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無冠の皇帝  作者: 有喜多亜里
【05】始まりの終わり(中)
133/169

17 コールタン大佐の執務室にお邪魔しました(中)

 イルホンは思わずトレーを抱えこんだが、ドレイクにとっては想定内の質問だったようだ。

 実はお気に入りのアーモンドクッキーを食べきってから、コールタンに向かってにこりと笑った。


「それに答える前に、イルホンくんを座らせてもいいかな?」

「は?」


 よほど想定外の回答だったのだろう。コールタンは完全に虚を突かれた顔をして、軽く口を開けていた。


「いや、だって、長い話になりそうだからさ。ずっと立ったままだったら、イルホンくん、疲れちゃうじゃない。今日は朝から運転手もしてるのに」

「はあ……」


 おそらく、コールタンは副官ならそれが当たり前だと思っているに違いない。現に、コールタンの副官であるクルタナは、直立不動で彼の右隣に立っている。


「うちではね、()()を降りたら、いちばん偉いのはイルホンくんなんだよ」


 諭すようにドレイクは言ったが、本当にそう思っていたなら、そもそも朝から運転手をさせたり、よその給湯室で自分好みのコーヒーを淹れさせたりはしないだろう。イルホンはソファの横から、ドレイクの乱れた黒髪に冷ややかな眼差しを向けた。


「そうでしたか。それは失礼いたしました」


 しかし、ドレイクの勝手な言い分を、コールタンは真顔で受け止めた。


「では、ドレイク大佐の隣に座っていただけますか、イルホン少尉殿」

「……ありがとうございます。失礼いたします」


 ここで遠慮してみせるのも時間の無駄だろう。イルホンはトレーを持ったまま、ドレイクの左隣に腰を下ろした。

 自分が座れば、もっと右に移動してくれるかと思ったが、ドレイクは頑として動かなかった。嫌がらせか。

 狭苦しいが、座り心地自体はとてもいい。イルホンは妥協して姿勢を正した。


「俺としては、あんたの副官くんも座らせてあげたらどうかなって思うけど、よそんちの子だから言わないでおくね」

「しっかり言ってるじゃないですか」


 さすがに今度ばかりはコールタンも呆れて突っこんできた。が、ドレイクの気分を害したくないという計算が働いたのか、クルタナに顔を向けると、「自分の席にいろ」と短く命じた。

 そんなことを言われたのは初めてなのだろう。クルタナは戸惑ったような表情を見せたが、「了解しました」と一礼し、さらにドレイクに対しても一礼してから、副官用の執務机に着席した。


「ありがとう。用もないのに人を立たせておくの、普通濃度のコーヒー並みに苦手でね。それで、俺があんたたちの何を知りたかったか、だったっけ? 何って、大佐同士の直接交流が解禁になったから、これから改めてよろしくって挨拶回りしただけじゃない。知るのはこれからだよ」

「その解禁も、殿下に進言したのはあんたでしょ?」

「だって、寂しいじゃないの。数少ない貴重な同僚なのに」

「これから先は、横の連携が必要だと判断されたんですか?」


 ドレイクは黒い瞳を細めた。

 それを横目で見ながら、ああ、これが聞きたかったのかとイルホンは心の中で手を打った。


「やっぱり、ここの護衛は一筋縄じゃいかないよね。挨拶回りだけじゃ納得してくれないもの。ダーナは直球で『何しに来た』って言ったよ。めんどくさいから無視したけど」

「パラディンは?」

「パラディン大佐には俺の脱出ポッドを回収してくれた礼を言ったから、ダーナやあんたみたいなことは言わなかったよ。でも、きっとあんたたちと同じ疑問を持っただろうね。――〝この挨拶回りの真の目的は何だ?〟」


 ――というか、脱出ポッドの件まで言っちゃうんですか!

 イルホンはそう叫びたかったが、トレーを両手で握りしめて何とか堪えた。

 護衛のコールタンなら知っている。そして、誰がドレイクに漏らしたか、見当もついている。


「正解は何なんです?」


 案の定、コールタンは脱出ポッドのことは流して、愉快そうに笑った。

 激薄コーヒーで喉を湿したドレイクは、すました顔でさらりと答える。


「他の大佐の執務室を見てみたかったから」

「……嘘でしょ?」

「ほんとだよ。同僚の執務室はどうなってるのか見てみたかっただけ」

「そんな理由でクッキーを配り歩いてきたんですか? 物好きですね」

「そうかい? 〝お宅拝見〟みたいなもんだよ。実際、なかなか楽しかった。〝名は体を表す〟って言うけど、部屋はその使用者の人格を如実に表すよね」

「確かにそうですね。たとえばここは?」

「そんなにパラディン大佐が恋しいの?」


 次の瞬間。

 コールタンは両手で頭を抱えこみ、「うおおおお!」と呻き声を上げていた。


「この部屋、あえてパラディン大佐が異動したときのままにしてあるだろ? 部屋の雰囲気が今のパラディン大佐の執務室とよく似てる。あの人は〝いい性格〟してるけど、部屋は〝優しい〟よね。いかにもクッキーと紅茶が似合いそう」


 ――言われてみれば。

 ドレイクの指摘を受けて、イルホンは改めて室内を見回した。

 基本的に、ドレイク以外の〝大佐〟の執務室はどこも同じだ。間取りも同じだから、執務机と応接セットの配置もほぼ同じになる。

 ただし、応接セットそのものには、かなり個人差が出てくる。ドレイクの言葉を借りるなら人格差か。

 ヴァラクの執務室のソファは灰色で、客用のソファはベッドとしても使えそうなくらい大きかった。そこはドレイクの執務室と共通している。やはり〝弟〟だからだろうか。

 それ以外の執務室――つまり、アルスターとパラディンとここの執務室のソファは、色こそ黒と同じものの、デザインや品質にはかなりの違いがあった。

 はっきり言ってしまえば、アルスターのソファは頑強そうだが古くさく、パラディンのソファは新しそうで優美だった。いま座っている、このソファのように。


「……紅茶は飲んでこなかったんですか?」


 ようやく立ち直ったらしいコールタンが、それでも弱々しい声でドレイクに問う。


「うん。ほんとにちょっと部屋を覗ければよかったから。パラディン大佐以外のところでも、何も飲み食いしてこなかったよ。あんたんとこが最後だったから、このうっすいコーヒー淹れてもらいました。淹れたのはうちのイルホンくんだけど!」

「パラディン以外の〝大佐〟の執務室はどうでした?」

「うーん。……ダーナが一日置きに七班長の執務室に通ってることも知ってる?」

「当然、知ってますよ」


 ――それも知ってるんだ!

 顔には出さなかったが、イルホンの、コールタンは情報部とつながっているのではないか疑惑はさらに深まった。


「なら、隠す必要もないか。……あのバカップルの執務室は、とってもアットホームだったよ」


 ――バカップル言っちゃったよ!

 しかし、コールタンは驚くこともなく、膝の上で両手の拳を握りしめた。


「想像したくもねえ……!」


 ――わかります。でも、パラディン大佐に執着しているあなたに、そんなことを言う資格はないと思います。

 ここに来てから、初めてコールタンに共感と同時に反感を覚えたイルホンは、ドレイクの陰からそっと蔑みの視線を送った。


「たぶん、マクスウェルが〝栄転〟になった後、ダーナがあの執務室を模様替えしたんだろうな。憎ったらしいことに〝馬鹿〟でも趣味はいいんだ。七班長はダーナの〝馬鹿〟の他に、あの趣味のよさも気に入ってるぞ」

「あんたもダーナ、気に入ってるじゃないですか……」

「あいつの〝馬鹿〟は尊敬できる〝馬鹿〟なんだよ」

「よくわからないです……」

「元護衛仲間だろ」

「あの転属騒動で愛想が尽きました」

「そうだな。うちはあれで隊員増やせたが、その気持ちはよくわかる」

「まあ、バカップルの執務室はどうでもいいとして、残りは……アルスター大佐ですか。どうでした?」

「そうだな。俺の予想どおりの部屋だった」

「予想?」

「典型的なベテラン軍人の執務室。『連合』でもよく見た」

「あんた的には、つまらなかったんですか?」

「そこまでは言わないが、彼は今、あんたの元護衛仲間たちに脅威を感じているようだったよ。部屋の空気がどんよりしてた」

「アルスター大佐とはじっくり話したんですか?」

「いや、ソファに座って話はしたけど、次の約束があるからってすぐに帰ったよ。いくら〝先輩〟でも、そうそう愚痴に付き合ってられないからね」

「冷たいなあ。あんたは年長者を敬う人だと思ってましたが」

「敬ってるよ。だから真っ先に〝表敬訪問〟したんじゃない。彼は俺の〝挨拶回り〟っていう説明をそのまま素直に信じてくれたよ。あんたたちみたいな〝裏読み〟はしなかった」

「あんたの〝生き別れの弟〟は?」

「〝裏読み〟の必要ないから、単純にクッキーに喜んでた。あいつは俺がダーナを気に入ってることをよくわかってるから、特別警戒はしないんだ。基本、ダーナが無事ならそれでよし」

「バカップル……!」

「でも、だから右翼はあれだけ強いんだ。左翼の()()と違ってね」


 ドレイクは冷笑すると、またアーモンドクッキーをつまんで、一口囓った。


「たった三ヶ月前の大佐会議で、アルスター大佐は〝自分は二〇〇隻を指揮することは可能だと思う〟と言った。あくまで〝思う〟で断言したわけじゃないが、それから五回出撃して、殿下にメール一本で元ウェーバー大佐隊の指揮権を取り上げられた。言われる前に言っとくけど、あれに関しては殿下の独断だよ。俺もメール見て驚いて、あわててパラディン大佐にメールしたくらいだ。でも、殿下のその判断自体は正しかったと俺は思ってる。むしろ、よく五回も我慢したよ。殿下もアルスター大佐なら五回以内にどうにかできるだろうって期待してたのかな。しかし、どうにかできなかったから、アルスター大佐は指揮する()()を一〇〇隻減らされた。今この艦隊で二〇〇隻指揮できてるのは、護衛一人じゃ寂しいって泣き言言ってるあんただけだよ、コールタン大佐」

「砲撃と護衛じゃまったく比較にならんでしょ。護衛は〝同じことの繰り返し〟ですから」

「まあ、この艦隊ではね。でも、あんたが二〇〇隻を指揮できてることは事実だろ? ダーナは最初から自分一人で二〇〇隻を指揮することは放棄して、七班長に元マクスウェル大佐隊一〇〇隻を全面的に任せた。パラディン大佐は左翼の前衛をあてにしない戦術を編み出した。……結局、問題はアルスター大佐のほうだったわけだ」

「あのとき、あんたは今のこの状況を予測してましたか?」

「まさか。俺も左翼より右翼のほうが問題だと思ってたよ。でも、七班長がダーナを気に入っちゃったからね。すごいね。愛の力で乗り越えちゃったよ」


 そこまで聞いて、コールタンは自分の口を右手で覆った。


「吐きそう……」

「そんな飲み慣れない、うっすいコーヒー飲んでるからだよ。それ飲みきったら、普通のコーヒー飲み直しなさいよ。でも、飲みかけを捨てることは許さないよ。もったいないから」

「責任持って最後まで飲みますよ。コーヒーだと思わないで、色のついた湯だと思えば……」

「せめてお茶くらい言ってよ。コーヒー豆茶だよ」

「何ですか、それ。……で、あんたはアルスター大佐に何かアドバイスでもしたんですか?」

「いや、特には。ただ『ご自分ができることを続けられたらどうですか』とは言ったけど」

「きっついなー」


 コールタンは苦笑いしたが、ドレイクを非難するつもりはまったくないのはイルホンにもわかった。むしろ、賞賛したい気持ちのほうが強いだろう。


「そう? でも、変わることもできないんなら、もうそれしか残された道はないでしょ。……そうだ。そんなに護衛にもう一人〝大佐〟が欲しいんなら、アルスター大佐になってもらったら? で、アルスター大佐の隊は、パラディン大佐に指揮してもらう」

「え……ええっ!?」

「パラディン大佐なら、きっと二〇〇隻指揮できるよ。彼には四班長がいるからね」

「いや、それは……まさか、殿下に進言しませんよね!?」

「あんたがよければ殿下に言うよ。で、面倒だから、やっぱりメール一本で配置換え」

「お願いですから、それだけはどうか勘弁してください……」

「やっぱり、七班長くらい若く見えて、パラディン大佐くらい美形なのがいいの?」

「……はっ、真面目に考えちまった!」

「まあ、あんたと四班長には悪いけど、パラディン大佐が護衛に戻ることはもうないよ。あんた一人で二〇〇隻、指揮できちゃってるから。なまじ〝できる〟とつらいやね」


 ドレイクはにやにや笑うと、食べかけていたクッキーを口の中に放りこんだ。


「ドレイク大佐……」

「実際問題、元パラディン大佐隊のほうは一班長あたりに指揮させてるんだろ? どうしても〝大佐〟が欲しければ、そいつを〝大佐〟にするのが妥当じゃないの? ただ、俺は誰だか全然知らないから、殿下には推せないけどね」

「まあ、確かにおっしゃるとおりですけど……〝大佐〟じゃ荷が勝ちすぎるかなって。やっぱり、ヴァラクぐらい強烈じゃないと」

「あれを基準にしちゃ駄目だよ。これ以上まともじゃない〝大佐〟増やしてどうするの?」

「それ、自分も含めて言ってます?」

「ああ。〝生き別れの兄〟だからね」

「自分でまともじゃないって言えるところがまともですよね」


 飄々と切り返したコールタンは、すっかり冷めきった〝コーヒー豆茶〟を飲んで、やはり顔をしかめた。

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