02 ロールケーキ食べました(中)
イルホンとモルトヴァンが自分用のロールケーキとコーヒーを持って応接セットに戻ってみると、意外なことにまだ誰も手をつけていなかった。
「イルホンくんたちが来るのを待っていたんだよ」
イルホンの表情でわかったのか、ドレイクは悪戯っぽく笑うと、自分の左隣をぽんぽん叩いた。座る場所を上官に指定してもらえるのは本当に有り難い。イルホンは心から礼を言ってそこに腰を下ろした。
ドレイクの対面には、エリゴールが礼儀正しく座っている。先ほど例の食玩を渡されたせいか、最初に会ったときより緊張しているようだ。しかし、男前である。
「じゃあ、モルトヴァンはそちらのソファに」
一人掛けのソファに強制移動させられたパラディンが、エリゴールがいるソファのほうを指し示す。
「ただし、エリゴール中佐からは離れて座れ! 座席一個分……いや、二個分以上!」
「は、はい……了解です……」
トレーを持ったまま、モルトヴァンがおそるおそるソファの端に腰かける。
まさか、パラディンがこれほどエリゴールに執着していたとは。正直言って、ドレイクよりひどい。イルホンは心の中でモルトヴァンに同情の涙を流した。
「それではどうぞお召し上がりください。お口に合えばいいのですが」
ドレイクに顔を向けたパラディンは、以前の彼に戻って穏やかに微笑むと、卓上のロールケーキを優雅に勧めた。
普通ならドン引くが――たとえば、エリゴールやモルトヴァンのように――さすが、イルホンの上官は普通ではなかった。
「いえいえ、それじゃ、さっそくいただきます」
何事もなかったかのように愛想よく笑うと、ドレイクはフォークでロールケーキを倒し、適当な大きさに切って口の中に入れた。
「わっ! うまっ! ロールケーキってこんなにうまいもんだったんだ!」
演技ではなく、本気で驚いているようである。
ちなみに、ロールケーキは冷蔵庫にしまわれていて、モルトヴァンが慎重に切り分けていた。よって、エリゴールが持ってきた分は、エリゴールが自ら切り分けたと考えられる。イルホンにはとても想像できないが、パラディンがあれほど浮かれていたのもそれが一因かもしれない。
「イルホンくんも食べてみなよ。すっごくおいしいよ?」
さすがドレイク。さりげなく、イルホンが食べやすいように振ってくれた。
イルホンはドレイクに感謝しつつ、一応パラディンにいただきますと断ってから、ロールケーキを口に運んだ。
「本当においしいですね……」
ドレイクのうまい基準はあまり高くないので期待はしていなかったが、なるほどこれは今まで食べてきたロールケーキの概念を覆すほどうまい。
ひんやりとして舌触りのよいスポンジ。軽やかで甘すぎない生クリーム。これなら一人で一本食べきれそうな気がする。
「お口に合ったようでよかったです」
社交辞令ではないのが伝わったのか、パラディンは満足げに笑った。
「そちらと同じものをお土産に用意してあります。よろしかったら、隊員の方たちにもどうぞ」
――〝大佐〟がお土産!?
イルホンは唖然として、フォークを握ったまま固まった。
だが、ドレイクは一瞬の沈黙の後、感極まったような声を上げた。
「うっ、感動だ! さすがパラディン大佐! 真っ黒なコーヒー一杯しか出さなかったドケチ大佐とは次元が違う!」
明らかに、アルスターのことだ。そして、これは本当に本音だ。
せめて、ミルクと砂糖も添えてあったら、ドケチとまでは言わなかったかもしれない。
「ドケチ大佐……もしかして、今日付で〝栄転〟になられた方ですか?」
しれっとパラディンが確認する。
わかっているのに名前を出さないあたり、やはり〝いい性格〟をしている。
「はい、その方です」
ドレイクは真顔でうなずくと、激薄コーヒーをごくごく飲んだ。
もうすっかり冷めていそうだが、その分、飲みやすくなっていたのだろう。
「ああ、確かにドケチそうですね……もらうばっかりであげなそう」
「パラディン大佐! まさにそれ!」
「そうでしたか。それなら〝栄転〟になっても仕方ありませんね」
しかつめらしく語り合う、黒髪の〝大佐〟二人。
一見、髪色と階級くらいしか共通点はなさそうだが、中身は存外似ているようだ。
あえて何とは言わないけれども、好みが同じなのもむべなるかな。
「でもまあ、そのドケチな方は新たなステージに進まれましたので、そうではない我々は粛々と自分たちが為すべきことを為していきましょう」
「そうですね。まったく、ドレイク大佐のおっしゃるとおりです」
「その第一段階として、パラディン大佐。今後も元アルスター大佐隊は左翼の後衛に配置しつづけるおつもりですか?」
「え?」
完全に虚を突かれたように、パラディンは金色の目を丸くした。
まさか、ここでそんな質問をされるとは予想していなかったのだろう。こっそりエリゴールとモルトヴァンを窺えば、彼らも同じ反応をしていた。
何を話すつもりか、事前にイルホンは知らされてはいた。しかし、この流れでそれを切り出すとは。ドレイクの副官に任命されてから四ヶ月。彼の話術の真髄は不意打ちではないかとイルホンはひそかに思っている。
「いや、あそこはずっと左翼の前衛にいたでしょ? まあ、以前は前衛も後衛もありませんでしたけど」
世間話のように、軽い調子でドレイクは続ける。
これもドレイクの話術の一つだ。その軽さに騙されて、ついつい耳を傾けてしまう。
「この艦隊、時間に余裕がない上に、敗北することは絶対許されませんからね。今後はどうなさるおつもりなのかと。まあ、参考までに」
そこまで話して、ロールケーキを口に入れる。パラディンはばつが悪そうに苦笑いした。
「さすが、ドレイク大佐。本当にこちらの予想外のことを話されますね」
「予想外?」
「まさか、最初に配置のことをおっしゃるとは思いませんでした」
「ほう。では、そちらは俺が最初に何を言うと予想していたんですか?」
興味深げにドレイクに問われ、パラディンは一瞬ためらった。
「……元アルスター大佐隊を〝第二分隊〟扱いするなと」
「そいつはもう論外でしょ」
ドレイクは呆れたように笑うと、フォークについた生クリームを舐めた。
行儀が悪いが、ここに彼を注意できる人間はいない。自由だ。
「第二分隊〟扱いされた隊がどうなるか、あなた方がいちばんよくご存じのはずだ。先日の出撃でアルスター大佐の真似はしない選択をされたあなた方に、そんな言わずもがなのことは言いませんよ」
「……そうですね。そのとおりです。たいへん失礼いたしました」
「いえいえ。むしろ、光栄ですよ。俺はあなた方にそう言う人間だと思われているわけだ」
「え?」
これも予想していなかったのか、パラディンはきょとんとしていた。
もっとも、エリゴールもモルトヴァンもそんな顔をしていた。ということは、彼らもドレイクはそういう人間だと思っていたのだろう。
「〝第二分隊〟にするのがいけないんじゃない。〝第二分隊〟にされた隊の士気が下がるからいけないんです。……それじゃ戦力落ちるでしょ?」
パラディンは少し考えてから、得心したように目を細めた。
「なるほど。あなたの基本はそれなんですね」
「そうです。この艦隊では、無人艦を遠隔操作できなくなったときのための〝保険〟だったはずの有人艦が、実は無人艦の〝足枷〟にもなっています。有人艦にやる気がなかったら、無人艦は動きを封じられてしまう。有人艦の〝盾〟になってやらないといけませんからね」
「ああ、そういえば」
と、パラディンが軽くソファの肘掛けを叩く。
「最初の幹部会議でそのことをおっしゃっていましたね。今、ようやく思い出しました。ダーナ大佐の〝同じことの繰り返しに飽きた〟に切れていたのも」
「ああ、あれですか。あれで終わってたら、ダーナも〝栄転〟になってたかもしれませんね。あのときはほんと、腹立ちましたわ。おまえらにとっては〝同じことの繰り返し〟でも、死んでる人間は毎回違うんだって」
ドレイクはあっけらかんと笑っていたが、パラディンもイルホンたちも神妙な面持ちで沈黙していた。
確かに、先に侵略してきたのは「連合」だ。だが、戦死しているのは侵略を決めた上層部ではなく、彼らに不要と判断された人間たち――ドレイクいわく、ほとんどが植民地の人間であるという。
「でもね。あいつの〝同じことの繰り返しに飽きた〟っていうのもほんとはわかるんですよ。普通の人間は、同じことを繰り返してたら飽きる。飽きたらやる気がなくなる。出来が悪くなる。アルスター大佐隊がああなった要因はいろいろあるでしょうが、その一つはそれだったんじゃないかと思いますよ」
「しかし、それなら元アルスター大佐隊は、今後も後衛に置いたほうがいいのでは?」
「パラディン大佐ご自身のお考えは?」
「正直、そのことはまったく考えていませんでした。本当に二〇〇隻の指揮は大変ですね。あのとき、あなたが何度も〝実現可能であれば〟とおっしゃっていた意味が、今ようやくわかりましたよ」
「素直にそう答えられるところがあなたの強さですよ」
ドレイクはにっこり笑うと、パラディンからエリゴールに視線を巡らせた。
「では、四班長。君の出番だ。君の上官に代わって答えてくれ。元アルスター大佐隊は今後も後衛に置きつづけるのかい?」