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無冠の皇帝  作者: 有喜多亜里
【03】マクスウェルの悪魔たち(下)
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07 馬鹿を選ぶ利口もいました

 通常、予備ドックは一隊につき二つある。そのうちの一つ、十一番目の第一号待機室の自動ドアが開かれると、すぐに聞き覚えのある(だみ)(ごえ)がエリゴールの耳に飛びこんできた。


「よう。やっぱりこっちに来やがったか、〝人切り班長〟」


 声がした方向に目をやれば、無精髭を生やした黒髪の男が、椅子にふんぞり返って()()た笑みを浮かべている。

 元八班長――ロノウェ。

 しかし、エリゴールはこの男を、元五班長――アンドラスほど嫌ってはいなかった。どちらも〝馬鹿〟だが、ロノウェは〝救いのある馬鹿〟だ。こう見えて、自分が馬鹿だということをよくわきまえている。


「どうして〝こっちに来た〟なんだ?」


 ほぼ一週間ぶりの再会だが、どちらも挨拶を交わす気など最初からない。待機室内にいる元八班第一号の班員たちは、触らぬ神に祟りなしとばかりに二人を遠巻きにしていた。


「おまえ、アンドラス、でぇきれぇじゃねえか」


 あっさりロノウェは断定する。


「あいつがザボエスのとこに行ったって聞いたから、おまえは絶対こっちに来ると思った」


 なかなかどうして、馬鹿の直感はあなどれない。建前上はパラディンにこちらに行くよう命じられたからなのだが。


「ザボエスから連絡あったのか?」

「ああ。〝疫病神が来た〟ってぼやいてた」

「なるほど。言い得て妙だな」

「他人事みてえに言うなよ。てめえだって似たようなもんじゃねえか」


 褐色のぎょろ目で、ロノウェは不愉快そうにエリゴールを睨みつける。


「せっかく何とかこっちに逃げこめたってえのによう。三〇〇人も馬鹿引き連れてきやがって。来るんだったら、半分以上切ってから来やがれ」

「向こうじゃ切りづらかった」


 ぼそっとそう返してから、エリゴールは自分が引っかかったことを訊ねた。


「〝逃げこめた〟って、何から逃げたんだ?」

「決まってんだろ。砲撃からだよ」


 なぜそんなことがわからないのかとでも言いたげに、ロノウェは太い眉を大仰にひそめてみせる。


「いくら〝大佐〟が変わろうが、もう砲撃はうんざりだ。俺がそう言ったら、それなら整列するなってレラージュが言った。まさか、本当にここに戻れるとは思わなかったけどな」

「やっぱり、レラージュの入れ知恵か」


 想像はついていたが、エリゴールは軽く嘆息した。


「だったら、何で班員全員に〝パラディン大佐隊転属希望〟って書かせなかったんだ? レラージュ」


 エリゴールの視線の先――ロノウェの隣に置いてある椅子には、金髪の青年が両足をきちんとそろえて座っている。このむさくるしい待機室内にいるのが場違いなほど容貌は美しい。が、その表情には愛想のかけらもない。


「人数を絞れば、希望が通る可能性も上がるかと思いまして」


 よく通るきれいな声をしているが、顔と同じく無愛想である。


「結果的には〝ダーナ大佐隊転属希望〟にしてもここに来られましたね。……むかつきます」

「誰にだよ」

「それを答えさせて、まずは俺を切るつもりですか?」

「切らねえよ」


 思わずエリゴールは苦笑いした。


「おまえ切ったら、隣の馬鹿が、班長続けられなくなるだろうが」


 青年――レラージュが、緑色の目を少しだけ見開く。


「班長?」

「さっき、パラディン大佐から聞いた。ロノウェとザボエスだけ班長にするそうだ」

「まあ、当然ですね」


 元の無表情に戻ったレラージュは、すげなく言った。


「予備ドックは二つしかないですから、班長にできるのは二人までですし、それなら最初からここを転属希望先にしていた、うちの班長と十班長を班長にするでしょう。人情的にも、人事的にも」

「〝元十班長〟だろ」

「それなら、四班長は〝元四班長〟ですか?」


 すかさず切り返され、エリゴールはまた苦く笑う。

 この青年の転属前の肩書は、マクスウェル大佐隊所属第八班第一号副長だった。だが、その実態はロノウェの代わりに考える〝頭〟であり、ロノウェを通して班を動かしている〝裏班長〟である。そういう立場が心地いいのか、それとも他に何か理由があるのか、ロノウェを馬鹿にしつつも、彼の元を離れようとはしない。


「そうだな。不本意だが、そういうことになるな。……まだパラディン大佐から、班長任命の辞令は届いてないか?」

「届いてって……まさか、メールでか?」


 エリゴールとレラージュのやりとりを呆れたように見ていたロノウェが、驚きの声を上げた。


「ああ。もしかしたら隊員名簿も一緒に送られてくるかもしれない」

「メールってなあ……確かにそっちのが早いが……そんなに俺らと顔合わせたくねえのかよ……」


 ロノウェが少し傷ついたように愚痴っている間に、レラージュは椅子から立ち上がり、待機室の一角にある端末をチェックしていた。


「班長。辞令と隊員名簿、届いています」


 ディスプレイを眺めながら、あくまで自分の班長にレラージュは報告する。


「さすがに仕事は早いな」


 感心してエリゴールは独りごちたが、ロノウェの関心は別のところに向けられていた。


「おい、隊員名簿って、向こうが勝手に全部決めたのか?」

「今ざっと目を通しましたが、うちの班員と五班の班員しかいません。組分けはこちらでして、終了次第、その隊員名簿をパラディン大佐のところに送信するようにと添え書きしてあります」

「五班!? よりにもよって!?」


 エリゴール同様、アンドラスを嫌っているロノウェは激しく動揺する。


「まさか、その中にアンドラスは入ってねえだろうな!?」

「入っていません。班員だけです」


 憎らしいほど冷静にレラージュは返答し、辞令および隊員名簿をプリントアウトして、ロノウェの隣に戻ってきた。


「辞令は見なくてもいいですね」


 そう言って、隊員名簿だけをロノウェに突き出す。


「何でだよ……」


 ロノウェは小さくぼやいたが、レラージュにそのような扱いをされることにはもう慣れてしまっているのだろう。それ以上の不満は訴えず、隊員名簿を受け取った。


「組分けってなあ……うちは四組、向こうは十組だろ? どうやって十組にしろってんだよ……」

「五班を四組、元四班長に切ってもらったらどうですか?」


 こともなげにレラージュが言う。これにはエリゴールも噴き出しそうになった。


「レラージュ……おまえな……」

「何ですか? 元四班長の専売特許じゃないですか」

「おまえ、こっち来てから、ますます遠慮ってもんがなくなったな……」


 さすがに元班長相手にその態度はどうかと思ったのか、ロノウェがレラージュを見やって溜め息をつく。


「そりゃなくなりますよ。ここで誰に毒吐いても、パラディン大佐に追い出されることはもうありませんからね」

「毒吐いてる自覚はあったんだな」


 ついエリゴールが口に出すと、ロノウェが小声で応えた。


「ほとんど毒しか吐いてねえけどな」

「班長。組分けどうするか、もう結論出ましたか?」

「悪かった。レラージュ。俺が悪かった」

「そういや、五班の班員は今どこにいるんだ?」


 今さらだが、ふとそのことが気になってロノウェに問う。と、彼は面食らったようにエリゴールをまじまじと見つめた。


「おまえ、パラディン大佐から聞いてねえのか?」

「何を?」

「五班の連中も含めて、ダーナ大佐んとこにいた三〇〇人、今日から二日間、自宅待機させるってよ」


 エリゴールは眉をひそめてロノウェを見つめ返した。


「……何?」

「それ聞かされたとき、さすがパラディン大佐って感心したけどな。確かに待機室は空いてるが、いきなり三〇〇人に押しかけられても、どこに誰をぶちこめばいいんだか……どうした?」


 エリゴールが右手で自分の目元を覆うのを見て、ロノウェは中途で言葉を切った。


「……ということは、今このドックには、元八班しかいないのか……?」


 目を覆ったまま訊き返すと、不審そうにしながらもロノウェが答える。


「ああ、そうだが……本当に知らなかったのか?」

「ロノウェ」


 ようやく手を外したエリゴールは、ロノウェを見すえて薄笑いを浮かべた。


「自分の班の組分けは、自由にできるよな?」

「え? あ、ああ……」


 豹変したエリゴールに呑まれたように、ロノウェはこわごわとうなずく。


「だったら、元五班は番号順に二組ずつまとめて五組にしろ。おまえらの班は四組から五組に分け直せ。絶対今日中に隊員名簿、送り返してやる」

「な……急にどうした?」

「いいから早くやれ!」


 四班長だった頃に立ち返ったように、エリゴールは声を荒らげた。


「ぐずぐずしてると、おまえのあの趣味、パラディン大佐にバラすぞ!」


 ロノウェは短く悲鳴を上げ、勢いあまって隊員名簿を両手で握りしめた。


「そ、それだけは! それだけはどうか!」

「なら早くやれ!」

「レラージュ! 頼む!」

「班長……いつもそれで脅されてますけど、ほんとにどんな趣味なんですか?」


 名ばかりでも一応は班長にすがるような目を向けられて、レラージュは淡々と訊ねる。

 しかし、それに対してロノウェが何か言う前に、エリゴールが冷然と突っぱねた。


「おまえに言えるような趣味だったら、俺なんかに脅されてねえよ」


 ロノウェはつい、今の状況を忘れてエリゴールを振り返った。


「自分で言うなよ」

「いいからやれ!」

「くそう! ここでもこいつに仕切られるのか!」

「人を切るのも仕切るのも得意ですから」


 達観したようにレラージュは呟くと、ロノウェの代わりに組分けをするため、先ほどの端末の前に戻っていった。


 * * *


 元マクスウェル大佐隊所属元十班長ザボエスは、司令官の側近ヴォルフほどではないが、充分大男の範疇に入る。おまけに、顔も体もごつく、炎を思わせる橙色の髪に猛禽類のような黄色い目をしているので、ただ黙って座っているだけでも威圧感がある。が、それでもあのマクスウェル大佐隊の班長たちの中では〝良識的〟とされていた。


「アンドラス。向こうで何があったか知らねえが、ムルムスとヴァッサゴにガン飛ばすのはもうやめとけ。ここの空気が悪くなる」


 パラディン大佐隊の十二番目のドックの第一号待機室で、自分専用の大きな椅子に体を沈めていたザボエスは、ついに我慢の限界を超えて口を切った。

 その視線の先では、茶褐色の髪に薄青の瞳をした男――元五班長アンドラスが、元三班長ヴァッサゴと元九班長ムルムスに憎悪のこもった目を向けている。

 あのヴァラクに最も馬鹿にされていた班長アンドラスは、逆の意味で残念なことに、容姿はそこそこ整っていた。マクスウェル大佐隊で〝そこそこ〟は、世間一般的には〝並の上〟となる。しかし、この男にはそれに見合うだけの知性と品性はなかった。あったのは〝そこそこ〟の家柄と、それに見合った〝そこそこ〟のコネである。

 実は、皇帝軍護衛艦隊の隊員には、貴族の三男以下という者が意外に多い。信じられないが、アンドラスもその一人である。アーウィンがここの司令官になるまでは、家格も人事考査の項目に入っていた。今ならアンドラスは決して班長にはなれないだろう。

 もっとも、アンドラスにびくついているのはムルムスだけで、ヴァッサゴはまったく気にも留めていない。さらに意外だったのは、ヴァラクの元マクスウェル大佐隊からダーナ大佐隊に〝栄転〟したという経緯は同じはずなのに、ムルムスがヴァッサゴに対しても距離を置こうとしていることだった。つまり、ムルムスはアンドラスとヴァッサゴの両方に怯えているのだ。


「俺だって、ここにいたくているわけじゃねえ!」


 おまえは本当に貴族の子息なのかと詰問したくなるような言葉遣いで、アンドラスは喚き散らす。


「なんで俺がこいつらと同じ待機室に入れられなきゃならねえんだよ! 空いてる待機室はあるんだろ? 俺一人で使わせろ!」

「だったら、なんでパラディン大佐と面談したときにそう言わなかったんだ?」

「そ、それは……」


 ザボエスに静かに弱みを突かれ、アンドラスはたちまち怯んだ。こういうところが、まさに小物である。


「おまえにも、上官命令違反する〝勇気〟はもうねえだろ? それなら、パラディン大佐の指示があるまで、ここで大人しくしてろ。……ああ、ガンを飛ばすのももう禁止だ。どうしても飛ばしたけりゃ、部屋の隅に向かって飛ばしてろ」

「な……!」


 カッとなってアンドラスは椅子から立ち上がったが、ザボエスに一睨みされて、決まり悪げにまた腰を下ろした。ザボエスを本気で怒らせたらどうなるか。それがわからないほどには、アンドラスも馬鹿ではない。

 本当に向こうで何があったのか。訊くとしたらヴァッサゴのほうか。ザボエスがそう考えたとき、待機室にある端末をチェックしていた班員の一人が、彼に向かって叫んだ。


「班長!」


 だが、その班員の意図に反して、ザボエス以外の元班長たちにも注目されてしまった。

 彼は気恥ずかしそうに頭を掻いてから、報告先を指定した。


「ザボエス班長。パラディン大佐から、辞令と隊員名簿がメール添付で届いてます」

「そんなもん、メールで送りつけるのかよ」


 呆れてザボエスはぼやいたが、ヴァッサゴとムルムスの顔は〝ここもそうか〟と言っていた。


「で、辞令って何だ?」

「あ、はい。ザボエス班長を〝十二班長〟にしてくれるそうです」


 いかにも嬉しそうに笑う班員に対して、ザボエスは再び呆然とする。


「十二班長? ……何じゃそりゃ?」


 元マクスウェル隊員たちの監視役として、自分とロノウェを班長扱いにするのではないかと予想はしていた。が、まさかそんな珍妙な班長名をつけられるとは。しかし、今度もヴァッサゴとムルムスだけは〝またそれか〟と顔で語っていた。


「何じゃそりゃって……〝十班長〟にしたら、パラディン大佐隊の十班長とかぶっちゃうからじゃないんですか?」

「そりゃそうだろうが、じゃあ、その隊員名簿ってのは……ああ、いい。とにかく、送られてきたやつ、全部プリントアウトしてこっち持ってこい。そっちのがはえぇ」

「了解しました!」


 その班員は即答すると、手際よく作業を進め、出力した書類をザボエスに届けた。


「おう、ご苦労。もしかしたら、またパラディン大佐から何か送られてくるかもしれねえから、端末、ちょくちょく見ててくれ」


 ザボエスがそう言ったときには、その目は書類を見ていたが、ねぎらいの言葉と新たな命令をたまわることができた班員は、嬉々として敬礼した。


「了解しました!」


 ――王道班長。

 元班長たち三人は、うらやましいようなそうでもないような複雑な表情で、ザボエスとその部下を眺めていた。

 それからしばらくザボエスは自分の膝の上で書類を読みつづけていた。あらかた読み終えた後、独り言のように呟く。


「まあ、うちのほうが楽っちゃ楽か」

「おい、俺の班は?」


 アンドラスがテーブルに身を乗り出して訊ねてくる。班長任命の件よりも、そちらのほうがずっと気になっていたようだ。


「ああ……」


 ようやくザボエスは顔を上げると、わざとにこやかに答えた。


「少なくとも、俺んとこには一人もいねえな」


 案の定、アンドラスの表情が一瞬にして凍りつく。


「何だと?」

「たぶん、〝十一班〟のほうに行かせたんだろ。あと八班も。それ以外は全部こっちだ」

「十一班?」

「まあ、十中八九、ロノウェの班だな。ついでに言うと、エリゴールもあっちだ」


 ここでザボエスは普段は見せないようにしている巨大な犬歯を剥き出して笑った。


「アンドラス。おまえがこっちにいるからな。できるもんなら、俺もあっちに行きてえよ。……レラージュいるしな」

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