〟は中央に戻そう。あそこも以前と同じ配置のほうがやりやすいだろう。右翼の元マクスウェル大佐隊のように」
今日の戦闘中、この〝大佐〟の青い両眼はいったい何を見ていたのだろう。機嫌よく笑うアルスターに、コノートは呆れるより先に恐怖する。
確かに、元マクスウェル大佐隊はもともと右翼にいた。だが、今日、彼らがしたことは以前とはまったく異なっている。しいて言うなら、ダーナ大佐隊が〝前衛〟、元マクスウェル大佐隊が〝後衛〟として、公平に役割を分担し、「連合」左翼を殲滅していた。
現在の編制では、おそらくあれが両翼の有人艦二〇〇隻の最適な布陣だ。そのことを認識しないで、配置だけの問題にしてしまうのか。今日のアルスター大佐隊は、これまでしていた仕事さえ放棄したというのに。
――結局、この人の基本思考は、どうすれば自分が楽をできるか、なのか?
ドレイクからの返信どおり、転属希望してきた元マクスウェル大佐隊員たちを入隊はさせたものの、アルスターのところで一から根性を叩き直してやってくれという箇所はきれいに無視して、元ウェーバー大佐隊に彼らを押しつけた。あのとき、初めてコノートはそんな疑惑を抱いたが、いまやそれは確信に変わりつつある。
元ウェーバー大佐隊を中央に戻す。しかし、今の中央にはドレイクの〈ワイバーン〉と無人砲撃艦群がいる。実際には、今日左翼の無人砲撃艦群にさせた仕事を、今度は元ウェーバー大佐隊にさせるつもりなのだろう。今回よりさらに過酷な仕事を。
元ウェーバー大佐隊は〝解体〟されたほうが幸せだったかもしれない。罪悪感と無力感に苛まれながら、あの大佐会議でドレイクが何度も口にしていたあの言葉を思い出す。もしかしたら、あれはダーナだけでなく、このアルスターに対しても向けられていたのではなかったか。
――〝実現可能であれば〟。