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無冠の皇帝  作者: 有喜多亜里
【06】始まりの終わり(下)
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03 ロールケーキ食べました(後)

 いきなりドレイクに無茶振りされて、エリゴールは暗緑色の目を見張っていた。

 当然の反応だろう。イルホンだったら慌てふためいている。

 しかし、エリゴールは軽く嘆息すると、ドレイクの質問に淡々と答えた。


「いえ。次の出撃では前衛に戻します。今の元アルスター大佐隊に後衛は任せられません」

「そいつは俺も同感だ。でも、頭に〝今の〟をつけるってことは、いつかは後衛も任せるつもりでいるってことかい?」

「はい。最終的には、どちらが後衛になっても結果が出せるようにいたします。今の左翼はどちらもパラディン大佐隊ですので、殿下に許可をいただかなくとも、いつでも〝大佐〟裁量で入れ替えられます」


 ドレイクはにやにやしながらエリゴールを眺めていた。が、エリゴールが話し終えると、冷やかしとも感嘆ともつかない口笛を一つ吹いた。


「四班長。それ、いま考えたの?」

「はい。ドレイク大佐殿が〝同じことを繰り返していたら飽きる〟とおっしゃったので。成り行きではありますが、うちの隊では同じ班が同じことを続けられるとは限らない体制をとっております」


 言われて思い出したが、パラディン大佐隊では班の数は十ではなく十二だ。そのため、出撃時には二つの班が基地で〝留守番〟をしているという(オールディス談)。

 だが、まさか役割まで変動させていたとは。アルスター大佐隊とはとことん真逆である。


「なるほどなるほど」


 ドレイクはニタニタ笑うと、一人掛けのソファに座っているパラディンを下から覗きこんだ。


「いいなあ、パラディン大佐。四班長、俺にちょうだいよ?」

「ええ!?」


 イルホンとモルトヴァンはほぼ同時に驚愕の声を上げたが、パラディンの反応は違っていた。


「駄目です! いくらドレイク大佐でも、エリゴール中佐だけは譲れません! ええ! 譲れませんとも!」


 ソファの肘掛けをつかんで叫ぶ、元護衛の〝大佐〟。その表情はこれまで見た中でいちばん真剣だった。

 ドレイクの冗談を真に受けているのか、そのようなふりをしているだけなのか。イルホンには判断がつかなかったが、もしこの場にコールタンがいたら憤死していたかもしれない。

 一方、当事者のエリゴールは、恐ろしく冷ややかな視線をパラディンに注いでいた。自分の上官に対する感情を取り繕う気はさらさらないようだ。


「いえいえ、冗談ですよ。そもそも、四班長は誰のものでもありませんし」


 さすがにドレイクも冗談ということにしておかないとまずいと思ったのか、苦笑いしながらコーヒーを飲んだ。

 それでも、パラディンのものでもないとさりげなく釘を刺している。エリゴールはすぐにそうと気づいたようで、感謝するような眼差しをドレイクに向けた。おそらく、こうなると計算して言ったのだろう。実にあざとい。


「でもまあ、今はパラディン大佐の部下の一人です。それでは四班長、閑話休題。具体的にどうやって、元アルスター大佐隊にも後衛ができるようにするんだい?」


 この質問も予想外だったようだ。が、エリゴールは冷静に回答した。


「当面は、パラディン大佐殿に元アルスター大佐隊を直接指揮していただきます。しかし、ゆくゆくは元アルスター大佐隊を仕切れる人間に隊の指揮を任せようと考えています。やはり、大佐一人で砲撃隊二隊の指揮はいろいろと難しいので」


 ドレイクに訊かれるとは思っていなかったが、話はしていたのだろう。パラディンは満足げにエリゴールを眺めていた。

 やはり自分のものだと思っていそうだが、ひとまずそれは置いておいて、イルホンはエリゴールが元アルスター大佐隊を指揮すればいいのではないかと単純に考えた。ちょうど右翼の後衛――元マクスウェル大佐隊のヴァラクのように。


「なるほど。でも、もし元アルスター大佐隊の中に〝隊を仕切れる人間〟がいなかったらどうするの?」


 珍しく、エリゴールは言葉に詰まった。

 秀麗な眉間に、わずかに皺が寄る。


「……いないはずはないと思います。ただ、見出す方法についてはまだ思案中です」

「そう。まあ、いずれにしろ、そんな人間を探し出すのは君の仕事になるね」


 さらっと重大発言をすると、ドレイクはまだ半分ほど残っていたロールケーキを食べはじめた。

 それを見て、あわててイルホンもロールケーキを口に運ぶ。残量はドレイクよりも多いが、ドレイクの前で食べ残し・飲み残しは厳禁だ。ただし、テイクアウトできる場合は除く。


「……正直言って、自分はこの隊を離れたくはないのですが」


 両膝に手を置いて黙っていたエリゴールが、独り言のように呟いた。

 ドレイクとイルホンだけでなく、パラディンとモルトヴァンも彼を凝視する。


「でも、君は行くんだろう?」


 食べかけていたロールケーキを皿に戻して、ドレイクは同情するような笑みを漏らした。


「そうしないと、パラディン大佐が二〇〇隻を指揮できない。寂しいだろうが、君にしかできない仕事だ。元アルスター大佐隊員の本音が聞けるのは、パラディン大佐ではなくて君だよ。ここでもそうだったんじゃないのかい?」


 そのとき、エリゴールが笑った。

 苦いものが混じってはいたが、今日ここで初めて見せた笑顔だった。

 

「コンプリートまで、あと二隊です」

「え?」


 わけがわからない。ぽかんとしたイルホンたちに、エリゴールは詠唱するかのように説明した。


「マクスウェル大佐隊から始まって、コールタン大佐隊、ダーナ大佐隊、パラディン大佐隊、元ウェーバー大佐隊。期間の長短はありますが、すべて在籍しました。これで元アルスター大佐隊に異動したら、残る一つはドレイク大佐隊だけです」


 腑に落ちたドレイクが、にやつきながらコーヒーを飲む。


「それもすごいな。ぜひともコンプリートしてもらいたい」

「ドレイク大佐!?」


 パラディンが勢いよくドレイクを振り返ったが、ドレイクは冗談ですよとでもいうように笑って流した。言葉にしなかった分、本気に近いのかもしれない。

 だが、エリゴール自身は、いまだに手をつけていないロールケーキを見つめていた。


「これが、自分の(ごう)なんでしょうか。自分は〝元マクスウェル大佐隊の四班長〟でいたかったんですが」

「〝マクスウェル大佐隊の四班長〟ではなく?」


 フォークを手に取ったドレイクが、興味深そうに問い返す。


「はい。〝元マクスウェル大佐隊〟になったとき、ようやく終わったと思いました。ですから、同じような立場だった元ウェーバー大佐隊員の気持ちはわかりましたが、元アルスター大佐隊員は……」

「たぶん、君らと同じだったと思うよ」


 ドレイクはにこりと笑うと、ロールケーキを口の中に放りこんだ。


「誰から聞いたかは言えないが、アルスター大佐が拘束されたとき、〝その周囲にいた部下たちは、驚いた表情ひとつせず、黙ってそれを眺めていた〟そうだ」

「え……」


 エリゴールだけでなく、パラディンやモルトヴァンも目を丸くしていた。

 無論、イルホンは昨日ヴォルフから聞いた話だと知っている。何なら、会話の記録もした。

 ドレイクが情報漏洩者の名前を伏せたのは、司令官側近としてのヴォルフの立場を守るためだろう。しかし、そういう情報を入手できる伝手があると知らしめることはできる。


「彼らはアルスター大佐と一緒に〝栄転〟になったそうだが、こっちに残った隊員たちと気持ちは同じだろう。ところでみんな、〝うっすいコーヒー〟飲んだの?」


 唐突に訊かれ、今度はイルホンも動揺した。


「申し訳ありません。まだです……」


 一同を代表して、パラディンが作り笑顔で謝罪する。


「まずくても飲み残しは許さないよ。もったいないから」

「はい……」


 真顔でドレイクに宣言された一同は、そろってコーヒーカップを持ち上げて飲んだ。


「あ、ほんとにうっす!」


 初めて飲んだときイルホンが思ったことを、パラディンはそのまま口に出した。

 すっかり冷めた〝うっすいコーヒー〟は決して美味ではない。そもそも、淹れたての時点で微妙である。


「コツはコーヒーだと思わないで飲むことだよ」


 したり顔でドレイクが助言する。


「では、何だと思えば?」

「コーヒー豆茶」

「茶……そう言われてみればそんな気も……」


 パラディンが自分に言い聞かせるようにしてまた飲みはじめたとき、無表情で一気飲みしたエリゴールがコーヒーカップをローテーブルの上に置いた。


「……ドレイク大佐殿」

「何だい?」


 ドレイクがにやにやして即答する。

 エリゴールが同僚の部下でよかった。そうでなかったら司令官が大変なことをしでかしていたかもしれない。


「よろしければ、一つだけお訊きしたいことがあるのですが」

「ほう。俺の携帯番号?」

「いえ、違います。……先日、大佐殿の執務室にお邪魔したときにもお話ししましたが、実戦でアルスター大佐隊に『連合』を押し戻す方法は本当になかったのでしょうか?」

「ああ、それか。……その〝押し戻す〟って、レーザー砲とか使っちゃ駄目なの?」

「はい。あくまでうちは楽をして押し戻したいと。うちでもいろいろ考えてはみましたが、どれも他力本願なものばかりで。たとえば〝ドレイク大佐隊にいち早く旗艦を落としてもらい、『連合』が撤退命令を出すのを待つ〟」

「なるほど。そいつは確かに他力本願だ。おまけに運任せだな。仮に撤退命令が出されたとしても、わざわざアルスター大佐隊を突っ切って帰ってはくれないだろ」

「……それもそうですね」

「でも、そんな他力本願でよかったら、確実にアルスター大佐隊に『連合』を押し戻す方法があるぞ」

「どんな方法ですか?」


 エリゴールはもちろんのこと、イルホンたちもドレイクに注目する。

 ドレイクはフォークを指示棒のように持つと、いつのまにか空になっていた皿の端を指した。


「実現可能かどうかは別として。……アルスター大佐隊の背後に〈フラガラック〉を移動させる」

「……は?」


 つられてフォークを目で追っていたイルホンたちは、あっけにとられてドレイクを見上げた。


「極端な話、『連合』は〈フラガラック〉一隻落とせたらいいんだ」


 元『連合』の軍人は、迷いなく断言した。


「戦闘中に〈フラガラック〉が移動したら、当然、移動先に向かって進軍する。アルスター大佐隊は逃げ出したくても逃げ出せない。〈フラガラック〉を落とされたら、この艦隊も終わって自分たちも終わる。……まあ、正確には〝押し戻す〟じゃなくて〝向かわせる〟だが、君らは何もしなくて済む。でも、〈フラガラック〉がそんなことしてくれるはずもないから、これは事実上実現不可能。だから、君らは押し戻さないで撃ち落としてよ。もう前衛にアルスター大佐はいない」


 ドレイクはにやりと笑うと、皿の上にフォークをそっと置いた。

 口調は軽くとも、これは明らかに〝命令〟だ。

 エリゴールは丁寧に礼を述べたが、パラディンたちと同様、表情はかすかに強ばっていた。


 * * *


 今回も、駐車場まで送ってくれたのは、モルトヴァン一人だけだった。

 おそらく、エリゴールまで見送りにいくと、いろいろと面倒なことが起こるのだろう。特にモルトヴァンに。

 そのモルトヴァンは、イルホンが移動車に乗りこむ直前に、土産のロールケーキが入れられた銀色の保冷バッグを手渡してくれた。

 結局、モルトヴァンたちはロールケーキには手をつけなかったが、〝うっすいコーヒー〟だけは最後まで飲み切った。その分、コールタンよりも根性はあるかもしれない。


「何か……パラディン大佐の四班長に対する盲愛ぶりしか頭に残っていないんですけど……」


 移動車を発進させてからイルホンが口を切ると、助手席で保冷バッグを抱えていたドレイクが大きくうなずいた。


「ああ、あれはすごかった。俺の予想以上だった。うちの六班長以上に人が変わってたよ」

「ええ、あれに比べたら六班長なんて可愛いものですね。これからは少しは温かく見守れると思います」

「うん、そうだね。でも、本当に少しでいいよ、少しで」

「ただ、四班長のほうは、ものすごーく冷ややかでしたね……」

「ああ、そっちは予想外だったな。まあ、四班長になら、そうされるのもたまらなく快感だけれども」

「大佐、パラディン大佐と嗜好もかなり一致してますよね……」


 思わず本音を呟いてから、イルホンはふとある事実に気がついてしまった。


「……大佐は特別枠として、いま残っている〝大佐〟って、みんなあっち系ですか?」


 はっきり言葉にはできなくて曖昧すぎる表現になってしまったが、そこはさすがにドレイク、イルホンの言いたかったことを即座に汲み取ってくれた。


「明らかにあっち系は右翼のバカップルだけじゃない? 今のところは」

「その〝今のところは〟が怖い……」


 しかし、ドレイクにとっては怖くも何ともない。楽しげに別の話題を持ち出してくる。


「四班長、いつうちに転属されてくるかな」

「キメイスさんのことも忘れてしまうくらい、四班長を気に入ってしまったんですか」


 イルホンは呆れて顔をしかめたが、ドレイクは悪びれずにしれっと言い返した。


「元上官が後輩として入隊してきたら、キメイスもわだかまりが解けるかもしれないよ。フォルカスみたいに」

「解けてないです。むしろ、高まってます」

「まあ、まず四班長はうちには来ないよ。パラディン大佐が絶対手放さない」

「ああ……そうですね……あれは死んでも離してくれませんね……」

「それにしても、四班長はかわいそうだな。出来すぎるから、自分のいたい隊にいられない。今の彼はきっと、元マクスウェル大佐隊より今のパラディン大佐隊のほうが好きだよ」


 それはイルホンも同感だった。だが、だからこそ引っかかっていたことがあった。


「大佐はどういうつもりで四班長にあの食玩をあげたんですか?」


 つい咎めるような口調になってしまったが、ドレイクは気にしたふうもなく、のんびりと答えた。


「彼にはまだあの食玩が〝チップ〟になるのか確かめてみたくて」

「本当に〝悪魔〟ですね……」

「〝大魔王〟だよ」

「で、まだ〝チップ〟になったんですか?」

「どうかなあ。〝チップ〟どころか〝チープ〟に思われたかもしれないね。こんなもので自分を懐柔できると思ってるのかって」

「そう思われるかもしれないとわかっていて、あえてあげたんですか?」

「〝いい人〟だと思われたくなかったからね。四班長のこと、気に入ってるから」


 反射的に泣きそうになった。しかし、イルホンは前を向いたまま、かろうじて苦笑いを浮かべた。


「……大佐、全然単純じゃないですよ」

「いやいや、全然単純だよ」


 真面目くさった声でドレイクは否定する。


「単純単純って言ってれば、自分が単純だと思ってもらえると思ってるんだから」

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