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無冠の皇帝  作者: 有喜多亜里
【05】始まりの終わり(中)
139/169

23 お礼参りさせました(承)

 〝四班長〟がドレイクの執務室のインターホンを押したのは、コールタンの予想どおり、約束の時刻の五分前――十時五十五分ちょうどだった。

 そういえば、あのヴァラクでさえ、五分前には執務室の自動ドアの前にいた。軍人以前に社会人としてそれが当たり前なのだろうが、自分の直属の上官と比べるとちゃんとしている。ついそう思ってしまったイルホンだった。


「……お初にお目にかかります……」


 そうとう無理をしてきたのか、〝四班長〟の呼吸は少し乱れていたが、例によって自動ドアの前で待機していたドレイクに、完璧な敬礼をしてみせた。


「パラディン大佐隊第一班所属エリゴール中佐であります……」


 確かに、噂では聞いていた。

 今ではすっかり〝残念な男〟と化している〝六班長〟セイルと共に、マクスウェル大佐隊ではナンバー2と言われていたほどの切れ者だと。

 さらに、オールディス経由の情報では〝セイルと張るほどの男前〟とのことだったが、隊内にいる元マクスウェル大佐隊員たちは、なぜか一度も〝四班長〟の外見には言及しなかった。

 イルホンが知る美形の頂点は〝殿下〟こと司令官である。彼のおかげで美形にはかなりの耐性がついていたはずなのに、エリゴールを見た瞬間、心の中で絶叫していた。


(うわあ……! めっちゃイケメン……!)


 司令官より明るめの金髪に、切れ長の暗緑色の目。セイルとほぼ同じ背格好だが、エリゴールのほうが洗練された雰囲気がある。左手で提げているシンプルな黒い紙袋も、洒落た高級品のように見えてしまうくらいだ。

 何となく、ドレイクが好きそうなタイプではないかと思いつつ目をやると、案の定、実に嬉しそうにニタニタしていた。

 今のドレイクの顔は決して司令官には見られたくない。否。見られたら終わりだ。イルホンは机上のディスプレイの陰で一人背筋を寒くした。


「おう、初めまして。ようやっと会えたな、元マクスウェル大佐隊四班長。ちゃんと五分前に到着するところが泣かせるね。ちなみに、あそこに君の元上官もいるよ」


 ドレイクに親指で指されたコールタンは、ソファに座ったまま、疲れたように笑って右手を上げた。


「よう。途中で事故りやしないかとヒヤヒヤしてたぜ」


 ドレイクに言われるまで、先客の存在にはまったく気づいていなかったのだろう。エリゴールはコールタンを見て驚きの声を上げた。


「コールタン大佐殿!? まだいらしてたんですか!?」

「帰してもらえなかったんだよ……昼にはカップ麺食べる予定だよ……」

「カップ麺!?」

「とにかく、中に入って、コールタンくんの隣に座りなよ」


 ドレイクが苦笑しながらエリゴールをうながす。


「車ぶっとばしてきて疲れたでしょ。あと、俺には敬礼しなくていいよ。答礼するのがめんどくさいから」

「はあ……」


 エリゴールは困惑していたが、やがて腹をくくったようにソファに向かって歩き出した。

 それを見届けてから、ドレイクが笑顔でイルホンを振り返る。


「イルホンくーん。普通濃度のコーヒー、一つ追加でお願いしまーす」


 * * *


 ドレイクのリクエストにより、エリゴールはコールタンの右隣に座ることになった。

 そのため、クルタナはいったんソファから離れたが、ドレイクに自分の左隣に座るように言われ、恐縮しつつも従った。というか、従わざるを得なかった。

 ドレイクは理由を言わなかったが、エリゴールが帰るとき、またクルタナを立たせてはかわいそうだと思ったのかもしれない。見かけは少年のようなクルタナは、おそらくドレイクの好みではないが、つい甘やかしてやりたくなるのだろう。あの〈フラガラック〉の専用オペレータのように。


「さてと。それでは本題に入ろうか、四班長」


 さりげなくエリゴールの正面に移動したドレイクは、にやにやしながら口を切った。

 と、それまで緊張した面持ちで座っていたエリゴールが、言いづらそうに言葉を返す。


「あの……自分はもう四班長では……」

「ああ、それはちゃんと承知してるよ」


 ドレイクは何度もうなずいて、エリゴールの反論を却下した。


「でも、うちでは元マクスウェル大佐隊六班長を、今でも〝六班長〟って呼んでるんだ。何かもう、〝六班長〟しかありえない感じでね」


 真実は〝ドレイクが隊員にそう呼ばせている〟だが、確かにもう〝セイルさん〟とは呼べそうもない。執務机に戻っていたイルホンは、仕事をしているふりをしながらドレイクの嘘を聞き流した。


「同様に、君も〝四班長〟以外ありえない。……君はかつて自分が〝四班長〟だったことを忘れ去りたいと思ってるかもしれないが、この艦隊に所属してるかぎり、消し去ることはできない。だから、俺はあえて君を〝四班長〟と呼ぶ。〝四班長〟だったときの功罪を決して忘れてほしくないからだ」


 一方、エリゴールは痛みに耐えるように眉をひそめていた。

 その様子を見るに、ドレイクの指摘は的を射ていたようだ。エリゴールの隣にいるコールタンが、容赦ないなあとでも言いたげに苦笑いしていた。


「〝罪〟はわかりますが……〝功〟は……」


 ない、とエリゴールは言いたかったのだろう。だが、ドレイクはニヤリと笑うと、イルホンが淹れ直した激薄コーヒーを一口飲んだ。


「七班長を支えた。手段はどうあれ、マクスウェル大佐が〝栄転〟されるまで、あの男を支えつづけた。……これはすごい功績だよ。いろいろ難のある男だが、今ではこの艦隊で欠くことのできない存在にまでなった。それもこれも、君らの献身的な支えがあったからだ。誇ってもいい」


 エリゴールはぽかんとしてドレイクを見つめていた。

 まさか、他隊の大佐にこんなことを言われるとは、夢にも思っていなかったのだろう。ついでに言うなら、コールタンも思っていなかったらしく、あっけにとられたように青い目を見張っていた。


「……ありがとうございます」


 ふと我に返ったエリゴールは、苦く笑って礼を言った。


「しかし、自分は――誇れません」


 そう答えられるのを予期していたのか、ドレイクは軽く笑った。


「七班長が君を嫌ったのは、自分と似てるから、だそうだ」

「え?」


 まったく何の脈絡もない。さすがにエリゴールも面食らっている。


「昨日、七班長がここに来て言った。〝必要だと思ったら、いくらでも嘘をつく〟。そういうところが似てるそうだ」

「……本当ですか?」


 よほど信じられなかったのだろう。エリゴールの端整な顔からは、完全に表情が抜け落ちていた。


「信じるか信じないかは君しだいだが、実はあの〝悪魔〟は自分が嫌いなんだ。だから、自分とは正反対な、誠実で裏表のない人間を好む。一言で言うと〝馬鹿〟が好き。〝馬鹿正直の馬鹿〟が」

「…………」

「俺はあいつの気持ちがわかる。だから〝生き別れの弟〟って呼んでる。それほど似てるのに同属嫌悪にはならないのは、俺とあいつとじゃ(あるじ)が違うからだ」

「…………」

「俺は殿下に仕えてる。あいつはダーナに仕えてる。君はマクスウェル大佐隊にいたとき、いったい誰に仕えてた?」


 からかうようにドレイクに問われたエリゴールは、しかし、何も答えられないままうつむいてしまった。

 調子に乗ってしまった自覚はあったのだろう。ドレイクはばつが悪そうに笑うと、あおるようにコーヒーを飲んで、ローテーブルの上に置いた。


「とまあ、君をいじめるのはここまでにして、本当に本題に入ろう。……君はパラディン大佐をどう言いくるめてここに来た?」

「え?」


 エリゴールが驚いて面を上げる。

 マクスウェル大佐隊では〝人切り〟と言われていたそうだが、異常に男前という一点を除けば、今のところセイルよりも真っ当な人間のように思える。


「それとも、コールタン大佐を通して俺から呼び出されたって正直に言った?」


 にやにやしてドレイクが質問を重ねる。

 エリゴールは真顔になると、姿勢を正してドレイクを見すえた。


「いえ。ドレイク大佐殿からいただいた、あのクッキーの意味について進言しました」

「意味?」

「あれは手土産であると同時に、ドレイク大佐殿の執務室への招待状でもあると。内容はわからないが、ドレイク大佐殿には他の大佐たちと早急に個別に話したいことがある。だから、わざわざ〝挨拶回り〟と称してクッキーを配り歩いた。それなら、ドレイク大佐殿がもう一度ここを訪ねてくれるまで待っていてはいけない。何でもいいから〝お返し〟を持って、今すぐにでもドレイク大佐殿の執務室を訪ねなければならない。パラディン大佐殿は訪ねづらいでしょうから、代理として自分が行ってまいります。……そう申し上げました」

「それで、パラディン大佐はすぐに納得してくれた?」

「はい。即座にこちらに電話をかけてくださいました」

「なるほど。……さすがだ。さすが〝四班長〟。あの〝悪魔〟に自分と似てると言われただけのことはある」


 感に堪えないようにドレイクは笑ったが、イルホンにとっては笑い事ではなかった。

 あのヴァラクといい、このエリゴールといい、どうしてそこまで頭が回るのか。本当に悪魔なのか。

 コールタンもそう思っているのか、少々薄気味悪そうにエリゴールを見ていた。


「で、その〝お返し〟は……その袋の中身がそう?」

「はい……とにかく時間がありませんでしたので……」


 そう言いながら、エリゴールは持参してきた黒い手提げ袋をソファからローテーブルの上に置き、一瞬の停滞もなく中身を取り出した。

 イルホンからは見えづらかったが、それを察したかのように、ドレイクが正体を明かしてくれた。


「お、うちのクッキー缶」

「はい。しかし、中身は違います」


 エリゴールがクッキー缶の蓋を開ける。

 ドレイクと一緒に中を覗きこんでいたコールタンとクルタナは、そろって首をかしげた。


「……飴?」

「はい。パラディン大佐殿はこのような飴がお好きで、執務室に常時何袋も置かれています。失礼に当たるとは思ったのですが、ちょうど手頃な大きさでしたので、ドレイク大佐殿にいただいたこのクッキー缶に、その飴を適当に詰めてまいりました」


 エリゴールはにこりともせず、淡々と説明を終えた。

 さすがにドレイクもこの〝お返し〟はまったく想定していなかったようで、しばらく黙って自分の顎を撫でていた。


「ええと……これを考えたのは……君?」

「はい。……詰められたのはパラディン大佐殿ですが」

「何ッ!?」


 コールタンがものすごい勢いでエリゴールを振り返った。

 その反応は予想していたのか、エリゴールは微動だにしなかった。


「そこに食いつくの、コールタンくん。……いや、すごい。君はすごい。このクッキー缶を七班長以上に有効活用した」


 コールタンのおかげで平常心を取り戻したのか、ドレイクは胡散くさい笑顔でエリゴールを賞賛した。


「有効活用……ですか?」

「あいつは今、それに食玩入れてるってよ」

「食玩……」

「昔の宇宙船が好きで、レトロ艦隊作ってるって言ってた。……あいつにそんな趣味があるの、君は知ってた?」

「……いえ。知りませんでした」

「そうか。じゃあ、最近できた趣味かな。大なり小なり人は変わる。(そと)()(なか)()も」

「…………」

「おっと。話が逸れたな。すまんすまん。……四班長。君はさっき〝内容はわからない〟と言ったが、俺が他の大佐とどんな話をしたがってるか予測はしてるんだろう? いったい何だと思う?」

「……今ここにコールタン大佐殿がいらして、パラディン大佐殿を通さずに自分を呼び出されたということは……アルスター大佐殿に関することでしょうか?」

「いいなあ、四班長。これじゃパラディン大佐が辞めさせるはずがない。まあ、君の場合はそれだけじゃないだろうけど」

「は?」

「正解だ。でも、どうしてアルスター大佐だと思った? その根拠は?」

「……今、この艦隊でアルスター大佐隊だけがうまく機能していません。そして、うちの隊はあそこと敵対関係にあります。もしアルスター大佐殿が〝栄転〟以外の理由でここの〝大佐〟を辞めなければならない事態が起こったとしたら、裏でその画策をしたと真っ先に疑われるのはパラディン大佐殿でしょう。だから、パラディン大佐殿には無関係でいてもらわなければならない。……自分はそう()()しました」


 そこまで聞き終えたドレイクは、満面にあふれんばかりの笑みを浮かべた。


「いやあ、何かもう、惚れちゃいそうだね!」

「えッ!?」


 こればかりはイルホンも聞き流せなかった。

 全員の視線がドレイクに集中する。だが、当の本人はけらけらと笑っていた。


「大丈夫だよ。同僚の部下にもちょっかいは出さないよ。……残念だけどね!」

「残念!?」


 エリゴールも驚いてはいたが、ドレイクが本気で言っているわけではない(はず)と判断したのか、いち早く冷静さを取り戻した。


「お二方の間では、話はもうまとまってらっしゃるんですか?」

「うーん。アルスター大佐には早急にこの艦隊から退場していただこうという点ではまとまってるんだけどねえ……」


 ドレイクは困ったように笑い、コールタンを一瞥した。


「肝心の、その手筈で行き詰まってる。だから、こんな姑息な手段で君を招集したんだよ。君なら俺たちには想像もつかない名案を出してくれるんじゃないかと期待してね。この飴入りクッキー缶みたいに」

「退場……ですか」


 自らに言い聞かせるようにエリゴールが呟く。


「いちばん手っ取り早いのは、殿下に〝栄転〟させてもらうことだが、現時点で〝栄転〟されるような失策をアルスター大佐は犯していない。かといって、アルスター大佐が失策するのをこれ以上待ってもいられない。ウェーバー大佐隊のような悲劇はもう二度と繰り返したくないんだよ」

「〝栄転〟されるにはまだ足りませんか?」

「足りない。それに、俺はアルスター大佐を〝左遷〟の〝栄転〟にはしたくないんだ。甘いと言われればそれまでだが、本人も周囲も〝よかったね〟と思える形で退場させたい。……と俺が言ったら、コールタンくんが、本当の意味での〝栄転〟になるように殿下に偽装工作してもらったらと提案してくれたんだがね。今のアルスター大佐がそんな意味での〝栄転〟になるなんて、本人がいちばん納得できないだろう? それで行き詰まった」

「なるほど。……確かに甘いですね」

「君らにとっては〝怨敵〟だろうが、彼がこの艦隊の砲撃を支えていた時代もあったんだろう。それを考えるとどうしてもね」

「それでも、アルスター大佐殿にはもう先はないとドレイク大佐殿は考えていらっしゃるんですね」

「ああ。殿下から元ウェーバー大佐隊の指揮権を取り上げられた時点で、アルスター大佐の心は折れてしまった。同時に、軍人としての矜恃も失ってしまった。想像するに、彼はこれまで順風満帆の人生を歩んできたんじゃないかな。俺は挫折まみれだから、それくらいじゃヘコたれないけど」

「じゃあ、もし大佐がアルスター大佐だったらどうします?」


 そう訊ねてきたのは、興味津々な顔をしたコールタンだった。


「俺? 俺はそもそも二〇〇隻どころか一〇〇隻も指揮できないけどさ。……そうだな。パラディン大佐には申し訳ないけど、『殿下が我々の足手まといを切り離してくださった! これからは本領を発揮できる! 護衛上がりに力の差を見せつけてやれ!』なーんて部下を鼓舞してみる?」

「ポジティブ……」

「だって、部下に罪はないからさ。アルスター大佐にも言ったけど、部下を生かすも殺すも指揮官しだいだよ。アルスター大佐には、元ウェーバー大佐隊員も元マクスウェル大佐隊員も、自分の部下とは思えなかったんだろうね。殿下が指揮権取り上げてくれなかったら、本当に殺しちゃってたかもしれないよ?」

「それは自分も思いました」

 

 エリゴールが感慨深く同意する。


「我々が転属されたとき、元ウェーバー大佐隊……特に一班長は憔悴しきっていましたから」

「だろうね。彼はきっと七班長みたいな権限は与えられないまま、責任ばかり押しつけられたんだろうしね。今は君がいるから、毎日お気楽に過ごしてるんじゃない?」

「……千里眼ですか?」

「いや。俺がその一班長だったらそうなるだろうなっていう単なる想像。それで四班長。君ならどうやってこの艦隊からアルスター大佐を退場させる? できれば〝よかったね〟で」

「できれば〝よかったね〟にしたくないんですが」

「コールタンくんと同じこと言うね。さすが元部下」

「アルスター大佐殿が脳疾患か心臓疾患で、今すぐ倒れてくれれば世話ないんですが」

「本性出てきたね、四班長」

「……自分にもアルスター大佐殿が納得するような〝栄転〟理由や、〝よかったね〟と言えるような方法は思いつけませんが……」


 いまだに手をつけていないコーヒーを見つめながら、エリゴールは言葉を継いだ。


「もしかしたら、アルスター大佐殿が自ら退役を考えられるかもしれない状況に追いこむ方法なら……」

「ほう。何だい?」

「やはり殿下のお手を借りることになりますが。……アルスター大佐殿を元パラディン大佐隊の指揮官に任命していただきます。もちろん、メール一本で」

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