16 コールタン大佐の執務室にお邪魔しました(前)
コールタン大佐隊の軍港は第八軍港。規模は違えど、ドレイク大佐隊が使用している軍港とは隣同士である。
その反対隣はダーナ大佐隊の第一軍港なのだが、それはひとまず置いておいて、今日、コールタンがいる執務室は、第八軍港ではなく第七軍港――先月末までパラディンが使っていた軍港の執務室だった。
確かに、今はどちらもコールタンの執務室だ。コールタンがどちらを使おうが、誰にも文句を言われる筋合いはない。だが、イルホンは釈然としない思いを抱えたまま、第七軍港〝大佐棟〟の駐車場に移動車を停めた。
今回、出迎えに来ていたのは、コールタンの副官・クルタナと、その護衛と思しき屈強な士官二名だった。
ダーナ以上に過保護である。しかし、同じ立場だったらドレイクもきっとそうしていたに違いない。
ヴァラクもかなりの童顔だが、クルタナはもう童顔という言葉では済まされないレベルなのだ。訓練生どころか高校生でも通りそうである。
そんなクルタナだが、実はイルホンより年上で、スミスと同い年だった。
地球人系より長命の星人の血を引いているせいらしいのだが、総務部の元同僚たちいわく、周囲からはひそかに〝エルフ〟と呼ばれているそうだ。
まっすぐに伸びた金の髪。血の気のない白い肌。透明感のある青い瞳。なるほど、見れば見るほど〝エルフ〟である。
だが、彼の耳は尖ってはおらず、着ている服も無骨な濃紺の軍服だった。
にやにやしているドレイクに、ほぼ無表情で慇懃な挨拶をすると、エルフの里ならぬ〝大佐棟〟の中へと招き入れた。
先の元マクスウェル大佐隊とは違い、ここには警備班がいたが、パラディン大佐隊よりは少なめで、明らかに緊張していた。しかし、最初に訪れたアルスター大佐隊の〝大佐棟〟に比べれば、通常の範囲内と言えるだろう。
執務室はどこも同じ場所にある。これまでと同じルートで執務室の自動ドアの前に案内されたドレイクは、自動ドアが開くと同時に、ずかずかと中へと踏みこんだ。
「よう、コールタン大佐。約束どおり、遊びに来たぜ」
まるで数年来の友人のように、気安くドレイクが右手を上げる。
その視線の先には、執務机に座ったまま、組んだ両手に顎を乗せているコールタンがいた。
ダーナの髪色が炎なら、コールタンは鮮血である。
瞳の色も鮮やかな青。クルタナが淡色なのに対して、こちらは原色だ。見慣れないので、何だか目がチカチカする。
「わざわざどうも」
護衛よりも砲撃が似合いそうな精悍な顔が、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「で、コーヒーはどれくらい薄ければいいんですか?」
「……え?」
思わずイルホンは固まってしまったが、ドレイクはおどけて答えた。
「そうだねえ。……コーヒーだとわからないくらい?」
「それは難しいですね」
「難しいよ。だから、イルホンくんに淹れてもらってもいいかな?」
「いいですよ。……おーい、クルタナ。イルホン少尉に淹れ方教わっておけ。あと、俺の分もドレイク大佐仕様で」
「承知しました」
いつのまにかイルホンの背後に立っていたクルタナが間髪を入れずに応答する。
イルホンは何とか悲鳴を噛み殺してクルタナを振り返った。
「申し訳ありませんが、淹れるついでに教えていただけますか?」
クルタナが生真面目に声をかけてくる。
見た目に反して、意外と低めだ。身長もイルホンとほとんど変わらない。
あの護衛二人の姿はなかったが、自動ドアの外で立って待機していそうだ。何となく。
「それはかまいませんが……あの、何でうちの大佐のコーヒーの好みを……?」
どうしても気になって訊ねると、クルタナは少し考えてから小さめの口を開いた。
「そこはコールタン大佐なので」
「護衛ですよね? 情報部じゃないですよね?」
イルホンたちがそんなやりとりをしている間に、コールタンは執務机から応接セットに移動し、一人掛けの黒いソファに腰を下ろしていた。
「もしかして、俺んとこが最後ですか?」
「そう。俺と直接話したいこと、いちばんたくさんあるのはあんたじゃないかなあって思ってさ」
手振りでソファを勧められたドレイクは、来客用のソファの真ん中に遠慮なく座る。
手土産のクッキー缶はいつ渡すつもりなのだろう。とりあえず、イルホンはドレイクの隣にクッキー缶の入った手提げ袋をそっと置いてから、クルタナと共に給湯室に入った。
ドアは開けたままにしておいてほしいというイルホンの願いが通じたのか、クルタナはドアを閉めなかった。というより、クルタナも上官たちの会話を聞きたかったのかもしれない。ほとんどメールでしか交流のなかった二人がこれから何を話すか、副官なら興味を持って当然だろう。
「はは、ほんとにドレイク大佐にはかなわないなあ……」
コールタンは苦笑しながら癖のある赤毛を掻いたが、次のドレイクの一言でぴたりと動きを止めた。
「護衛、一人じゃ寂しいの?」
真顔になったコールタンは、頭を掻くのをやめると、両手を組み合わせてうつむいた。
「本当はパラディンに戻ってきてもらいたいんですけど、殿下にも本人にもその気はまったくなさそうなんで……誰か適当な人間を〝大佐〟にして、右翼の指揮官にしてもらえませんかねえ……」
「それは殿下が決めることでしょ。そんな権限、俺にはないよ」
「ヴァラクを〝大佐〟にしたのはあんたでしょ?」
そのとき、ちょうどコーヒーの粉を検分していたイルホンは、驚きのあまり、シンクに粉をこぼしてしまった。ドレイクの激薄コーヒーだったら、軽く十杯は作れる量だ。イルホンはクルタナに謝罪しつつも、ここがよその給湯室でよかったとこっそり安堵した。
「俺がしたわけじゃないよ。実質もう〝大佐〟みたいなもんだから、本当に〝大佐〟にしちゃったほうがいいんじゃないですかって、メールでちょこっと殿下に言っただけだよ」
一方、ドレイクのほうはまったく意にも介していない。しかも、自ら暴露している。
いや、ヴァラクが直接頼みに来たことは言っていないから、ギリギリセーフか?
「ちょこっと言っただけで〝大佐〟にさせられるんだから、もう権限ありまくりでしょ。……誰かいないですか?」
「誰かって……あんたんとこにはいないの?」
「〝大佐〟になれそうな奴はいましたけどねえ……パラディンが砲撃に飛ばされたときに譲っちまいました。今は死ぬほど後悔してます……」
「飛ばされたとき……もしかして、元マクスウェル大佐隊の四班長?」
ドレイクがそう言うと、コールタンは本気で感心したような声を上げた。
「さすがドレイク大佐。よくご存じですね」
「いや、うちにいる元マクスウェル大佐隊員が、隊のナンバー2の一人は四班長だったって言ってたからさ。俺も一度会ってみたいなと思ってるんだけど、なかなか会う機会がなくてねえ。……そんなに切れ者なの?」
「切れますよ。ついでに、使えない人間も容赦なく切ったからヴァラクに嫌われて、元マクスウェル大佐隊を追い出されたんですよ」
「おや。俺の〝生き別れの弟〟はそんなことをしてたのかい」
「生き別れの弟?」
「ああ、七班長――ヴァラクのことだよ。〝大佐〟になる前にちょっと話す機会があってさ。共感できるところが多かったから、まるで年の離れた生き別れの弟に会ったような気分になったんだ。本人にもそう言ったら、一応喜んでおきますねって返されたけど」
「たまたまねえ……まあ、それはともかく、自分の部下だけは大事にするってとこは、あんたに似てるかもしれないですね」
「へえ、そうなんだ。でも、〝弟〟の肩を持つわけじゃないけど、切れ者の四班長を切ったのは、それだけが理由じゃないと思うよ?」
「ほう。他に何が?」
「まあ、あくまで俺の勝手な臆測だけどさ。マクスウェル大佐隊時代には、隊を維持するために四班長は必要不可欠な人材だったけど、ダーナの指揮下に入った時点で、言い方悪いけど、不要になったんじゃないかな。事実上、自分が隊長になっちまえば、四班長を使わなくても切りたい人間は直接切れる。だから、あえて自ら四班長を切って、四班長を必要としているところに行かせようとしたんじゃないのかね」
しばらく、間があいた。
ドレイクの臆測を考察しているのだろう。イルホンは手が離せなくて、コールタンの表情は窺えなかった。
「四班長を使う?」
コールタンにはそこが引っかかったようだ。いかにも怪訝そうな口調だった。
「そう、使う。そもそも、何でそんな切れ者の男がナンバー2に甘んじてたの? ナンバー1になろうとしなかったの?」
「言われてみれば、確かに……」
「たぶん、四班長は七班長に心酔してたんじゃないのかな。うちにいる六班長が、隊の維持のために七班長をサポートしてたのとは根本的に違う。七班長は四班長のそういうとこも気に入らなかったんじゃないのかねえ。実力あるのに自分の下にいたがるところが」
「俺にはやっぱり〝弟〟さんの肩を持っているようにしか聞こえませんが……まあ、心酔していたというのには同意しますよ。パラディンが護衛してたときには、退役願出しつづけてたそうですから」
「あらら……よっぽどショックだったのね。罪作りだな、俺の〝弟〟」
「でも、受理を拒否されつづけてる間に、パラディンが砲撃に飛ばされちまったもんだから、今は仕方なく、平で大佐代行やってますよ……」
「平で大佐代行。前代未聞の肩書だな」
「下手に肩書与えようとすると、除隊カード切ってきますから」
「それでも、パラディン大佐のところにいるってことは、彼を死なせたくないって思ってるってことかな?」
「のようです。パラディンが護衛に戻れたら、また退役願出すつもりらしいです」
「……四班長は退役願を受理してもらえなかった理由を理解できてないの? 切れ者のはずなのに?」
「ヴァラクに切られたときに、自己評価ゼロどころかマイナスになっちまったみたいです」
「なるほど。本当に罪作りだなあ、俺の〝弟〟」
確かに罪作りだ。イルホンはそう思いながら、激薄コーヒーを注いだ白いコーヒーカップ二つをトレーに乗せ、自分が持っていきますというクルタナを押し留めて、応接セットに向かった。
「大佐、コーヒー入りました」
まずは自分の上官に声をかけ、白いローテーブルの上に、コールタン、ドレイクの順にコーヒーカップを置いていく。ソーサーがないのは、ドレイクが無駄だと言って嫌っているからだ。決してイルホンの手抜きではない。
「おう、ご苦労さん」
ドレイクはいつものように労ってくれたが、コーヒーカップの中を覗きこんだコールタンは、信じられないものを見たかのように目を見張っていた。
「ほんとにうっすいですね。もはやコーヒーの色してませんよ」
「あー、それよく言われるねー。俺さー、コーヒーの苦さだけはどうも苦手なんだよねー。かといって、紅茶も大して好きじゃないから、こうすることにしたんだ。向こうじゃ普通のをお湯割りしてたよ。……おっと、いま思い出した。手土産にクッキー持ってきたんだった。話に夢中になってて、すっかり忘れてたよ」
と言っても、自分の隣にイルホンが手提げ袋を置いていったことは、しっかり認識していたようだ。
一瞬の迷いもなく手提げ袋の持ち手をつかむと、コールタンの前に無造作に置いた。
「クッキー……」
「あれ、嫌い?」
「いや、嫌いじゃないですけど、わざわざこんなことをしなくても……」
「だって、手ぶらで遊びにはいけないじゃん。それと同じの、他の大佐にも配ったから、遠慮なくどうぞ」
「配ったんですか。これを」
口に出したのはそれだけだったが、明らかにコールタンは呆れていた。
だが、そんな些末なことをドレイクが気にするはずもない。
「ダーナ以外はみんな喜んでくれたよ」
「それはまあ、そうでしょうが……じゃあ、いただきます。ありがとうございます」
コールタンは苦笑いしたが、パラディンと同様、切り替えは早かった。
手提げ袋の中からクッキー缶を取り出すと、案外慣れた手つきで開封し、ドレイクの前に滑らせた。
「もらったものを勧めるのも何ですけど、よかったらどうぞ」
「いいの? じゃあ、これもらっちゃうよ? いい?」
「どうぞ。……やっぱ、うっす!」
ドレイクがクッキーをつまんだのとほぼ同時に、コーヒーカップに口をつけたコールタンは、眉間に皺を寄せて舌を出した。
「無理に挑戦しなくていいよ。まともな人はまともなコーヒー飲んでなさいよ」
「ドレイク大佐はまともだと俺は思っていますが」
「〝大佐〟にクッキー配り歩く男がまともかね」
「〝手ぶらじゃ失礼〟と考えるところはまともだと思いますけど」
「ありがとう。実はちょっと不安だった」
「で、ドレイク大佐は俺たちの何を知りたかったんですか?」
しれっと問うコールタンの青い目は、まっすぐドレイクを見つめていた。