22 お礼参りさせました(起)
「宿題、まだ考え中なんですけど」
執務室の自動ドアが開くなり、コールタンは真顔でドレイクに切り出した。
ドレイクより多少低いが、充分長身と言えるコールタンの背後には、例のエルフな副官クルタナがいて、大きめの段ボール箱を詰んだキャリーカートを引いていた。どこの副官も、荷物持ちからは逃れられない。
「大丈夫。俺もまだ考え中。とりあえず、そこのソファに座りなよ。普通濃度のコーヒー飲ませてあげるから」
自動ドアの前で立って待っていたドレイクは、笑いながらソファを親指で指すと、今度はクルタナの荷物に目を向けた。
「ずいぶん大荷物だね。そんなにコーヒー豆持ってきたの?」
「いえ、コーヒー豆は〝そこそこ高級な〟のが一袋だけです。あとはカップ麺」
一礼したクルタナの代わりにコールタンが答え、キャリーカートから荷物を下ろすのも自然に手伝った。
クルタナに恐縮した様子はなかったから、コールタンはそういう〝大佐〟なのだろう。
コーヒーを淹れるため、給湯室に向かっていたイルホンは、少しだけコールタンを見直した。
「え、ほんとにカップ麺持ってきたの? 律儀だねえ」
「あんなふうに言われたら、持って来ざるを得ないでしょ……」
さすがに呆れたようにコールタンが言い返し、段ボール箱を抱え持った。
「これ、どこに置きます?」
「ああ、そのへんに置いといてくれればいいよ。あとで片すから」
「そうですか? じゃあ、このへんで」
コールタンはローテーブルの近くに段ボール箱を置くと、ようやくソファに腰を下ろした。
その対面には、すでにドレイクがちゃっかり座っている。
キャリーカートを折りたたんだクルタナは、ドレイクに促される前に、コールタンの隣に浅く腰かけた。
「で? まだ考え中なのに、何でまた急に招集を?」
コールタンがからかうようにドレイクに問う。
だが、ドレイクはまったく意に介さず、にんまりと笑った。
「状況が変わったからさ。……昨日の午後、七班長がここに来た」
「え? ヴァラクが? いったい何しに?」
「一昨日、俺が配ったクッキーのお礼をしに」
「早っ!」
「俺も七班長から電話が来たときにはそう思った」
「ここに来たってことは、何か持ってきたってことですか。……いったい何を?」
「〝ちょっとリッチな〟コーヒー豆。ダーナの分も一緒に持ってきた」
「〝ちょっとリッチな〟……どんな豆です?」
「どんな……そうだな。うちだったら絶対買わない豆だな。値段的に」
しかも、そんな豆を何袋も持ってきたのだが、そこまで話す気はないようだ。
ドレイク専用の激薄コーヒーと共に普通濃度のコーヒーを淹れ終えたイルホンは、ローテーブルの上にすばやく並べると、すみやかに自分の執務机に撤収した。
「うーん。ヴァラクに負けたかな。値段的に」
コーヒーを眺めながら、わりと悔しげにコールタンが呟く。
しかし、そのコーヒーはいつも購入しているコーヒー豆から淹れたものだ。決して安物ではないが、ヴァラクとダーナからもらったコーヒー豆より値段的には落ちる(イルホン調べ)。味についてはまだ開封していないので不明である。
「そんなことで張り合わないでよ。うち的にはカップ麺のほうが有り難いよ?」
「そうですか。それならよかったですが。……ヴァラクはコーヒー豆以外に何を置いていったんですか?」
「さすがコールタンくん。察しがいいね」
ドレイクは愛想よく笑うと、いつものように激薄コーヒーを啜った。
「意外なことに、七班長は動く気満々だった。でも、ダーナのお守りに専念しろって言って帰らせた。よって、右翼は丸々〝部外者〟」
「まあ、それがいいですね」
「ああ。あそこはそれでいい。そのかわり、あいつはものすごい提案を置いていった。俺たちが求めてる〝よかったね〟にはなりそうもないが、俺はすっかり度肝を抜かれた」
「へえ。ドレイク大佐がそこまで言うなんてよっぽどですね。いったいどんな提案を?」
「あっさり訊くなあ。答えを当ててみようという気概はないの?」
「ないですね。無駄なことは極力しない主義です」
「そうか。その主義には大いに賛同する。じゃあ、さっさと言っちまうが、〝左遷〟な〝栄転〟にするために、左翼の前衛と後衛を入れ替えたらどうか、だそうだ」
一拍おいて、コールタンは眉間に皺を寄せた。
「え?」
「七班長本人は、これまでと同じことができないようにって言ってたけどな。パラディン大佐も同じことできなくなるだろって俺が突っこんだら、そっちは自分の元同僚がどうにかするから大丈夫だって切り返されたよ」
「元同僚……エリゴールですか?」
「そう。元マクスウェル大佐隊元四班長。さすが、あんたが推してただけのことはあるな」
「ああ……そんなこともありましたね……」
コールタンは遠い目をすると、ようやく自分の分のコーヒーを持ち上げ、慎重に口に流しこんだ。
その様子を、心なしか心配げにクルタナが見守っている。彼はまだコーヒーに手をつけていないが、もしかしたら、クルタナもコールタンも猫舌なのだろうか。
いずれにせよ、時間が経てばコーヒーは冷める。イルホンは何も見なかったことにした。
「そこでだ」
ドレイクはにやりと笑うと、コーヒーを掲げ持った。
「俺たちの宿題解決のため、彼を参加させてみないか? 噂によるとこういうの、得意中の得意みたいだし」
「まさか」
一瞬、クルタナと視線を交わしてから、コールタンは何かの間違いではないかと言いたげに問い返した。
「エリゴールを参加させるんですか?」
「そう。〝人切り〟四班長。――まさに、得意分野だろ?」
* * *
昨日、ヴァラクがこの執務室を去った後。
椅子から立ち上がったイルホンは、とりあえず段ボール箱を用意して、ローテーブルの上に整然と並べられた大量のコーヒー豆の袋を詰めこみはじめたが、ドレイクはソファにふんぞり返ったまま、感に堪えないようにこう言った。
「いやはや、さすが七班長。左翼の前衛と後衛を入れ替えるとは、すごいことを思いつく」
「え? でも、さっき駄目出ししてましたよね?」
思わず手を止めて突っこむと、ドレイクは悪びれずににやにやした。
「それはあいつを戦力外にするためだよ。状況さえ許せばたまらなくいい。パラディン大佐はアルスター大佐の真似をして〝復讐〟してもいいし、逆に前衛はこうするんだよって違いを見せつけて、さらに〝挫折〟させてもいい」
「そう言われてみれば……まさに、パラディン大佐のためにあるような配置換えですね」
「ああ、まさにな。でも、そんな余裕はもうない。アルスター大佐には、ここから確実にいなくなってもらいたいんだ」
「それならどうします? コールタン大佐待ちですか?」
「そっちもあんまり待ってられないな。……そうだな、四班長にも訊いてみるか」
作業に戻りかけていたイルホンは、コーヒー豆の袋を持ったまま、勢いよくドレイクを振り返った。
「え、四班長!?」
「人切るの得意だったんでしょ? 七班長とはまた違った、すごいアイデア出してくれるかもしれないよ?」
「でも、四班長はパラディン大佐の片腕……」
「そう。パラディン大佐に疑われずにどうやって接触するか、そこが唯一最大の問題だ。俺がまたパラディン大佐の執務室を訪ねて、四班長を呼び出してもらうこともできるけど、まさか、パラディン大佐の前でアルスター大佐を切る話はできないしねえ。かといって、四班長と二人きりで話をさせてくれなんて言ったら、絶対怪しまれるでしょ?」
「それは絶対怪しまれますね」
「うーん……さっきの七班長みたいに、四班長もうちにコーヒー豆届けに来てくれたらいいんだけどなあ」
「いや、パラディン大佐にお返し要求はできないでしょ」
「そうだよな。では、さっそくコールタンくんを利用させてもらおうか」
「え?」
予想外の名前が出てきて、イルホンの手はまたしても止まってしまった。
「あの男の口ぶりからすると、まだ四班長とつながってるみたいだからな。こっそり連絡とってもらって、四班長のほうからうちに何かお返しを届けるとパラディン大佐に言ってもらおう。四班長ならパラディン大佐に疑われないようにうまく言い訳してくれるだろ」
「でも……四班長がうちに来てくれますかね?」
「断ることはできないだろ。パラディン大佐のために」
「四班長……かわいそうに……」
「そうだよね。本当に罪作りだよね、俺の〝弟〟」
その〝弟〟に〝大魔王〟と評された男はあっけらかんと笑い、イルホンに電話の子機を持ってくるよう指示したのだった。
* * *
そして現在。
「得意分野ねえ……」
エリゴールを呼び出すためにドレイクに呼び出された赤毛の〝大佐〟は、両腕を組んで唸っていた。
「隊員切るのと〝大佐〟切るのとでは、わけが違うと思いますが……」
「切るのは殿下にやってもらうよ。問題は切る〝理由〟だ。あんた、まだ四班長とつながってるんだろ? あんたのほうから四班長に連絡とって、パラディン大佐の代理でうちにお返し届けにくるように言ってもらえないかなあ。お返しは別にコーヒー豆じゃなくてもいいから」
「パラディンの代理ですか。なるほど。それは適任かもしれませんね。ここにはパラディンは来たくても来られませんから」
「何で? 何か問題あるの?」
「問題……ええ、まあ。あいつは殿下に目をつけられてますから、うかつには動けないんです」
「ああ、殿下ねえ。何でパラディン大佐にばっかり負担を強いるかねえ。まあ、それだけ期待をかけられてるってことかもしれないけど。パラディン大佐もちゃんと結果出して応えてるし」
「ええ……そうですね……」
「四班長、いつくらいにこっちに来させられそう?」
「少しでも早いほうがいいんですよね? 大佐の今日のご予定は?」
「え? 今日中に来させるつもり?」
「早いほうがいいんでしょう? あいつならうまいことパラディンを言いくるめて来られると思います。で、ご予定は?」
「予定は未定だが、今は真っ白。でも、できたら五時前に来てもらいたいな」
「わかりました。じゃ、今からさっそく電話します」
そう宣言して、上着の胸ポケットから携帯電話を取り出したコールタンだったが、ふと何かを思い出したように固まってしまった。
「何? どした? 充電切れてた?」
「いえ、そんなことはないですが……ちょっと、廊下で話してきてもいいですか?」
「別にかまわないよ。ここに四班長を来させてくれるんなら」
「それは大丈夫だと思います。では失礼」
コールタンはさっと立ち上がると、逃げるように執務室の外へ出ていった。
「……四班長と何かあったの?」
何となく冷ややかに上官を見送っていたクルタナに、ドレイクが声を潜めて訊ねる。
クルタナは答えづらそうに苦笑いを浮かべた。
「四班長というよりは、パラディン大佐隊とですね。先日、対戦式の合同演習を二日連続で行いまして、そのときにちょっと」
「仲違いでもしたの?」
「仲違いというほどではないですが……失望はされていると思います」
「よくわからないけど、いろいろあったんだね……」
同情したようにドレイクが言ったとき、インターホンから『開けてください』というコールタンの声が聞こえて、イルホンが自席から自動ドアを操作した。
「おう、おかえり。ずいぶん早かったね」
「長話をしてる場合じゃないでしょ」
元いた席に腰を下ろしながら、若干むっとしたようにコールタンが言い返す。
「あいつ、あんたからの呼び出しっていうのに、ものすごくビビってましたよ」
「おや。やっぱりうちのキメイスのこと、気にしてるのかな」
「キメイス?」
「うちに転属されてくる前は四班長の部下だったんだ。本人は詳しいこと話したがらないけど、四班長に嫌な思いさせられたらしいよ」
「ああ……見捨てられたかな。でも、除隊にならなかったんなら、いらない人間ではなかったんでしょう」
「ひどいな」
「ひどいですよ。だからビビってんじゃないですか。あんたが部下思いな〝大佐〟なこと、みんなもう知ってますから」
「部下思いねえ……俺はただ、自分が大事に思える部下しか採用してないだけのことなんだけど。俺には一〇〇隻分の隊員はとても愛しきれません」
「ははは、確かにね。あんたらしい考え方だ。それなら人を切らずに済む」
「そりゃどうも。さてさて。切れ者の四班長は、何分でパラディン大佐を言いくるめられるかな?」
「分単位ですか」
「時間単位じゃ〝切れ者〟とは言えないよ」
ドレイクはにやにや笑うと、もうぬるま湯になっているだろうコーヒーを飲んだ。
「でもまあ、さすがに今すぐは無理だろうから、徳用チョコでも食べて待ってようか」
「徳用チョコ……」
「そこそこうまいよ。個別包装だから手も汚れない」
「チョコも〝そこそこ〟ですか」
コールタンは呆れていたが、この執務室では徳用チョコレートは貴重な甘味だ。
ドレイクに言われる前に席を立ったイルホンは、給湯室の冷蔵庫から徳用チョコレートの大袋を取り出すと、中身を白い深皿の中に移した。
これなら少しはリッチに見えるだろう。イルホンはその皿をローテーブルの上にそっと置くと、すぐに自分の執務机に戻った。