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無冠の皇帝  作者: 有喜多亜里
【01】連合から来た男
29/169

28 模擬戦します(後)

 イルホンが代筆したメールの返信は、事前に用意していたのではないかと思うくらいすぐに返ってきた。

 自分の端末でそれを見たドレイクは、一声ゲッと叫んだ。


「ちょっとちょっと殿下、何考えてんの? いや、それより今はこっちが問題か。……イルホンくん、今からキャルちゃんとヴォルくんがここに来るぞ」

「えっ!」


 執務机で通常業務――その中には本来ドレイクがすべき仕事もかなり含まれている――をしていたイルホンは、硬直して手が止まってしまった。


「今からって……何分後ですか?」

「殿下、せっかちだからなあ。ありえないけど、十五分後にはここにいそうだな。せめてソファ周りだけでも掃除しとくか」

「失礼な。掃除は毎日俺がやってますよ。……普通濃度のコーヒー、淹れておきましょうか?」

「そうだね。飲まずにすぐに帰るとは思うけど、一応準備だけしといてくれる? しかし、予想外だったな。てっきりまた執務室に呼び出されるとばかり思ってたのに」

「ところで、〝ヴォルくん〟って誰ですか?」


 急いでコーヒーを淹れる準備をしながら、先ほどから気になっていたことを訊ねる。


「ああ、殿下の側近の〝ヴォルフ〟。きっとキャルちゃんの護衛につけたんだろ。図体はでかいが、人はいいからそんなに気を遣わなくてもいいよ」

「え……あのヴォルフ様を〝ヴォルくん〟って呼んでるんですか?」

「こう呼ぶと、本人すっごい嫌がるんだけどね。〝ヴォルフ〟より〝ヴォルくん〟のほうが呼びやすくない?」

「そういう問題じゃ……そういや俺、あの人がしゃべってるとこ、今まで見たことないです」

「きっと、執務室と〈フラガ〉の中でしかしゃべらないことにしてるんだろ。外では徹底して護衛役を演じてるわけだ」

「演じてるって……護衛役も兼ねてるんじゃないんですか?」

「護衛役というよりは、お守り役のような気がしたけどねえ」

「お守り役?」

「この艦隊内で一、二を争う激務だ。あの〈ワイバーン〉の映像編集にもつきあわされてたぞ、たぶん」

「それはお気の毒に……」

「だから、キャルちゃんはもちろんだけど、ヴォルくんにも優しくしてあげてね」

「どんなふうに……あ、コーヒーカップセット、やっぱりそろえておいたほうがよかったですね」

「えー、いらんいらん。経費の無駄無駄。使い捨てのコップとホルダーだけで充分。それに、ヴォルくんには普通のコーヒーカップじゃサイズ合わないよ。ビールジョッキでぴったりくらい?」

「確かにそうですね」


 イルホンが真剣にそう応じたとき、執務室のインターホンからキャルの声がした。


『ドレイク様。キャルです。マスターのご命令で参りました。入室許可をいただけますでしょうか?』


 ドレイクはキャルに答える前に、不審そうにイルホンを見た。


「早すぎない?」

「いや、その前に大佐。〝様〟づけで呼ばれてるんですか?」

「んー、何か知んないけど、初対面から〝様〟なのよ。みんなそう呼んでるんじゃない? ヴォルくん以外」


 机上のスイッチを押せば、自動ドアを開けることはできるのだが、ドレイクはわざわざ自動ドアの横まで行って、開閉装置を直接操作した。


「はーい。いらっしゃーい。むさくるしいところですが、どうぞー」


 入室してきたキャルは、白い小箱を両手で持ったまま、深々とドレイクに頭を垂れる。


「突然お邪魔して申し訳ありません」

「いえいえ、こちらこそ、こんなところに来る羽目にさせちゃってごめんなさいね。まあ、とにかくそこのソファに適当に座ってちょうだい。……ヴォルフ。あんたも大変ね」

「これも俺の仕事だからな。ただ、あんまり長居をするとアーウィンが切れる。なるべく早く用件を済ませてくれ」


 キャルの後から自動ドアをくぐってきたヴォルフは、やはり巨体だった。初めて聞いたその声は超低音で、見かけ同様迫力があったが、話し方自体は物静かだった。

 初めてといえば、実物のキャルに会うのもこれが初めてだ。後ろにヴォルフがいるせいか、イルホンにはよりいっそう小柄で少女めいて見えた。


「コーヒーは飲まないな?」

「何で飲まないこと前提で訊くんだよ」


 キャルの隣に慎重に腰を下ろしたヴォルフ――ソファの強度が心配だったのかもしれない――は不満げにドレイクを睨みつけた。イルホンだったらそれだけですくみあがりそうだったが、ドレイクは平然と受け流す。


「そっちがなるべく早くって言ったんだろうが。キャルちゃんをここに長居させたくないんだろ? だからこれ」


 ドレイクは自分の執務机から書類を一枚持ってくると、ソファの前にあるローテーブルの上に無造作に置いた。


「それ、持って帰って殿下に見せて。鉛筆修正で悪いけど」


 それはイルホンがドレイクに言われたとおりに作成した「連合」側の配置図だった。一五〇〇隻分の無人艦の種類と数も記載されている。さりげなく覗き見てイルホンは驚いた。無人艦の総数が三〇〇〇隻になっていた。


「おい……本当にこれ、アーウィンに見せちまっていいのか?」


 配置図を一瞥してから、ヴォルフは困惑したようにドレイクを見上げる。


「いいよ、別に。こっちはいつもの『連合』演じなきゃならないんだしさ。そっちも、こっちが欲しい無人艦の種類や数、知らされなきゃ準備できないでしょ?」

「それはまあそうだが……」

「で、キャルちゃんと連絡とりあうのはインカムでと。もしかして、その箱の中身がそう?」

「はい、そうです」


 キャルは自分の膝の上からローテーブルの上に白いプラスチック製の小箱を移動させると、ゆっくりその蓋を上げた。一見、装身具のように思える白いインカムが紫色の布に埋もれている。しばらくそれを眺め下ろしてから、ドレイクは低く呟いた。


「まさか、盗聴器とか仕掛けられてないでしょうね」


 何と失礼なことを言うのかとイルホンはあせったが、ヴォルフは怒るどころか真面目に答えた。


「その可能性はある。悪いが、自分で調べてみてくれ」

「わかった。そうする」


 ――側近にまで疑われてる殿下って……

 だが、少なくともドレイクとヴォルフの間には、ある種の仲間意識のようなものがあることはわかった。


「それにしても五四〇〇隻なんて、キャルちゃん、今までいっぺんに動かしたことあるの?」


 優しくドレイクに訊ねられても、キャルの無表情は変わらない。


「ありません。今回が初挑戦です」

「キャルちゃんも大変ね。悪いけど、俺らの側はこの図のとおりに配置してもらえる?」

「承知しました」

「具体的な指示は、当日、殿下の編制を見てからするよ。あと、一〇〇〇隻切る前に〝撤退〟するから、そのつもりで」

「承知しました」

「やっぱり〝撤退〟前提か」

「当たり前だろ」


 ヴォルフの発言に対しては、ドレイクは露骨なくらいすげなく切り返した。


「たとえこれが実戦だって、俺は〝撤退〟前提だ。コスト度外視すれば、この艦隊は無人艦全部突っこませて、自爆させるだけでも勝てるんだからな」

「まあ、確かにな……」

「同数じゃこの艦隊には絶対に勝てない。〈フラガラック〉一隻落とせさえすれば簡単に勝てるが、だからこそ〈フラガラック〉の守りはあんなにも堅い。俺だったらこんな厄介な艦隊、わざわざ相手にしたりなんかしないがね」

「『連合』の幹部連中が、おまえみたいに考えてくれればこっちも助かるんだが」

「あいつらは直接戦わないから、いつまでたってもわからないんだ」

「なるほどな」


 そう言って、ヴォルフはおもむろにソファから立ち上がった。


「俺の経験上、そろそろアーウィンが切れはじめてる。他にキャルと打ちあわせることはないか?」

「ああ、ない。……あ、そうだ。ついでに殿下に伝言しといてくれ。〝〈ワイバーン〉の映像、ありがとうございました。うちの隊の〈ワイバーン〉マニアが、素晴らしい編集だと大絶賛しておりました〟」

「……いるのか、そんなマニア」


 訝しそうにヴォルフがドレイクを見下ろす。


「いるんだ、これが。操縦士だが、整備にも熱心だ」

「そうか。まあ……伝えておく。キャル、戻るぞ」

「はい」


 キャルはドレイクから渡された書類を大事そうに持つと、すでに自動ドアに向かって歩いているヴォルフの後を追った。自動ドアの外に出る前に、もう一度深々と頭を下げる。


「お忙しいところ、お邪魔いたしました。また何かありましたら、メールでご連絡ください」

「はいはい。じゃあね。模擬戦で殿下に勝とうね」


 イルホンも、すでに通路に出かかっていたヴォルフも、驚いてドレイクを見た。

 ドレイクはにやにや笑っていて、キャルは相変わらず無表情だった。


「マスターに勝つのですか?」

「そうだよ。一〇〇〇隻切る前に〝撤退〟できれば俺たちの勝ち。だってそれって〝全艦殲滅〟できなかったってことでしょ? お願いだから、今さら一〇〇〇隻以上でも〝全艦殲滅〟できるなんて言わないでよね?」


 キャルはほんのわずかだが口元をゆるめた。


「はい。言いません。……ドレイク様に勝つより、マスターに勝つほうが楽しそうです」


 * * *


「諸君に残念なお知らせがある」


 隊員たちを緊急招集したドレイクは、開口一番そう言った。


「殿下がご乱心めされて、俺らは無人艦三〇〇〇隻を使えることになってしまった」


 〈ワイバーン〉のブリッジという名の作戦説明室は、まるで無人のように音をなくした。


「それってつまり……」


 おそるおそる、スミスが沈黙を破る。


「三〇〇〇隻対三〇〇〇隻で、限りなく本気で戦えってことですか……?」

「ということなんだろうな。こうなるともう、何がこの模擬戦の趣旨なんだかわかんなくなってきたな」


 ドレイクは呆れたように苦笑いすると、艦長席に寄りかかって両腕を組んだ。


「え……でも、〈フラガ〉は三〇〇〇隻程度までしか遠隔操作できなかったんじゃ?」


 キメイスが、はっと気づいてドレイクに問う。


「キャルちゃんも初挑戦だって言ってたねえ。とりあえず、俺たちの無人艦はインカム使ってこちらの指示どおり動かしてくれるそうだ。……フォルカス。この中にそのインカムが入ってる。何か変なもん仕掛けられてないか、調べといてくれ」


 ドレイクの代わりにイルホンは、例のインカムが収められている小箱をフォルカスに渡した。フォルカスは小箱を手にしたまま、怪訝そうに首をかしげる。


「変なもんって?」

「一例として、盗聴器とか」

「盗聴器ねえ。たとえご乱心されても、殿下はそんな卑怯な真似はされないと思いますがねえ」


 そう言いながら、小箱の蓋を上げたフォルカスは、インカムを見て軽く口笛を吹いた。


「わあ。インカムっていうより、カチューシャみたい」

「そうだよな。俺も一目見てそう思った。……殿下は模擬戦とは関係なく、キャルちゃんと俺が何を話してるか、すごく知りたがりそうな気がするんだ。実際仕掛けられてたら、この会話ももう殿下に筒抜けになってることになるけどな」

「まあ、調べてはみますけど……もし何か変なもん、見つかっちゃったらどうします?」

「しょうがねえな。そのままにして、模擬戦終了後、すみやかに返却する」

「イエッサー。これ、どこに置いときましょうかね?」

「そのへんに適当に置いといてくれ。おまえの言うとおり、殿下はこちらの作戦は知りたくないと思ってるだろうからな」

「イエッサー」


 フォルカスは小箱の蓋を閉めると、近くのコンソールの上に丁重に置いた。


「それじゃ、本題に入る。イルホンくん、お願い」

「はい」


 イルホンは艦長席のコンソールを操作して、「仮想・連合」の配置図を再びスクリーンに映した。ただし、今度はそこに無人艦の種類と数、そして〈ワイバーン〉と〝〈ワイバーン〉じゃないほう〟の位置が記入されている。〈ワイバーン〉は左翼砲撃艦群の最後尾、〝〈ワイバーン〉じゃないほう〟は右翼砲撃艦群の先陣に配置されていた。


「俺だったら、突撃艦なんて無駄なものは置きたくないがな。『仮想・連合』だから仕方なく置いた。左翼に〈ワイバーン〉、右翼に〝〈ワイバーン〉じゃないほう〟を置くのは変更なし。ただし、今回は二隻とも〝息吹ブレス〟は封印。『連合』にはそんなもんないからな。……今のところ」

「もしあれが『連合』にもあったら、〈フラガ〉もやばいですか?」


 ギブスンが眉をひそめてドレイクを振り返る。


「隙を突かれればな。だが『帝国』には無人護衛艦の壁がある。あれらが我が身を犠牲にして防ぐだろう。……三〇〇〇隻対三〇〇〇隻なら、殿下は少しは無人護衛艦を残すかもしれないな」

「ほんとにもう、模擬戦の枠を超えてますね」


 スミスは開き直ったように笑った。彼の常識の枠を超えてしまったのかもしれない。


「ほんとになあ。おかげでこっちは大忙しだ。三〇〇〇隻にされちまったら、やれることみんなやらないわけにはいかなくなっちまった」

「やれること?」

「第一段階。無人砲撃艦の動きを解析して〝クレー射撃〟を再現する。第二段階。今度こそ〈ワイバーン〉が無人砲撃艦を一〇〇〇隻以上撃ち落とすまで『帝国』の攻撃を防ぎきる。第三段階。こちらが一〇〇〇隻を切る前に〝撤退〟する」


 真顔でスミスは言った。


「不可能です」

「確かに、実戦だったら不可能だな。でも、今回は模擬戦だ。制約があるのは俺らだけじゃない。特に殿下は、必ず〈ワイバーン〉に無人砲撃艦を集中させてくる。それだけでもはっきりしてれば、こちらも打つ手がある。まずは、乗組員の割り振りを発表しちまうか。〝〈ワイバーン〉じゃないほう〟に、操縦スミス、砲撃シェルドン、無人艦のデータ収集と〈ワイバーン〉との連絡係キメイス。残りは全部〈ワイバーン〉。今回はティプトリー、第一段階のおまえがいちばん地獄だ」

「え」


 名指しされたティプトリーだけでなく、その隣にいたシェルドンもなぜか驚きの声を上げる。


「ダーナの有人砲撃艦群が砲撃してくる前に、無人砲撃艦の動きのパターンを解析する。それをもとに予測して、〈ワイバーン〉が砲撃する」


 ティプトリーは長い沈黙の後、ぽつりと言った。


「〝計算地獄〟だったんですよね?」

「ああ、地獄だったさ。でも、それは元祖〈ワイバーン〉だったからじゃないかと思い直してな。この〈ワイバーン〉なら、すでに組みこまれているプログラムだけで対応できるのかもしれない。今まで必要なかったからわからなかっただけで」


 ――確かに、味方の無人艦を撃ち落としつづける必要はなかったよな。

 イルホンは単純にそう思ったのだが、ティプトリーにはそのことに気づけなかったのがショックだったらしい。実は隊内でひそかにアイドル的扱いをされているほど整った顔がこわばっていた。


「……至急、確認します」

「ああ。他にもいろいろ試してみるから、そのとき一緒にな。……でも、矛盾してるが俺は対応できないほうがいいな。あっさりできたら、あのときの苦労は何だったのかと、むなしくて泣く」


 ドレイクのおどけた言葉に、ティプトリーは少しだけ表情をゆるませ、それを見た隊員たちはこっそり胸を撫で下ろした。

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